今年の2月に、中東の産油国、サウジアラビア、カタール、UAE、バーレーンを訪問しました。都市部に数多くあるショッピングモールの中には、巨大な水族館やスキー場まで設置されているところもありました。また、緑の樹木は冷房の効いた屋内にあるのみならず、照りつける太陽の下、ヤシの並木一本ごとの根元にまでも自動散水されており、その水は海水を淡水化する巨大設備で作られているそうです。人工的にきれいな街をあとにし、車で郊外へと向かっていくと、一転して砂漠や樹木がまったくない岩の山並みが延々と続きます。日本のように険しい山岳はないため簡単に設置できる送電線は、こうした無人地帯に張り巡らされて、都市部へ電気が送られています。
中東の資源輸送ルートのかなめになっているホルムズ海峡近くの補給基地であるフジャイラの海岸から水平線上に見えた白い影はすべて巨大なタンカーで、狭い海峡に入るものと出るものが数珠つなぎになっている光景からは、日本のエネルギーの生命線であるホルムズ海峡がもし封鎖されたらどうなるか、という危機感がひしひしと伝わってきました。
わが国のアブダビ石油を採掘している海上施設は、アブダビ空港に併設されているヘリポートからヘリコプターで1時間ほどで着きます。飛び立ったヘリが最初に着陸したのは海上に建てられたリグ(海洋坑井掘削装置)でした。ここでは技術者や労働者が1週間滞在し、アブダビで1週間働くというローテーションで勤務しています。次に着陸したのはCFPと呼ばれる集積基地。ここに運ばれた原油は、最終出荷基地であるムバラス島にパイプラインで運ばれ、海水やごみなどを除く処理が行われた後、港から海外へと出荷されます。海上施設、集積基地やムバラス島にも多くの日本人が働いており、厳しい環境下、イスラム教の戒律によって、アルコールの持ち込み禁止など制限された生活をしながら、日本に石油を送ってくれているのだとありがたく思いました。
中東の産油国のGDPを見ると決して日本より高くはないのですが、一人あたり、そして自国民比率で割り戻してみると、実は日本よりも大幅にGDPが高い計算になります。その理由の一つは、カタール、UAEなどの産油国は、私たちには耳慣れない言葉ですが、「自国民比率」が実はわずか20%余りだという事実にあるのです。つまりこれらの国々はさまざまな暮らしや経済の下支えを、外国人労働者に頼っているということなのです。それゆえ、国民総生産は20%の人々にほぼ分配されていることになり、中東の豊かさというものが際立つわけです。しかし、社会生活の基盤を支えている外国人労働者への依存も大きな問題になってきています。ひとたび何か紛争が生じれば外国人労働者は自国へ戻ってしまう。そうなればライフラインを担っている人たちがいなくなるわけですから、大変なことになるでしょう。また、生まれた時からメイドや運転手付きという環境にいる富裕層の子どもたちを見て、自分の身の回りのことが何一つできない子どもの将来に不安を感じる親の中には、現地の日本人学校へ通わせ、自立を促す教育を選択している人たちもいます。
産油国の経済を支えているのは、ほとんどが石油の輸出です。そして国内ではガソリン価格が当然ながら驚くほどの安さで、電気代、ガス代などが0円の国もあり、省エネという発想は皆無です。しかし経済発展とともに増大する国内の一次エネルギー消費量によって、今後は、売り物の石油を使わずに電力をつくるようにしなければなりません。そのために、巨大な太陽光、太陽熱発電設備とともに、原子力発電も開発促進するようになっているのです。
私たちの生活を支えている石油は、お金さえ払えば手に入るのではなく、はるか遠い中東の地で、さまざまな形で働いている日本人によって運ばれてくるという現状を視察できたこの旅では、また、豊かになっていく産油国のひずみを垣間見ることもできました。世界の国々にはそれぞれ独自の歴史や文化、気候風土の差、資源保有の形態の違いがあるのだから、日本は他国との単純な比較によってエネルギーの選択を誤ってはいけない、日本なりの考えを持たなければならないということもあらためて感じました。
エネルギーは私たちの生活と切っても切り離せないものであり、曾野綾子さんが「電気のないところに民主主義は育たない」とおっしゃっているように、民主主義国家にとって不可欠な存在だということを念頭に置きながら、エネルギー問題について考えていかなければなりません。ところが、エネルギーのみならず、すべての事象に対して、日本人のものの考え方はall or nothingという極端な選択をする傾向があり、一方的な考え方に支配されてしまうと、Noとは言いづらい環境だと思えます。
シェイクスピアの四大悲劇の一つである『マクベス』に登場する3人の魔女は、鍋の中に薄気味悪い材料を入れてぐつぐつ煮ながら呪文を唱えます ──「きれいはきたない きたないはきれい」と。この台詞の意味が最初はわかりませんでしたが、台湾から日本に渡り、いろいろな人生体験をするうちに理解できるようになりました。一方から見ると正しく見えても、異なる立場から見ると間違いであることもある、人によって、また国によって、見方が違ってくるということです。世の中に「絶対」はありません。魔女の予言に惑わされたマクベスが、想定外の出来事に襲われて滅びてしまうように、人間の弱点やこの世の真実は、400年以上前の戯曲にすでに表現されています。
福島第一原子力発電所の事故が起こったあとで、原子力発電は絶対反対という意見と、必要という意見に真二つに分かれています。また原子力発電反対派の方が、良識があるかのように見えるせいで、賛成側の意見は抑えこまれています。日本人のメンタリティというのは、太平洋戦争に負けてからというもの、それまでの歴史を覆し否定して、日本人たる美徳を捨て、思考を停止しているように思えます。歴史は、光と影の両方で成り立っているものであり、この世界のどこにも完璧なものはありません。ですからプラスとマイナスを足し合わせて何が残っていくのか検討するのが賢い方法です。ところが、日本人はすべてを否定してしまう潔癖さ、きまじめさがあり、こうした狭量なものの見方は欠点になります。とはいえ、答えを早急に求められる現代社会そして世界に対しては、逡巡し続けるばかりでなく、100年先の着地点を考慮しながら、スピード感を持って対応しなければなりません
福島第一原子力発電所の事故が起きるまでは、日本社会は世界に同調して、エネルギー問題といえば環境のことばかり話題にしてきました。それが突然、環境問題は忘れ去られてしまいます。原子力発電即ゼロ、自然エネルギー賞讃ばかりを訴えるような政治家や、こうした政治家に投票する国民は、あまりに無責任ではないでしょうか。また、今現在、原子力発電所停止により、燃料費が毎年3兆円も増え、石油や天然ガスの輸入費増加で貿易赤字が拡大し、借金だらけの日本の行く末が案じられます。
日本が復興から再生に至るために何がいちばん大切かというと、made in Japanに回帰することです。つまり、日本の技術力に全幅の信頼を寄せていくという意味です。たとえば世界に誇る日本の技術といえば、新幹線。私は仕事で関西方面へ行くために新幹線に乗る機会が多いのですが、新幹線は世界一、時間に正確な列車で、到着時刻に少しでも遅延があれば、車内アナウンスで平謝りさえします。そして開業から50年の間、無事故という安全性を誇っています。台湾では北から南を結ぶ高速鉄道敷設に際し、当初はフランスと仮契約をしていました。台湾のトップにいる大陸から来た一部の人たちは、中国が世界の中心と思い込み、日本の技術が優れていることを認めたくなかったからです。しかし、事態は1999年に大きく変わりました。
台湾中部で大地震が発生した当日の午後には、日本の国際消防救助隊が台湾入りし、災害現場に急行してくれました。台湾のメディアは日本に対する感謝を書き立て、当時の総統李登輝は、このチャンスを逃さず、「台湾には日本の技術がふさわしい。なぜなら、フランスは平野を走るための技術は優れているかもしれないが、台湾と同じく、山あり谷あり、そして地震もある日本は、これまで無事故で新幹線を運行してきたからだ」と発言しました。その結果、日本の新幹線技術が導入されることになったのです。そして今度は、3年前の東日本大震災の時に、台湾から多くの義援金が日本に届けられました。台湾の人たちは、日本に対してこれまでもずっと好意的でしたが、その思いが日本にも伝わり、日本人の目が台湾にも向けられるようになり、本当に良かったと思います。不幸な出来事の中から何を学ぶのか、そして私たちが生きていく上で、次の一歩に何をすればいいのかを考える、これが人間の知恵だと思います。
先日、中部電力浜岡原子力発電所を視察し、地震津波などの自然災害による過酷な事故を想定しながら、どのような対策を進めているか見せていただきました。私は「メカニック音痴」ですけれど、発電所の皆さんが福島の教訓から多くを学び、研さんし、いかにして防護策を積み上げているのかが、お話を伺っているだけでもよくわかりました。日々、電気を使わずに過ごすことのできない私たちが、それでも原子力発電は安心できないと言うのであれば、私たちのために電気をつくってくれる、発電所で働いている人たちや、安全で安定した電気を送るために設備を維持してくれている技術者の人たちに、せめて感謝の気持ちを持たなければいけないと思います。
日本の技術力が生かされている浜岡原子力発電所の実物大原子炉模型を見て、原子炉圧力容器の燃料集合体がパイプオルガンに似ているという印象を持ちました。そういった意味でも、ものづくりの粋は、芸術にも最先端技術にも活用されるのだと、敬意を抱きました。これまで培ってきたこうした技術こそ日本の財産であると再認識し、技術開発に携わる人、ものづくりの職人の方々へのリスペクトを忘れてならないと思います。また、ライフラインを支えてくれる電気をこれまでつくってきた原子力発電の技術を失うことがあれば、今までの快適な暮らしを失うことにもなるかもしれないと、想像し、冷静に考えてみるべきではないでしょうか。
all or nothingの極端な考え方は捨てて、デメリットを軽減しながらメリットを増加させていくように、考え行動していけば、日本が抱えている問題はきっと解決できる、日本は再生できると思います。そして、国際社会の場でも、日本の存在感が少しずつ大きくなっていくと考えます。皆さんとともにぜひ努力を続けていきたいですね。
評論家
1934年、台湾生まれ。59年に来日。71年、早稲田大学大学院文学研究科博士課程単位修了。英ケンブリッジ大学客員研究員、早稲田大学非常勤講師、JET日本語学校校長を歴任。現在、同校名誉理事長。辛口の評論家として雑誌、テレビなど各種メディアにおいて、家族・子育て・教育・社会・政治等、幅広い分野にわたってさまざまな提言を行っている。2009年に日本国籍取得。著書に『私は、なぜ日本国民となったのか』(WAC)、『凛とした日本人』(PHP研究所)、『この世の偽善』(共著、同)など。