長い人生の中で、いろいろな問題にぶつかることがありますが、中でも重篤な病気にかかると不安に陥りやすいと思います。身体のエネルギー以上に、心のエネルギーが失われそうになったらどうすればいいのか。乳がんを経験した伊勢みずほ氏(フリーアナウンサー)に、告知を受けてからの心の変化や周囲との関わり合い方などについて、お話を伺いました。
コロナ感染拡大の影響で、この2年間は人と会っておしゃべりする機会が減りました。その上、最近では物価も電気代も上昇しているし、ウクライナ情勢を毎日メディアで目にすると、これから私たちの生活はどうなるのか不安になってしまいます。不安な気持ちというのは、知らず知らずのうちに人間のエネルギーをどんどん低下させると聞いています。だから心にゆとりができるよう、楽しいことをたくさんするのは大事だなと思っています。というのは、8年前に私は乳がんにかかって以来、自分の体と共に心も大切にするようになったからです。
私は新潟県に来て20年経ち、第二の故郷と思っています。新潟放送のアナウンサーになり、その後はフリーアナウンサーになり、出演しているテレビ番組「水曜見ナイト」は12年目を迎えました。また乳がん経験者として、新潟市のがん検診啓発アンバサダーに就任し、がん検診促進の活動を行っています。一緒に活動しているサッカーJリーグのアルビレックス新潟の早川史哉選手は、20代前半で白血病が見つかりましたが、骨髄移植がうまくいき、プロサッカー選手に復活しています。彼はファンの方の応援が力になっているとおっしゃっていました。
皆さんもご存知のように、近年は生涯結婚しない人も珍しくないというようになってきました。30代前半の未婚率は男性51.8%、女性38.5%、40代後半では男性29.9%、女性19.2%というように、男性は約3人に1人、女性は約5人に1人が結婚していない状況です。こうした未婚化、晩婚化、晩産化という社会現象は、乳がんの罹患率が右肩上がりになっている要因の一つと考えられています。乳がんにかかる人の割合はどのくらいいると思いますか? 私が乳がんにかかった8年前、病院に貼られていたポスターには14人に1人の割合と書かれていました。ところが増加の一途をたどり現在は9人に1人なんですね。
私が胸の異変に気づいたのは、お風呂に入っている時でした。右胸の高い位置を手で触れたら硬くてしこりのようなものを感じ、知り合いの女性クリニックに行ってエコーで見てもらうと、最初は嚢胞(のうほう)という見立てでしたが、36歳という年齢のこともあるのでマンモグラフィーを受けるよう乳がんの専門医を紹介してくれました。私は乳がん検診は40歳になったら受ければいいと思っていたんです。マンモグラフィー検査の写真を見た老齢の男性医師は、「間違いなく乳がんの石灰化が始まっている」とおっしゃり、針を刺して細胞検診をしました。そして「一週間後に家族と一緒に来なさい」とおっしゃったので、びっくりして頭の中が真っ白になりました。その時に教えられたのが、独身で出産経験がないとハイリスクだということでした。妊娠・出産すると、その期間は生理が止まり、女性ホルモンの体への負担が軽くなるそうです。だからといって出産経験者がかからない病気ではないことも教わりました。また遺伝性乳がんの割合はそれほど高くないそうですが、近親者に乳がん経験者がいる場合は気をつけたほうがいいとのことでした。
私は心配をかけるからと、検査のことを仙台にいる母には伝えませんでした。その代わり、当時付き合っていた彼に付き添いで待合室で待ってもらいました。医師は最初に「覚悟しなさいよ」とひとこと。乳がんは1.8cmの大きさで石灰化していて、罹患者の2割がかかる外側に広がる種類のため、手術のほか抗がん剤治療、放射線治療、ホルモン剤治療と、合わせて10年間はかかると言われました。手術後、特に1年3カ月にもわたった抗がん剤治療の副作用の吐き気や倦怠感はそれまで味わったことがないほどひどいものでした。その上、髪の毛のみならず生えている毛が全て抜けてしまうし、白血球が減少するので抵抗力が弱まり感染症にもかかりやすくなるので注意しなくてはなりませんでした。
ところでがんの治療はものすごくお金がかかります。幸いなことに、抗がん剤治療の間の元気な時には、仕事もさせていただきましたし、友達の勧めで入っていたがん保険に救われました。全く自覚症状がなかった乳がん。1.8cmになるまでどのくらいの時間がかかったのか医師に聞くと、人それぞれではあるけれど、1cmになるまでに7、8年かかるそうです。ということは、私は20代から自分の胸にがんになる元を持っていたわけです。「もう一年早く見つけられたらよかったのに」と言われたことが一番ショックでした。現在、国の方針では、40歳以上の女性に対してマンモグラフィーを用いた乳がん検診を受けるよう推奨していますが、私の経験から、もっと早くから受けることが大事だと思います。
がんを宣告されてからは、毎日泣いてばかりいました。何かの罰を受けているのだろうかとさえ考えて、負のスパイラルに入ってしまったのです。一番心苦しかったのは、父も胃がんで亡くなっているので母に伝えられなかったことです。しかし、その時の彼(現在の夫)が「一人で闘える病気ではないからちゃんと伝えるように」と言ってくれて、母に電話で伝えると驚いてすぐに新潟まで来てくれました。やはりがん=死というイメージがあって、聞かせた相手のショックがすごく大きいと思い、アナウンサー仲間には伝えず会社の上役にだけ伝え、友達にも告白せずにいました。そのうち誰にも会いたくなくなり、家にこもるようになってしまいました。ちょうどコロナ禍のステイホームで、人に会えないと次第に鬱々としてしまうように、がん患者は鬱になってしまいがちです。そんな私を見た夫は、格闘家で常に明るくポジティブな人なので、病気を公表するように勧めてくれました。医師にも相談すると、「病気の私をテレビで見て励まされる人がいるかもしれない」とおっしゃってくださり、決意してブログで公表しました。すると翌朝には、新潟日報の記者から取材依頼を受け、県民の皆さんにも伝わり、多くの方から応援のメッセージやお手紙をいただきました。一番多かったのは、同じくがんと闘っている方たちからでした。
なかなか言いづらい病気とはいえ、もっと早くSOSを出せばよかった、意固地になっていたことを反省しました。私は現在、小学校などで出前授業をすることがありますが、「大人になるというのは、なんでも自分一人で解決する力を身につけることではなくて、自分が感じている嫌なこと痛いこと悲しいことをきちんと言葉で伝えて、周りの人の力を借りて乗り越えていく、そういうコミュニケーション能力を身につけることが大人なんだよ」と子どもたちに伝えています。自分の弱いところを見せたり弱音を吐くのは勇気がいるかもしれませんが、誰かとつながりを持ったり相談してみると、必ず応援してくれる人が現れると思います。
がんを経験して、大切な出会いがありました。一人目は、『“がん”のち、晴れ 「キャンサーギフト」という生き方』という本を共著として出版した、新潟医療福祉大学の五十嵐紀子先生です。偶然、私と同じ36歳で乳がんを宣告された先生は、治療後の現在も英語とコミュニケーション学をバリバリ教えていらっしゃいます。もう一人は、NHKの「趣味の園芸」に出演していらした柳生真吾さんです。園芸界のプリンスと言われたくらいの憧れの人で、新潟でお目にかかった時に食事に誘っていただいたのですが、乳がん治療のためお断りしたところ、実は彼も10年がんと闘っていることを教えてくれました。そして「がんの先輩だからなんでも聞いて」と言ってくれたのです。しかし翌年、入退院を繰り返しているという情報が入り、病院にお見舞いにうかがいました。喉頭がんで話しづらいのでホワイトボードを使って筆談したところ、真吾さんは周りに心配をかけるのがいやで病気のことを公表していないのだと知りました。私が公表したことを伝えると、せきを切ったようにホワイトボードに書き始め、「言わないことが強いというのは勘違いで、泣きたい時、痛い時は正直に言うべき。そしていいことがあったり、笑いたいことがあったら一緒に喜ぼう、そうやって強く生きよう」と言葉を残してくれたのです。その一週間後、真吾さんは47歳の若さで旅立たれました。
辛いことがあった時に弱音が吐ける社会、周りの人の力を借りて生きていける世の中になっていくといいなと思っています。アメリカで始まった、がん患者や家族のために地域で支える活動は、日本でも「リレー・フォー・ライフ・ジャパン」として全国各地で行われ、8年前から新潟でも始まり、今年の秋も市内でリレーウォーキングをします。最後に、講演のタイトルにもしたキャンサーギフトとは、がんからの贈り物という意味です。私は、がんにならなかったら感じられなかった幸せがたくさんあります。ご飯がおいしく食べられること、自分の足で歩けること、そして今日皆さんにお目にかかれたことなどなど。幸せの感度が以前よりずっと上がっていると感じるのです。どうぞ皆さんも、ご自身の体の声に耳を傾けながら、もし病気になっても楽しい日々を過ごされることを祈っています。
フリーアナウンサー
1977年7月12日、宮城県仙台市出身。02年4月~10年3月にBSN新潟放送アナウンサー。10年4月~BSNを退社しフリーになる。おさかなマイスターアドヴァイザー、愛護動物飼養管理士2級、新潟県観光特使。09年、11年、12年にJNN リサーチ「好感度しゃべり手ランキング」新潟県内第一位。その他、11年から新潟市動物愛護推進委員、新潟市ユネスコ創造都市ネットワーク加盟推進委員、12年から社団法人公共建築協会 公共建築賞地区審査委員、13年から新潟市動物愛護協会理事、14年から新潟市民文化遺産認定委員を務める。現在は、講演、各種イベント司会、CMナレーションなどで活躍中。