世界で起きた大きな変化は、これまでにも日本の社会や経済に影響を与えてきましたが、生活に欠かせないエネルギーについては、自給率が先進国最低レベルな上に他国と融通ができない日本にとって、重要な問題になります。今、日本はどのような状況に置かれているのか、そしてすぐにでも取るべき決断とは何なのか、岸 博幸氏(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授)に詳しくお話を伺いました。
エネルギーの話をする前に日本の経済全体を俯瞰してみると、今、景気があまり良くないと感じている方が多いですが、去年の同時期も景気はそれほど良くなく、実は日本はバブル崩壊後の30年間ずっと景気が悪いと言えます。30年前の景気悪化の原因は、デフレになったからでも人口減少が始まったからでもなく、90年代に世界で大きな二つの変化があったからです。一つ目はグローバル化が進んだことです。1991年のソ連崩壊で東西冷戦が終わり、90年初頭からは中国の改革開放路線により、東西に分かれていた市場が一つになりました。もう一つはデジタル化です。手作業をコンピューターに任せ、さらにインターネットの普及により政府や企業の仕事はどんどん置き換わっていきました。この二つの新しい流れを、アメリカやヨーロッパ、中国、韓国では国も企業も積極的に取り込み、経済を成長させ国民の収入も増えていったのに対し、日本では大企業のグローバル化は進みましたが、世界の市場を席巻していた80年代の成功体験が大きかったせいもあり、デジタル化については十分取り込むことができなかったため、景気が悪いままなのです。
そして30年を経て、今年2022年は滅多に起きない変化が3つも起き、世界はもちろん日本でも社会や経済が大きな影響を受けています。変化の一つ目がロシアのウクライナ侵攻です。超大国ロシアによる戦争が始まり、しかもウクライナのバックにはアメリカ、イギリス、そしてG7の国がついています。つまりロシアと西側諸国が戦争で対決し始めた状況になり、いつ停戦になるのか現状ではわかりません。象徴的なのは世界の構図が変わりつつあることです。世界には、資本主義や民主主義に基づき自由主義を信奉するアメリカ、ヨーロッパ、日本、韓国、台湾などがある一方、独裁者が全てを決め世界への影響力を強め世界制覇まで視野に入れている覇権主義の国があります。後者の代表がプーチンのロシア、習近平の中国、そして金正恩の北朝鮮であり、他にも多くの独裁者予備軍がいます。すでに両者の衝突は、トランプ時代のアメリカと中国の貿易摩擦から始まっていましたが、今回、戦争という形で第二弾が始まりました。
2つ目の変化は、インフレ対応でアメリカのみならずヨーロッパも金利を最近上げ始めていることです。アメリカのインフレ率は8%、EU圏は概ね10%ですから、日本の3%の比ではありません。そしてこの変化がもたらすのは、金融資本主義や、競争第一で強い企業が儲かればいいという新自由主義が終焉し、経済のあり方そのものが大きく変わるということです。
3つ目の大きな変化は、コロナ感染の終わりがようやく見えてきたことです。100年前のスペイン風邪と同じように、コロナも感染力は強くなり猛威を奮っているものの、弱毒化して次第に重症者や亡くなる方の数は減ってきています。だから世界の多くの国でノーマルな社会活動が始まっているのです。そして終息に向かって大きく2つの変化が生じており、その一つが、90年代から進んでいるデジタル化がさらに加速していることです。これまで遅れを取っていた日本にとって、経済活性化に有利なチャンスになります。その2は環境です。例えば、コロナ以前オフィスに出勤していた人にとって、1日の中で長い時間を過ごす会社や仕事が価値観の中心になっていました。ところが在宅勤務になると、身の回りの環境や地域のコミュニティの重要性にも気づくようになります。新しい生活様式に取り組むことで単一だった価値観は多様化し、環境問題やSDGsに対する価値の重要性が高まり、新しい市場やビジネスにも結びつくようになります。今年起きたこれらの大きな変化によって、これから日本の経済や社会は新しい方向に進化していくと捉え、変化の方向性を先取りするようなイノベーションを起こすことで、経済や地方活性化の効果が望めると感じています。
今年起きた3つの変化により、日本はエネルギー分野でどのような影響を受けるのか ―― ロシアのウクライナ侵攻の影響で当分の間エネルギー価格は高い状況が続き、アメリカの金融政策で円安も続くならば、高い価格のエネルギー資源輸入により日本の富はどんどん海外に流出します。加えて世界で環境やSDGsの重要性が高まる状況において、日本がどのようなエネルギー政策を取るのか注目されます。そもそも日本のエネルギー政策には、S+3Eという明確な達成目標があります。Sは火力でも原子力でも万が一にも事故が起こらないようにするSafety=安全性。一つ目のEはEnergy Security=エネルギーの安定供給。ちなみに東京エリアでは今年の3月と夏に大停電のリスクがあるため節電要請が発出されましたが、一国の首都で大停電の可能性があると言われるのは他の先進国ではありません。次のEはEconomic Efficiency=経済効率性。日本の電気料金は国際的に高く、特に今は円安も進んでより高いため、政府は10月末に閣議決定された経済対策で、来年1月から電気代軽減措置を取ることにしました。3番目のEはEnvironment=環境への適合。2003年から日本では環境負荷を考え、温室効果ガスの排出をなるべく減らそうとしてきました。
エネルギー資源がなく、自給率12%と世界の主要国の中で最低に近い日本では、エネルギー政策において、様々な目標を追求しなくてはなりません。化石燃料を輸入している国々とは友好的な関係を維持しなければなりませんし、福島第一原子力発電所の事故以降、原子力に対する反対や安全性チェックの必要もあり原子力発電所はなかなか再稼働できず、その結果、化石燃料による火力発電が発電の8割近くを占め、環境への負荷が懸念されているのが現状です。コロナ前から世界各国でカーボンニュートラル宣言が出されていたように、温室効果ガス削減には世界の関心が集まっており、日本でも2050年カーボンニュートラルとともに2030年度に2013年度比46%削減目標を掲げています。そして今年8月に岸田首相は、エネルギーの安定供給と地球温暖化防止にも役立つため、来夏以降の原子力発電再稼働を進める方針を明言しました。異論はあるとは思いますが、私は正しい判断だと思います。
もちろん発電において再エネが占める割合を増やすべきですが、自然任せの再エネには安定供給の点から問題があります。一方原子力は、原子力規制委員会が安全性を認めたものは当然再稼働させるべきであり、エネルギー資源調達先の国を多様化するのと同じく、エネルギーそのものについても多様化し選択肢を多く持つことこそ、安定供給に最も重要です。さらに、将来に向けてはアメリカで開発が進められている、より安全性の高い小型原子炉の研究に参加し、必要があれば新設・増設も可能性があるという方向性が首相から示されたのは、エネルギー事情に厳しい日本の現実から考えて正しい判断だと思います。
しかしエネルギー問題は、原子力発電の再稼働のみでは解決できません。今冬、仮に首都圏で大停電の可能性がある場合、最も効果的なのは何かというと、省エネなんです。例えば、ビルや工場、一般家庭の窓ガラスを二重の断熱ガラスにするだけで、暖房に使うエネルギーが大幅に減ります。政府は10月末に住宅の省エネ化への支援強化に関する予算案を閣議決定しましたが、あくまで新築の話で既存の住宅や工場などは含まれていません。
また資源エネルギー庁の2030年度におけるエネルギー需給の見通しでは、再エネが36〜38%、原子力20〜22%、残りを化石燃料など他のエネルギーで補うとしています。再エネを現在の倍にする目標は、資源を海外に依存しなくてすみますし、CO2排出の観点でも優れているので、正しいと思います。しかし問題は、自然任せのエネルギーを必要な時に必要なだけ使えるように貯めておく蓄電池の性能です。今、世界中で開発競争が行われている蓄電池について、日本は政府の補助金を使ってどんどん進めるべきですが、先頃の経済対策には蓄電池開発は含まれていませんでした。また再エネを作るのに最も適した場所は九州と北海道ですが、現在、大手電力会社が供給エリアに電気を送る送電線の太さでは十分な電力を送ることはできず、本州までつなぐ地域連系線の電線を太くしなければなりません。ところが国による地域連系線の増強完成目標は、6〜8年も先に設定されています。
エネルギーの安定供給に対する取り組みが遅いのみならず、環境対策の面でも政府の対応の遅れが目立っています。2050年のカーボンニュートラル目標に向けて、すでにヨーロッパの一部では排出権取引が始まっていますが、これは温室効果ガスに価格をつけるカーボンプライシングという手法の一つで、企業ごとに排出量の上限を決め、上限を超過する企業と下回る企業との間で排出枠を売買する仕組みです。また燃料・電気の利用(=CO2排出)に対して、量に比例した課税を行うことで、炭素に価格をつける炭素税もあります。日本では10月に開かれた会議でようやくカーボンプライシングの議論が始まったくらいです。また他にも、数年前に施行された電力市場の自由化ですが、大停電のリスクが高まると新電力会社の電気料金が高騰するなどの問題が発生しており、電力の安定供給や価格の問題も含め電力市場を抜本的に改正する必要があります。
電力市場の自由化により、大手電力会社は普通の企業になったため、採算を考え大規模な投資には慎重になりますし、古い火力発電所は本来なら早く償却したいところですが、停電対策のため政府に再稼働が要請されることもあります。電力会社に頼り切ったこうした体制を変えるために、私は、巨額の投資が必要な原子力発電所の建設・運営は、国が行うべきではないかと考えています。エネルギー政策は、様々な目標を達成しなければいけません。これから世界が大きく変化していく中で、その動きにキャッチアップするためには、これまでの政策を続けるのでは無理があることを皆さんにきちんと理解していただき、その解決策についてなるべく客観的な視点から意識を持っていただきたいと思っています。
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授
1962年東京生まれ。1986年一橋大学を卒業し通産省(現経産省)入省。1992年コロンビ大学ビジネススクール卒業(MBA)。小泉政権で経済財政政策担当大臣、金融担当大臣、総務大臣などの補佐官・政務秘書官を歴任し、不良債権処理、郵政民営化などの構造改革を推進。2021年に菅政権で内閣官房参与。評論家として「ミヤネ屋」(読売テレビ)、「全力!脱力タイムズ」(フジテレビ)などでコメンテーターを務める他、エイベックス顧問、総合格闘技団体RIZINアドバイザー、大阪府特別顧問、福島県楢葉町顧問、文化審議会委員などを兼任。