テレビの情報番組、特に主婦向けの番組などでは、脱原発による電気料金上昇の仕組みがきちんと説明されていないために、反原発こそ正しいと信じている人が多くいます。しかし正確な情報が伝えられないでいると、日本の将来はどうなってしまうのか。過去の例としてアルゼンチンが挙げられます。100年前のアルゼンチンは、世界で最も豊かで美しい国の一つでした。しかしその後経済成長がなく、成長する他の国々から取り残され、今では治安が悪く、先進国ではなく中進国になってしまいました。日本は失われた20年といわれているように、経済の低迷が続いていますが、もし脱原発により電力と電気料金が不安定になると、景気はさらに悪化し、アルゼンチンの二の舞にならないとはいえません。
先進国の条件として、最重要視されるのが、エネルギーの安定供給です。この20年間、日本ではGDP(国内総生産)の伸びを電力需要の伸びは上回っていました。たとえば家族それぞれの部屋にエアコンが設置されるようになり、電気による快適さを存分に享受してきたわけですが、2011年の福島の事故を契機に国内の原発が停止し、節電を迫られるようになり、夏場は室内の温度設定28℃を目標にしました。また、一定量の電力の安定供給が不可欠な製造業の現場では、死活問題になっています。
デフレ脱却を図ろうとしても、電力不足で工場が稼働しなければ、ものづくりが経済を支えている日本では、さらに賃金が下がる可能性が見えています。日本人の平均給与は、1997年をピークにして、消費者物価指数以上の減少が進んできました。幸福はお金ではないともいわれますが、世界120カ国におよぶ調査によると、一人当たりのGDPと幸福度は比例する結果が出ています。また、一人当たりGDPと給与には相関関係があります。ところが、製造業が海外に移転し、輸出が低迷し、国内でものが売れなくなり、投資も動かなくなれば、GDPが上がるわけがありません。だからエネルギーの安定供給が必要になってくるのです。
エネルギーの安定供給を基本にした政策において、脱原発を実現するためには、需要サイドと供給サイドの両面から考える必要があります。まず需要サイドとしては3つポイントがあります。1つ目は、エネルギー効率の改善です。震災後、家庭や商用施設などの節電は進みましたが、製造業は国のエネルギーの40%を使用しています。しかも工場などでは電気使用量の100%近くがものづくりのために使用されています。オイルショック以降エネルギー効率の改善が進みましたが、1990年ごろから効率改善は頭打ちになっています。これ以上の改善は難しくなっているわけです。
2番目は産業構造の転換です。エネルギー消費の高い製造業から医療介護などサービス業に転換すればいいという考えもありますが、サービス業は製造業と比較すると付加価値額が低いという問題があります。転換すると、消費や投資の減少にもつながり、また自動車、建設機器、電気機器といった製品が日本の輸出の3/4を占めるため、輸出減によりGDPが下がり、これも経済悪化の原因になります。GDPの成長のためには、エネルギー消費が少なく、付加価値額の高い業種への転換が必要ですが、日本では難しい状況です。
3番目は環境ビジネス参入による内需拡大です。しかし環境ビジネスでエネルギー消費が減少する保証はありません。さらにビジネスとしてはその規模が小さいとの問題があります。風力と太陽電池の導入予定量に基づくと市場規模は年1兆円です。例えば自動車の出荷額年50兆円と比較するとかなり小さい産業です。しかも、世界市場は中国・台湾メーカーが席巻している状態です。
供給サイドから原発の問題を考える場合にも3つのポイントがあり、一つ目は、代替として考えられる再生可能エネルギー導入の可能性とそのコストの問題です。欧州では固定価格買い取り制度により再生可能エネルギーによる発電が増えた結果、電気料金は上昇し、いま多くの国が制度を見直しています。日本では、欧州のように送電線がつながっていません。このために、バックアップ電源が狭い範囲で必要となり導入のコストはさらに高くなります。
次に考えるのは、原発の問題です。よく「命と経済、どちらが大事ですか」との質問を受けます。命より大切なものはありません。答えは決まっています。ただ、原発を稼働すると命の問題と考えるのは少し変かもしれません。安全性の確保が可能かどうかは科学技術の問題と考えるべきとも思います。
3つ目については、日本が原発を停止することによって、石油、石炭、天然ガスといったエネルギー資源の購入量が増加する問題です。海外市場にも影響が及ぶのみならず、家庭の電気代上昇も引き起こします。しかしこの問題は電力自由化で解決すると考えている人がいます。アメリカの一部の州では1990年代後半から電力自由化が進められましたが、2000年から2001年にかけてカリフォルニアで電力危機が起こったために、多くの州が自由化を凍結、あるいは見送りました。自由化により大手電力会社が発電所を売却しましたが、発電所を新たに購入した会社は電気料金を高騰させ、もうけることを考えました。発電所を意図的に停止させ、料金を上げました。ためることができない電気では市場操作は容易にできます。安定供給が基本である電力を、自由化による市場原理に任せていいのか、海外の経験をもとに、今、日本でも議論されているところです。
福島の事故以来、日本では、既存の電力会社への不信感から電力自由化の意見が登場してきましたが、需要と供給が必ず一致し、ためることができない電力では、自由化は簡単ではありません。再生可能エネルギーの導入や電力自由化など、希望的な観測だけでエネルギー政策をつくっていくと、電力供給が確保されず、製造業の海外流失を招きます。だからこそ、エネルギー価格や競争力、雇用を前提にした、現実に見合ったエネルギー政策を選択すべきではないかと思います。
神津 エネルギー問題はあらゆることに影響を与えるという山本先生のお話を伺い、私も一つの例を紹介します。チェルノブイリ事故のあった1986年、イギリスではBSE(牛海綿状脳症)が初めて見つかっています。タンパク質が変異して脳に蓄積し海綿状になり、立てなくなってしまうこの病気の原因は、飼料に混ざっていた肉骨粉が原因だということになりました。草食動物の牛に動物性タンパク質を与えることに違和感を抱く方もいるかもしれませんが、乳の出が良くなったり、肉牛として体格が良くなるために酪農の世界では以前から試みられていたことでした。ただしあくまでも個別の農家での、個別の取り組みでした。しかし時代が進み、人口増加に伴い食料の大量生産が求められるようになると、効率的な飼料の必要性、食肉加工時に出る廃棄物の問題も浮上し、その双方の問題を解決するために、高温で廃棄物を粉砕する技術が進み、飼料に混ぜる肉骨粉は大量生産される産業にまで発展しました。ところが、当時、燃料代が高騰し、節約のため高温処理されていなかったことが原因で、タンパク質が変異したプリオンが肉骨粉に残りそれを牛が摂取し、BSEが発生するという事態になったのです。エネルギー問題とBSEが関係しているということ、私も聞くまでは考えてもいませんでした。また、食肉牛はおおむね生後2年~4年のものが対象ですが、BSEが発症するまでには8年ぐらいの年月がかかります。それゆえ若い牛は確率的にBSE発症が大変少ないのですが、日本では病気が発生しない若い牛まで全頭検査をするようになりました。絶対的安全保証を求める国民性は、福島原発の事故後に出荷される食品の放射線汚染に限りなくゼロを求めるところにも現れていると思います。絶対とゼロを求める気持ちは私にもありますが、それだけでは何も進まないということも、最近はしみじみ分かってきました。
きょうは、日本各地でこれまでエネルギーについて勉強をしてこられた皆さんが、今、どのような考えでいらっしゃるのかを伺い、様々なご意見がありました。「福島の事故以降、電力不足の懸念から計画停電を経験することによって、電力の安定供給がどれほど大切なことなのかを再認識した。もちろん安全性第一ではあるものの、太陽光発電などの再生可能エネルギーの普及だけに頼ってしまい、今後、原発稼働停止が続けば、安定供給が困難になるのではないかと不安を感じている」というご意見。
そして、「3.11以前と以降では、日本のエネルギー事情も、原子力発電の必要性も安全性も変わっていない、変わったのは、安全神話が崩壊したことと、津波に対する新しい安全基準と対策が必要になったことだ」というご意見もありました。そんな中で、「これまでエネルギーについて勉強を続けてきたからこそ、同じ地域の方から問われても説明することができ、安心感を持ってもらえた。今後も生活者の視点と言葉で正確な情報を伝えるようにしていきたい」というお話もありました。
また、福島の事故以後にも、地元にある原子力発電所や他地域の発電所を見学し、安全対策を自分の目で確かめられたり、各地域で意見交換されている方もいました。さらには、メガソーラーの見学や、地域の放射線量を実際に測定した結果を冊子でお知らせする活動を続けている方もいらっしゃいます。
このように、さまざまな地域に住んでいらっしゃる皆さんから、エネルギーを巡る日本の現状について貴重な意見を伺うことができましたが、山本さんのご感想はいかがですか?
山本 正確な数値を出さず、偏った解説が多い一部のマスコミ報道によって、かなりの人達に反原発感情が刷り込まれているように感じます。一部の政治家の原子力に対するさまざまな考え方にも疑問が残ります。安全性の確認は最も大切ではありますが、活断層と破砕帯の存在が突然焦点を浴びるのも分かり難いです。調査している原子力規制委員会の判断が注目されます。また、原発の再稼働については、安全性を大前提に国民生活、産業の競争力も考え判断すべきです。感情で決めることではないと思います。
神津 全ての事実を踏まえながら、それでも何とか前に進まなければいけないと思うのです。思考停止している場合ではない。現実の疲弊を見ない政府も、そしてマスコミからの情報だけに振り回されてしまいがちな私たち自身も思考停止になっています。だからこそ生活者として判断する材料を各方面から入手して勉強を重ね、また日本各地のそれぞれの事情を広くもっと知りたいと思っている多くの人たちに、私どもの持っている知識や情報をご提供し、そのお手伝いができればいいと思っています。
翌日は、参加者で中部電力浜岡原子力発電所を見学しました。
浜岡原子力発電所では、福島第一原子力発電所の事故を受けて、現在進行形でより一層安全性を高める津波対策を実施していました。
特に、発電所の敷地前面1.6kmにわたって設置工事が進む「防波壁」は海抜18メートル(2013年末までに海抜22メートルにかさ上げ予定)、まるで発電所を囲う要塞のような頑強な壁で、間近で見てその圧倒的高さに驚かされました。
防波壁に加え、海水取水ポンプの周囲に高さ1.5メートル(2013年末までに高さ3メートルに変更予定)の「防水壁」設置工事などにより敷地内への浸水を防ぐ対策を行っていました。
さらに、敷地内が浸水しても建屋内への浸水を防ぐ「水密扉」への取り替えと「強化扉」の新設など、いろいろな対策が着実に進められていることを確認しました。
さまざまな対策が実施されているのを目の当たりにして、実際に自分たちの目で見て確認することが、安心や信頼につながっていくことをあらためて実感した見学会でした。
富士常葉大学総合経営学部教授
1951年香川県生まれ。京都大学卒業後、住友商事入社。石炭部副部長、地球環境部長などを経て、2008年、プール学院大学国際文化学部教授に。10年4月から現職。地球環境産業技術研究機構「SDシナリオWGグループメンバー」、日本商工会議所「エネルギー・原子力政策研究会委員」、経済産業省「CO2固定化・有効利用分野評価検討会委員」などをつとめる一方、各種のメディアで積極的に執筆や発言を行い、『経済学は温暖化を解決できるか』(平凡社新書)、『夢で語るな 日本のエネルギー』(鈴木光司氏との共著、マネジメント社)など著書も多数。