特集

エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

浦賀・観音崎地域見学レポート
浦賀の黒船から始まった日本のエネルギー史をたどる
 

ペリー率いる黒船の来航により日本は石炭というエネルギーを知り、製鉄・造船・蒸気機関車・石炭火力発電…と、近代国家へ急速に向かいました。今回ETTメンバーは2019年10月31日〜11月1日の2日間にわたり、日本のエネルギー史上、昔も今も重要な拠点である浦賀・観音崎地域を巡り、黒船来航が日本に何をもたらしたかをさまざまな観点から興味深く学びました。

なぜペリーは浦賀を選んだのか

秋晴れの1日目、新横浜駅に集合したETTメンバーはバスで見学地へと出発しました。車中で神津カンナ氏(ETT代表)より、「高度成長期、東京湾岸に火力発電所が多くつくられましたが、現在そのほとんどがLNG(液化天然ガス)に転換されています。今日見学する横須賀火力発電所はリプレース中ですが、なぜリプレースに際し、同じ火力でも環境負荷の低い天然ガスではなく、石炭を燃料として選んだのか『地政学』の観点からも見てください」と挨拶がありました。次に、今回の行程をETT事務局と考案してくださった金田武司氏(株式会社ユニバーサルエネルギー研究所 代表取締役社長)より、「1853年に黒船を見て驚いて以来、わずか50年で石炭船、戦艦三笠により世界を驚かせるまでになりました。なぜペリーは浦賀に来たのか、それは江戸湾の入口、昔も今も日本の首根っこだからです。今回はその重要な地域を歴史の流れに沿って見学できるので楽しみにしてください」と説明がありました。


■浦賀・観音崎地域見学ルート


ペリー公園で下車し、「ペリー上陸記念碑」と、ペリー来航に関する歴史的資料や模型などが展示された「ペリー記念館」を見学した後は、横須賀市観光ボランティアガイド(よこすかシティガイド協会)の方がバスに同乗し、浦賀の歴史について説明を受けました。江戸時代、関西方面で綿作に使う鰯を干して肥料とした干鰯(ほしか)を求め多くの漁船が関東に来るようになり、東浦賀では干鰯問屋が隆盛を極めました。江戸への出入り船は全て浦賀奉行所で船改めを行っていましたが1853年(嘉永6年)、ペリー率いる4隻の黒船が浦賀に現れたのです。車窓からその「浦賀奉行所跡」や、黒船に最初に乗り込んだ日本人で、軍艦の建造を幕府に進言した浦賀奉行所与力、中島三郎助の招魂碑が見えました。 バスを降りて見学した「浦賀コミュニティセンター分館(郷土資料館)」では、浦賀奉行所やペリー艦隊の模型、中島三郎助の資料などが展示され、車内での事前説明のおかげで理解度も深まりました。外に出て、目の前の「浦賀ドック」(長さ148m、深さ11m)を眺めながら、再び説明を伺いました。ここは住友重機機械工業株式会社浦賀工場内に1899年(明治32年)に建造された民間のドックで、2003年に閉鎖されるまで、青函連絡船など約1,000隻もの船がつくられたそうです。浦賀の発展を牽引してきた貴重な近代産業資産で、全国で2カ所、世界でも4カ所しかないレンガづくりの一つということです。その後バスで走ること約20分、株式会社JERA(ジェラ)「横須賀火力発電所」へと移動しました。

なぜ石炭を選ぶのか、リプレースが進む「横須賀火力発電所」

発電所の方4名が同乗し、海に面した約80万m2もの広大な構内に入りました。8月にリプレース工事を開始して以来、見学バスが入るのは初めてとのことです。説明によると、ここは元々、軍港をつくる計画があった久里浜港の埋立地で、1960年に1号機が石炭火力による営業運転を開始し、8号機が営業運転を開始した1970年には総出力263万kW、当時世界最大の火力発電所となりました。設備劣化のため2017年に全号機廃止。現在は、東京電力と中部電力の主に火力発電部門を事業統合して設立されたJERAが主体となり、リプレース計画が進められています。本格着工は1号機(65万 kW)が2019年8月、2号機(65万 kW)は2020年4月で、4〜5年後の運転開始を目指しています。最新式で高効率のボイラー式発電機USC(超々臨界圧)を採用し、CO2排出量を3割削減できるそうです。

車窓から見ると、1〜4号機の古い設備を撤去した後に新たなタービン建屋をつくる工事の真っ最中でした。海の近く、護岸を見ながら石炭粉じん対策の説明を伺いました。リプレース後は、密閉型の石炭船から密閉型のコンベヤで屋内貯炭場へと、石炭を一度も外に出さずに運んだり、使った灰を払い出したりできるのだそうです。新しい煙突の基礎工事も行われていました。杭を打つ際も、騒音を出さない方式で近隣に配慮しているとのことです。リプレース後には工事の残土をかさ上げし、房総半島が見渡せるような緑地を整備する予定です。さらにイベントなどを開催できるグラウンドもつくり、一般の方々に開放し、利用してもらうとのことでした。

バスから降りて辺りを見渡すと、約80万m2の広大さに圧倒され、目の前には浦賀水道の美しい景色が広がっていました。また、180m級の3本あった古い煙突のうち残りの1本が上から解体され、120mの高さになっていました。「大きい発電所でしたが、今はこの煙突のみになりました」との言葉通り、古い設備が全て取り払われた構内に、モニュメントのように残っていた煙突が印象的でした。事務所で、資料を見ながら改めて詳細な説明を受けました。JERAは燃料の開発、調達、受入・貯蔵、発電、電力・ガス販売までを行う会社です。国内発電は26火力発電所(建設中含む)で6,700万kW(2019年4月)、受入のLNGタンク容量774万㎘、LNGタンク基地数8カ所、LNG輸送船団18隻を所有しています。それなのになぜ、リプレース後もLNGに変えずに石炭を選択するのでしょうか。東京湾内の各火力発電所は、東京電力の東西連係ガス導管により、京葉側と京浜側のLNG基地を連係してLNGを供給されていますが、横須賀火力発電所だけは地理的に離れているため連係できません。既存ガス基地から受け入れるためには対岸の富津火力から海底トンネルを掘るなど極めて大きな工事が必要になります。また、護岸の水深が10m前後しかないため、新たにガス基地をつくるにしても、LNG船を受け入れることができません。そのため、大規模な土地改変や海域工事をせず、護岸など既存設備を最大限活用できる石炭を選択し、以前より排ガスなどを低減できる設備で出力も約6割に抑え、環境負荷低減を目指します。


■東京湾岸の火力発電所


エネルギーバランスを考える上で、一定の石炭火力は必要と見なされ、エネルギー基本計画においても石炭は26%の割合を占めています。JERAグループでは、石炭火力・LNG火力をセットで開発するなどして、2030年度の省エネベンチマーク指標を達成する見通しです。2011年東日本大震災時には供給力不足に対応するため、停止していた3,4号機も再開させたと伺いました。横須賀火力発電所は首都圏西部への電力供給を支える拠点であり、送電線も整備されています。最後の質疑応答ではメンバーから石炭火力に関する質問が多く出て、関心の高さを伺わせました。

昔も今も海防の要、横須賀港の重要性を知る

夕方、宿泊先の観音崎京急ホテルに到着後、金田武司氏を講師に「黒船の来航は日本に何をもたらしたか〜横須賀からエネルギーを考える〜」と題した講義が行われました。1853年、黒船の来航により、動力源としての石炭の強力さを知った日本は、「船を制する者が国を制す」と大型船をつくる技術を導入し、製鉄所と造船所を建設しました。1871年には新橋 - 横浜間に蒸気機関車を走らせ、1887年には日本橋茅場町に日本初の石炭火力発電所を誕生させ、1905年には石炭動力による戦艦三笠が、当時世界最強とされたロシアのバルチック艦隊に勝利し、世界を驚かせました。黒船で石炭の脅威を知ってわずか50年で、石炭が船を、国を、歴史を変えたのです。「先人の知恵と勇気を称えたいと思います」との金田氏の言葉に、メンバーも深くうなずきました。 さらに、翌日見学する横須賀基地の重要性についても語られました。太平洋に開け、首都に近い横須賀は、首都圏から中京圏まで人口の約半分のエリアを警備する拠点です。隣には原子力空母ロナルド・レーガンなどを主力とするアメリカ軍の第7艦隊も配備されています。アメリカ海軍の中では最大の兵力6万人の動員能力を持ち、地球の約半分を活動範囲としており、西太平洋・アジアにおいて横須賀がいかに重要な港であるかを示しています。最後にメンバーから「とてもおもしろかった!三笠の話を伺って、明日の見学が楽しみになりました」など、好評のうちに講義は終わりました。

浦賀水道は1日約500隻が航行する世界有数の海上交通過密地域で、貨物船やタンカーなど、日本の経済を支える大動脈となっています。翌朝、メンバーはホテルの部屋に設置されていた双眼鏡から、窓の外をひっきりなしに通るLNG船などを眺めることができました。ホテルを出発し、灯台や砲台のある「観音崎公園」を自由散策後、「海上自衛隊 横須賀地方隊」を訪れ、特別に護衛艦「いかづち」を見学させていただきました。当日は11月1日、自衛隊記念日ということで、船首から船尾まで旗を連ねる華やかな満艦飾が施されていました。甲板に立つと、全長151m×全幅17.4m(基準排水量4,550トン)という船の大きさにまず驚かされます。 隣にはアメリカ軍の潜水艦も見えました。上甲板で大きな20mm機関砲や76mm速射砲などを見た後で中に入り、操舵室や機関科でそれぞれ説明を伺いました。「いかづち」は航空機のエンジンを船用に転換した4基でスクリューを回し、速力は約30ノット(時速約55km)とのことです。艦長と指揮官の椅子のそばには、横須賀の海図や双眼鏡が置かれ、レーダー付きの地図を監視している隊員もいましたが、ここ横須賀の海を監視するだけでなく、遠くはソマリア沖の海賊に対する民間船警護のため半年間出航していたと伺いました。再び甲板に上がり、搭載ヘリコプターが2機入る格納庫を見学させていただき、船を後にしました。

最後は三笠公園にある世界三大記念艦「三笠」の艦内を見学しました。1902年(明治35年)にイギリスで建造され、日露戦争ではバルチック艦隊を迎え撃ち大勝利を収めた、現存する世界最古の鋼鉄戦艦です。メンバーは大砲が設置された上甲板や、艦長公室など当時の面影を残した中甲板を歩きながらその歴史に思いを馳せ、浦賀の黒船から始まったエネルギー史をたどる見学会を終えました。浦賀・観音崎地域の重要性や、これからの日本のエネルギーについて、さまざまな観点から楽しく学べた2日間となりました。

ページトップへ