日本航空のパイロットとして42年間、世界の空を飛び続けた小林宏之氏(危機管理専門家/航空評論家)により、「高度10,000mから見た地球環境と日本のエネルギー政策」をテーマにした講演が、Zoomを利用したオンライン配信で行われました。
私は42年間、高度10,000mから南極以外の地球をくまなく見続けてきた唯一の日本人です。学者や研究者ではないので、操縦席から自分が見たまま感じたままをお伝えしたいと思いますが、まず、上空400kmの宇宙空間を周回する国際宇宙ステーションから宇宙飛行士が撮った地球の姿と、私がその40分の1の高度10,000m上空から撮った地球の姿があまり変わらないことから「地球はそれほど大きくない」という印象を受けました。また、珍しいピンク色のオーロラや、一面の茜色の空の上に雲が無数に浮かぶ白夜ならではの光景などを見た時には「地球はかけがえのない美しい星、ありがたい存在だ」という言葉が浮かびました。地球は誕生して46億年経っていますがまだ地震も多く、火山や海底火山から噴煙が激しく吹き上がる様子を見ると「地球はまだ活動的である」という気もしました。
さらにパプアニューギニア上空から見た青い海、緑の森、白い雲…、何ということのない景色かもしれませんが「こんなに美しい星は地球以外にはまず無い」と感じます。真っ暗な地平線から太陽が昇る瞬間、絵に描いたようなシベリアの冬景色、鏡のように穏やかな太平洋、ヤシの実が流れ着いて緑が繁茂した蝶の形のサンゴ礁など、「かけがえのない美しい地球」を私は1968年から見続けてきましたが、地球温暖化の影響で2000年頃からその姿はかなり変わってきています。
太陽から地球に届くエネルギー(赤外線)の30%位は宇宙に戻りますが、温室効果ガスといういわば地球の屋根のおかげで70%位は地球に残るため、地球の平均気温は15℃に保たれているそうです。今はその屋根が厚くなり過ぎて、平均気温がどんどん上昇していることが問題なのです。私は1970年代から北極やグリーンランドの上空を飛んできましたが、真夏でも一面の氷や雪に覆われている北極海しか見たことがありませんでした。しかし2000年頃から海氷が大崩壊している様子をカナダ・バンクス島上空から写真撮影し、『高度1万メートルからみた地球環境』として発表したところ、新聞やテレビなどに取り上げられて大きな反響を呼びました。2008年には、氷床が解けて地肌がむき出しになったグリーンランドを驚きながら撮影しました。アラスカのマッキンリー、エベレスト、スイスアルプスなどの山々から海へと脈々と続く氷河が途中から消えている様子も撮影しました。上空から見ると、あちこちで砂漠化も進んでいます。カザフスタンにあるアラル海は年々干上がっていますし、エジプトやイランでは川が途中から干上がって消えた痕跡がわかります。一方でバングラデシュでは毎年のように洪水に見舞われている様子も撮影しました。
42年間、飛行機を操縦していた中で、ジェット気流(偏西風)がかなり変化してきたことも感じました。ジェット気流(偏西風)は時速200〜300km/時で西から東へ流れていますが、近年の異常気象で急に寒気や暖気が入って激しく蛇行するようになってきたせいか、1月にニューヨークで半袖の暖かさに驚いたかと思ったら、ロサンゼルスに着くと寒気が入り雪が降っていたなど、今まででは考えられない経験もしました。日本列島にも北から冷たい空気、南から湿った空気がそれぞれ蛇行してグッと入るため積乱雲が発達し、局地的に大雨の被害が出ています。一方で赤道付近の積乱雲は、私の目には以前に比べると減衰しているように見え、あたかも「地球は必至にバランスを取ろうとしている」という感じさえ受けます。
近年では地球温暖化と乾燥により、シベリア、カナダ、オーストラリアなどあちこちで森林火災が起きています。パイロットは森林火災を見つけたら報告する義務があり、私は1回のフライトで6回報告したこともあります。日本航空は1993年から飛行機に測定器を搭載して上空の大気を採取し、研究機関に送っています。その大気観測でわかったことは、「北半球も南半球もCO2が増え続けている」ことと、「植物の多い北半球では(森林の葉が光合成をして酸素を放出する)春から夏にかけてはCO2が減少し、(葉が落ちる)秋から冬にかけてはCO2が増加する」ことです。もう1つわかった大事なことは、「地上から2,000m以下のCO2の濃度は地域により異なるが、2,000m上空では地球上どこでも同じ」ことです。上空ではジェット気流で大気がかき回されてしまいますから、各国が利害を超え協力して地球環境を考えないといけないと思います。
私が20代半ばのベトナム戦争当時、ジャングルは枯葉剤がまかれて灰色になっていました。ところが10年程経つと緑が戻っている様子を確認しました。また、1991年の湾岸戦争で人質救出機の機長を務めた際、イラク軍の油田破壊により重油が流出したのを見て、ペルシャ湾は死の海になるだろうと心配しましたが、原油を食べるバクテリアなどのおかげなどで3年位で元のコバルトブルーの海が戻ってきたのも確認しました。私たちに自然の治癒力があるように、人間が傲慢なことをしなかったら「地球には回復力がある」のではないでしょうか。あくまでも私自身の感覚でしかありませんが、地球環境を考える際には私の話を参考にしていただいて、地球環境を大事にしましょうというメッセージを皆さんに送りたいと思います。
私は原子力安全推進協会の仕事もしています。原子力発電所運転責任者への講演・教育をさせていただく中で、全国各地の原子力発電所を見学しています。日本では菅総理大臣が「2050年までにカーボンゼロ」とする脱炭素宣言を行いました。気候変動に関する政府間パネルの報告書で、原子力発電は「ベースロード電源で温室効果ガスの排出削減に期待できる」と記されています。福島第一原子力発電所の事故もありましたので大事なのは安全性ですが、原子力規制委員会は再稼働に向け、「深層防護」を基本とした世界最高水準の厳しい新規性基準を設けています。深層防護(=多重防護)とは、幾重にも安全対策がなされていることです。福島第一原子力発電所では原子炉を冷やすための電源が無くなって事故につながってしまったことから、いかに電源を確保するかがポイントになり、5重6重の対策を取っています。津波対策も大幅に強化され、例えば中部電力の浜岡原子力発電所では海抜22mの防波壁を設置し、もし津波が防波壁を越えたしても強化扉と水密扉で建屋内への進入を防ぎます。原子力発電所を設置する活断層の認定基準も何十万年前にも遡って評価が必要になりました。これらの対策により、電源を失うことはまず無いと考えられますが、電源が無くなったとしても消防自動車などで注水できるようにしています。注水できなかったとしても、格納容器を破損させないため圧力が高まらないようにする措置が施されています。格納容器が破損して水素が漏れたとしても、泡を放水して放射性物質の拡散を防ぎます。今日はすべての対策をご紹介できませんが、ここまでやるのかと思うほど何重もの対策を取っています。
原子力発電で難しいのは「安全と安心が一致していない」「安全であっても安心できない」という理由から再稼働が進んでいないことです。そこで電力会社では住民の皆さんに「こんなリスクもありますがプラスの面もあります」と公正に伝える「リスクコミュニケーション」を一生懸命やっています。説得や合意が目的でなく、一緒に考えて信頼関係をつくり、「エネルギー全体についてより良い解決法を見いだしましょう」、そして最終的には「私たちの生活に無くてはならない電気について合理的な判断をしましょう」ということが目的です。資源の乏しい日本が持続可能な社会をつくるためにはエネルギーの安全保障、つまり安定的なエネルギーが重要で、そのためには多様な電源が必要です。そのベース電源としても、地球温暖化防止の観点からも、原子力は必要な電源です。正しい知識と理解の上に合理的な判断をすることが大事ではないかと考えます。
元日本航空パイロット/ 危機管理専門家/航空評論家
1946年 愛知県新城市生まれ。1968年 日本航空入社。2010年退社時のラストフライトはマスコミの話題となった。乗務した路線:日本航空が運航したすべての国際路線および主な国内線。総飛行時間:18,500時間(地球800周に相当)。入社以来42年間一度も病欠、自己都合でスケジュールの変更無く、首相特別便機長、湾岸危機時の邦人救出機機長なども務めた。退職後は危機管理・リスクマネジメントの講師のほか、航空評論家としても活躍中。著書:『OODA危機管理と効率・達成を叶えるマネジメント』(徳間書店)、『航空安全とパイロットの危機管理』(成山堂書店)など多数。