伊勢志摩サミットでは、各国首相は伊勢神宮を訪れましたが、さまざまな宗教の国の出身であることに配慮して、「参拝」ではなく「表敬訪問」という表現をしました。日本の聖地である伊勢神宮で感じた思いを表した首相たちのメッセージが発信されましたが、それぞれが意味深く、中でも「世界中の人々が平和に、理解しあって共生できるようお祈りいたします」というオバマ大統領の言葉は、サミット後に広島に赴き、被爆地を訪れた最初の米大統領としての印象的なスピーチに影響していると思いました。
伊勢神宮から、賢島に移動して行われたサミットでは、世界経済、貿易、移民難民、インフラなど多様なテーマが話し合われ、最後に「G7伊勢志摩首脳宣言」として発表されました。その中にはもちろんエネルギー問題も含まれており、エネルギー安全保障の確保が重要な課題であるという共通認識のもと、(1)上流開発、質の高いインフラ、クリーンエネルギー技術への投資の促進、(2)天然ガス市場の安全保障強化のための行動、(3)エネルギー技術の革新とエネルギー効率の拡充の推進等について、各国首脳の意見の一致が見られました。
サミットで話し合われたさまざまな課題からは、現実の複雑化し混沌とした世界が見えてきます。一方、その対極にあるのが、神話の世界の息吹が聞こえてくるような伊勢神宮ではないでしょうか。
神宮では、神様に供える御料(ごりょう)は自給自足が原則になっています。社殿の檜(ひのき)は、鎌倉時代の中期ごろまでは、神宮周辺の山から御用材として伐り出されていましたが、大木が伐り尽くされたため他の山の檜を使い、さらに江戸中期以降は、木曽の山から運ばれています。式年遷宮の時に使用する檜は、今回約1万本にのぼりました。
神宮宮域林(きゅういきりん)で森林計画が策定され、育林が始まったのは、大正12年のこと。大木に生長しそうな木には印がつけられ、200年後の式年遷宮で社殿の宮柱に使われる予定です。毎年4月には植樹祭が行われ、この森の檜を使って社殿が建てられるようにと、大切に育てられています。
伊勢神宮では20年を式年としており、平成25年に行われた第62回目の式年遷宮は記憶に新しいと思います。内宮(ないくう)が690年、外宮(げくう)は692年に始まったとされており、室町時代後期には100年以上にわたり中断されたものの、およそ1300年の歴史があります。遷宮とは、新しい材を使い、同じ形の新しいお宮を建て、御神体を遷すお祭りであり、東西に隣接する二つの敷地に交互に建て替えをしています。
外宮で毎日行われているお祭り=日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)で神様に供えられる水は、神域内の上御井神社(かみのみいじんじゃ)から、毎朝、神職がくみ上げてくる水を使用しています。火は、ガスコンロなどを一切使用せず、今でも、檜の板と山ビワの心棒を摩擦させる御火鑽具(みひきりぐ)で起こしています。このように私たちの日常生活からは離れてしまった昔ながらのしきたりが、神宮で守り伝えられてきたのです。
自然は神様がお創りになったものであり、神宮の森を源とする水循環から頂いた貴重な自然の恵みを、神様への感謝の気持ちを込めてお供えするのが、神宮の祭典です。太陽を天照大神(あまてらすおおみかみ)として崇めたように、もとより日本人は、風、雷、火などの自然エネルギーを神様として畏れ敬ってきました。畏れる気持ちがあるからこそ、自然環境を大切に守り続け、また人間の傲慢さに対する戒めにもなっていると思います。伊勢神宮の森の空気に包まれると、これからも豊かな環境を残していく大切さについて、あらためて考えさせられると思います。
水尾 千種さんの講演をお聞きして、森が豊かな日本の国土は、神様からの預かり物で、そのお世話をする役目が日本人には特別に与えられているのだと思いました。奈良時代に編纂された『日本書紀』の中には、神様が天から降りて来られる時に、様々な種類の木の種を持ってきたと記されており、また、自らのひげから杉を、胸毛から檜を、お尻の毛から槇を、そして眉毛から樟(くすのき)を創られたことが書かれています。そして杉と樟は船に、槇は棺に、檜は宮建築に使うようにと、用途まで記されています。ですから、神宮は檜で建てられています。
神宮の特徴的なものとして四重の生垣、御垣(みかき)がありますが、それは、私は聖と俗を隔離するものではなく、正殿を中心とした惑星のようなもので、宇宙を表現しているのではないか、と思っています。
千種 『日本書紀』も天地開闢(てんちかいびゃく)という宇宙観から始まりますよね。私たちは神様からご利益を頂くことばかり考えてしまいがちですが、もともと神様は畏れる存在だったから、何重もの垣根の内に鎮まっていただこうとしたのだと思います。
水尾 古来、神宮は、皇室の繁栄、五穀豊穣、国家隆盛、国民の平安を祈るために、「私弊禁断」といって、天皇しか幣帛(へいはく=布などの供え物)を奉ることができなかったところであり、江戸時代になって、平和な世になり、街道も整備され、多くの庶民もお伊勢参りをするようになりました。といっても他の神社とは別格であり、神様と神様の住む森に敬意を表し、個人的なお祈りはしてはいけないわけですよね。
水尾 20年ごとの式年遷宮は、持続可能なシステムに支えられて続いてきたと思います。同じ材料を使い、シンプルな構造で、同じ建築技術で建てることは、世界で唯一の優れた形態保存の方法だといえます。またリサイクルシステムと申しましょうか、材の使い道が徹底しており、御正殿の棟持柱(むなもちばしら)*に使われる太い檜は、20年の役目を終えると、内宮の宇治橋の両側にある鳥居として20年使われ、さらに七里の渡し、関宿東追分の鳥居として20年、その後は、由緒ある全国の神社で無駄なく使われていきます。
*棟持柱…日本古来の建築様式である唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)において、両妻の側柱外にあって棟を支える柱。
千種 同じものを作り伝えていくのが日本人の伝承方法の一つであり、古来の技術を保存しているから後世の人が見て学べるのですね。伊勢神宮を訪れる海外の人たちに、「永遠」というものを日本では遷宮のように繰り返すという形で表現していますと説明すると、よく理解してもらえます。
水尾 かつてドイツの建築家ブルーノ・タウトが伊勢神宮を「一切が究極の清楚である」と表現したように、信仰が異なる海外の人たちにも日本の伝統美と精神は伝わるようですね。この日本の建築技術は紙に書いて記録として残すのではなく、先人たちが現物を見せながら口伝してきたのです。
千種 今はメールなどIT技術を使えば容易に伝わる便利な時代になりましたが、昔から行われているように、相手の顔を見て、一対一で話し伝えることはとても重要な手段だと思います。
水尾 式年遷宮は、室町時代に中断したのち、安土桃山の豪華絢爛な様式に影響されて、彫金など華美な装飾が施されるようになったことがわかっています。1300年続く伝統といっても、何も変わっていないわけではないのです。明治時代になると、古式遵守という天皇一令により金物装飾を省くようになり、今では室町期の様式まで戻すことができました。今後も本来あるべき姿に戻すために、研究が重ねられていくのでしょう。
水尾 科学が進歩するに従い自然現象も解明されるので、自然に対する畏れが薄れていくといわれますが、そうした中で伊勢神宮の存在は、日本人が自然に対する畏敬の念を持ち続けられたことの象徴的な事例の一つだと思います。
千種 水道、ガス、電気がなければ生活ができない現代の私たちですが、井戸から水をくみ、火を起こすというしきたりを続けている神宮は、日本の衣食住にとって原点だと思います。そして、原点を持っているということは、困難な時の励みにもなると思いますね。
水尾 戦後の日本では、より大きなエネルギーが必要になり、エネルギー改革をせざるをえませんでした。資源が少ない日本が、石炭、石油から原子力へと移行してきた道筋は、ひとつの選択だったいえます。不幸にして2011年3月11日に福島第一原子力発電所で事故が起こり、原子力に対する見方が一変してしまいました。しかしながら、日本という国家は科学技術立国でありながら、自然というものに神を見出し畏敬の念を持ち続けている貴重な国です。その中で自然のエネルギーの有難さもわかってはいるけれども、これだけの世界人口が存在する現代、資源のない国であること、また先進国の責任としてエネルギーに関しても挑戦をしていかなくてはなりません。これからのエネルギー問題を考えるとき、残念な事故であきらめてしまうのではなく資源のない我が国が築き上げてきた原子力の技術についてもさらなる研究と努力をすべきだと思いますね。
文筆家
実践女子大学卒。皇學館大学非常勤講師。NHK津放送局アシスタントアナウンサー、三重の地域誌「伊勢志摩」編集長を経て独立。平成18年から新幹線内の雑誌「ひととき」に神宮関係の記事を連載。著作に「伊勢神宮 常(とこ)若(わか)の聖地」「女神の聖地 伊勢神宮」ほか。三重テレビ放送特別番組「お伊勢さん」10本の脚本担当。
名城大学人間学部教授
専門は建築学、都市計画。現在、名城大学にて環境人間学、都市文明史担当。国土交通省をはじめ愛知県など数多くの行政機関や各種団体の委員などを歴任。