福島の原子力発電所の事故以来、これまであまり関心を持たれなかった放射線に対し、皮肉なことに関心が高まるようになりました。しかし一般の方たちは、放射線についての基本的な知識や情報が少ないために不安に駆られたり、あるいは風評被害にまで波及し、社会問題になっています。
まず皆さんに知っていただきたいことは、放射線は地球が誕生した時から存在していて、「被ばく」というと何か特殊な、異常事態のように思うかもしれませんが、「誰でも」「いつでも」「どこにいても」放射線を受けている、つまり被ばくしているということです。
一人当たりの自然放射線被ばく線量は、世界平均で年間2.4ミリシーベルトです。
場所によって被ばく線量の違いがあり、たとえば天然の放射性物質が多く含まれている花崗岩が多い西日本の方が東日本に比べて放射線量が高くなっています。
また私たちは、食物から放射線を受けることもあり、お茶、ホウレン草、魚、乾燥昆布や干しシイタケといった一般的な食品の中に含まれている放射性物質のカリウム40は、体重60kgの成人男性の体内には約4,000ベクレルあります。このように、日常生活において自然に内部被ばくしているというわけです。
さらに、健康に良いと皆さんに信じられている温泉の岩盤からは、ラドンという放射性物質が出ています。
放射線について考える時に必ず理解していただきたい単位が、「ベクレル」と「シーベルト」です。
「ベクレル」は、放射性物質がどのくらい存在するかを表す単位です。農産・水産物や飲料水の中に含まれる放射性物質が国の基準値を上回ると出荷停止や摂取制限になります。
「シーベルト」は、人体に受けた放射線量を表す単位です。放射線にはアルファ線、ガンマ線などの種類があり、それぞれ人体への影響量が異なるので、受けた放射線の種類にかかわらず健康影響の程度を示すために「シーベルト」という統一単位で表記しています。先ほどの平均年間被ばく線量の説明で出た「ミリシーベルト」とは、「シーベルト」の1/1000の単位で、「今日の放射線量 マイクロシーベルト毎時」と報道される時には、1/100万ですから、単位にはよく注意していただきたいと思います。
自然界にある放射線に対し、人工的な放射線は1895年のエックス線の発見以来、100年にわたってさまざまな分野で活用され、私たちの暮らしに役立っています。
医療分野で使用される代表例としては、胸部エックス線撮影、胃の造影検査やがんのPET 検査のように、意図的に放射線を照射し、病気を発見する診断です。また、がんの場合に、外科手術、化学療法に比べると、放射線治療は体の損傷や副作用といった患者さんの負担が小さいことが特徴です。特に重粒子線治療では、がんの部分にのみ集中的に照射できるため、正常な細胞を傷つけずに治療ができます。しかし、全がん患者の60% が放射線治療を受けているアメリカに比べ、日本における普及は25% 程度にとどまっており、放射線治療医や機器不足が原因となっています。
医療領域以外でも、たとえば農業では害虫駆除のために放射線を照射したり、あるいは工業領域でも壊して調べることができないコンクリートの壁や貴重品などの内部を調べる非破壊検査にも使われていますが、放射線を照射した瞬間のみ効果があり、物質内に放射線が残るわけではありません。
食べ物からの摂取によって体内に入った放射性物質は、時間とともに減少していきます。なぜかというと、個々の放射性物質に特有な半減期(放射能が半分になる時間)という性質があるからで、たとえばヨウ素131 ならば8日、セシウム137 なら30 年かけて半分に減少します。また人間の代謝機能によっても体内の放射性物質は減っていきます。
皆さんにとって今、最も心配なのは、放射線による健康影響だと思います。福島の被災者の中にも、吐き気を訴えられ、原子力発電所の放射能のせいではないかと疑っていた方がいらっしゃいましたが、1,000ミリシーベルト以下の被ばくでは、吐き気などの影響が発生する可能性はないとされています。
また白血病、遺伝的影響、がん、不妊や胎児への放射線影響についての調査報告は豊富にあります。というのは、広島と長崎の原爆被爆者の方や放射線診断・治療を受けた患者の方、また原子力・放射線施設の作業者の方たちを対象として長年にわたり疫学調査が行われてきたからです。
放射線影響は、どこに(被ばくした身体部位)どれだけ(被ばく線量)どのように(被ばくの仕方)受けたかによって異なります。
遺伝的影響とがんについては、放射線以外のさまざまな要因が原因としてあげられていますが放射線については、100ミリシーベルト以下の被ばくの場合には、疫学調査上は放射線の影響がないとされています。
100ミリシーベルトを放射線影響が現れる分水嶺としてとらえ、福島でも自然放射線を除いた被ばくの生涯線量を100ミリシーベルト以下にするよう目標にしています。
今や国民の死因の30%を占めるがんは、たった一つの細胞が突然変異し増殖することによって、たとえば2年で白血病になったり5~10年で乳がんになったりする恐れがあると考えられています。さらに、たばこや食習慣など日常生活のさまざまな原因が、がんになる確率を高めていると推定されています。
放射線の影響を受けやすいのは、細胞分裂が多い細胞で構成されている臓器です。このため、臓器によってしきい線量も異なります。
「しきい線量」というのは、いちばん敏感に反応する人に影響が出てくる最小線量のことです。
胎児に放射線影響が現れるしきい線量は、流早産が100ミリシーベルト、奇形が100ミリシーベルト、発達の遅れが100ミリシーベルト、精神発達の遅れが300ミリシーベルトとされています。
妊婦の方やこれから子どもを持とうとしている方は、放射線に対しとても不安を感じておられますが、放射線被ばくにより胎児に影響が現われるのは限られた期間のみで、お母さんのお腹の中で心臓や肺といった体の器官が形成される時期、つまり受精してから3~8週の間に放射線を受けると奇形の確率が高くなり、また8~25週の間では精神発達の遅れが出る確率が高くなります。ですから、病気などの診断のために腹部CT 撮影を受ける場合はこの時期を避けるようにするとよいでしょう。その他の部位の検査であればいつでも大丈夫と言えます。
2011年の事故以来、放射線診断を受けたくないという人が増えているようですが、受けなかったために病気の発見が遅れ、生命にかかわるリスクが高くなるデメリットに比べて、放射線診断を受けるメリットの方が大きいことを理解していただき、医師と相談しながら受診するようお勧めいたします。
はじめにお話したように、地球に生きている限り自然界に放射線は存在するわけですから、被ばく線量がゼロになることはありませんし、健康リスクが全くないと言い切ることはできません。
しかし、放射線利用に伴うメリットがあるから放射線が使われるのです。リスクは放射線量の増加に比例して高まるので、放射線についての正確な情報を習得した上で、安全・安心を確保しながら放射線を有効に活用していく道を選択するのが人類の知恵だと思います。
東京医療保健大学副学長
医学博士。東京大学大学院助教授、大分県立看護科学大学学長などを経て、2012年4月より、東京医療保健大学副学長。文部科学省放射線審議会委員などの公職を歴任。「放射線防護マニュアル- 安全な放射線診断・治療を求めて」「放射線防護の基礎」(共著)「放射線健康科学」(共著)など放射線に関する著書多数。