メディアで紹介されている世界の取り組みの中には、私たちが日常生活でどのように考え具体的に実行したら良いのかわからないことが数多くあります。環境問題に関わるカーボンニュートラルについてもわかりづらい面が多くありますが、馴染みの深い話題をヒントに挙げながらETT代表の神津カンナ氏が講演しました。
昨年、菅首相による「2050年カーボンニュートラル宣言」で、カーボンニュートラルという言葉が一躍注目されるようになりましたが、これに関連して、最近はマスコミでもよく取り上げられているSDGsについてまず説明します。SDGsとは、Sustainable Development Goalsの略で「持続可能な開発のための2030アジェンダ」のことで、17の目標(Goals)と169の詳しい項目が掲げられています。2015年の国連サミットで採択され、地球上の「誰一人取り残さない」ことを誓っています。SDGsの前の、8つの目標を挙げたMDGs(Millennium Development Goals)は、発展途上国のみを対象にしていたため、ゴールを増やし先進国まで広げて取り組むようにしたのがSDGsです。
このSDGsの前に、2006年、当時のアナン国連事務総長が、世界の金融機関に向けて、PRI(Principles for Responsible Investment=責任投資原則)に則った投資を呼びかけ、その中でESGという言葉が使われました。ESGは、従来の財務情報だけではなく、環境(Environment)・社会(Social)・ガバナンス(Governance)要素も考慮した投資のことを指します。これは、業績が良くても環境に配慮していない企業への投資を避けることを促す取り決めでした。それから企業側はSDGsを目指すようになったのです。ちなみに、機関投資家(大量の資金を使って株式や債券で運用を行う大口投資家)の中でも、私たちの年金を運用している「年金積立金管理運用独立行政法人」は世界最大級と言われています。
SDGsは世界各国の達成ランキングを公表しており、フィンランド、スウェーデン、デンマークは2016年から2021年まで、順番は変わっても不動のトップ3です。次位からはドイツ、ベルギー、オーストリア、フランス、スロベニアとヨーロッパの国々が優勢の中で、今年日本はアジアで最上位の18位です。一方、大国のアメリカは32位、ロシアは46位、中国は57位ですから、日本は実は優秀な国と言えるでしょう。
SDGsやESG投資において、環境は重要なファクターになっています。そしてカーボンニュートラル目標を世界各国が設定するきっかけになったのは、SDGs採択と同じ2015年、COP21(第21回国連気候変動枠組条約締約国会議)で採択されたパリ協定です。カーボンニュートラルとは、環境化学の用語で、木など植物を燃やすとCO2は出るけれど、もともと植物は成長する時にCO2を吸収しているから差し引きゼロ=ニュートラルになるという意味でした。それが今では温室効果ガスの排出量と吸収量が均衡されるという意味に拡大して使われるようになりました。多くの国々が2050年までのカーボンニュートラル宣言をしていますが、パリ協定採択の124カ国1地域で仮に達成されたとしても、世界の37.7%、半分にも満たないのです。カーボン=炭素の元素記号はCです。宇宙の中では4番目に多く存在する元素で、生物の中にも色々な有機物として存在し、人間の体の主要構成要素でもあります。従って極論を言えば、地球上から人間がいなくなれば、限りなく脱炭素になるわけです。
カーボンニュートラルに向けて、日本ではエネルギー部門で再エネの割合を増やす目標を掲げていますが、ライフサイクルアセスメント(LCA=商品やサービスの原料調達から、廃棄・リサイクルに至るまでのライフサイクル全体を通しての環境負荷を定量的に算定する手法)の視点で見ても、問題点が多くあります。例えば、一年中野菜を収穫できるのは、冬場に暖房を使って温度調節するビニールハウスで栽培するからです。収穫したら石油製品のビニール袋に詰め、ガソリンで走るトラックで市場やスーパーに運ばれ、買う私たちは電気で動く冷蔵庫で保管、というように、私たちの口に入るまでにどれほどCO2を排出する過程を経るでしょうか。
またカーボンニュートラルのためには、CO2を吸収してくれる森林や農耕地の適切な管理も重要です。ところが森林や農耕地の放棄が進んでいることに対しての対策はあまりなされないまま、他の部分で躍起になってCO2を削減しようとしています。例えばカーボンニュートラルに有効な再エネではあるものの、太陽光や風力発電では広大な土地が必要です。その上、経産省の予測では、2050年に再エネ100%にすると、家庭の電気代は3倍近くになるそうです。家庭である程度の節約をするとしても、企業の電気代が3倍になったら、リストラや海外への工場移転が進み、国内の企業の空洞化、雇用の消滅が起きるでしょう。
SDGsにせよカーボンニュートラルにせよ、ただスローガンに踊らされているだけでは何も変わらないと思います。今年1月に日本財団が18歳に向けてアンケートを行ったところ、2050年カーボンニュートラルは実現すると答えた人は約14%、しないと答えた人が約35%、わからないと答えた人が約50%もいました。つまりやる必要はあるけれど達成できるとは思えない若者がほとんどで、これは一般の人たちにも当てはまると思います。例えばカーボンニュートラルに有効であるにもかかわらず、原子力について、すぐにゼロにするのか、それとも使いながら少しずつ減らしていくのか、など家庭で語られる機会は少ないと思います。
SDGsやカーボンニュートラルをどのように家庭内で実践していけば良いのかわからない人たちに向けて、2つのヒントを挙げてみます。一つは柳田國男、もう一つは江戸時代です。まず柳田國男ですが、明治初期の1875年に生まれ、東京帝大卒業後に農商務省に入り、日本の各地を歩いて回り、岩手県遠野地方に伝わる伝承などを記した『遠野物語』が最も有名ですが、彼が書いた『木綿以前の事』という本では、衣食住などの生活や歴史から日本人を洞察しています。「木綿以前」とはどういうことかというと、当時の着物は木綿が多かったのですが、それ以前の麻の着物の方が歴史が長く、木綿を使用するようになって埃が出るので、板敷きの上に直接お茶碗を置くわけにいかずに卓袱台を使うようになったと書かれており、つまり私たちの暮らしは、ずっと変化し続けているということです。
「次の時代の幸福なる新風潮のためには、やはり国民の心理に基づいて、別に新しい考え方をしてみねばならぬ。もっとわれわれに相応した生活のしかたが、まだ発見せられずに残っているように思っている者は私ばかりだろうか。」と柳田は書いています。また「人間に嫁だの姑だのというもののなかった時代から、または御隠居・若旦那などという国語の発生しなかったころから、すでに二つの生活趣味は両々相対立し、互いに相手を許さなかったのである。」と書かれているように、何事にも賛成と反対の意見が出るのは当たり前でしかもお互いに認めることはなかったのです。「要するにわれわれの生活方法は、昔も今も絶えず変わっていたもので、またわれわれの力で変えられぬものはほとんど一つもないと言ってよい。」という一文を見ると、変化を恐れることなく、昔のしきたりにとらわれずに、かといって外国のものをそのまま取り入れるのではなく、日本独自のやり方を模索していけばいいのではないかと思います。
次に、江戸時代のどこにヒントがあるのかというと、江戸時代はとにかくたくさんの職業がありました。中でも、着物は古着屋で仕立て直し、鍋、釜は「鋳掛屋」で修理し、欠けた瀬戸物は「焼き接ぎ」し、石臼の目が磨り減れば「目立て」をし、また使用済みの紙類を燃やして出た灰も「灰買い」が買い取り肥料や飼料にし、まさにリサイクルのお手本のような生活ぶりでした。しかし江戸時代の経済成長はわずか0.3%、賃金が倍になるのに200年もかかり、多くの庶民は貧しかったからこそリサイクルせざるを得なかったのです。寺子屋で使われていた算数の教科書が100年以上も繰り返し使われるなど、良くいえばものを大切にしながら幸せに暮らしてきたと言っても、今の私たちにこの時代の生活に戻る覚悟はあるでしょうか。
私たちは、物事のプラスとマイナスの両方を天秤にかけて冷静に考える必要があると思います。江戸時代をただ礼賛するのではなく、生活が貧しかったというマイナス面も考慮するように、SDGsやカーボンニュートラルにおいても、良い面と悪い面の一つひとつを天秤に載せて考えてみてください。そして何か一つくらいは我慢しなければならない、悪い面も引き受けなければならないという覚悟を持つようにしたらいいと思います。また、言葉を大切にすることも忘れてはならないと思います。今日前半では外国からの言葉をそのまま使ってお話しましたが、日本由来の言葉を用いて誰にでもわかるように丁寧に解釈することはできないでしょうか。例えば江戸時代に、ろうそくの溶けたろうを集めて、もう一度ろうそくに作り直していましたが、溶けたろうのことを「蝋涙(ろうるい)」と呼びます。美しい言葉ですよね。言葉のみならず、日本には他国にはない知恵を生かした伝統があります。例えば伊勢神宮の式年遷宮は20年に一度全てを取り壊して新しく作り替えます。20年ごとに行われるからこそ、若い世代が宮大工や装束を作る技術を体験しながら受け継ぐことができるのです。世界中が真似したくてもできないしきたりです。
他にもヒントになるのが、自分のいる環境や興味とかけ離れているような異分野に目を向けることだと思います。植物学の先生に「新種の植物をどのように発見するのですか」と聞いたところ、新種の植物は見た瞬間に何か違和感を感じるそうです。専門家はそれまでにたくさんの蓄積があるからこそ気づくわけですから、専門分野それぞれに無限に蓄積されてきた中から示唆を受けることが数多くあると思っています。
SDGsやカーボンニュートラルに私たちがどう取り組むかは、できることを、できる人が、できる分だけやればいいのだと思います。小さなことでもいいのです。例えば家庭の生ゴミの水分を絞ってから捨てると、ごみ焼却場で使われるエネルギー量が少なくて済むそうです。ほんの少しだけ角度を変えると、ものの見え方が違ってきます。そしてもうひとつ。壁にぶち当たった時に私が参考にしているのは、今年7月に亡くなられたノーベル物理学賞受賞の益川敏英さんから伺ったお話です。先生は研究に行き詰まったら、箱の中にそれまで調べたことを全部入れて棚に上げてしまうとおっしゃったのです。この箱は翌日自分が開けるかもしれないし、100年後に誰かが開けるかもしれない、研究は人類のためだと考えて科学者の仕事は箱に入れるまでと中断する勇気を持たなくてはいけない、とおっしゃっていました。だから私たちも今すぐには役に立たないけれど、考えたプランを一度箱に入れて置くことをためらってはならないと思います。一方で、SDGsやカーボンニュートラルの問題解決には、些細なことでもまず一歩から行動を起こすことも必要なのではないかと考えています。