昨年、異例の3期目が発足し、さらなる権力集中に警戒が高まっている習近平体制の現状と課題について、世界の動きを読み解く指標の持ち方などを学びながら、テレビでもご活躍の現代中国の専門家、興梠一郎氏(神田外語大学教授)による講演が行われました。
最初に「ものの見方、考え方」についてお話します。テーブルは上から見ると長方形にしか見えませんが、横から見て初めて脚があるとわかります。見る角度によって脚の数も違ってきます。人間は視野が狭く、一面的にしかものが見られない動物です。人によって解釈や判断が違うから喧嘩、戦争が絶えません。また、置かれている「立場」によっても違って見えてきます。言論の自由や民主主義のメリットは、さまざまな立場の意見にアクセスできることであり、コンセンサスを得るには時間がかかりますが、一人の人間が勝手に決めるより、はるかにリスクが小さいと思います。人間の視野には限界がありますので、どんな優れた人物でも、個人的な好みや気分で判断を誤ることは多々あります。独裁は一見、効率がいいように見えますが、独りよがりになりやすく、国家にしても企業にしても、長期的にはゆがみをもたらします。物事の分析も同様で、しょせん個人的な見解に過ぎません。これからお話することについても、あくまでも私の個人的な見方に過ぎず、視野や能力の限界があり、全てを網羅できるはずもなく、必ず偏りがあるはずです。ですから、できるだけ多くの異なる立場の意見を聞いて判断していただくのがよろしいかと思います。
さて、中国と言えば、今このニュースが話題になっています。10月27日、李克強前首相が68歳の若さで亡くなりました。中国政府の発表では、水泳中に起きた心臓発作が原因とされています。李氏は市場経済の支持者とされていましたが、習近平政権下で干されて存在感が低下し、首相として活躍できませんでした。そのため突然死をめぐりさまざまな憶測が飛び交いましたが、真実は闇の中です。したがって、わかっている部分に限定して議論するしかありません。今回、大手メディアは死因について議論せず、アメリカのブルームバーグは「中国・李克強前首相の突然死、習政権に突きつける新たなリスク」と題して「景気減速に対する不満に波及する恐れがある」、読売新聞は「李克強前首相の旧居前、1万人超が自発的追悼」と題して「習政権は政権批判に転じることを警戒している」と、李氏が死去したことがもたらす影響についてのみ伝えました。
さまざまな憶測が飛び交うのは、「過去」に似たようなことがあったからです。かつて失脚した胡耀邦氏が心臓発作で死去したことに同情が集まって天安門事件(1989年)を引き起こしたように、李氏の死が政権批判、民主化運動につながるのではといった見方もありました。今、中国では若い人の失業率が増えているため不満に火がつくことも想像できますが、IT社会の今、天安門事件のような政治運動は起こりにくいと私は考えています。なぜなら中国では当局が監視システムで国民の行動を把握しているため、SNSで集まりの呼びかけもできないからです。もし連絡できたとしてもアカウントが消されてしまいます。中国ではメディアも大学も当局の管理下に置かれ、天安門事件の当時よりもはるかに監視が強化されています。似たような出来事でも時が経ち、状況が変わると同じ結果をもたらすとは限りません。一つのニュースを分析する際にも、できるだけ現実をしっかりと踏まえ、事実に即して解釈する必要がありますが、それは、ドラマチックなものではなく、往々にして味気ないものです。
中国には「物極必反(ぶっきょくひつはん:物極まれば必ず反す)」、物事は極点に達すると必ず反対の方向に転じるという思想があります。白と黒が絡み合った「太極図」が典型です。たとえば、物事はプラス/マイナスからできていて、福と禍は一体であり、幸福が絶頂になると不幸になることを表しています。「禍福は糾える縄のごとし(幸福と不幸は縄のように絡み合っている)」ということわざがありますが、老子の思想から来たものです。「人間万事塞翁が馬(不運に思えたことが幸運につながったり、その逆だったりする)」もそうです。
たとえば、極権政治。独裁を極限まで推し進めれば、権力は維持できるでしょうが、副作用が生じます。中国で、習近平氏に権力が集中する一強体制になっていますが、経済に副作用が出てきています。
国家の経済への統制を強め、民間企業への締め付けを強めた結果、若者の失業率が高止まりしています。コロナに対する極端なロックダウンも悪影響をもたらしました。国民は行動の自由を奪われる恐怖を体感し、外資系企業は、中国に依存し過ぎると、いざとなったら部品などが供給されなくなるというリスクに直面したからです。これを見て、外国の投資家は中国への投資を恐がるようになりました。政治の引き締めも大きく影響しています。今年になって国防相、外相、ロケット軍の幹部が失踪し、日本人社員がスパイ容疑で逮捕され、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルが「中国へ行きたがらない外国人旅行者」という記事を書くほどです。外国人投資家の中国への投資意欲も減り、経済活動に影響を与えています。アメリカのJPモルガンが投資家に意識調査をしたところ、「中国の経済成長率は関係なく、地政学的緊張が重要で、一番の心配は中台関係」と結果が出ました。次は習近平氏への権力集中でした。その結果、株価も上がらず、中国の海外直接投資を測る指標は25年ぶりに低水準となりました。中国人の富裕層も、今年は約13,500人(世界最多)が海外に流出すると予測され、シンガポールが人気の移住先です。流出理由は、習氏が格差是正を目指す「共同富裕」を推進して民間企業を締め付けていることことや、ロックダウンなどが挙げられます。
独裁体制の下では「副作用」として、ごまかし、ごますり、嘘もはびこります。その結果やる気が起きなくなり、中国では「寝そべり」という言葉が流行っています。このように、習氏が権力を集中させて一極化するほど「副作用」が出ています。何事もバランスが大事で、極端に走ると反面に転じやすいということです。なかなか経済が回復しないので、中国はいま、アメリカとの関係改善に努めています。習氏がアメリカの企業家と会談したり、11月にサンフランシスコで開かれるAPEC(アジア太平洋経済協力)に習氏が赴きバイデン大統領と会談する話も出ています。ただ、習氏は権力を強化しつつ、経済を良くしたいのですが、投資家は強権政治をリスクと捉えています。改革と開放を推し進め、もっと民間の活力を重視して今のやり方を変える必要がありますが、そうすると権力が弱まるので二律背反、ジレンマになります。果たしてどこまで修正してバランスを取り戻すか、そこが今後の注目点です。
神田外語大学教授
1959年、大分県生まれ。九州大学経済学部卒業。三菱商事中国チームを経て、カリフォルニア大学バークレー校大学院修士課程修了、東京外国語大学大学院修士課程修了。外務省専門調査員(香港総領事館)、外務省国際情報局分析第2課専門分析員、参議院第1特別調査室客員調査員を歴任。主な著書に『一国二制度下の香港』(論創社)、『中国激流--13億のゆくえ』『現代中国―グローバル化のなかで』(ともに岩波新書)、『中国―巨大国家の底流』(文藝春秋)、『中国 目覚めた民衆―習近平体制と日中関係のゆくえ』(NHK出版新書)。