大分は、さまざまなことでパイオニアの県だと言えますね。私も応援している障害者スポーツの分野では、「日本パラリンピックの父」と呼ばれた中村裕医師が別府市出身。第二次大戦後、イギリスの病院で脊髄損傷した兵士たちがリハビリの一環としてスポーツを行っていることを学んだ彼は、帰国後に障害者スポーツの普及を目指し、1961年の「第1回大分県身体障害者体育大会」や、64年の東京オリンピック直後に現在のパラリンピックに相当する「国際身体障がい者スポーツ大会」開催に尽力しました。81年の「第1回大分国際車いすマラソン大会」も成功に導いています。
私は、東京オリンピックの年に生まれ、高校時代には長距離陸上選手として注目されました。現役引退後にはマラソン解説などスポーツにかかわる仕事をするようになりましたが、まさか、NHKの朝ドラのナレーションを依頼されるとは思いませんでした。でも、「マラソン解説でやっているように、どうでもいいような小ネタを話すように、昭和の文化を紹介してください」と言われたんです。ごく普通の女の子が東京に集団就職して、周囲の人たちみんなをハッピーにしていく「ひよっこ」の物語には共感しましたし、私に向いているかもしれないと思い、お引き受けしました。
ドラマの時代背景は東京オリンピックの前後。日本中が豊かさを目指していた時代でした。ドラマの中でも停電のシーンがありますが、当時は電力消費に供給が追いつかず、始終、停電になってしまい、電気が空気のように存在を意識せずにいられる今とは全く異っていました。
脚本家の岡田惠和さんが描いた、昭和の優しさに満ち溢れたこのドラマのお仕事であらためて感じたのは、たとえ時代が変わっても、自分のペースで「走れば」新しい風が吹いてくるということでした。たとえば私の場合、1984年に出場したロサンゼルスオリンピックで途中棄権してしまい、帰国後は周囲の目が怖くて外出できなくなった経験があります。でも、励ましのお手紙をくださった方々のおかげで、勇気を出して次の一歩を踏み出した結果、新たな人生を開くことができました。
別府大分マラソンでも優勝している川内優輝選手も、自分のペースで走っておられると感じます。彼のロンドン世界陸上選手権における活躍はすごかったですね。わずか3秒差で入賞できませんでしたが、レース中に度重なるアクシデントに見舞われながら、最後の2.195キロの記録は世界で一位だったんです。彼は埼玉県庁に勤めながら、実業団選手に負けない自主トレーニングを続けてここまでの偉業を成し遂げしました。
日本のマラソンは必ずまた復活すると思います。なぜなら、取材に行って感じるのは、30年前と比べると練習の現場の空気が明るくなっているからです。監督と選手たちのコミュニケーションがよく取れています。監督が率先して冗談を言ったりするんですよ。皆さんの職場や家の中でも、高い目標に向かう時こそ明るいムードを作ることが大切なのだと思います。
松村 増田さんとは長いお付き合いになりますが、やっと大分でお話ししていただくことができました。
増田 大分が好きなのでもっと詳しく知りたいのですが、松村さんが一番自慢に思うことって何ですか?
松村 大分は再生可能エネルギーの自給率が日本一だということです。そのうち70%以上を占めるのが地熱発電、地熱利用です。温泉で有名な大分の源泉数は4,788カ所で日本一、湧出量も日本一。200リットルの浴槽で計算すると、県内の約48万世帯全ての浴槽を約6時間で満たすと言われています。加えて温泉の経済効果は640億円で、農業生産680億円と比較しても大きな効果です。今はエネルギーについて考える時代だと思うので、地元の地熱発電所に見学に行くなどの活動をしていますが、実際に見なければ、考えることはなかなかできないですよね。増田さんは世界各国に行かれていますが、海外でのエネルギー事情はどうですか?
増田 国際NGOのボランティア活動で発展途上国に行くことがあるんですが、電気がないと大変だということにあらためて気づかされます。電気のみならずガス、水道など、私たちにとっては当たり前にあるものがない地域では、生活面だけではなく、子供たちの教育に影響が出たり、最悪の場合は生命の危険にさらされることもあります。それから、現地に行って初めてわかるのは、情報が届かないことです。さまざまな考えに接する機会がないと選択肢も限られるから、一つの方向に流されるまま自分の考えを持つことができなくなるんですね。
増田 キリバスという太平洋に浮かぶ島国の重量挙げの選手は、決して強いわけではないけれど、試合後に愛嬌のあるダンスをすることでリオデジャネイロオリンピックで話題になりました。この国は、地球温暖化による海面上昇で水没する危険性が高いと言われていて、彼は世界中のメディアに向けてパフォーマンスで訴えかけたんですね。地球温暖化の要因と言われるCO2の排出を抑制するために、エネルギーの選択をどうすればいいのか考えてみると、どのエネルギーも一長一短だと思います。原子力はCO2を出さないけれど、福島第一原子力発電所の事故を見ると絶対安全とは言い切れないでしょう。化石燃料頼りではCO2排出量が減らせません。だからといって再生可能エネルギーに頼りたくても、全てのエネルギー需要を賄うには足りないんですよね。
松村 地熱発電の場合、地面から出てくる蒸気量に左右されるので、それぞれに合った発電機を造らなければならず、費用もかかり普及がまだまだです。また地熱の源泉は国立公園内や温泉地が多いため利用に制限もあります。私たちが生活の中身を少し見直し、エネルギーをうまく使うようにしていかなければいけないと思います。今年の11月には、地元のガス、電気の工場見学に行って、どのようにしてエネルギーが私たちの元に届くのかしっかりと見て考えてくる予定です。
増田 私も自分の目で確かめようと、九州電力玄海原子力発電所に行ったことがありますが、廃熱利用の温室ではシクラメンを栽培していました。
松村 大分では72カ所の地熱発電所があり、ハウスの暖房に使用する農業園芸が74か所、「湯の花」製造は28カ所など多様な活用をしています。
増田 地熱の他にバイオマス発電も盛んに行なわれていますね。
松村 大分県土の71%が森林ですから。
増田 他にも干し椎茸、かぼす、サフラン、そしてマダケ生産量も日本一ですね。豊富な材料があるから竹細工が盛んで、伝統工芸品の竹細工を学びに海外からも多くの人が訪れていると聞いています。
松村 大分在住者としては、大分の魅力である地元のエネルギーについてまず知ること、そして考えることが大事だと思っています。増田さんはマラソンの専門家として、事前に選手たちに取材したメモをノートにつけていると伺いました。
増田 現役を引退してから一時ラジオのパーソナリティをしていた時、尊敬する、永六輔さんから、「現場に足を運んで五感で感じたことを、自分の言葉で話すと伝わりますよ」と教えていただきました。永さんは「取材という言葉は材を取ると書くでしょ」とおっしゃり、それは私の活動の原点です。
松村 増田さんは、ロサンゼルスオリンピックの後の苦しい時期を自分で乗り越えられたエネルギーがすごいですし、若い人たちには、私たちのような人生の先輩の姿を見て、学んでもらえるようにしたいですね。
増田 人生は出会いだと思います。特に落ち込んだ時は、人の優しさで立ち直れることが多くありますね。
松村 でも、そこまでやろうという自分の勇気、意志がなければ道は開かれないものです。私もエネルギーへの関心を高めることで、自分自身のエネルギーにしていきたいと思って活動をずっと続けてきました。皆さんも、どうぞ心を閉ざさず、開かれた気持ちで前に進んでください。そして、増田さんの今日の話をご自分の再生エネルギーとして一歩を踏み出しましょう。
スポーツジャーナリスト/大阪芸術大学教授
1964年千葉県生まれ。私立成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立する。82年にマラソンで日本最高新記録を作り、84年のロス五輪ではメダルを期待されたが、無念の途中棄権。92年に引退するまでの13年間に残した記録は日本最高記録12回、世界最高記録2回更新。現在はスポーツジャーナリストとして執筆活動・マラソン中継の解説に携わる他、ナレーション(NHK朝の連続テレビドラマ「ひよっこ」)などでも活動中。大阪芸術大学芸術計画学科教授、全国高等学校体育連盟理事 日本陸上競技連盟評議員、日本障がい者スポーツ協会評議員 日本ダブルダッチ協会会長も務める。