エネルギーの選択は、国の将来を左右すると言われています。今、海外ではどのようなエネルギー問題が起こっているのか、そしてこれまで日本ではどのようにエネルギー問題解決を試みてきたのか、今後はどのような選択をすべきなのか、オンライン配信で金田武司氏(株式会社ユニバーサルエネルギー研究所代表取締役社長)にお話を伺いました。
2021年の1、2月にかけてアメリカ・テキサス州にマイナス18°Cの寒波が襲来し、380万軒以上が停電しました。原因は州の電力の1/4を賄っていた風力発電のタービン凍結でした。しかも米国最大の石油・天然ガス採掘州であったため、電力供給ができなくなるとは想像もつきませんでしたが、テキサスはアメリカで唯一、独自の送電網を敷いており、非常事態でも他州から電力供給ができなかったのです。そして電力自由化後に電力卸売市場連動型の料金プランを選んでいる家庭には通常は電気料金が月約3万円なのに約180万円もの請求書が届きました。自由化料金の中には、市場と連動するものもあり、その場合は需要が増えれば価格が上がり、それしか選択肢がない場合には高い価格でも買うしかありません。
欧米では、新エネルギー・CO2 政策に基づくエネルギー政策の欠点を考慮せざるを得ない状況になっており、風力・太陽光発電を主力電源化するリスクが指摘され、かといって補完には化石燃料しかなく、その化石燃料が暴騰しています。特にヨーロッパでは自由化が進み、安い価格のものを選べる自由がある代わり、急に必要になっても高い価格の選択肢しかなくなります。
日本におけるエネルギー問題で注目されたのが、日本に向かっていた石油製品を積載したタンカーが2019年6月にホルムズ海峡で攻撃を受けた事件です。タンカー輸送にのみ頼っている日本のエネルギーは、ホルムズ海峡以外にも危険な海域を通っています。今問題視されているのは南シナ海で、諸国により軍事拠点が作られてきましたが、航行が禁止されたりミサイル配備で船への攻撃があれば、日本にとって国家存亡の危機になります。
また気候変動による巨大な台風やハリケーンの脅威は毎年のように報じられていますが、これまで日本では強風による台風被害があまり大きくありませんでした。2019年10月に関東を襲った台風19号は風速60mと、新幹線「のぞみ」の平均速度に匹敵する風速で、18年の台風21号では大阪で電柱が900本も倒れる被害がありました。またバハマやアメリカを襲ったハリケーン・ドリアンの風速は80mで、通過後の土地にはほとんど何も残っていないほどでした。こうした気候変動に対するエネルギー施設の防御策も真剣に考えなければならない時代になっています。
2022年3月現在、ヨーロッパの天然ガス価格は21年年初の6倍にも跳ね上がっています。ヨーロッパの中でも、ドイツが置かれている状況は非常に厳しく、これまではCO2削減を優先した脱石炭や、22年末までの脱原発完成を進めるために、再エネでほとんどの電源を賄う政策目標を決め、一方でロシアからの天然ガス輸入に頼ってきました。ところが、21年秋以降風が吹かず風力発電が発電しなくなり、ウクライナ侵攻でロシアからの天然ガス輸入もリスクが高まっています。ヨーロッパの他の国はロシアに依存していないためロシアに対して経済制裁ができるのに対し、ドイツはロシアとのエネルギーの結びつきが強い関係性からEUの中で孤立化しているのです。
日本のエネルギーは、歴史上どのように変化してきたのでしょうか。江戸時代末期に今の東京湾の入り口、浦賀水道にペリーが4隻の黒船で来航しました。アメリカは当時、ランプの灯火や機械を動かす潤滑油に鯨油を使用しており、捕鯨のため太平洋を往復する蒸気船を動かす石炭の積み込みを江戸幕府に要求しました。翌年には日米和親条約が締結され、日本も明治になると石炭のおかげで文明開化・富国強兵を押し進め近代化の道を歩みます。明治後半に電気を使い始め、大正時代には多くの水力発電所が建設されました。そして昭和に入ると石油を使い始め、太平洋戦争で資源を求めて南方へ進出、戦後はオイルショックを経験し、エネルギーが枯渇した戦時中の苦い経験から、今度は原子力を使うようになりました。そして今は原発が停止しているのでLNGが主流となっています。150年の間にメインに使っているエネルギーがこれほど変わった国は日本しかないと思います。特殊なエネルギー環境で日本の歴史が作られてきたことを皆さんには知っていてほしいです。
日本には豊富な石炭資源があり、また急峻な山や急流の河川があったから水力発電が開発できました。そして石油、天然ガスは、大きなタンカーが必要だったため日本の造船技術は世界最高になりました。その上、タンカーが寄港する良好な港に恵まれ、資源のみならず物資を海外から輸入することで日本は豊かになりました。しかし忘れてならないのは、エネルギー資源を手に入れるために、炭鉱の爆発事故や水力発電のダム建設事故により多くの命が失われたことです。また昭和の時代には世界中で石油の争奪のための戦争が起こり、何万人もの犠牲者が出ています。
ところで原油の価格はどのように決まるのでしょうか。1970年から2008年までの原油価格のグラフを見ると、価格が急激に上がっているのがオイルショックの時です。価格変動は需要と供給のバランスにもよりますが、需要がそれほど増えていなくともOPEC(石油輸出国機構)が供給量を搾れば価格は一気に上がります。
オイルショックの引き金となったのが、ニクソンによる「ドルショック」です。1971年、1ドル360円の固定為替レートと、ドルと金の兌換(金本位制)が廃止され、後者の理由はベトナム戦争による金と交換するドル不足でした。しかしドル札を印刷して増やせばドルの価値が下がるため、金の代わりに石油をドルの価値を保証する位置づけにし、ドルでしか石油を買えないルールを産油国へ押し付けました。産油国側は反発し、原油価格を4倍に引き上げた結果、石油の80%以上を中東から輸入していた日本ではトイレットペーパーなどの買い占めやガソリン不足で物価は急激に上がり、エネルギーの自給の必要性を痛感しました。一方のアメリカでは、中東依存を止めるために自国のエネルギー開発を進め現在のシェール革命に至っています。
2001年のアメリカ同時多発テロで、親米と思っていた産油国サウジアラビアがテロ首謀者ビンラディンと近い関係にあったことから、サウジとの関係に距離を置くため新たな石油輸入国として目をつけたのがイラクでした。大量破壊兵器保有という言いがかりをつけてアメリカはイラクに軍事介入し、フセイン大統領はもとより一般市民を多く殺害して親米政権を樹立しました。現在のウクライナに対するロシア同様の侵略と言えますし、日本も軍事費の一部を負担せざるを得ず、複雑な国際関係においてエネルギーがいかに重要なファクターになっているかがわかります。
日本はオイルショックの経験から自給率アップの必要性を学びましたが、その方策が、電気をなるべく大切に使う省エネ、原子力そして新エネルギーです。今では当たり前になった省エネですが、当時日本の電気製品や自動車の省エネ性能(燃費)が飛躍的に向上しました。そして原子力については、戦後の1953年、アメリカから濃縮ウラン提供、技術援助の申し出を受け、原子力の平和利用を目指します。ただし、無資源国であったため資源輸入を止められて資源獲得を目指し戦争に突入し、その結果、敗戦国となった日本には、戦後も選択肢がなかったという時代背景は忘れてはならない現実です。
また、東日本大震災以前は自給エネルギーの原子力発電所が稼働していたために、原油価格が高騰した時にも貿易赤字にならず、つまり原子力が経済安定化の機能を果たしていたことも事実です。ところが原発停止後は、原油やLNGの輸入増により貿易赤字が拡大しました。日本は、食料もエネルギーも自給率が低いですが、「日本国産」と書かれていても実はゼロから日本で生産しているわけではないことはあまり知られていません。例えばコロナ感染で判明したのが、マスク用ゴム紐・不織布はほぼ全て輸入して国内では加工するだけだったので輸入がなくなりマスク不足になったのです。
再エネなら自給しているエネルギーではないかと思われるでしょう。オイルショック後に日本ではNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)という組織を作り、日本の新エネルギー産業を育てようとしてきました。ところが今や、太陽光・風力等の新エネを開発してきたメーカーはほぼ撤退しています。太陽光発電の心臓部にあたるモジュールや風力発電を作っている会社は日本には一社もありません。日本の工業製品は、作られたものを最後に組み立て箱詰めしてシールを貼った国が日本ならば日本製になるという矛盾を抱えた仕組みで成り立っています。だから再エネを自給率にカウントしていいものなのか、私は疑問に思っているのです。
日本のエネルギー政策については、日本の特殊性をまず考える必要があります。島国で資源がなく、他の国とエネルギーインフラが一切つながっておらず、資源は海外から運ばれるタンカーのみが命綱です。電力網やガスパイプラインが張り巡らされている上で再エネを主力電源にしようとするヨーロッパの国々を日本は真似はできません。また現在のウクライナ情勢も大いに参考になります。ウクライナ国境近くにロシア軍が集結し始めたのは、ヨーロッパで風が吹かなくなり風力発電が伸びず天然ガス価格が高騰した時期と一致します。天然ガスの4割もロシアに依存してきたヨーロッパにとって、ロシアからの供給が途絶えたらどうなるのか、エネルギー状況をよく把握した上でロシアは強気の行動に出たのです。欧米では経済制裁のためにサハリン沖の石油・天然ガス開発から撤退していますが、日本は撤退すべきではないと思います。国民の税金をかけて長年構築してきたエネルギー事業から撤退すれば、その代わり全てを中国が奪っていくのですから、日本はエネルギー調達の選択肢を手放してはいけないのです。
また日本では、第二次オイルショックの時に税収が上がらず初めて国債を発行して以来、発行残高1,087兆円と巨額の借金を抱えていますが、貿易収支においても2011年以降、発電用燃料の輸入増加により赤字になりました。そして将来の世界に目を向けると、電気が不足すれば食糧危機を引き起こすと予測されています。なぜかというと、自然界にある肥料だけでは地球の人口に十分な農産物が生産されないために19世紀末に合成肥料が発明されましたが、合成肥料を作るためには莫大な電力が必要だからです。
日本は世界各国から、CO2削減のために石炭火力発電の廃絶を求められており、また原子力発電は停止が続いています。そして再エネのように国内で産業が衰退したエネルギーにも頼れないとしたら、長期間の貯蔵が不可能で需給バランスによって価格が暴騰する天然ガスに依存し続けるしかないのでしょうか。これまで日本の特殊性を考慮しながら歩んできたエネルギーの歴史を振り返り、エネルギーの安全確保と脱炭素を両立できる自由度を残したエネルギー政策を設定すれば、自給率も上がり経済発展も望めるのではないかと私は考えています。
株式会社ユニバーサルエネルギー研究所代表取締役社長
1962年、東京生まれ。85年、慶應義塾大学理工学部機械工学科卒業。90年、東京工業大学大学院エネルギー科学専攻博士課程修了(工学博士)。同年、(株)三菱総合研究所に入社。同研究所エネルギー技術研究部次世代エネルギー事業推進室長を経て、2004年より現職。東京工業大学大学院、東京大学大学院、立命館大学大学院、芝浦工業大学非常勤講師、新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)技術委員、八戸市地域再生政策顧問、世界エネルギー会議(WEC)など歴任。ニュース番組にてコメンテーター、YouTube出演など多数。