マラソンランナーとして活躍後、さまざまな陸上競技大会において細やかでユニークな選手たちのレポートで印象深い増田明美氏(大阪芸術大学教授/スポーツジャーナリスト)に、国内・海外でのスポーツを中心としたご自身のエネルギッシュな体験を通じたお話を伺いました。
近年、マラソン大会は日本全国で開催されるようになり、マラソンを走りながらその土地を観光して楽しむスポーツツーリズムも人気が高くなっています。2019年9月には、来年開催の東京オリンピックのマラソン日本代表を決めるMGC(マラソングランドチャンピオンシップ)が東京オリンピックと同じコース(当時)で開催されました。男女ともに2位までが選ばれる一発勝負のレースの結果、男子2位に輝いた服部勇馬選手は、新潟県出身でしたね。女子ではオリンピックを4回経験している37歳のベテラン、福士加代子選手が7位に終わったものの、すっきりとした表情が印象的でした。アスリートファーストな明快な選考方法が良かったのだと思います。そしてあと残り3大会の中でスピードの記録が出ればオリンピック代表最後の一枠に選ばれるチャンスが残されています。
MGCのあと、中東で初めて開かれた世界陸上選手権大会のためカタールのドーハへ。男子マラソンで注目されていた川内優輝選手は残念ながら29位と振るいませんでした。暑さが苦手の川内選手は、東京オリンピックではなく夜中の12時近くにスタートする世界陸上を狙っていました。最初はスピードをあまり上げなかったのですが、実はこの日は涼しかったため他の選手が最初からスピードアップしており、そのペースに最後まで乗り切ることができなかったのです。マラソンは人生に例えられるけれど、作戦を考えて自分のレースにできるか、主導権が自分にあるかが勝負のポイントなんですね。
競歩は素晴らしかったです。男子50キロで鈴木雄介選手、20キロでも山西利和選手が金メダルを獲得しました。選手たちの努力はもちろん、日本陸上競技連盟科学委員会の研究により、給水所ごとに手、首、頭用の冷却グッズを渡し、深部体温を下げる工夫をしていたのです。まさに知恵の結集、科学の結晶でした。気温、湿度が高くなる来年のオリンピックの時にこの経験を生かせれば、選手は自分のレースを続けられメダルの可能性が高くなるというリハーサルができたと思います。ドーハでもう一つ日本の技術力に驚いたのは、男性が身にまとっているカンドゥーラ、女性のニカブ、ヒジャブの生地は、シワになりにくく洗ってもすぐ乾く日本製がもっとも使われていたことです。私はさまざまな国で開かれる世界大会に行きますが、現地で選手も日本の技術も頑張っているのを見ると、とても嬉しくなります。
ところで、今年は気象災害が多かったですね。9月の台風15号では、房総半島の南部、千葉県いすみ市の私の実家でも4日間停電が続きました。冷蔵庫もクーラーも使えず熱中症の心配があったけれど、幸い近所の親戚が自家発電機を貸してくれたので助かりました。電気は空気みたいにあって当たり前になっているから、今回の経験で日頃から備えをしなければいけないことがよくわかったと、両親が言っていましたね。またラジオと毎日配達された新聞というアナログなものが貴重になり情報を得ることができたそうです。
日本は災害が起こって停電になることが多いです。しかし発展途上国では電気が通っていない地域がたくさんあります。私は国際的なNGOの活動、プラン・インターナショナル・ジャパンの活動に参加していますが、これは特に発展途上国の女の子を支援する活動です。Because I am a girl —— 途上国では男尊女卑が強く、女の子だからという理由で食事も教育も後回しにされています。でも母親が子供の教育をどのように考えているかによって異なってきます。ラオスの山岳地帯の一軒では、看護師になりたいという女の子の望みを叶えるため農作業を終えたらランプの明かりで勉強をさせていました。また週に一度、広場に集まって、発電機でつけた電灯の下、紙芝居や人形を使って衛生教育を行っていました。私が子供たちにアプローチする時に、日本のアニメの話をしてもなかなか笑顔にならなかったのですが、一緒に走ろうと誘うと笑顔がこぼれました。そうか、一緒に汗をかくことで一気に距離が縮まるんだなと、その時知りました。
また西アフリカのトーゴでは、スポーツの力を強く感じました。貧しい国ですが、10年ほど前から女子のサッカーチームを作る支援をしたところ、初めは大反対していた村の長老たちが、今では試合の時に応援するようになっています。貧しい国や地域では女の子たちは人身売買に出されることも多いので、試合のハーフタイムにそのつらい事実を訴えるような劇も上演されます。また電気がないと本当に命にかかわると実感させられたこともあります。ドイツの支援による村の診療所には冷蔵庫も置いてあるのですが、電気が通っていないので血清やワクチンを保存できないため、毒蛇にかまれても遠い町まで運んでいる間に亡くなる可能性があると聞いた時です。
私がモットーにしている言葉は「知好楽」です。これまでの人生で最もつらかった、苦しかったのは、20才の時のオリンピック出場でした。コーチや練習のおかげで成果はあったと思います。けれど、今思えば自立心がなく人間として未熟だったために、本番のオリンピックでは16kmで途中棄権してしまいました。帰国した空港で非国民とののしられ、みんながそう思っているのではないかと怖くなり3カ月も閉じこもった生活をしていたのです。それでも多くの人からいただいた励ましの言葉によってやっと人前に出られるようになりました。そして引退してから出会った言葉が、論語に出てくる「知好楽」です。何事をやるにしても、知っているだけよりも人より好きで取り組んでいる人が勝っており、本番を楽しめる人が最も良い結果を生む。自信がないと楽しめないので、しっかり準備したら後は楽しむことを心掛けましょう。
選手だった当時を振り返ると、日本記録を塗り替えるほどだったにもかかわらず、いざオリンピックの大舞台の時に楽しめたかというと、緊張でいっぱい、不安で仕方がなかったのです。今の選手たちを見ていると、「知好楽」でやっている人は必ずメダルを取っていますし、練習で頑張るのはもちろんだけれど、とにかく本番を楽しんでいますね。以前、半年間、NHKの朝の連続テレビ小説「ひよっこ」のナレーションをさせていただきました。高度経済成長期の頃を描いた脚本が優しく温かみがあり、みんなが幸せになる物語でした。そのナレーションの時にも、つい力が入ってしまうところを、おまじないのように「知好楽」と唱えていたんですよ。駅伝のチームを取材に行くと、強いチームこそ、激しい練習の合間に監督自らダジャレを言って場を和ませていました。世界のスポーツの層が以前と比べると相当に厚くなっている時代に、緊張し続けずに明るさとパワーで乗り越えていく方が、本番で強さを発揮できると思います。皆さんも大一番で力を発揮できるよう、「知好楽」と唱えてみてはいかがですか。
大阪芸術大学教授/スポーツジャーナリスト
1964年、千葉県いすみ市生まれ。成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立する。現役引退後、永六輔さんと出会い、現場に足を運ぶ“取材”の大切さを教えられ大きな影響を受ける。現在はコラム執筆の他、新聞紙上での人生相談やテレビ番組のナレーションなどでも活躍中。2017年4月〜9月にはNHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の語りも務めた。日本パラ陸上競技連盟会長、全国高等学校体育連盟理事、日本障がい者スポーツ協会評議員。