2日間にわたる会議の1日目は、原子力コミュニケーションのあり方について、長年立地地域での対話活動から模索されてきた北村正晴氏(東北大学名誉教授/(株)テムス研究所 代表取締役・所長)にお話を伺い、その後参加者によるワークショップが行われました。 2日目は「原子力技術とはどのようなもので、今、原子力産業はどこまで進歩しているのか」をテーマに、鈴木國弘氏(国立研究開発法人 日本原子力研究開発機構(JAEA)広報部長)にお話しいただき、その後原子力専攻の大学生・大学院生へのインタビューの場も設けられました。
大学で原子力を研究するうちに、機械のみならず、機械と人間とのかかわりの研究を専門にしたいと思うようになりました。科学技術は本来、たとえばX線の発見で医療が進歩してきたように、人間の生活水準の向上に寄与してきましたが、その反面、技術の進歩や技術への依存がもたらした副作用として、大気汚染や気候変動といった人間に対する脅威も生み、そのリスクは、一つの地域にとどまらず地球規模の問題にもなりました。原子力の事故も例外ではありません。
原子力発電所立地地域の住民との間で、どのようにコミュニケーションを取ればいいのか、以前から私なりに模索してきましたが、国内で原子力施設のトラブルが相次ぎ、1999年にはJCOの臨界事故で死者が出ました。これが決定的な契機になり、原子力の専門家たちは、不安感を持つ人たちの質問にきちんと答えて対話をすることが、社会的な責務だと気づかされたのです。対立する住民と専門家との間には、中立的な立場のファシリテーターを置くなど、さまざまな条件を設定しながら、その後も時間をかけて信頼の形成に務めてきました。
その活動を通じて、原子力の専門家である私の方にも学ぶことが多くありました。たとえば、「他の地域の原子力発電所で見つかったひび割れが、地元の発電所にもあるのでは」という不安に対しては、「自分はデータを見ていないので回答できない」というのではなく、「可能性は確かにある」、あるいは「しかし事故につながるほど深刻なものとは考えられない」と明確に説明する必要があるということです。また、技術系の人間は技術に対して楽観的になる傾向がありますが、住民の感覚とのギャップに気づき、専門家集団の中では想定されていなかった事故のシナリオについても適切な対応策を考えることも重要だと思ってきました。
2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故発生当時、仙台にいた私のところにも、「避難が必要ではないのか」「もっと恐ろしい事態が起こらないか」など多数の問い合わせが友人知人から寄せられ、それに対してできる限り客観的に回答をしました。科学技術の暴走に懸念を持っていた住民の中では、事故後には原子力批判論が支配的になりました。原子力を擁護する側は経済的な論拠を挙げますが、安全性と経済性は同時に議論すべきではないと考えています。まずは安全論議が最優先されるべきです。その一方で実態を見つめることなく安全か危険かという二元的で抽象的な論争は、不毛ではないでしょうか。
事故の実態を精査していくと、巨大津波によって原発の弱点が露呈しましたが、電源と水源さえ確保できていれば、乗り越えられるという耐久力もまた証明されています。福島と同じ規模の津波に襲われた東北電力女川原子力発電所は、建設時に津波の可能性が予見されていたために、高い位置に敷地があり、かつ外部電源や非常用電源が確保されていたことで重大な損害は回避できています。また福島第一原子力発電所でも水素爆発の危険が想定された中で、社員や関係職員がチームワークによって電源などの確保を行ったために5、6号機は冷温停止ができています。
事故後は、施設の弱点を改善するために安全対策が進められており、事故の起こる確率(可能性)は著しく低下しました。また住民避難対策については、遠隔地への大規模な避難準備に先立って、屋内に退避できる施設を作ったり、必要に応じたヨウ素剤の配備などを優先させるべきだと思います。福島の貴重な教訓を生かして安全を確保した上で再稼働を進め、エネルギーの選択肢をなるべく残しておいた方がいいと考えますが、それでもリスクは決してゼロにはならないのです。そういったことも含めて、対話を通じてきちんと説明した上でも、もし仮に、国民の大多数がノーというならば、日本は原子力から撤退すべきでしょう。いずれにしても、意見の違いを乗り越えて共に考え議論した上で、結論を導くべきではないかと思います。
一般的に人は、一つの問題について、事実を集約し、その中から判断し信念を持つようになるのに対し、原子力を巡る問題においては、信念の方を優先してそれに合致する事実を認識するという傾向があります。また、原子力が「夢のエネルギー」だった時代には、さほど問題視されていなかった安全性ですが、批判派や懐疑派が増えるにつれ、安全性を頻繁に、かつ詳細に伝える必要性が出てきました。しかも、安全だと繰り返し言われると、聞き手はますます信用しなくなるという矛盾が起きます。完璧な人間がいないように、絶対的な安全はこの世に存在しないことを、私たちは日常生活の中で共通認識にしているはずなのです。
にもかかわらず、原子力発電所に対してだけは、なぜ絶対的な安全が議論の焦点になってしまうのか —— この問題を解決するためにはまず、たとえ技術的に安全性を向上させたといっても、それを住民に理解してもらえるよう、わかりやすく説明し、発電所、事業所などが信頼してもらえるようにしなければならないということです。また信頼を勝ち得るために本当に必要と考えるならば、第三者に監視してもらい、不審な点があったら制裁する制度を設けるような選択肢さえもありうると思います。
私が企画した立地地域における度重なる対話の場においては、今まで地域コミュニティではあまり話し合うことができなかった、推進、反対と立場が異なる人が話し合いができてよかったという意見が聞かれました。また原子力に関しては、発電所のみならず、再処理工場、高レベル放射性廃棄物処分問題などについても、さまざまな討論の場が設けられ、見解が異なる相手と同席し、同意こそしないものの、お互いの話に耳を傾ける機会を作りました。このやり方は社会的に対立が鮮明な問題の解決としてはまだまだ入り口段階にすぎません。しかしこの段階を出発点にして原子力のように困難な課題に対し、対話というスタイルを用いて、これからもみんなで立ち向かっていけたらいいと思っています。
その後、「これからの日本の原子力・エネルギー問題を取り巻く課題について問題意識を共有する対話とは」 と題し、関西、中部、四国、中国地域から集まった、エネルギーの勉強をしている団体からの参加者による活発なワークショップが行われ、グループごとの発表に対して、北村氏から寸評をいただきました。
「電力会社なのに電源がなくて福島第一原子力発電所の事故につながったと聞いて、どうしてそんなことになるのかと思いました。事故はヒューマンエラーにより起こるのだと思います。どの電力会社もきっと、自分たちの発電所は大丈夫だと信じきっていたのでしょうね」という意見に対し、北村氏は「ヒューマンエラーはゼロにはなりませんが、対策を積み重ねてゼロに近づけることはできます。そうやって事故にならないよう守っていくのが組織の役割だと思います」とコメント。また「原発はトイレなきマンションといわれており、このキャッチコピーはずしりと胸に響きます。反論できるような表現がいまだに出てきていないので、納得できる説明を聞きたいです」という意見に対し、「最終処分場について、技術的には確立できていると技術専門家は考えています。だから、トイレはあるけれど自分の近くに持ってきてもらっては困るというのが現状という見方があります。この考え方の是非を含め,社会が判断を下す材料を、専門家は提供し続ける責任があると思います」と述べました。
その他原子力発電所の事故の原因、安全性、将来への思いなど様々な意見が出されましたが、北村氏は、「私たち原子力の専門家は、原子力の技術力と課題を明示しつつ、流布している誤謬を必要に応じて訂正する活動を、今後も科学的な説明を対話を通して続けていこうと思っています」と語りました。
福島第一原子力発電所の事故以降、原子力に関してはネガティブにとらえられがちですが、会議2日目のこの日はポジティブな話題を取り上げ、鈴木氏には、「原子力産業・原子力技術の夢」についてお話しいただきました。
鈴木氏はもともと研究者でしたが、原子力を含む科学・技術が社会に理解され受け入れられるよう、可能な限りわかりやすい説明を心がけてきたとのこと。
放射線が農業・産業・医療から日用品に至るさまざまな場面で活躍していること、核融合エネルギー実現への道筋、「高温ガス炉」と呼ばれる原子炉が意外にも安全性に優れていることなど、聞く者を飽きさせない話術で説明いただきました。
「科学的に正しい知識は安全に結びつき、さらに安心にもつながります。より多くの人に科学技術への関心を持ってもらい、応援してもらえるようになれば、日本は本当の科学技術立国になると思います」という信念も聞かせていただきました。
また、近畿大学から参加してくれた学生3人へのインタビューコーナーでは、東日本大震災、そして福島第一原子力発電所での事故を機に、原子力関連の研究の道を進む決意をした、などの心強い言葉を聞くことができました。
東北大学名誉教授/(株)テムス研究所 代表取締役・所長
1942年、盛岡生まれ。70年、東北大学大学院工学研究科博士課程(原子核専攻)終了。92年から東北大学工学部教授、2004年から東北大学未来科学技術共同研究センター長を務め、05年定年退職、東北大学名誉教授、東北大学未来科学技術共同研究センター客員教授(組織マネジメント担当)。12年から(株)テムス研究所 代表取締役・所長として、技術安全とコミュニケーションに関するコンサルタントを務める。専門は、原子力安全工学、計測工学、ヒューマンファクタ、リスク評価・管理学など。
国立研究開発法人 日本原子力研究開発機構(JAEA)広報部長
1979年、茨城大学工学部金属工学科卒業後、日本原子力研究所(現:日本原子力研究開発機構)へ入所。以降、JT-60、SPring-8、J-PARCなどの、大型研究施設の建設プロジェクトに従事。プロジェクトマネージメントや広報業務を担当。2012年に日本原子力研究開発機構広報部に異動。10年に日本原子力学会 社会・環境部会賞「優秀活動賞」、12年に文部科学大臣表彰 科学技術賞(理解増進部門)を受賞。