昨年と同様、コロナ禍の影響を受けて経団連会館とZoomによるオンライン参加のハイブリッド型で開催しました。今、世界や日本で起こっている問題や、将来起こりうる問題について、歴史を知ることは解決のヒントになるのでしょうか。磯田道史氏(歴史学者/国際日本文化研究センター教授)に、日本や世界の歴史からひもといたお話を伺った後、神津カンナETT代表との対談を行いました。
「江戸時代はエコ社会で学ぶべきところが多くある」と言われます。しかし江戸時代の最初の100年間は環境破壊社会だったと言えます。日本の人口の推移を見ると、奈良時代からゆっくり増えてきた人口は戦国末期から1700年頃までに急激に増加しています。人口増加と新田開発が同時進行しました。森林を伐採して牛馬を放牧し、そのふんを肥料に田畑を増やして農作物を収穫していたのですが、森林がなくなれば大雨で洪水が起こります。また、遠浅の海の干拓を進めて海岸線ぎりぎりまで開発し、家屋を建ててしまってもいました。1707年、宝永地震による大津波により東日本から西日本にかけての広範囲な太平洋岸が大きな被害を受けました。私は2011年の東日本大震災をきっかけに、歴史学者として過去の災害記録を古文書に当たりながら、地震や津波について研究するようになりましたが、例えば静岡の下島村という地域を襲った宝永津波の高さは5.5〜6mだったことがわかりました。江戸時代は幾度もの災害の経験から土地開発の限界を知り、やがて人口も安定していきます。一方、明治以降の急激な人口成長は、天然痘予防の種痘ワクチン接種の普及など、医療衛生の改善が影響したものです。
古文書や古地図がエビデンスとなるのは、例えば、下島村の地図には「塩入田」という地名があり、これは津波や高潮で潮が入ってくる田んぼのことです。東日本大震災の時、避難していた多くの方が亡くなった宮城県南三陸町の防災対策庁舎があった地名も「塩入」。つまり歴史的に浸水する地域だったことが地名からわかっていたはずです。昭和史の作家、半藤一利氏は「日本人は起きて困ることは起きないことにする」と書いていましたが、かつて起きた事実があるにもかかわらず、地震や津波の現実的な想定を避ける傾向があります。普段から歴史書に触れている私は、心配し過ぎと言われるくらいでも、地震や津波を想定しておかなければならないと痛感しています。日本人の豊かな想像力による「見立て」は、例えば竜安寺の石庭では石を海に見立てるという素晴らしい面がある一方で、自然の脅威、あるいは戦時の他国に対しては通用しない特性であり、日本人の弱点ともなります。
世界の中で日本の占める人口比率の歴史上の変遷では、1700年頃がピークで5%を占めていました。しかし2000年頃には2%、2100年になると移民導入を加味しなければ0.5%になると推測されています。また一人当たりのGDPを歴史上で比較する試みにおいては、奈良時代の日本は最貧国で、中国はもちろんのことペルシャ(今のイラン)、エジプト、トルコ以下だったにもかかわらず、江戸時代前期には中国と対等になり、後期には中国を追い抜いたとの研究があります。その理由が、貨幣経済の浸透です。中国は宋の時代に製鉄量が増大し貨幣経済化し、日本では平清盛が中国からの渡来銭を使った貿易を手がけ貨幣経済が始まりました。その後、16世紀に入ると、日本でも精製技術が導入され、1550年から1700年の間には、日本の鉱山で採掘した銀が、中国が輸入していた銀の70%を占めるまでに至ったとされています。
江戸時代に鎖国をしていたものの、西欧の思想や科学に開かれた目を持っていた日本は、明治時代に入ると新しい文明や技術を積極的に取り入れ発展していきます。一つの国の国力を、「人口」「軍事」「経済」「価値」という4部門から考えてみましょう。日本が世界的に影響力があったのは、「人口」のピークは1700年頃、「軍事」のピークは日露戦争の勝利からアメリカに敗北するまでの1904年〜1945年、そして「経済」のピークは、1970年にGDP(国内総生産)が世界第2位(当時はGNP=国民総生産)にまでなった1968年〜2000年でしょう。しかし21世紀後半になると日本のGDPは世界の中でシェアがより低下すると推測されています。では、4つ目の「価値」のピークはこれから来るのでしょうか? 日本は、食品が安全で、治安が良く、おもてなしの心が行き届いているなどの点で世界から評価が高く、またアニメーションやゲームなどのソフトコンテンツでも今後も期待できると思います。
江戸時代の話に戻りますが、1800年には日本の人口3,000万人に対し、江戸は100万人もの大都市になっています。1600年頃までは西日本の方が人口が優位でしたが、それでも京都は30万人、大坂20万人、堺8万人などでした。また欧米を見ると、1800年当時アメリカの人口が900万人に対しニューヨークはわずか6万人、イギリスは2,000万人に対しロンドンは90万人でした。江戸の都市集中度は世界最高レベルに達していたのです。
江戸時代は武家社会ですが、武士の身分の人口比率は6%ほどで、寺社仏閣関係で1%ほど、平民が93%近くを占めていました。そして古文書に残されているような計算書を記入したのは、高度な読み書きができる幕府や藩の役人の武士ですが、土地の庄屋なども読み書きそろばんができたからこそ、記録が数多く残されているわけです。江戸時代の日本の識字率は4割と言われており、また寺子屋の先生は女性も多く、地域差はあるものの女性の教育水準は比較的高かったと思われます。一方、幕末頃のヨーロッパ各国の識字率を見ると、ヨーロッパ北部の方が圧倒的に高く、例えばスウェーデンは90%で、ヨーロッパの南と東側では低い傾向でした。そして幕末の頃に識字率の高かった地域と、100年後の1979年にGDPが1万ドルを超えていた地域がほぼ同じであることが、海外の調査でわかっています。当時、識字率が20〜25%と低かったイタリアは20世紀に全体主義に向かい、その後、民主主義になりました。一方、5〜10%だった帝政ロシアは社会主義に向かい計画統制経済で発展を図りました。統制が特徴ですから、その後はソ連崩壊後のロシアもトップダウンで政策決定される権威主義国家です。今も言論の自由がかなり制限されています。
では江戸の消費はどうだったのでしょうか。私は自著『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』で、こう書きました。加賀藩の下級藩士で、いわば会計係の猪山家の家計についてです。1843年の会計収支では武士という身分ゆえの祝儀交際費が圧倒的に多かったのですが、他に食費や日用品代などが並ぶ中、油、炭、薪代と言った光熱費が6%を占めています。明治に入り1874年になると、光熱費は15%になっています。また江戸時代の動力といえば牛馬と人の力だけで、まだ化石燃料は使われておらず、森林に恵まれた日本だからこそ薪や炭が豊富に手に入ったのです。
1726年、八代将軍徳川吉宗の時代に江戸の港に入ってきた薪や炭の物資台帳から推測されるのは、江戸において炊事や銭湯、明かりなどに消費された一人当たりのエネルギー量で、石油に換算すると年間50リットルに相当することがわかっています。そして幕末の1856年になると年間67リットルに増加しています。江戸の平均を54リットルとみなすと、現代の2005年に消費された一人当たりエネルギー消費量の4,435リットルと比較して、約1/100だったとの研究があります(「レトロキャスティングによる持続可能な社会像の検討」2010)。
現代の日本におけるエネルギー問題を考える時、エネルギー安全保障も重要になっています。どこからエネルギーを輸入するのか。どのエネルギーをどの比率で使用するのか。現在、日本は人口減少中です。島国日本の維持には、どのような方策が適しているのか考えなければなりません。だからこそ、これまで考えたことがないような発想を持つ必要があるのではないでしょうか。日本人の特徴である勤勉さは、型にはまった長時間労働には向いていますが、労働生産性について諸外国と比較すると順位は低く、つまり日本人の勤勉な働き方が必ずしも生産性を高めていないことがわかります。教育が旧来型ではいけません。個人の発想と得意を伸ばす、柔軟なものに変えなくてはいけません。学校教育の段階で、独創性を伸ばすよりむしろ常識的な枠組みの中で育成されてきてしまった日本人は、これからエネルギーや食糧問題などにおいても、型にはまらない発想ができるようにしていかなければならないと思っています。
神津 今日のお話を伺って、日本がこれから生き残るヒントはどのようなものだと磯田さんが考えているのか、まずは伺いたいのですが。
磯田 江戸時代の人は遊びの天才でしたね。頼まれもしないのに夢中でやってしまう道楽を持っていたのに、経済力で西洋にキャッチアップしようとするうちに遊び心が失われてしまいました。それから日本人はどこかに所属することで安心感を覚えます。貢献でなく所属でお金をもらおうとする人の割合が増えると、この国は衰えますね。大学の学生と話をしたら、受験して希望の大学に入ったら、楽勝科目を履修し、なるべく少なく勉強して多くの「優」を取って、給料の高い安心な会社に所属したい、と考える学生も結構いるので、それはいけない、と言いました。勉強はコストではありません。自分の脳内資産を増やすことです。勉強は苦しいコストではなく、見えない資源が脳内にできる楽しい営みと考えたほうがいい。何かを知ることが楽しい、経験することが楽しいと思えることこそ大事だと思います。
神津 磯田さんを見ていると、本当に遊び心いっぱいありますよね。江戸時代に多かった細密な分業というのも遊び心の現れなのでしょうか?
磯田 例えば米を運ぶ廻船に住み着いたネズミを獲って、その柔らかい毛のみから、蒔絵師が使う根朱筆(ねじふで)を作る職人など、ありとあらゆる分野に細分化されて風変わりな仕事人がたくさんいました。江戸は独身者の比率が高く、小商いが発達して自分たちが楽しいと思える職に就いたのでしょう。それから、疫病にかかれば薬もワクチンもなく、死にかねないものだから、日ごろから楽しんでなければやっていられなかったとも思います。江戸っ子が「宵越しの金は持たねえ」と稼いだ金を一晩で使うのは、何も短気できっぷがいいばかりでなく、明日の命が知れなかったからもあったと思います。今と江戸時代では、死生観が全く違いましたね。
神津 お話の中に出てきた「見立て」という日本人の特性には、危険性もあるけれど、他には類を見ない感性でもある。これを磨いていくのがヒントになるでしょうか。
磯田 北斎の絵や現代のマンガにも共通するように、日本は視覚表現の文化では国際的な競争力があると思います。それから、日本人の特色としては共感性があります。日本の俳句では虫の気持ちになって詠んだものさえあります。日本人は相手の気持ちの読み取り能力が高いから、お客へのもてなしが得意です。ホテルや飲食サービス業などでも世界で評価が高いですね。共感と情の文明ですね。しかし、外交や交渉事になると、これが世界で通用しない場合もあるから気をつけなければなりません。
神津 世界にはさまざまな考え方の文明があって、日本的な価値観や思想が通用しない場合もありますよね。特に通用しない中国、北朝鮮、ロシアが、日本の隣に位置しているわけですから、ウクライナ問題も他人事には思えません。
磯田 ウクライナ首都近郊のブチャでの行為が問題になった部隊の一つは、ロシア東部、ハバロフスクの部隊でしょう。日本に近い距離に駐屯する部隊です。戦争では、ああいう民間人への非人道的な行為がすぐそばで起こりうるかもしれない、との自覚が必要です。日本でも戦時・戦災下の民間人退避保護のプログラムを政府が責任を持って用意し、自衛隊が十分な装備人員でできるようにしておく必要があります。
神津 厳しい現実の一方で、日本人の遊び心を復活させるとしたら、どのようにすればいいでしょうか。
磯田 お金をかけずにエネルギー消費も抑えて自然を楽しめるのが、日本人の美徳の一つだと思います。お菓子やお酒などを「遊山箱」に入れて近くの山に持って行き、そこでみんなで山の自然を愛でながら俳句の一つでも捻って帰ってくる ーー これこそ江戸の楽しみですね。それから「脳内リゾート」という赤瀬川原平氏の言葉が私は好きなんですが、本を読むだけでも脳内リゾートができます。
神津 小さな楽しみを見つける才能は昔から日本人にあるわけですね。でも江戸時代を讃美し過ぎるのは、少し違うのではないかとおっしゃっていましたね。
磯田 江戸にだって参考にして良いところも悪いところもあります。一つの方向だけを信じたり称賛し過ぎたりするのは、日本史で良く見かける風景です。何事も「腹八分目」が大事です。何事も、そこそこがいいんです。やり過ぎると、国家も身体も心も壊れてしまいます。道徳や倫理に縛られず、何よりも大事なのは、なぜ生きるのか根本的な問題を考える哲学だと思っています。AIがこれだけ発達してきたら、人はなぜ働くのかとか、何を楽しみにして生きるのか、という哲学的なことを考えないと、新しい価値は生み出せないと思います。特に国の意思決定をする人たちには哲学が必要です。今、本当の国力とは何なのか、リーダーがきちんと哲学的に思索し続けていなければ、恐ろしい方向に向かってしまうのですから。
神津 では、日本の歴史を研究されてきた中で、歴史に学ぶ一番のものとは何ですか。
磯田 実は、歴史に学べないことが多いことにも気づかされました。例えば、豊臣秀吉は朝鮮に兵を出して失敗しましたが、その後も日本でも世界でも奇妙な侵略の失敗が繰り返されています。対外侵略の失敗が繰り返し起こるのは、歴史に学んでいない証拠です。自国の理屈に凝り固まった頭で、軍事力を過信し、目が曇ってしまうからです。
神津 ところで、日本にはエネルギー資源がなく、今の状況から打開するためにはどうすればいいとお考えでしょう。
磯田 どこか一つの国に依存していると大変なことになるというのは、今回、ロシアに依存してきたドイツを見てわかったと思います。それからすべてのエネルギーには一長一短があり、自然エネルギーは今すぐこれだけでは十分賄いきれず、石油、天然ガスは、もし戦争が起こって海路が断たれたら輸入が止まってしまいます。原子力は日本の場合は地震・津波という大きなリスクがあり、現存の原発は地下にありません。他国から人為的な攻撃でもされたら、再び核事故の危機です。だから、一つの方向性に固執せず、多様な意見に耳を傾け、検討した上でのエネルギー政策が必要だと思います。
神津 過剰な思い込みや、数字やスローガンに踊らされるのは本当に危険ですね。
磯田 優秀な人であっても、マニュアルをうのみにするのではなく、書かれていないこと、まだ起きていないことを考えるよう意識してほしいと思います。幕末に薩摩藩の武士の子供は、「親の仇、主君の仇、どちらを先に討てば良いのか」など、さまざまな想定問答を日々やらされていました。今は、想定力や判断力を鍛えずに、学校が出した、もう常識的な答えのある問題の正解者がエリートになれる時代になってしまいましたからね。
神津 歴史を振り返りながら、なぜ起きたのかという理由や、これからどうなるのか、私たちはどうすればいいのかという想定を忘れずに、エネルギー問題もウクライナ問題も、もう一度見直してみることが必要ですね。
歴史学者/国際日本文化研究センター教授
1970年、岡山市生まれ。慶應義塾大学大学院卒業。博士(史学)。茨城大学助教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、現在、国際日本文化研究センター教授。著書に『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞、2010年映画化)、『近世大名家臣団の社会構造』(文春学藝ライブラリー)、『殿様の通信簿』(新潮文庫)、『江戸の忘備録』(文春文庫)、『龍馬史』(文春文庫)、『日本人の叡智』(新潮新書)、『歴史の愉しみ方』(中公新書)、『歴史の読み解き方』(朝日選書)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書)、『日本史の内幕』(中公新書)など多数。
『無私の日本人』(文春文庫)の一編「穀田屋十三郎」が2016年「殿、利息でござる!」として映画化された。近著に『歴史とは靴である』(講談社)、『感染症の日本史』(文春新書)。