2011年の東日本大震災後に起きた福島第一原子力発電所の事故を契機に、原子力エネルギーと放射線の健康影響に対する関心が急激に高まりました。しかしそれは、放射線被ばくやその影響などについて多くの誤解があるため、皆さんは不安に陥っているのだと思います。例えば、「放射線を受けた」といっても、放射線を身体に受けた量(=被ばく線量)や、受けた身体の場所(=被ばく部位)が問題になります。そして「内部被ばくは怖い」という声がよく聞かれますが、被ばく線量が同じならば、外部被ばくと影響は全く同じであることが理解されていません。また、放射線によってできたDNAの傷は、人間の修復能力によってほとんど治っていることもあまり知られていません。 本日は、講演の後半で実際に放射線測定器を使って会場内のみなさんの身近な放射線を測定し、放射線の理解を深めていただきたいと思います。
さて、放射線の基礎的な知識としてはじめに分かっていただきたいことは、放射線・放射性物質には、大きく分けて1.自然放射線・天然放射性物質と2.人工放射線・人工放射性物質の二つがあるということです。
1の自然放射線は、地球が誕生した時から存在し、「だれでも」「いつでも」「どこにいても」それを受けて(=被ばくして)います。その中で、宇宙や大地からの放射線は外部被ばく、空気中のラドンガスの吸入やカリウムなど食物を通して体に入った放射性物質により被ばくすることを内部被ばくといいます。
自然放射線は、土壌に天然の放射性物質が多く含まれている場所では高くなり、日本国内では花崗岩が多い西日本の方が高く、東日本の低いところ(神奈川県が最低ですが)と比較すると約2倍も差があります。そして日本の自然放射線による被ばく線量の一人当たり平均は、2.1ミリシーベルト/年です。
放射線の量を表わす単位としてシーベルトを使います。1シーベルト=1,000ミリシーベルト、1ミリシーベルト=1,000マイクロシーベルトとなります。もう一つ、ベクレルという単位は放射性物質がどのくらい存在するかを表わします。人の身体の中や農産水産物などの中にどれくらい含まれているかを表わす時などに使います。
2の人工放射線は、法律によって厳しく管理され、安全・安心を確保しながら利用することで、私たちの暮らしに恩恵をもたらしてくれます。X線を用いた検査やCTスキャンなどの放射線診断、がん治療の放射線照射などの医療分野や、車のタイヤゴムへの照射で品質を強化するなどの工業分野、香辛料などへの照射で殺菌して保存力を高めるといった食品分野でも利用されています。また、原子力エネルギーも大きな役割を担っており、現在は再稼動がなかなか進まない原子力発電所ですが、震災以前は国内で54基が稼働していました。
放射線の特徴として、人間の五感ではとらえられないことがありますが、測定器を使えば微量でも測定できます。また、人体への健康影響に関する情報が豊富にあることも特徴のひとつです。これは、広島・長崎の原爆被爆者の皆さんのご協力があったからこそで、約12万人の被爆者の健康状態を被爆5年後から継続して調査し、現在、健康影響に関するたくさんの情報を世界に発信しております。
例えば、放射線被ばくによる健康影響で最も不安に思われているがんの発生については、放射線量が100ミリシーベルトを超えない限り、発生率が高まる可能性は認められていません。これは放射線被ばくと関係なくがんが発生しているからです。100ミリシーベルトは、先ほどお話しした日本の自然放射線による年間被ばく線量の平均値2.1ミリシーベルトの50倍といえば線量の大きさを想像しやすいでしょうか。また、被ばく部位によっても、影響に違いがあることもわかっています。血液のがんである白血病は、赤色骨髄という体幹部にある造血臓器に放射線を受けなければ罹患する可能性がありません。病院で放射線作業をしている技師さん達が身につけている鉛のエプロンは体幹部をカバーしています。
水尾 先ほど皆さんに会場で測定していただいた放射線量の一例は、0.05マイクロシーベルト/hでした。この数値x24時間x365日を計算すると、年間の放射線量は約450マイクロシーベルト=約0.45ミリシーベルトとなります。この単位の違いが今日の話のポイントの一つです。福島第一原子力発電所の事故のニュース報道で使われた単位はほとんどがマイクロシーベルトであり、ミリシーベルトはあまり使われませんでした。確かに「450」は分かりやすく、「0.45」は分かりにくいですね。ただ、どちらも同じ放射線量なのに、ニュースを受け取る私たちの印象は変わります。どちらの単位が使われての数値なのかを見る必要があります。また、放射線は、見えない、匂わない、触れられないから怖いといわれますが、計測できるので対処できるわけです。
草間 被ばく線量の単位と大きさをしっかり理解しイメージできるようにしていただくことが基本です。環境中には他にも有害な化学物質などがたくさんありますが、個人が受ける線量を直接測定できるのは放射線のみです。だからこそ放射線作業従事者など個人線量の上限値を法律で決めることができます。
水尾 日本は医療先進国なので、医療の場で放射線を受ける機会が多いともいえますね。
草間 一人あたりの放射線量は少ないですが、受ける人数が最も多いのが胸部レントゲン検査です。結核患者が少ない現在、義務教育課程での検査はなくなりましたが、18才以上の方は、法律で決められた健康診断で毎年受けています。これに比べて、CT検査は一回の診断あたりの放射線量は高く、受ける人数は少ないのですが、世界的に見ると日本のCT検査は最も多いといわれています。今後、診断しながら治療するIVR=インターベンショナル・ラジオロジー(Interventional Radiology)の導入が進むと、一人が受ける放射線量が増加すると予測されます。この治療法は、どの診療科でも使うことができ、患者さんにとって手術による身体の負担が少なく、病気の部分だけ治療できるなどメリットが大きいです。また、外国ではがん患者の60%以上が放射線治療を受けていますが、日本ではまだ25%に過ぎません。特にピンポイントでがんの患部に照射できる重粒子線治療や陽子線治療などの、放射線治療を拡大していくのがこれからの課題です。
水尾 年間どのくらいまで放射線検査を受けて良いのか医療現場でよく聞かれるそうですが、その判断は医師に任せ、患者さん自身が決めるものではないとお聞きしたことがあります。
草間 どのような診療行為を選択するかについてはインフォームドコンセントといい本来は患者自身が決定するのですが、医師が決定する場合がほとんどです。どのような検査が必要かは患者さんの症状によっても異なります。医師は患者さんにとって最善の診断方法を考えておりますので、必要と言われた検査はぜひ受けてほしいです。
水尾 日本で放射線に対する正しい理解が進まなかった理由は、放射線教育がほとんど行われてこなかったからともいえます。
草間 最近は、義務教育で放射線を学ぶ機会が増えてきました。実は医療従事者の中でも放射線診断、治療以外の放射線の知識などについて学んでこなかったという事実があり、国に働きかけて平成31年からはまず看護師教育の中に放射線教育を導入していくことになりました。
水尾 私は大学の講義でエネルギーや放射線の話をし、実際に放射線モニターで計測もさせています。これまで学ぶ機会のなかった学生がほとんどなので、講義後は「怖いと思っていた放射線が、いつでもどこにでもあると初めて認識できた」「正しく理解することが大切だ」という意見が圧倒的に多いです。放射線教育の欠如により正しく理解できていないから、痛ましいことにいじめなどの風評被害が起きてしまいます。
草間 福島から出荷される農水産物などを避ける人が事故後6年以上経過した今でもまだ多くいます。福島県から出荷される農作物は今も検査が続けられ放射性物質が含まれていないと検査で証明されているわけですから、安心してできるだけ福島産を買うことが復興に寄与することだと思います。
水尾 義務教育もほぼ100%に近い教育先進国の日本で、風評被害が長く続いてしまうのは、非常に問題で悲しいことだと思います。
水尾 原子力発電所の周辺は放射線量が高いのではないか、と思っている人もいらっしゃるのではないでしょうか。これもある種の誤解ではないかと感じています。
草間 日本の原子力発電所では、空気中や水中に出される放射性物質は厳しい基準で管理され、数値は公表されております。測定結果は自然放射線の変動範囲内だと理解していただきたいです。
水尾 3.11以後、各地の原子力発電所では従来の安全基準より強化された新たな規制基準に基づいた整備を行い、再稼動に向かおうとしています。反対意見も多くありますが、福島の事故だけを取り上げて、これまで積み上げてきた原子力の技術を全て捨ててしまってよいのか、冷静に判断すべきだと思います。資源小国の日本で、CO2を出さないクリーンエネルギーの原子力によって、私たちの豊かな生活はこれまで支えられてきました。たとえクリーンだからといって、安定供給できない太陽光や風力など自然エネルギーのみには頼れません。より安全でクリーンな次世代のエネルギーが出現するまでは、原子力に頼ることも国民の重要な選択ではないかと思います。だからこそ、立地地域以外の私たちが正しく理解するように努めたいと考えています。
草間 そのためにも放射線を正しく理解して、様々な領域において今後ますます放射線利用が進むことを認識していただくことが重要だと思います。
東京医療保健大学副学長/日本看護連盟会長 医学博士
東京大学大学院助教授、大分県立看護科学大学学長などを経て、2012年4月より、東京医療保健大学副学長。2013年8月より日本看護連盟会長就任。文部科学省放射線審議会委員などの公職を歴任。「放射線防護マニュアル- 安全な放射線診断・治療を求めて」「放射線防護の基礎」(共著)「放射線健康科学」(共著)など放射線に関する著書多数。
名城大学人間学部教授 工学博士
専門は建築学、都市計画。現在、名城大学にて環境人間学、都市文明史担当。日本建築学会、環境技術学会、日本エネルギー学会に所属。国土交通省をはじめ愛知県など数多くの行政機関や各種団体の委員などを歴任。