世界一の長寿国、日本。元気で長生きするための基本は食生活といえますが、さまざまな情報が流れる中から、私たちは何を選び取り、どのように考え行動し、子どもたちにも伝えていくことが必要でしょうか。大切な食がエネルギーに支えられているという、食とエネルギーの意外な関係について、神津カンナ氏(『フォーラム・エネルギーを考える』代表/作家)にお話を伺いました。
世界一の長寿国といわれる日本の、都道府県別平均寿命第一位は現在、長野県です。長野県には海がなく、かつては新鮮な食べ物が手に入りにくかったので、塩漬けにして保存したり、野沢菜のような漬け物を食することが多く、塩分摂取量が多かったために昔は長寿県ではありませんでした。ところが、50年ほど前に食生活を改善する指導が入るようになり、その結果、第一位にまでなりました。一方で、1985年に男性の長寿一位だった沖縄県は、1999年に5位、2000年に26位、そして約30年後の今では30位にまで落ちています。このように、寿命の順位は、下がるのは早く、下から上がっていくには時間がかかります。気候風土は変えられないものですし、食生活を含めた生活習慣を変えることも大変ですから、長い時間をかけて改善していく試みが必要なのかもしれません。
さて、平均寿命という言い方は一般的ですが、本来は、生まれた子どもが何年生きられるかという平均余命という概念の方が正しいようです。でも、平均寿命というほうがわかりやすいので、そう言わせていただきますが、日本人の平均寿命は、子どもの死亡率が高かった、江戸時代の終わりの1867年には38才でした。大正時代の終わりの1925年が39.5才でしたから、寿命が1.5年伸びるのに、60年もかかっています。戦後の1947年には、戦争で多くの人が亡くなり、栄養不足があったにもかかわらず、12.5年伸びて52才にまでなっています。そして現在では83才に達し、この63年間で31年も伸びていることになります。
寿命が伸びたのは、医学、細菌学、公衆衛生学、栄養学が発達したおかげといえるでしょう。海外に目を向けると、19世紀半ばのロンドンでは、コレラが大流行し多くの死者が出ました。その頃の平均寿命は「紳士46才、商人25才、労働者16才」と記録されていたように、富裕な層は栄養状態、衛生状態が良かったため、比較的長生きできたのですが、産業革命によって、都市部ロンドンに人口が集中し、それまでは野菜を洗ったり、飲料水にも使われていた川に、残飯や糞尿が捨てられるようになってコレラ菌が発生したため、下層階級の死者が増加しました。そのため、上下水道を整備し水を化学的に処理して疫病を予防するといった公衆衛生学が一気に発達したのです。現在でも平均寿命が30代半ばに満たないアフリカの国々において、環境衛生のレベルが上がり、さらに病気を予防、治療する医療、食生活で不足している栄養素を補うための栄養学、食の安全のための細菌学が向上していくことにより、寿命が伸びていくと思われます。
福島第一原子力発電所の事故後、これまであまり気にしていなかった放射線について、多くの人が気にするようになりましたが、ある放射線専門の医師は、「日本人は、世界一、放射線を被ばくして、世界一の長寿国になった」とおっしゃっています。その放射線被ばくというのは、医療被ばくのことです。実は日本の医療被ばく量は、世界平均の4倍ほどなのです。しかしそういうX線検査などによって病気の早期発見、早期治療が可能になり、結果的に寿命が世界一になったということにつながっているのです。また、人間の体には6兆個の細胞があり、その1%の6,000億個が毎日死んで新しく作られるそうですが、そのプロセスの中では間違った細胞が作られても、普通は免疫細胞により死滅するのですが、時として生き続け増加していくものがあり、それらがやがて「がん」になるそうなのです。年齢を重ねれば重ねるほど、こういったコピーミスのリスクが起こる可能性も高くなりますから、世界一の長寿国は世界一がんになりやすい国だということにもなります。公衆衛生や細菌学が発達し、さらに放射線のおかげで長寿になり、その結果、がんが死因第一位になったというのは、長寿国の宿命という見方もできるのです。
このように物事を違う角度から見ると、違った考え方もできるということがたくさんあります。ところが、日本人は、ゼロかそうでないか、と二分して考えるのが好きですよね。無農薬、無添加や、糖質ゼロ、カロリーオフといった売り文句に引かれやすく、1から先の数字はまとめて考えてしまいがちです。発がん性物質といっても、毎日、どのくらいの量をどのくらいの期間、摂取すると、がんになりやすいかというところまで調べずに、発がん性物質ありと言われたら手を出さなくなります。また、人間はもともと多くの菌を体内に保有していますが、外部のさまざまな菌に触れることにより耐性ができているわけで、もし体内にあるすべての菌を殺してゼロにしたら、無菌室でしか生きられなくなるということです。 私たちにいま必要なのは、短絡的に選別するのではなく、問題の本質を見極めることだと思います。そうしなければ無用の心配でかえって心身を病みかねません。
エネルギーと食べ物がどうして結びつくのか、日常生活ではなかなか気がつかないことですが、震災後に訪ねた被災地の一つの気仙沼で、漁師さんのお話を伺ってよくわかりました。たとえ、ようやく漁船が動ける状態になっても、捕った魚を売り買いする市場や、魚が腐らないように冷やす氷を作る会社が復活し、輸送のための冷凍トラックが港に入れるように道路が整備され、缶詰などの加工工場ができ、電気やガスが供給されるというようなすべてが整わなければ、漁業の復活にはならないということです。また、愛媛でキュウリのハウス栽培をしている農家を訪問した時に聞いたのは、冬場は、日中25℃、夜には20℃の温度にしておくことが生育に一番適しているため、夜、気温が15℃まで下がったらハウス内を暖めるために重油や灯油を炊き始めるのですが、原油高になると採算が取れなくなるので、暖めなければキュウリが育たない限界値と、コスト計算のバランスを考え、今はぎりぎりの12℃で温室を暖め始めているそうです。収穫されたキュウリは、石油化学製品のビニール袋に詰められ、ガソリンを使うトラックで運ばれ、スーパーで空調のよく効いた棚に並べられ、店から買ってきたら家の冷蔵庫に入れるというように、年間を通して私たちの食卓に新鮮な食べ物が並ぶまでには、多くのエネルギーが使われています。
また、エネルギーのみならず、仮想水と呼ばれる水も食品には関係してきます。たとえばアメリカ産の牛肉を輸入すると、牛が飲んだ水の分、牛が食べる飼料を育てるために使われた水の分も輸入したことになります。さまざまな形で輸入される仮想水は年に800億㎥もあり、日本国内で年間に使用される水と同量です。何げなく口にしている食べ物が、大変な人的労力ととともに、大量のエネルギーや水を使って作られ届けられていることに、時折、思いを巡らしてみることも大事ではないかと思います。
今どきの子どもたちを見ていると、朝起きた時から、あまり体を動かさないようですね。私の子どもの頃は、朝起きたら布団を畳んで押し入れに入れる、雨戸を開ける、新聞と牛乳を外に取りにいくというように、家にいても多くの用事がありました。中東を訪問した時に、アブダビの日本人学校にアラブの子どもたちが入学しており驚きました。産油国では子どもの頃からメイドと運転手が付いて何もしなくてもよい環境ですが、日本の企業で働いたり留学経験がある親たちが、子どもたちがこのまま大人になることを不安に思って日本人学校に入学させ、身の回りのことや教室の掃除をするなどの習慣を身に付けさせています。日本でも子どもたちに家事の一部を手伝わせるなどして、体を動かしエネルギーを使った方が、お金を出してスポーツクラブに通わせるよりも健康のためにいいのではないでしょうか。
かつて栄養は、「滋養」と言われていました。滋養の滋は、増やすこと。とにかく増やすことが第一目標だったのでしょう。その後、体を作るという意味の「営養」になり、現在の「栄養」という言葉は、もっと元気に、体格を良くしようという意味で使われるようになりました。さて、これからはどうでしょう。私は、頭を使って食と向き合うという意味で、英知の英を使った「英養」になっていけばいいと考えます。ただ食べるのではなく、言い伝えや風習を大事にしながら食材を選び、私たちの体を作ってくれる食べ物にはエネルギーや仮想水という問題がかかわっていると考えながら食べるということが必要になっていると思うからです。