2018年8月に出版した著書『東京大停電〜電気が使えなくなる日〜』(幻冬舎)では、日本では起きたことがなかったブラックアウトについて書いたのですが、翌月発生した胆振東部地震を機に実際に北海道で起こり、エネルギーについて改めて考えさせられることになりました。ブラックアウトとは、大手の電力会社の管轄地域が全て停電することを意味します。海外では2003年8月のアメリカ北東部からカナダ南東部にまたがる大停電により、ニューヨークの街では路上に人が溢れ、窃盗や略奪も多発し約6,000億円の経済的被害になりました。木が電線に接触した漏電がきっかけで、電圧低下で最初の発電所が停止するまでわずか9秒。日本の面積の数倍の全域(100カ所の発電所)が停電するまで7分。それから2日間にわたり5,000万人が電気のない生活を経験しました。日本では2018年に東京の都営地下鉄で停電による大きな影響がありましたが、大規模停電で数日間停電が続く場合、非常用電源では役に立ちませんし、高層ビルの一般的な自家発電でも1、2日程度しか電気を賄うことができません。
電気は、発電所で発電量と使用量が一致するよう微妙な制御が行われています。北海道のブラックアウトはどのようにして起こったのでしょうか。胆振東部地震発生は電気の使用量が最も少ない真夜中の3時過ぎ。地震に驚いた人々が一斉に電気をつけたため、使用量が発電量より多くなり発電所には大きな負荷がかかりました。発電機の回転軸を抑える力が働いて回転数が大きく変動すると、内部のコイルが焼き切れて発電所の修理・復旧には長い時間がかかってしまいます。そのために「解列」と言って電力系統から切り離して需要と供給を合わせるシステムになっています。ところが北海道の場合、負荷が急激に変動してさらなる周波数・電圧の低下により供給力が下がったため、あっという間にすべての発電所が連鎖的に止まってしまいました。停電後の現地ではクレジットカードの決済ができずATMでも現金が引き出せない、病院のカルテがパソコンに保存されているため処方箋が出せず薬がもらえない、信号機が機能しないなどの事態が生じていました。過去の大停電では老人ホームではミキサーが使えず流動食の人に粉砕した食事が出せないなど、ブラックアウトは生命を危険にさらすこととなります。
あって当たり前のものがなくなった時に、初めてその存在の大きさに気づかされます。ブラックアウトから、今一度、日本のエネルギーの歴史を振り返ってみましょう。そのための絶好の場所が、東京湾の入り口、浦賀水道です。ここではエネルギー資源を積んだタンカーがひっきりなしに航行しているのが見られます。そして近くには明治維新のきっかけとも言える1853年のペリー来航の記念碑があります。巨大な黒船が江戸の民衆の目の前に現れ、その動力源が石炭と知った日本は戦意を喪失し翌年日米和親条約を締結しました。しかし50年後の日露戦争では、イギリス製の戦艦三笠を旗艦とする連合艦隊によりロシアのバルチック艦隊を破り勝利を収め、日本は列強国の仲間入りを果たします。明治は石炭というエネルギー資源を得たことで文明開化と富国強兵が実現できたのです。
大正になるとすぐに電気が使い始められます。これは水力開発が推進されたからでした。そして、昭和は石油の時代。車や飛行機、船を動かし、高度経済成長を支えました。そして平成では原子力、天然ガス、新エネへとエネルギーシフトしつつあります。大事なことは、すべて社会の要求によるものだということです。また石炭は北海道、九州に豊かな資源があったから、水力資源は急峻な山と急流の川があり土木技術が進んだから、そして石油や天然ガスはタンカーが接岸できる良港があったからという幸運にも恵まれました。と同時に、石炭採掘、水力発電のダム建設などが多くの犠牲の上に成り立っていることを忘れてはなりません。今では考えられないような人数の命が奪われても開発が続けられたのは、国や経済が発展し、人々の生活を豊かにするためだったからです。
今、日本のエネルギー自給率はわずか8.3%(2016年)。化石燃料への依存度が東日本大震災以降に急激に高まり、第一次オイルショック時より高い値となっています。ところで原油価格は需要と供給のバランス(経済的要因)や石油輸出国機構(OPEC)など産油国の生産調整で決まります。1971年にアメリカのニクソン大統領はドルと金の兌換を廃止し産油国の石油を買うにはドルが必要になりました。ドルにより軍事力を強化するアメリカに反発した産油国側は生産調整により石油の価格を4倍に上げ、第4次中東戦争が勃発。石油が手に入りにくくなった70年代の日本はオイルショックで社会が大混乱に陥りました。石油を巡る争いは、その後も湾岸戦争、イラク戦争、というように世界中で続いています。
2001年、アメリカは同時多発テロを経験し、首謀者ビン・ラーディンがサウジアラビア出身と判明、それまで親密だったのに国交を断絶し、代わりに石油をイラクに求めました。軍事侵攻の理由として大量破壊兵器生産を掲げ反米のフセインを抹殺し侵攻。その後、イラク国内の治安は収まらずアメリカは世界から非難を浴びた結果、石油以外の水素など新しいエネルギー資源を独自開発しつつ、自国内の広い範囲に存在するシェールオイル、シェールガスの採掘を進めています。アメリカはロシア、サウジアラビアを抜き世界最大の産油国になり、天然ガスについてもロシアを抜き世界最大の産出国になっています。つまりこれまで中東を中心としたエネルギー経済がアメリカを中心とした図式に転換しつつあるのが、現在の国際情勢です。
世界がエネルギー資源獲得で競争する中、日本が置かれた特殊な環境に目を向けなければなりません。ほぼ100%のエネルギー資源を外国に依存し、先進国の中で唯一よその国と電力網やガスパイプラインなどがつながっていないためエネルギーの融通ができないのです。その中で、ウランは輸入しますが原子炉の中で燃焼すると同時に新たな原子燃料が発生し、その原子燃料が大きなパワーを発生していることから準国産エネルギーと言えます。しかし、世界で唯一の被爆国の日本がなぜ原子力に舵を切ったのか? 戦後10年も経たない1954年、原子力の軍事利用から平和利用へと当時のアメリカ大統領アイゼンハワーが資源や技術を提供すると約束したからです。日本での原子力政策は原子力予算の成立、翌年には原子力基本法制定、日本原子力研究所設置と急ピッチで進んでいきました。日本は、無資源国ゆえに石油資源の輸入停止が戦争の一因になった苦い歴史にかんがみ、「エネルギーは国家百年の計」ととらえました。もちろん一方で、大量破壊兵器として誕生した原子力が軍事利用に切り替えられる危険性、原爆被災国としての国民感情、復興半ばの弱小国の経済負担、といった反対意見もありました。またアメリカの原子炉をそのまま使用するのではなく、発電所建設についてもう少し慎重に時間をかけて進めるべきだという湯川秀樹先生の発言の意味は重かったと私は思います。
原子力の安全神話が3.11で崩壊してからはLNG火力が増加していますが、LNGとてメリットだけがあるわけではありません。原油は超大型タンカーで大規模輸送できますが、LNGはマイナス162℃に保冷、液化する必要性から長期間・大量貯蔵できず、発電所への頻繁な輸送が必要です。また引火すれば石油より爆発力が大きく絶対安全とは言えません。その上、大量に購入せざるを得ない日本は立場が弱く、アメリカの3倍以上の価格で購入しなければならない状況も生じています。
だから新エネルギーが日本にふさわしい、という意見もありますが、もちろん選択肢の一つにはなるものの、先に述べたとおりすべての発電方法には課題もあります。木を伐採し禿山にしてまで太陽光パネルを貼り付けることは美観はもちろんのこと、樹木によるCO2吸収を失い災害時に山の崩壊を招く恐れもあります。また新エネ普及のための2017年度の国民負担(固定価格買取制度(FIT))は約2.7兆円です。2.7兆円で買える設備を考えると太陽光発電では900万 kW(1kW30万円)、稼働率12%とすると年間94.6億kWhの電力が得られます。一方、天然ガス火力発電にこの金額を投入したとしたら2,250万kW(1kW12万円)で、稼働率70%とすると年間1,380億kWhの電力が得られます。実に14.6倍(1,380÷94.6)もの高い値段の電気を普及させようとしていることを認識しなければなりません。このような客観的事実を明示し、広く理解した上で新エネの普及を促進するべきと思います。また太陽光パネルの設置面積は現在、東京都の面積の40%に相当する約900km2(1ha当り0.5MW程度)、重さは東京タワー約8,000基分に相当する約3,300万t(1m2当り37kg:架台を含む)。これらは将来ゴミになるわけで、どのように処分しどこへ廃棄するのでしょうか。
2018年3月末の日本の借金=国債発行残高1,087兆8,130億円は、国民一人あたり859万円にもなり、世界最大の借金大国です。そして日本の貿易赤字の最大要因は発電用燃料の輸入。原子力という国産エネルギーを見直す必要があるのは日本経済の安定・強靭化にかかわる問題です。また太陽光パネルは国内大手メーカーが生産中止もしくは部品のほとんどを海外から輸入にシフトし、風力発電の風車も日本での生産はほとんど無くなってしまいました。新エネ産業を育成するという産業政策の基本目標は果たされていません。逆に日本の新エネ産業は危機にひんしているともいえます。政策は矛盾を抱えているとも言えます。私たちの生活や生命を支えている電気の安定した確保がこれまで以上に重要です。近年多発している猛暑・大型台風・津波・地震時には停電が発生しやすく、新エネの過度な導入による需給のアンバランスなど今後はブラックアウトの原因ともなり得ます。またオイルショック・戦争・テロ・海賊により資源が確保できないリスクなど、海外に依存したエネルギーシステムについて考慮すべき問題点を洗い直し、すべての電源にはメリット・デメリットの両方があることを認識しながら、誰もが理解できるわかりやすいデータを提示し、日本にとって適正なエネルギーミックスについてみんなで考えていかなければならない時代だと思います。
株式会社ユニバーサルエネルギー研究所代表取締役社長
1962年生まれ。85年、慶應義塾大学理工学部卒業。90年、東京工業大学大学院エネルギー科学専攻博士課程を修了。同年、(株)三菱総合研究所に入社。同研究所エネルギー技術研究部先進エネルギー研究チームリーダー兼次世代エネルギー事業推進室長、プロジェクトマネージャーを経て、2004年11月より現職。コメンテーター・解説等、ニュース番組などに出演。また世界エネルギー会議(WEC)委員、東京工業大学大学院・東京大学大学院非常勤講師、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)技術委員など歴任。