3.11以後、放射能に関する交錯した情報が社会に与えた影響は甚大でした。科学的な問題に関するニュースや情報は、専門家による解説が多いため一般の人には理解しづらく、こうしたサイエンスコミュニケーション不足が、結果として偏向報道や風評被害の一因となったと思います。専門的な内容をわかりやすく一般市民に伝え、また市民が疑問に思ったことや意見を科学の専門家にフィードバックするコミュニケーションが必要であるにもかかわらず、福島第一原子力発電所の事故をめぐっては、風評や科学的根拠のない情報が出回り、科学への信頼が失墜しました。
日本ではあまり報道されませんでしたが、イギリスでは事故発生の5日後に、政府の首席科学顧問による事故概要と見通しの説明がありました。事故後すぐ、首席科学顧問ジョン・ベディントン氏が緊急時科学的助言グループ(SAGE)を招集、各専門家によるチェルノブイリ原子力発電所事故との比較分析が行われました。チェルノブイリの場合は、運転中の原子炉が暴走し、爆発した結果、炉心で起こった火災が何日も続いたことにより、放射性物質は成層圏近くまで上昇しヨーロッパ中に拡散しました。一方、福島第一原子力発電所の場合は、原子炉は停止しており、核燃料の冷却失敗によるメルトダウンや水素爆発の可能性はあるものの、それでも半径30km以上の健康被害はないという予測でした。東京にいた外国人たちは、福島第一原子力発電所の事故直後には次々と日本から逃げ出しましたが、イギリス政府による発表や記者会見のほか、日本の英国大使館における発表によって、イギリス人の騒ぎは沈静化しパニックは回避されました。
日本では各専門家がそれぞれの意見をバラバラに発表しているところ、イギリスの首席科学顧問は、科学や技術など多様な専門領域にまたがる人材の意見を横断的にまとめて評価・判断し、政府に対しても最善と思われる科学的助言を提示。また一般市民にもわかりやすく伝わるように、専門領域を超えたメッセージを、一人がまとめて発信しています。
2011年4月からイギリスに渡り、インペリアル・カレッジ・ロンドン(ICL)で科学コミュニケーションの研究員になった私は、当時、日本サイドが発信した情報が少なかったにもかかわらず、事故からわずか5日後になぜイギリス政府が発表できたのか、その仕組みをカレッジの教授に聞いて納得しました。つまり、オーソリティが、まず決断、そして市民へ発信することが最優先だということでした。そして科学は常に変化しているものであり、不確実、不確定という条件を根底にしながら、正確ではない部分が発見されれば即時訂正していくということでした。逆に、情報の開示が遅れれば、不安や非科学的流言が拡大するのです。イギリスは1996年ごろに発覚した狂牛病(BSE)の人への感染について、国民への説明が遅れたという失策があり、この失敗を生かすためにBSEに関するレポートをまとめ、当時、政府が判断と実行において何を見逃し、何が間違いであったか、一つひとつ徹底的に調べ上げました。このレポートを公開し国民の信頼を回復するまでに20年も要したのです。
また、イギリスでは、この20年の間にICLを拠点にしてサイエンスコミュニケーターを育成したり、政府から独立した組織である科学メディアセンターが設置されました。このセンターは、誰でも科学に関する情報が入手できる場であると同時に、根拠不明の科学記事に対するチェック機能も有しています。最も大切なことは、科学が不確定なものであるからこそ、安全性とリスクの境界をどのように判断し決定したのかプロセスをオープンにし、誰でもアクセスできるようにしたことです。
日本では、1998年にダイオキシンなど環境ホルモンに関する問題が環境庁の報告書で発表されたことをきっかけにして、マスメディアにおいて実際のリスクを超えるような報道がなされ、正誤入り混じった情報の洪水状態で日本中が混乱しました。一方で、科学界からはそれぞれの領域の専門家がそれぞれの立場からコメントするのみで、この問題に関する全体観を示すようなメッセージは発信されませんでした。もちろん、環境中に放出された多種多様な合成化学物質は、生態系や人間の健康に被害を与える恐れがあります。しかし科学的にどこまでリスクがあるのか、科学者も行政も対応が不十分だったため、リスクを過剰に煽るマスコミの暴走を止めることはできませんでした。また国民の不信の背景には、水俣病のような、戦後の復興を支えた化学工業による汚染が生み出した負の遺産もあったと思います。
科学的裏付けのないものが流布している例としては、マイナスイオンもあります。1999年ごろから、マイナスイオンという言葉がマスコミに登場するようになり、「健康に良い」ことをセールスポイントにして、大手電機メーカーがマイナスイオンを発生するという触れ込みの家電製品を一斉に販売するようになります。健康に効果があるという科学的データがなかったにもかかわらず、販売競争に負けないために次々と販売していきました。しかしこうした状況に対して科学者は自分の専門領域ではないなどを理由に発言を控え続けていましたが、最終的に、当時の日本科学会会長の野依良治博士が「実体のない言葉が社会で一人歩きするのは由々しき事態」と発言し、過熱状態を収束させるきっかけを作りました。科学的な根拠や効果が不明な健康に関する商品は、私たちの身の回りに数多くありますが、こうした疑似科学への向き合い方こそ重要になってくるので、科学者や技術者には公の場における説明責任があると思います。
原子力に対して募る国民の不信感も、説明不足が原因といえるでしょう。2007年の新潟県中越沖地震の時、柏崎刈羽原子力発電所の原子炉に何ら問題はありませんでしたが、3号機の変圧器付近で火災が発生、消防署に出動要請しても市内で起きていた別件の対応に追われ到着が遅れます。自衛消防隊による消火が思うように進まず変圧器の油が燃え始め、黒煙を上げる映像を流していたテレビ局やそれを見ていた一般の人たちは、発電所が爆発するのではないかと危険を感じていたのです。ところが発電所内の人は、「原子炉は停止しているし、変圧器の火災ならさほど重要な問題ではない」と判断していたため、一般の人たちが抱く「危機感」とのギャップに気づかず、説明も記者会見も行わなかったことが、混乱を大きくしました。
今年4月の熊本地震後、鹿児島県の川内原子力発電所に対して稼動停止の声が高まりました。それに対して政府は、原子力規制委員会のお墨付きをもらっているからという理由で安全性を訴え、稼働停止に至りませんでした。原子力は、一度、安全神話が崩壊してしまったわけですから、熊本地震の被災地域の住民のみならず国全体の不信感が解消されていません。にもかかわらず、専門家に丸投げすれば良いという政府の考え方では、不安を駆り立てるような偏ったマスコミ・ネット情報の洪水が、科学的知識に乏しい一般人の不信感や恐怖心を高めるのは当然です。元東京電力社員で福島第一、第二原子力発電所にも勤めた経験がある吉川彰浩氏の言葉にもあるように、「原子力業界の常識は非常識?」という実例の一つともいえます。
まずは福島第一原子力発電所の事故での情報開示の失敗が生んだ社会の混乱を徹底的に見直し、そこからもう一度信頼を回復するためには、何が必要なのか考えるべきでしょう。また、科学者を代表して専門的なことをわかりやすく丁寧に伝えることができる、コミュニケーション力の高い人材も必要になるでしょう。そしてイギリスの首席科学顧問のように、専門領域を横断的に行き来し、各方面の意見を集約、判断、発信できる、行政にもコミットできる人材を育成する教育も、時間がかかるかもしれませんが、これからの日本には是非とも必要だと考えています。
日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)会長
1951年東京都生まれ。北海道大学理学部高分子学科卒。1976年、読売新聞社入社。2011年、退社後は、インペリアル・カレッジ・ロンドン客員研究員(科学コミュニケーション)、早稲田大学大学院客員教授、お茶の水女子大非常勤講師を経たのち、2013年5月から現職。政策研究大学院大学(GRIPS)客員研究員、昭和薬科大学非常勤講師も務める。主な著作に、『夢は必ずかなう 物語 素顔のビル・ゲイツ』(中央公論新社)、『いのちと心』(共著 読売新聞社)、『ドキュメント・もんじゅ事故』(共著 ミオシン出版)、『環境ホルモン 何がどこまでわかったか』(共著 講談社)、『日本の科学者最前線』(共著 中央公論新社)、『ノーベル賞10人の日本人』(同)、『地球と生きる 緑の化学』(同)など。