国のエネルギー政策は、国会や省庁によって討議され決定されていますが、私たちの意見が反映される機会はないのでしょうか。特に、福島第一原子力発電所の事故後、大きな課題になっている原子力について、どのような方法を選べば正しい意思決定ができるのかについて、松井亮太氏(山梨県立大学国際政策学部専任講師)にお話を伺いました。
意思決定とは複数の選択肢から1つを選ぶことで、世の中すべての活動の基礎となり、エネルギー政策や、あるいはコロナ対策においても重要になっています。そしてどのように意思決定をするか人間の心理に着目しながら研究するのが行動科学です。皆さんは、原子力政策の意思決定では民意(国民の声)を聴くべきと思いますか。会場では民意を聴いた方が良いと思われる方が多いようですね。ではどのように民意を聴いたらいいのかというと、主な方法は4つあります。1. パブリックコメント、2. 意見聴取会(公開討論)、3. 世論調査(国民投票)、4. 討議デモクラシーです。
1.パブリックコメントは、重要な政策や法律などを決める前にドラフト案を公表し、国民や専門家から広く意見を募集して、出されたコメントを反映します。2018年のエネルギー基本計画が確定する前に、経産省は広く国民からの意見をインターネットなどで集めましたが、一般市民が限られた情報の中で正しく判断するのは容易ではなく、議論する機会も十分ではありませんでした。たくさんの意見が集まったとはいえ、経産省は結局、傾向など分析することなく参考資料にまとめただけで、意見の政策反映は別問題でした。2. 意見聴取会(公開討論)は、各地で国民の意見を直接聴く方法です。一例として2020年4月以降に経産省が福島第一原子力発電所のALPS処理水(トリチウム水)に関する意見を聴く会を各地で開催したところ、意見表明者には偏りがあり、国民を代表しているとは必ずしも言えない状況でした。3. 国民投票や世論調査の代表的な例では、2016年のイギリスにおけるEU離脱の国民投票があります。民意を直接聴けるため一見良さそうに思えますが、離脱賛成に投票した人の中には、離脱のデメリットをよく理解しないまま投票して後悔した人も多くいました。さらに19年、EU離脱が争点になった総選挙で保守党が圧勝したものの、やはり説明が十分だったとは言えず国民の中には不満が残りました。この背景には、投票1票の影響力がとても小さいという問題があります。そのため、多くの人がよく調べず考えもせずに投票してしまうことはある程度避けられません。わずかな影響力しかないなら学習する時間をかけない、つまりコストに見合わない行動をしないのは、経済学的にも理にかなっており、「合理的無知」と呼ばれます。
以上3つの方法にはどれもデメリットがある中で、最近注目されているのが、4. 討議デモクラシーです。デモクラシー(民主主義)については、「アラブの春」などの民主化運動は望ましいと広く受け止められたものの、一方で代議制民主主義が進んでいるアメリカやヨーロッパ諸国などでは、政治や政治家に対する信頼感が失われ民主主義に対する幻滅が見られます。そこで国民が自分たちで意思表明する新しい方法として討議デモクラシーへの期待が高まりつつあるのです。
討議デモクラシーの1つ、討論型世論調査(Deliberative Poll 以後DP)が2017年に韓国で行われました。同年5月に大統領選で当選した文在寅氏は、選挙公約で「脱原発」と、当時建設中だった「新古里原発5、6号機建設中止」を表明していました。しかし後者はすでに30%も工事が進捗しており、中止すれば23億ドル(約2,300億円)の損失になるため、6月に入り「建設中止するかどうかは社会的コンセンサスを求め、どんな結果であれ従う」と表明しました。
韓国で行われたDPの方法は、有権者約4,000万人の中から「無作為」かつ「偏りなく」代表者を選ぶために電話調査で広く意見を求めた後、DP参加者約500人(討議集団)を選び、エネルギー政策や原子力発電などついて事前に資料を送って学習してもらいました。その後、2泊3日かけて大きな会場に集まりグループに分かれて討論し、最終的に投票してもらいました。性別、年齢、賛成・反対などの属性が有権者と等しくなるよう選ばれた一般市民の代表者たちが慎重に考え討論して出した結果は、統計学的には有権者4,000万人が同様のプロセスを経て出す結果とほぼ等しいと見なすことが可能です。
電話を用いた第一次調査では、新古里原発5、6号機建設賛成が約37%でした。その後、約500人の討議集団が学習と討論を行った結果、賛成の比率が増加し、最終的に6割近くになりました。逆に、もう1つの論点である将来の原発政策については、第一次調査では減らすべきと答えた人が約39%だったのが徐々に増加し、最終的に約53%と過半数になりました。この結果を踏まえて文大統領は、新古里原発5、6号機については選挙公約から一変して建設継続、また将来の原発政策については選挙公約どおりに脱原発政策を表明し、エネルギー政策に反映されました。しかし、今年3月に行われた次期大統領選で当選した尹錫悦(ユン・ソクヨル)氏は、選挙戦で「原子力最強国の建設」(増設の再開や40年超運転など)を掲げており、今後、方向性が大きく変わる可能性も考えられます。
日本でも2012年の民主党政権時にDPが実施されましたが、韓国のDPと比較すると、韓国では参加者募集のための電話調査で携帯電話が9割だったのに対し、日本では固定電話のみでした。その結果、日本のDP参加者は60歳以上の男性に偏り代表性に問題があるなど、大きな違いがありました。その後、日本でエネルギー政策に関する大規模なDPは行われていません。
国の重要な政策などの意思決定をする場合、一般市民の集まり(=群衆)に委ねることで正しい決定ができるのだろうかと考えがちなのが、エリート層の人たちだと思います。しかし、一般市民の集団は私たちが思っている以上に賢いことが研究で明らかになっており、群衆の英知(Wisdom of Crowds)と呼ばれる現象が知られています。例えば数量予測の社会実験などでは、一般市民や学生などから構成される集団は、かなり正確に予測できることが示されています。もちろん集団が間違う場合もあります。ただし、次の4つの条件、1. メンバーが判断するために必要十分な情報と適正(意欲など)を持つこと、2. メンバー個々人の意見が多様であること、3. 他者の影響を受けずに判断できること、4. 個々人の意見を集約できる仕組みがあること、を満たす場合には、群衆の英知が成立しやすいと考えられています。DPをうまく設計すれば、これらの4条件は概ね満たされると思います。
私たちの意思決定は、選択肢の見せ方によって大きく変わります。一例として、ヨーロッパ諸国の臓器移植同意率の比較を挙げると、ドイツ、イギリスなどは20%以下と低いのに対して、フランス、オーストリアなどは100%近くに上ります。国によって大きく異なる理由は、前者は同意の取り方がオプトイン方式(opt-in)「あなたが死後に臓器の移植を希望する場合、チェックを入れてください」、後者はオプトアウト方式(opt-out)「あなたが死後に臓器の移植を希望しない場合、チェックを入れてください」つまりチェックしなかった場合は同意と見なしているからです。このように選択の方式によって意思決定が大きく変わるため、人々がより望ましい行動を自発的に選択するよう誘導するのが、行動経済学などで使われているナッジNudge(=ひじで軽く突く)です。
これをエネルギー問題に応用して考えてみましょう。現状、電気料金プランにおいてはCO2を出さないゼロエミッション電源はオプトインとなっており一部の人しか選択していないため、ゼロエミッション電源のニーズがそれほど高くなく、結果的に原子力の必要性があまり認識されていません。そこでナッジにより、ゼロエミッション電源をオプトアウト化(デフォルト化)すると、ゼロエミッション電源のニーズが急拡大し、結果として原子力の必要性が今よりも認識されることにつながるかもしれません。
人間は、同じだけの確率変化でも、確実性が得られる場合は価値が高いと感じ、逆に不確実なものに対しては価値が低いと感じます。また不確実性の一部だけでも確実だと感じると、その価値が高いと感じます(疑似確実性効果)。福島第一原子力発電所の事故以降、絶対安全という説明はできなくなり、安全性向上を確率で説明していますが、例えば「10mの津波が襲っても電源喪失にはなりません」のように部分的に絶対安全であることを具体的に説明した方が効果的かもしれません。ただし、これは原子力発電所の安全性を実際以上にアピールするためのものではなく、「どこまで確実に安全になったのか」を一般市民に正しく理解してもらうための方法です。
行動経済学の代表的理論とも言うべきプロスペクト理論によれば、人間は極端に損失を避けようとする傾向「損失回避性」があるとされています。人間の意思決定は、客観的な確率で判断するのではなく、感情や認知の歪み(バイアス)によって、合理的に意思決定できない場合も少なくありません。
原子力発電の利用については、福島の事故を経験した日本人は特に、事故時の深刻な放射能汚染や風評被害などがイメージしやすいのに対して、脱原発によるCO2排出量の増加、エネルギーセキュリティ低下、燃料コストの増加といった損失はイメージしにくいと思います。
脱原発に伴う損失の1つ、燃料コストの増加について、現在、原発停止によるエネルギー資源の追加購入費として、1日あたり約35億円が海外に流失しています。しかし私たちは、この損失を電力会社や日本政府の損失のように受け止めており、実際は電気料金を払っている私たち自身の損失であることにあまり気付いていないように思います。また、億や兆といった莫大な金額の損失は実感しづらいと思いますので、日本全体で1日35億円の損失であることを訴えるよりも、1人あたり1年で約1.3万円の損失と言い換えた方が、損失を実感しやすいのではないでしょうか。
原子力発電に賛成であれ反対であれ、「原子力に対するバイアスの低減は、より良い政策意思決定に役立つ」という意味で、私はナッジと呼ぶことも可能と考えていますが、ナッジという用語の使い方には慎重になる必要があるでしょう。また、原子力をナッジする上で気をつけなければいけない点があります。倫理的側面や国民の受け止め方など十分に検討し配慮した上で、社会に対して説明責任を果たすことは不可欠です。そして、ナッジを用いて国民をコントロールしようとしないことは最も大切です。
原発利用と脱原発政策の両方の損失を見えやすくした上で、最終的には事実を正しく理解した国民に判断してもらうのが良いと私は考えています。人間は無意識のバイアスによって意思決定を失敗することが少なくありませんが、人々のバイアスを取り除くために事業者や研究者らが取り組むべきことがまだ残されていると思います。
山梨県立大学国際政策学部専任講師
東京理科大学理学部物理学科卒業。京都大学大学院エネルギー科学研究科エネルギー基礎科学専攻博士前期課程修了。首都大学東京(現・東京都立大学)大学院社会科学研究科経営学専攻博士前期課程修了(MBA)、東京都立大学大学院社会科学研究科経営学専攻博士後期課程修了(博士(経営学))。専門は意思決定。国内電力会社およびシンクタンクを経て2020年9月より現職。