歌代 新潟県というと東京電力柏崎刈羽原子力発電所が注目されますが、地元はこの春に電力の小売り全面自由化が始まるまでは、東北電力の供給エリアでしたよね。スイッチ一つですぐに使える電気 —— コンセントの向こう側には、原子力、火力、水力などの発電所があって、そこで電気がつくられ送られていることを、渡部さんのお話を伺い、あらためて意識しました。
渡部 発電所でつくった電気をお届けして、お客様に喜んで使っていただけるのが、現場にとって一番の励みであり、発電部門で働いてきた私としてはうれしい限りです。
歌代 所長を務められた女川原子力発電所では、東日本大震災の時に、現場の皆さんが協力しながら対応を進める中で、上からの指示をただ待つのではなく、例えば2号機の原子炉建屋附属棟に水がたまっているという情報が入ると、すぐに現場に向かい、水をくみ上げる作業を開始。さらに非常用発電機が浸水しないよう土のうを100個用意する指示を出せば、所員は余分に300個も作って備えていたため、追加対応が即座にできた、というように、常に先のことを想定しながら行動しているお話をしていただきました。
渡部 女川原子力発電所は、建設計画時から津波の歴史的な調査や地質調査など専門的な意見にも耳を傾け、当初の想定より津波の高さを高く見積もり敷地の高さを決定しました。さらに、先輩たちがこれまでに積み重ねてきた「想定以上のことに備える」という考え方を生かして、当時の所員たちは的確な判断と自主的な行動ができたのだと思います。
歌代 地震、津波で混乱している現場では、情報のやりとりはどのように行われたのですか?
渡部 正確な情報収集と発信が重要でしたから、中央制御室と緊急時対策室の間での連絡は2ルートで行いました。一つは中央制御室の発電課長から緊急時対策室の技術担当課長へ、もう一つは中央制御室の原子炉主任技術者から緊急時対策室の私へ。それから、外部への連絡は本店に任せる、というような形にしたことにより、現場の所員は集中してトラブルへの対応ができ、それを緊急時対策室でしっかりと見守ることができました。また、テレビ会議は便利なようですが、テレビの向こう側とこちら側で対峙するような形になり、意見が合わない時に勝ち負けのような雰囲気になるので、緊急時にはあまり有効ではないと、この時には感じました。もちろん、普段の会議では有効だと思いますが。
歌代 過酷事故を免れたからといって、成功に慢心せずにさらなる安全対策に努めていると伺いました。
渡部 作家の塩野七生さんは、古代ローマ帝国について、「成功した組織はまさにその成功が元で衰退する」というようなことを書いておられます。原子力発電所の安全性については、今、全国で安全性向上の対策が行われていますが、運転が停止してから5年半が経過しています。懸念されるひとつに、技術力の維持が考えられます。日ごろから余念なく運転訓練には取り組んでいますが、運転中の発電所で運転員が経験を重ねることもとても大切なのです。もちろん強化された設備とその設備を動かす体制も重要ですけれど、経験で得られた個別の技術の伝承は人材の育成に欠かせないのです。例えば、ちょっとした異音が問題ある音なのかそうでないのか・・・若手はその判断をベテラン所員の経験から教わるのです。
歌代 地元の人たちとのつながりは、震災後どのように変化したのでしょうか?女川原子力発電所では、被災された住民を震災直後から所内に受け入れ、その数は最大で364人にも上ったとお聞きしました。
渡部 家が流され、夜が近づき寒さが増してくる中、着の身着のままで避難されてきた人たち、中には顔見知りの人たちに対して、入ってはダメだなんて、誰も言えないでしょう。警備上の問題は気になりましたが、とはいえルールや法律は人のためにあるわけですからね。避難された住民の方と所員たちは、3カ月もの間、発電所内で苦楽を共にし、絆ができたと思います。
歌代 女川の現地視察に伺った時、東北電力の所員の方が、女川町内の被災箇所を案内してくださり、まるで町役場の人のように町をよく理解していて、丁寧に説明していただきました。また、渡部さんは世界原子力発電事業者協会(WANO)から原子力功労者賞を表彰された時に、「私個人ではなく、すべての所員が表彰されたのだ」と話されていましたね。受賞の理由は、震災前から緊急時の対応に備えていたこと、巨大地震と津波にもかかわらず3基すべてを安全に冷温停止に導いたこと、そして、被災した地域住民を受け入れ、地域と共に困難を乗り越えた取り組みが評価されたからでした。女川はまさに地域住民と一緒になって大地震からの復興を進めているのですね。
渡部 震災前も地元の方たちと交流を深めるようにしてきましたが、震災後はその絆がよりいっそう強まり、所員も自らが地域の一員であることを強く意識しているようです。
歌代 今年4月には、電力小売の全面自由化がスタートしましたが、「安くて良質な電気の安定供給が東北電力の使命」とおっしゃっていました。東北地方は、海に挟まれ、中央には山々が背骨のように連なる厳しい自然環境の中で、台風、地震、津波などの自然災害とも戦いながら電気を供給しているため、危機管理が最も重要であり、繰り返し訓練も行ってきたとも話されていました。
渡部 電力自由化により、企業としては競争をしないわけにはいきません。多様化する皆さんの生活スタイルに細かく対応できるような電気料金のメニューをご提示できれば、と考えています。そしてまた、震災という過酷な体験を経て、忘れてならないのは、日々の業務の中、それぞれの立場で感じ取ったことを、伝え合い納得するまで話し合うことです。向上心を忘れずやり遂げる一人ひとりの実行力を結集していく一方で、全体を把握し、公平に冷静に対処するリーダーの役割も大切だと感じています。女川で経験したことは、あらゆる自然災害、もしくは予期せぬ出来事に直面した時に、誰にとっても必ずヒントになると思うのです。
歌代 以前、電力会社が数社参加しての会議で、東北電力の方が「発電所にトラブルがあったら、自分の尺度で判断するのではなく、社会がどう受け止めているのか。事象の重さや社会的な感度で判断し、都合の悪いことでも率先して発表するようにしています」とおっしゃったのが印象的でした。どのような場面においても重要なことだと思います。そして私たちはコンセントの向こうで、地域と共に備えをしながら電気をつくり、送ってくれていることを忘れずに、日々生活していかなければならないと思います。
東北電力株式会社取締役副社長
1952年、福島県南相馬市生まれ。1977年、早稲田大学大学院理工学研究科電気工学専攻修士課程修了後、東北電力株式会社入社。2007年、東通原子力発電所所長、2009年、女川原子力発電所所長に就任し、東日本大震災当時も所長を務める。2014年、常務取締役火力原子力本部副本部長に就任、現在に至る。2013年5月には、原子力発電所の安全な運営に卓越して貢献した人物を対象に厳正な選考を経て授与される、世界原子力発電事業者協会(WANO)原子力功労者賞を受賞。