新型コロナ感染拡大で、ステイホームなどの行動制限により、私たちの健康はコロナとは別の意味で大きな影響を受けています。がん検診受診率の低下が引き起こすコロナ以上に危惧される将来について、また放射線による最新のがん治療についてなど、中川恵一氏(東京大学医学部附属病院放射線科 総合放射線腫瘍学講座 特任教授)にお話を伺いました。
最近では新規感染者数が少なくなったとはいえ、まだ多くの皆さんは新型コロナ感染を心配していると思います。しかし今後は、コロナの影響でそれ以上に心配な事態になります。というのも現在がんの検査数が極端に減っており、将来はがんが進行してから、あるいは末期になってからやっと発見され、死亡数も増えるからです。日本人の死因の変遷を見ると、戦中、戦後は結核が一番多かったのですが、戦後、日本は豊かになって肉類の摂取により栄養状態が良くなり、結核患者は減りました。その代わり高度成長期には、脂肪摂取量が増えたことによりコレステロールが血管を詰まらせ脳卒中になる人が増えました。その後、様々な病気は克服されてきましたが、がんだけは右肩上がりに増え、今では日本人男性の65%、女性は50%ががんになっています。男性が多いのは喫煙や過度の飲酒といった生活習慣が主な原因です。
がんは細胞の老化が原因ですから、世界一高齢化社会の日本で世界一がんが多くなるのは当然です。ただ、20〜39歳までにがんになる人の8割が女性で、乳がんと子宮頸がんによるものです。乳がんは40代後半をピークに減少し、50歳を過ぎると更年期で閉経、卵巣機能がなくなり乳がんリスクは減っていきます。今は9人に1人が乳がんにかかる時代です。一方、ウイルス感染が原因の子宮頸がんが30代前半と若い年代に多いのは、性体験の若年化など性交渉が問題になっています。その後、加齢とともに大腸、胃、肺のがんが増加します。
がんは早期の発見が重要で、がんが上皮細胞内にとどまっているステージ0期の段階から、進行し悪化したステージⅣ期まで5段階に分類されます。例えば近年日本人に最も多い大腸がんの場合、ステージⅠで見つかれば5年後の生存率は95%以上ですが、ステージⅣになると16%にまで下がります。乳がんの場合には、自分で乳房に触ってしこりを発見することが多く、乳がん検診を定期的に受けている人の割合はとても低いです。2018年に私自身が膀胱にがんを見つけたのは、勤務している病院で自分で内蔵の超音波検査をしていた時です。症状は全くなかったので驚きましたが、すぐに泌尿器科の専門医に内視鏡検査を依頼した結果、がんが確認されたので、内視鏡手術を受け3泊4日の入院で退院できました。
日本におけるがんの部位別患者数では、衛生状態の悪かった時代はピロリ菌感染による胃がんが多かったのですが、現在は運動不足や肥満などが原因の欧米型の大腸がんが増加してます。しかもアメリカと比較すると、人口約1/3の日本で死亡者数はほぼ同数という多さです。その原因は何かといえば、がん対策が遅れているからです。がん検診を受ける人は、日本はアメリカの半分です。特別な検査が必要なのではなく、地域の役所から通知が届く、胃がん、肺がん、大腸がん、そして乳がんの検診でがん発見は十分できますし、大腸がんならば簡易な便潜血検査が陽性だった場合には、さらに精密な内視鏡検査を受ければいいのです。がん細胞はたった一つが自らをコピーして増殖し、1cm程度の大きさにならないと見つけることができません。多くの人の場合、その大きさになるまでに20年はかかります。早期がんは1〜2cmの大きさで、もちろん自覚症状は出ません。症状がはっきり現れた時にはすでにがん細胞が増殖して進行がんになっている可能性が高いため、定期的に検査するしかないのです。
乳がん、子宮頸がんの検診率が先進国で最低水準の日本では、そもそもヘルスリテラシー(健康についての情報を得て、理解し、さらに行動に移せる能力)が低く、ヨーロッパやアジア15カ国の中で最下位です。がんについては、例えば、がん家系だから心配だという人がいますが、ごく稀なケースを除き、遺伝ではなく後天的に何らかの理由で遺伝子が傷ついてがんになります。世論調査においても、がん予防のトップに挙げられたのは、食品の焦げた部分を食べないことでした。しかし大量に焦げを食べない限り、がんにはなりません。また放射線についても、100ミリシーベルト以下なら放射線によるがんになるリスクはないことがあまり知られていません。
原因も治療法もわからない難病が数多くある中で、がんは比較的コントロールしやすい病気です。喫煙しない、飲酒もほどほどにするなど生活習慣で予防し、がん検診を定期的に受診して早期発見すれば、罹患しても9割以上が治ります。それなのにこれまで日本では、教育の場でがんや放射線について全く教えてきませんでした。世界で唯一の被爆国であり、世界で最もがんが多いにもかかわらず、です。欧米では子どもの頃からがんについて学んでいるのに対し、日本はがん対策後進国と言えます。しかし2021年度からは学習指導要領に明記されるようになり、保健体育の教科書にはがんの章が設けられました。学んだ子どもたちは将来がんにかかる確率が低くなるでしょうし、これまで学ぶ機会がなく、がんの正確な知識を持たない親世代にも教えられようになるかもしれません。
新型コロナ感染で昨年11月からの1年間で亡くなった人は16,497人。一方、がんによる死者数は年間約36万人で桁外れに多いです。またコロナによる死亡年齢の平均は83歳で、ほぼ日本人の平均寿命であることがわかります。しかしこういった比較はあまりなされないまま、コロナ感染はがん対策に大きなダメージを3つ与えています。その1は、在宅勤務による生活習慣の悪化、その2は、がんの早期発見の遅れ、その3はがん治療への影響です。
その1について、海外の研究調査によると日本人が平日に座っている時間は7時間で、世界20カ国中、最も長いのです。しかもコロナで在宅勤務になり、ますます長く座り続け、肥満や糖尿病を招き、肝臓がんや膵臓がんの原因になります。30分ごとに立ち上がったり、あるいは腰掛けたまま貧乏ゆすりなどをして少し体を動かすようにしてください。その2については、2020年、がん検診はコロナ前と比べて3割以上減っており、また感染を避けるために病院にさえ行かなくなっています。そのためこれまでずっと右肩上がりだった国の医療費は大幅に減りました。しかし止むをえず風邪による咳かと思って医者にかかったら、偶然肺がんが見つかるような例もあります。大腸がんの場合には、コロナ流行前と流行後では、ステージⅢまで進行してから発見されるケースが6割以上も増加しているのです。
その3については、胃がんの場合、ある病院ではコロナ感染を心配して治療のための手術数が減少し、早期のステージⅠの手術数は50%も減少しています。一方、全般的に放射線治療は増加傾向にあります。がんの治療法は、手術、放射線治療、抗がん剤の三本柱ですが、一般的に手術を選択されることが多いです。しかし現在、最新の放射線治療では最大5mm程度の誤差で患部に照射できるようになっており、メリットとしては、手術で体を切らないから負担が少ないこと、一回の治療時間も短かく入院の必要がないので働きながら治療できること、費用も手術のおよそ半分で99%は健康保険が適用できることが挙げられます。
私はこれまでに150以上の学校でがんと放射線の授業をしてきましたが、日本放射線腫瘍学会として、学生を対象にがんの放射線治療を普及しようと考え、アニメ(https://www.jastro.or.jp/animation/)を制作しました。この中では、放射線の紹介から始まり、強い放射線ががん細胞に当たると、ほとんどのがん細胞が死に、生き残ったものも免疫細胞の攻撃でがんの塊が消えることがあることや、放射線治療の前にがんを色々な角度から正確に捉えて正常な細胞を傷つけずに照射でき、がんが治る確率が高くなって副作用も減ったことなどが紹介されています。コロナ禍で検診や治療が遅れ、また生活習慣の変化によっても、今後はがんが増え、亡くなる人も増えると思われます。ですから、皆さんががんに対するリテラシーを高め、定期的ながん検診や早めの治療をしてほしいと願っています。
東京大学医学部附属病院放射線科 総合放射線腫瘍学講座特任教授
専門は放射線医学。東京大学医学部附属病院放射線科准教授、東京大学医学部附属病院緩和ケア診療部長(兼任)を経て現職。がん対策推進協議会委員、がん対策推進企業アクション議長(厚生労働省)、がん教育検討委員会委員(文科省)を務める。さらに福島第一原子力発電所事故後は、一般の人への啓蒙活動も行う。『放射線医が語る 被ばくと発がんの真実』(ベスト新書)、『コロナとがん リスクが見えない日本人』(海竜社)、『養老先生、病院へ行く』(共著/エクスナレッジ)など、著書多数。