私は大学を出てすぐに研究職に就いたわけではなく、結婚と子育てを経て大学に戻り、これまでに5つの壁を乗り越え、また4つの決断をしました。最初に研究対象として興味を持ったのは、南極。高校の授業で大陸移動説を聞き、太古の昔は陸地がつながっていたので今の南極大陸にも恐竜の化石があると知って、南極に行きたいと思いました。それで南極観測船に乗る前に荒れた海の航海に慣れておこうと、航海士の免許が取れる大学を探しましたが、女子を受け入れていませんでした。家庭でも学校でも、人間として社会のためになるようにと自由な教育環境で育った私にとって、初めてぶつかった性別の壁でした。唯一、東京水産大学(現・東京海洋大学)を受験できましたが、入学してみると私は大学開闢以来の女子学生。乗船した大学の大型練習船には、女子用トイレも風呂もない、これが第2の壁でした。
航海士の免許を取るには、学部卒業後、1年間の遠洋航海実習に行かなければなりません。ところが、夫となる青山繁晴(現・自民党 参議院議員)が当時記者として最初の赴任地・徳島に行くため、一緒に行こうと卒業後すぐ結婚を決めたのです。これが第1の決断でした。これには大学も私の母も猛反対。私自身、南極に行く夢が遠ざかるわけなので、結婚は勇気を要する決断でした。こうなったらまずは子育てを先にしようと、二人の息子を産んだのが第2の決断。子育て中も頭が鈍らないよう公園で子供を遊ばせながら自分はベンチに座りセンター試験の過去問などに取り組み、次男が小学2年生になる35才での大学復帰を決意しました。第3の決断でした。しかし12年のブランクを理由に大学が受け入れを拒否、という第3の壁にぶつかったのです。大学が復帰の条件として出した、航海士国家試験の筆記試験合格を果たして、大学に復帰しました。
余談ですが、1年間の遠洋航海では、太平洋から大西洋そして地中海へと順調な航海をしていたところに湾岸戦争が勃発。イスタンブールで何週間も停泊したまま、帰国後に受ける予定の大学院入試を船上で受験させてもらうことでなんとかクリアしました。博士号を取得したのは41才。今度は年齢制限で就職ができないという第4の壁にぶつかりましたが、やっと、年齢不問でスキルだけを評価してくれた測量会社の研究所に就職でき、晴れて社会人になりました。
メタンハイドレートと出会ったきっかけは大学院生の時に行った調査です。1997年の日本海ナホトカ号沈没事故による重油流出調査の帰路、魚群探知機の電源をつけたままで航行していると隠岐の東側の海域で、海の中にろうそくの炎のようなかたちでスカイツリーほどの高さの何かが立っているように魚群探知機の画面に表示されました。水深は2,400mほどの海底です。魚群ではなく人工物でもありえないので、海洋地質学者に見てもらうと、これは、海底から何かが噴出している証拠でした。これをメタンプルームと名付けました。この根元の海底にメタンハイドレートがあったのです。
学術的探究心を持ってじっくり研究を進めるつもりでしたが、「メタンハイドレートはエネルギー資源なのだから、国益を考えて研究すべき」と夫に指摘され、それももっともだと研究の方向性を思い切って変えたのが第4の決断です。以来、近隣諸国に先を越されないよう特許を取得したり、開発に関する提言・データ提供など政府へ働きかけたりしています。国の調査が太平洋側で先行していたために、日本海側の表層型メタンハイドレートの調査予算は後回しにされるという第5の壁もありましたが、幸い資源エネルギー庁の中にも公平に国益を考えてくれる人が増えて、2013年から3年間、日本海に多く存在する表層型メタンハイドレートの基礎調査に100億円の予算が付きました。さらに昨年、表層型メタンハイドレート回収技術の開発にも予算が付き、公募により5機関が選ばれました。そのひとつが、私が研究代表を務める東京海洋大学のチームです。私個人にとっては、国のプロジェクトに採択されたのは、つまり国民の税金を使ってメタンハイドレートの研究をするのは、これが初めてのことでした。
振り返ると、「壁」ならばそれを崩すだけで先へ進めますが、「決断」はその向こうに何もなく、自分で切り開かなくてはならないので、決断の時のほうが勇気が必要でした。でもメタンハイドレート研究のおかげで、上陸はかなわなかったものの2007年に念願の南極調査にも行けました。私が大学の教員公募で採用が決まった時は既に60才。乗船経験が豊富、海底資源の長年にわたる研究という条件がマッチしたにせよ、年齢制限、性別、専業主婦として子育てに専念していた12年間の期間も不問でした。まだまだ男性主導社会といえる日本ですが、夢をあきらめずに研究を続けてきたからこそ実現できたのだと思います。今年4月から始動している海洋資源環境学部海洋資源エネルギー学科には、メタンハイドレートを研究したい学生が集まってきており、今後は若い人材を優秀な研究者に育てたいと考えています。
メタンハイドレートは、触ると冷たく火を近づけると燃えるので、「燃える氷」と呼ばれています。水分子が籠のような網状構造の中に一粒のメタン分子が入っているクラスター構造の水和物(=ハイドレート)で、体積のおよそ165倍ものメタンガスを含むことができます。日本周辺の深海には世界で最もメタンハイドレートが分布しているといわれ、愛知県沖の賦存量だけで、日本で使用している天然ガスの10年分、他の海域も含めればおそらく100年分以上になると考えられています。
日本海側と太平洋側では、メタンハイドレートの賦存状況が異なります。日本海側に多い「表層型」は、結晶の塊が海底表面やそのすぐ下の層にありますが、太平洋側に多い「砂層型」は水深1,000mほどの海底からさらに数100m下に水平に広がる砂の層に分子レベルで含まれています。「砂層型」の採取方法は減圧法で、従来の石油、天然ガス田の技術を応用しています。海底下に井戸を掘り、井戸の中の圧力を下げ、地層内のメタンハイドレートをガスと水に分解して回収します。これに対し、「表層型」は表層にメタンハイドレートの結晶が塊状、脈状や粒状で泥の中に存在しているため、減圧法ではない回収方法が必要と考えられます。
2013年3月に、愛知県沖では世界で初めてメタンハイドレートから天然ガスの採取に成功しました。商業化はまだ先ですが、日本の周辺海域にエネルギー資源があり、日本政府がその開発に前向きになっていることがわかっただけで、実際に、ロシアとの天然ガス価格交渉時に有利なバーゲニングパワーとなりました。またインドとのメタンハイドレート共同調査において、国際入札が行われ、日本が選ばれたことは、メタンハイドレート生産技術開発における日本の技術力が高く評価された証拠だと言えるでしょう。一方、国内では2012年から本州の日本海側の地方自治体が集まって「海洋エネルギー資源開発促進日本海連合」が発足しました。政府への提言や資源開発による雇用促進、地域の活性化、エネルギーの地産地消について検討しています。国の計画としては、「砂層型」は今年4月に愛知県沖で第2回目の産出試験が始まり、「表層型」については2016年後半から生産技術の検討がいよいよ始まりました。
世界から注目される2020年の東京オリンピックの時に、メタンハイドレートから採れた国産天然ガスで作った聖火を灯せたらと願っています。また天然ガスバスの車体の横に「この車は日本海のメタンハイドレートから採れた天然ガスで動いています」とアピールできたら、国内外への宣伝効果抜群です。
最後に、我が国のメタンハイドレート生産技術開発の取り組みに関して、課題やアイディアを取りまとめ、世耕経済産業大臣に、以下を提言しましたので、ご紹介します。
1.エネルギー資源をめぐる新しい日本の姿、漁業従事者との連携を考える。
2.地産地消エネルギーとして、まずは日本海側の各地で天然ガスバスを走らせる。
3.基幹エネルギーとして、パイプラインを産地から首都圏、京阪神まで構築する。
4.メタンハイドレートに関する研究者・技術者の人材育成予算を計画的にたてる。
5.表層型メタンハイドレートの資源量の評価手法を確立して資源量評価を行う。
6.メタンハイドレートの物性研究を継続する。
7.表層型メタンハイドレート生産方法の検討を本格化させ、確立し、生産試験を実施する。
8.砂層型メタンハイドレート生産方法を確立する。
9.国民の理解のために、国民への発信方法を改革する。
10.資源エネルギー開発部門を統合して「産業エネルギー省」とする。
これからも応援を宜しくお願いします。
東京海洋大学海洋資源環境学部海洋資源エネルギー学科准教授
東京都生まれ。1978年、東京水産大学(現・東京海洋大学)卒業。結婚後12年間育児に専念。97年、東京水産大学大学院博士課程修了(水産学)。アジア航測株式会社総合研究所、株式会社三洋テクノマリン、株式会社独立総合研究所取締役・自然科学部長を経て、現職。主な著書に『希望の現場 メタンハイドレート』(2013年6 月)、『海と女とメタンハイドレート ~青山千春博士ができるまで~』(2013年8月) 、『氷の燃える国ニッポン』(2016年10 月)、『科学者の話ってなんて面白いんだろうーメタンハイドレートの対論会場へようこそー』(2017年4月)などがある。