株価上昇、失業率改善など、日本の景気は上向いていますが、ここで過去20年間の日本経済の沈滞を振り返ってみると、その諸悪の根源はデフレだといわれることが多いですが、1980年代は平均4%以上だった経済成長率が2000年代には0.8%に低下と、低成長が当たり前になったことも大きな要因です。アベノミクス第一の矢=「大胆な金融政策」として、2013年4月の日銀による金融緩和と14年10月の追加金融緩和が行なわれたことで、デフレからはほぼ脱却しつつあると言えますが、デフレ解消で物価が上がる一方、給料が上がらなければ、日常の生活は苦しくなります。だからこそ経済成長率を高めることも不可欠なのです。
日本経済がどれだけ成長できるかは、短期と長期に分けて考える必要があります。短期的には、経済の需要と供給の関係で決まるので、この点では安倍政権は、アベノミクス第一の矢=「大胆な金融緩和」と第二の矢=「機動的な財政政策」により需要を増やすことをしっかりとやっています。一方、長期的には、供給がどれだけ増えるかが重要であり、それを規定する要因としては3つあります。第一は人口がどれだけ増加するか、第二は資本ストック(物やサービスに必要な資本設備)がどれだけ増加するか、そして第三は生産性がどれだけ向上するかです。日本の現実を考えると、第一と第二の点についてはあまり期待できないのですが、三番目の生産性については、日本経済全体の生産性はアメリカの半分程度であり、まだ伸びしろがあるといえます。
この生産性の向上を目指すのがアベノミクス第三の矢である「成長戦略」です。しかし安倍政権のこれまでの成長戦略は、あまり高くは評価できません。民間や地方を自分で頑張らせる構造改革的な政策よりも、政府が手取り足取り応援する産業政策がメインになっているからです。これでは民間や地方は本当の意味で強くなり、生産性を大きく向上させることは期待できません。
あと一年ほどは短期的な需要創出により景気は良い状況が続くかもしれませんが、改革中心の成長戦略が実現しないとその成長も長くは続かないと考えるべきです。今のままでは、17年4月の消費税10%再増税によって再び景気は悪化しかねません。安倍政権の経済運営の重要課題である「地方創生」も同様であり、地方に多額の予算が投下されましたが、その効果を持続させるためには自治体自身が地元地域の生産性を上げる努力をする必要があります。また、地方を支えているのは中小企業であり、そもそも日本の企業全体の99%以上を占める中小企業が成長しなければ、経済も真に良くはなりません。
エネルギー問題については、2011年以後、議論が原子力発電の是非に終始しています。しかし、エネルギー政策においては、目的と手段をしっかり分けて考える必要があり、原子力発電の是非は目的ではありません。目的は、エネルギー安全保障、経済効率・持続的経済発展、環境保全の3つです。現在、エネルギー自給率が先進国最下位に近い6%にまで下がり、電源構成の9割近くを占める化石燃料のうち、石油は中東依存度が8割以上、というように、本来、電源も輸入先も分散化を図るべきところ、資源の安全保障の面では極めて脆弱になっています。目的の二つ目については、この4年間で電気料金が上昇し、企業も家庭も経済的に圧迫され、経済成長の足かせになっています。また三番目については、火力発電の増加により、CO2排出量が増加し、先進国の一員として、今後、地球温暖化対策のためにさらなる削減目標を掲げる必要があります。
エネルギー政策の目標3つを同時に実現できる手段として、日本経済の短期的な観点からも最も有効なのが、原子力です。なぜなら、政府が決定した2030年度の望ましい電源構成(ベストミックス)案において、発電コストが高い再エネを現在の約2倍にすると、各家庭で負担する再エネ賦課金が毎月1,300〜1,500円に上昇する可能性があります。それでも、安全性を疑問視し、原子力より再エネのほうがいいという人もいるでしょうが、これは中小企業にとっては死活問題になります。発電能力の向上、蓄電池の技術開発などが進まない限り、再エネへの過度の依存は難しいため、経済効率の高い原子力発電の再稼働は、現段階におけるエネルギー政策の目標達成には不可欠だと思います。
長期的な経済成長の実現に不可欠な生産性向上のためにはイノベーションが必要ですが、エネルギー政策にとってもイノベーションが重要です。イノベーションとは、技術革新と訳され狭義で使用されることが多いですが、もともとは企業家による生産要素、生産方法の変革、新規導入などの行為を示す言葉です。実は大企業より、小さな企業や自治体におけるイノベーションの可能性の方が大きいのです。というのは、戦後の日本は、高度経済成長からバブル、そしてバブル崩壊、デフレ、リーマンショックなどを乗り越えて、成長、成熟を遂げ、2010年に中国に譲るまでは世界第二位の経済大国でした。その日本経済を支えて来たのは、偉大な創業者でも辣腕の経営者でもなく、地方の現場の力だったからです。
現場の底力を見せつけたのは、東日本大震災で甚大な被害を受けた多くの工場における迅速な復旧でした。だからこそ私は、どの産業でも、どの地方、地域においても、イノベーションを作り出せると思うのです。ここ富山においても、地方活性化に欠かせない観光産業があり、農業、漁業のポテンシャルもあり、北陸新幹線開通による経済効果を今後はどのような形で持続に結びつけていくかが、県民の皆さんの課題です。といっても、考えすぎて立ち止まることなく、これまでの経験から得た知識を元に、直感を信じてイノベーションを進めていただけたらと願っています。
慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
1962年、東京生まれ。
一橋大学経済学部卒業後、通商産業省(現・経済産業省)入省。
通産省在籍時にコロンビア大学経営大学院に留学し、MBA取得。
資源エネルギー庁長官官房国際資源課等を経て、
2001年、第1次小泉純一郎内閣の経済財政政策担当大臣だった
竹中平蔵氏の大臣補佐官に就任。
金融担当大臣補佐官、郵政民営化担当大臣、総務大臣の政務秘書官を歴任。江田憲司衆院議員や元財務官僚の高橋洋一氏らと共に
「官僚国家日本を変える元官僚の会(脱藩官僚の会)」を設立。
以降、「脱藩官僚」としてテレビや雑誌でも活躍。