特集

エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

東北地方メンバー懇談会
東北地方に暮らすメンバーたちと考えるエネルギー

ETTでは2020年に迎えた設立30年を機に、神津カンナ代表が各地域を訪問し、メンバーの皆さまとともに地域のエネルギーの歴史や課題などを議論・意見交換する懇談会を実施しています。2021年12月9日、第6回目となる東北地方メンバー懇談会を開催しました。





五十嵐有美子氏(福島県郡山市在住)(株)ティ・アール建築アトリエ/一級建築士
田中 正之氏(宮城県仙台市在住) 東北大学理学部名誉教授
林 久美子氏(福島県いわき市在住)社会福祉法人友愛会元理事長/富岡町婦人会元会長

山田 叶子氏(福島県いわき市在住)福島県立富岡養護学校後援会元会長/
                  富岡町元町長夫人

和田 英子氏(宮城県仙台市在住) 消費生活専門相談員

原子力発電所を誘致したからには事故処理も見届けたい

神津 本日は遠い所の方も仙台にお集まりいただきありがとうございます。まずは自己紹介からお願いできますか。

 私は以前、東京電力福島第一原子力発電所および福島第二原子力発電所の設置地区に住んでいたことから、全国地域婦人団体連絡協議会副会長(福島県人)の山本先生から「あなたはETTに入る必要がある」と推薦を受け、2003年に入会いたしました。その頃は原子力発電に勢いがあり、ETTでも原子力の研究発表が多かったので私は大変勉強になりました。私は一介の主婦ですが、ETTに入っていろいろなことを見聞きし、「国の技術発展を進めて行く上ではエネルギーに心を寄せて考えていかなければならない」と思い、原子力発電所の重要性を信じてきました。

山田 ETTには林元会長のお誘いを受け、2007年に入れていただきました。東日本大震災(以下、震災)前、福島第一原子力発電所、第二原子力発電所のどの所長さんが赴任して来られても「絶対大丈夫です、安全です」と力強く話され、町民は「事故などあり得ない」と思って過ごしていました。ETTの活動では原子力発電所見学会など、いろいろな所を見学させていただきました。「エネルギーは日本の根幹であって、エネルギーがなければ進歩も文化もない」という思いはありますので、今後も活動を続けていければと思っております。

五十嵐 出身は東京で、生まれは神楽坂です。福島県には結婚を機に移り、今は郡山市で夫と二人でつくった設計事務所を6人程でやっています。ETTには設立の2年後、県の推薦で入会しました。その頃は原子力の勢いがすごくて、大きなシンポジウムがあちこちで何回も開催されていました。その後ブランクがあり、7年位前からまじめに参加しています。世界の中での日本の位置付けなど世の中のいろいろなことがわかるようになり、「ぼーっとしていたらダメだな」と学習意欲が湧いて、今では勉強会がとても楽しみになっています。

和田 県の消費生活専門相談員をしていた時、消費者団体会長の桜田さんがETTのメンバーだったことから「勉強のために入ってみないか」とお誘いを受け、原子力発電のしくみなど少しずつ勉強してきました。今は仙台市の成年後見総合センターに移り、高齢者、障がい者の方と接する機会が多く、支援をしていくたびに「高齢者や障がい者の方にとって電気がなくては生活がスムーズに安全にできないのでは」とつくづく感じています。2022年度には東北電力女川原子力発電所が再稼働しますが、仙台では週末になると繁華街で反対運動をやっています。「そういう様子を見ると二の足を踏む」とおっしゃる方もいますが、私は勉強を続けてこれから先のことを考えたいと思っております。

田中 ETTには1990年の発足時から入れていただいて若い時には見学にも行き、講演もさせていただきました.現役の頃は温室効果ガス、特に二酸化炭素の増加傾向の観測や二酸化炭素の温室効果特性の研究をしていました。二酸化炭素は、人間活動や光合成などの自然現象に伴って変動するので、測る場所により異なる結果が得られて、広域を代表する結果を得るには測定場所を十分に吟味しなければなりません。そこで、代表性の高い沖縄は本部のアクアポリスや航空機を駆使した観測を続けました。二酸化炭素などの温室効果気体が増加すると、地球が温暖化することに疑いの余地はありませんが、いつどこで気候状態はどう変わるのかという肝心な点についての理論的予測は、現状ではまだ不可能であると言っても過言ではありません。地球はこの46億年の間に、人間活動による温暖化を遙かに凌ぐ大振幅の気候変動に見舞われています。この自然現象としての気候変動は現在も進行中ですので、観測される温暖化現象のどれだけが自然現象に起因し、どれだけが人間活動に起因するかを見極めることも大きな課題です。異常気象の頻発など、異変が起こって初めて、温暖化の影響だろうと推理するのが現状です。実際には今後何が起こるかわかりませんが、細心の備えをしつつ、基礎研究に注力することが必須であると考えています。

神津 皆さまには震災後もずっとETTとつながってくださってありがたいと思っています。特に、震災前は富岡にいらした林さんや山田さんもメンバーであり続けてくださっていることにとても感謝しています。それにはどのような理由があるのか、あるいは今考えていらっしゃることはどういうことかをお伺いしたいのですが。

 原子力の事故の前は「原子力がなければ日本は立ち行かない」と思っていたのですが、そうではないことに気がつきました。電気をつくるにはいろいろな方法があるとわかったからです。あと、私たち立地住民は原子力発電所ができる時からの歴史を知っています。働いていたわけではありませんが、山田さんはご家族二代で原子力発電所を見てこられました。ですから私たちは「これから何十年かかるかわからない事故処理の状況もしっかり見ていかなければならないのではないか」と考えています。

山田 震災で一切を失ってしまったので記録はなく、私の記憶だけなので、数字が間違っているかもしれませんのでご容赦ください。戦後、原子力発電を安全に使おうという法律ができて、福島県でも建設用地を探しました。東京電力福島第一原子力発電所の立地となった大熊町の用地は戦争中、戦闘機の飛行場として使われていました。その後その土地の大部分は西武の堤康次郎氏が所有され、小屋を建てて反対する人もいましたが、国は容易に1F*がつくれたのです。大熊町は3,000〜4,000人の町でしたが、どんどん人口が増えました。続いて2F**もと声がかかり富岡町と楢葉町が立地候補に上がり、昭和42年に議会を通りました。当時舅が富岡町の首長だったので、家に賛成派と反対派の人が交互に昼夜にわたり陳情に来ました。しかしまさか震災での津波によって電源が消失し水素爆発するとは思っておりませんでした。ETTで女川原子力発電所を見学した際、「敷地の高さを14.8mまで上げていたから助かった。なぜ福島は…」と聞いた時には心が痛みました。富岡町は昭和31年に全国初の財政再建団体となり、原子力発電所を受け入れた経緯があるので、地方の町村のありかたをじっくりと考えなければならないと今は思っております。
*1F(いちエフ):東京電力福島第一原子力発電所
**2F(にエフ):東京電力福島第二原子力発電所

神津 非常に重い話で胸が痛みます。

 富岡町は町の発展を望んで原子力発電所を誘致したわけで、町民はそれなりに恩恵を受けたのです。原子力発電所ができる前はどこの家でもお父さんが出稼ぎに行き、私の時代では約180人いた中学の同級生のうち15人位しか高等学校に行けず、大学に行ったのは3人だけでした。約40年前、原子力発電所が建設され誰もが大学に行けるようになり、家族が1台ずつ自家用車を持つ生活ができたことをすっかり忘れているのではないかとも思います。

震災後は核家族化し、世帯は増えたが人口は減った

神津 五十嵐さんは東京出身ですが、建築設計の事務所を経営されている立場で、日本のエネルギー全般の状況をどう感じていらっしゃいますか?

五十嵐 私の事務所では地域住宅計画にも関わっていました。福島県は北海道、岩手県の次に日本で3番目に国土が広く、宮城県は16番目です。福島県と宮城県の人口は同じ200万人位ですが、福島県は多極分散型のため4市(いわき、福島、郡山、会津)で100万人、宮城県は仙台市だけで100万人というように都市構成が全然違います。県内に分散した各市は気候風土が異なるため、建物のつくりかたも違うといった地域性があります。東のいわき市は海風があるから瓦屋根で、塩害に強い材料を使います。西の会津地方は雪対策で瓦は使えず、金属屋根で高床にします。真ん中の郡山市などは寒いので断熱をしっかりするといったように特徴を活かしていましたが、震災後は耐震と省エネが叫ばれ、省エネ計算に基づいて住宅を建てるようになったので地域性が薄まった感じがします。また、いわき市は暖かくて住みやすく多世代住宅が多かったのですが、震災後の避難でお年寄りは仮設住宅に入る、お父さんは働くため一人で寮や借り上げ住宅に入る、お母さんと子どもは他県に逃げるというように核家族化してしまいました。世帯は増えているが総人口は減っているという数字からも、家族の住まい方が変わったことがわかります。震災後10年の間にお年寄りはさらに年を取る、子どもは成長する、お嫁さんは戻るのを嫌うことから、三つに分かれたままの世帯が継続しています。

 富岡町も災害前は約16,000人いたのに、今は家族がバラバラになって約1,800人しか帰っていません。土にまみれて働くより都会で働いて給料をもらえたほうがいいという考えもあるのでしょうが、ふるさとがなくなってしまった子どもたちがかわいそうです。また、嫁も息子も同居していないので将来の介護問題が深刻化しています。

神津 住宅の建て方や世帯のあり方が震災後に変わったということですね?

五十嵐 そうです。あと、住環境はエネルギーと同じように目で見てわかりません。ならば数値化しようということで、省エネの計算をしてBEI*をより低く抑えるよう、国が補助金も出して力を入れています。もちろん北海道と九州では暖かさが違うので数値は地域で違いますが、昔に比べたら省エネ対策はすごく行われています。断熱だけでなくLEDの照明や、二酸化炭素を出さない木材活用など、建物全体が省エネ重視のつくり方に変わってきています。
*BEI(ビーイーアイ):Building Energy Index/省エネルギー性能指標

神津 和田さんは震災以降、あるいは今、消費者を見ていて何か変化を感じますか?

和田  私は北仙台に住んでいるのですが、何軒もあったガソリンスタンドがあっという間になくなって、どんどんマンションが建っています。仙台市は雪があまり降らず、それほど寒くないので住みやすいせいか、震災後は人口が増加、市内はかなり密になっています。ですから電気の使用率も高いと言われています。また市内中心部を中心に高層建物も増えていますし、「これからも人口が増えたらどうするのだろう」と皆さん話題にしていますし、「女川原子力発電所どうなっているの」という話題も上がっているのも事実です。余計な話になるかもしれませんが、震災の日は寒く暗く、やっと帰宅してベランダからふと南の方を見た時、宮城県県庁、仙台市役所、東北電力本社ビル、我が家の4,5軒先の県の合同庁舎や道路一本挟んだ家までは煌々と電気がついていましたが、我が家周辺は停電で真っ暗でした。しかし翌日には電気が来て、暖房機も温水器も使え、ほっとしました。この時は本当にうれしかったのですが、その後3カ月も4カ月も停電していた地区の方の話を聞くたび、申しわけない気持ちになりました。

神津 ありがとうございました。さて、田中先生に研究によると地球環境の問題には人為的な理由と自然的な理由があるわけですが、その中で日本はエネルギー政策をどういうふうに舵を取っていったらいいと思われますか?

田中 確かに気候変動には自然的要因によるものと人間活動によるものがあり、その分離は難しい段階にあります。しかし温暖化は間違いなく進行していて、そこに人間活動による二酸化炭素などの温室効果ガスの増加が寄与していることは間違いありません。温暖化による気候の変化の信憑性のある予測は困難ですが、近年世界各地で頻発している異常気象などは、温暖化の影響の顕在化とする見方が優勢です。将来予測に大きな不確定性はありますが、国家、国民を異変から守る上で、事態の楽観視は禁物であると思います。現在減少しつつあるグリーンランド氷床が全部融解すれば、海面は約7m上昇し、世界の港湾施設の大部分が失われます。仮に南極の大陸氷床が全部融解するような事態になれば、海面は更に70m上昇します。こうした事が起こるには少なくとも数百年のタイムスケールが必要と考えられてはいますが、気候変化には複雑な正のフィードバック(変化を助長する相互作用)があって、数百年と言わずそれより遙かに早く大陸氷床の融解が起こるかも知れません。現代は寒冷な氷期と温暖な間氷期とが頻繁に交代している時代で、目下は間氷期にありますが、まだ大量の大陸氷床があり、それら氷床と大気や海洋の間の微妙な相互作用が生じています。この温暖化の行方を注意深く監視することが必要です。エネルギーは人々の生活にも生産にも必須ですが、化石燃料は当面の資源に過ぎず、やがて尽きるものです。新たなエネルギーが求められるのは時間の問題です。太陽光、風力、地熱などの再生可能エネルギーの資源は、量としては必要十分にありますが、広く薄く分散した資源の集中化と効率化、使い勝手の改善などに多くの開発が求められています。先進国の多くは再生可能エネルギー関連機器の開発に取り組んでいますが、そこでは世界の購買意欲を刺激する製品を目標としています。日本も今ならまだ間に合うだけの技術的なノウハウやインフラを有しています。開発競争に積極的に参入して勝利者となる道を選ぶべきでしょう。原子力発電は脱炭素に有効ですが、安全神話はすでに崩れています。安全確保に本気で取り組んで、各界の信頼を取り戻すことが先決事項のように感じられます。

研究者、政治家、国民が皆で話し合って解決できる場を

神津 さて、今後ETTはどういうことを皆が勉強したらいいのかなどについて、皆さん何かご意見はございますか?

和田 国内外のエネルギーの現状や、今まで原子力発電所をつくってきたことがいいのか悪いのかなど、「事実」を本当に知りたいんですね。一般市民は事実がわからないから、安心感を持てないまま生活している気がします。

五十嵐 ETTの活動はずっと続けていかなければいけないと思うので、若い人を入れ、活動する人材を増やすことが重要ではないでしょうか。あと、やはりエネルギーは形にならないとわからないところがあるので、数値化だけでなく、一般の人にわかりやすいしかけを何か考えたいですね。皆がもっとエネルギーのことを知らなければならないと思いますし、学校の教育にも取り入れてほしいです。

山田 私たちの町では1Fも2Fも両方廃炉になりました。我々は東北電力の電気を使用しているのでテレビも観られるし、全然困らずに平気で毎日過ごせているわけです。ですから、いざ電気が止まった時のことを真剣に考えさせることが必要だと思っています。

 原子力発電所ができる時に双葉郡8町村*に電源三法交付金という形で国からお金がたくさん下りて、私たちに不必要なものもいっぱいつくられました。8町村といっても車で2時間も走れば端から端まで行けるのですが、隣町がつくったら私の町もと、同じような施設ができました。今はその時と同じ状況になっています。復興のために国と電力会社からお金が来ます。帰って来るかどうかわからない住民のために立派ないろんな施設をつくっています。私はそうではなく、8町村が一つになって、世界の学者を呼べるような研究所をつくって、政治家も研究者も国民も皆で原子力の問題などについて研究を進め、話し合ったらよいのではないかと思います。
*広野町、楢葉町、富岡町、川内村、大熊町、双葉町、浪江町、葛尾村
 災害前の8カ町村の総人口:約75,000人

神津 確かにここにはさまざまな立場の方がいらっしゃるのでいろいろな側面や切り口から話し合いができますが、なかなかそういう場はつくりにくいし、ありそうでないのが一番の難点だと思うのですが、いかがでしょうか?

 私が希望を持っているのは、広野町の首長さんが双葉郡の町村会長を兼任されているのですが、今度、福島県の市町村会長になられたことです。これからはそのリーダーを中心として、8町村がこれからどうすれば成り立っていけるのかを考えてほしい。人が帰って来なければ栄えるはずがなく、県内のほかの町村と同じ暮らしは戻って来ないのです。110万kW級の原子力発電所が10もありました。使っていた燃料棒はどこに持って行くのか? 燃料デブリをロボットで引き上げてどこに置くのか? 引き上げる途中で落っこって放射能が拡散したら? ほかの国から爆弾が落とされたら?など、双葉郡には切実な問題が山積みです。研究者が集まって、だめなものはだめと教えていただき、我々の不安を「こうだから安全ですよ」と正確に示してほしいです。町づくりと言っても、そんなおっかない所には誰も帰って来ません。賠償金で生活できても、「心の豊かさ=安心」を取り戻さない限り問題は解決しないと、立地地区の人たちは皆考えていると思います。

神津 本当にそうだと感じます。

 災害前は日本でも有名なおいしいお米が採れたのですが、その肥えた土が除染で全部持って行かれました。国はお米をつくれとお金も出してくれますが、どうしたら前のようなおいしいお米ができるのか、研究者を集めて考えてほしいし農業博士の指導も必要です。多くの大学の先生方がデータやアンケートを毎年取って協力してくれていますが、去年と今年との違いを見ると何も違っていない、つまり問題が何も解決していないということですよね。

神津 最後に、今後ETTはどうしたらいいかを含め、ご自分がどのような活動をしていきたいか、あるいは言っておきたいことを結びの言葉にしていただけますでしょうか。

田中 エネルギー問題は現代社会の基本に関わる社会システムのあり方を規定する問題なので、ETTはこれまで通り、広い視野に立って問題を取り上げて行くのが良いでしょう。持続可能な社会システムと国民生活を築く上での確たる指針のない時代です。「新資本主義」などという言葉も聞こえてきますが、どうやら資本主義の突き当たった閉塞は、僅かな配分の変更ぐらいで突破できるようなものではなさそうです。ETTには、そうした時代のシンクタンクの一つとして、各界の問題を掘り下げて、中・長期的な視点から我々の進むべき方向を示唆するような提言が望まれます。今日は、私を除いて全て女性の方々です。経済グローバリズムに伴う貧富の格差の拡大、民主主義の形骸化、独裁政治の蔓延、第三次世界大戦の危惧…、欲望と権謀術数の男どものつくる世界は、先の見えぬ閉塞に陥った感があります。この難局を切り開くには女性の持つ潜在力に頼るしかないと、本気で考える次第です。

和田 私も、ETTとしての意見をまとめて提言する必要があると思います。皆で話し合えばいい提言が生まれるのではないかと、非常に期待しています。なぜなら「事実」を知らない人たちもたくさんいるからです。そうすれば新たに若い人たちからの意見も出るのではないかと思います。

五十嵐 ETTに思うことは二つです。一つは、北海道から九州までいろいろな地域のメンバーがいらっしゃるので、一同に介し、あるテーマを決めて地域の状況を聞いて話し合うのもおもしろいと思います。もう一つは、ETTにはきちんとわかるように情報を開示してほしいということです。福島県の場合、3.11の後は原子力に及び腰になっているので、国は再生可能エネルギーの方を向き、よくわからないうちに水素ステーションをつくりました。また、3.11の直後に大金をかけていわき沖に浮体式の洋上風力発電をつくりましたが、採算が合わないため撤去してしまいました。国は方針をアナウンスしないまま、いろいろな取り組みをしているのです。汚染水やトリチウム*、放射性廃棄物の最終処分場の話も、問題意識を持って調べないとよくわからないじゃないですか? そういった情報の開示をETTに期待しています。
*水素の仲間(同位体)で、放射線を出す放射性物質。

山田 双葉郡内の浪江町に「福島水素エネルギー研究フィールド」という、再生可能エネルギーを利用した世界最大級の水素製造工場ができました。まだ一般見学を受け入れていないため、ETTで見学できるのではと楽しみにしております。それから富岡町には「国立研究開発法人 廃炉環境国際共同センター」ができたのですが、地元の人はほとんど在籍していません。本来なら地元住民に「廃炉はこう進んでいる」と教えてもらいたいところですが…。あと、私の出身地でもある広野町には、1Fの1,2号機の排気筒の解体を引き受けてくださった株式会社エイブルという地方企業があります。今は煙突の上に蓋を閉めたので、煙も放射線量も完全に出さない形になり、世界的な特許も取得したそうなので、このような身近な所を研修し、ETTでお話を聞けたら勉強になると思います。

 ETTに入ってこんなに話したのは今日が初めてで、こういう懇談会は良いと思いました。エネルギーの課題は山ほどありますが、「今年度のテーマはこれ」と決めて、全国から集まったETTのメンバーが皆で一つのことを掘り下げて考えていくのも研究方法の一つではないでしょうか。テーマが多いと持ち帰って何を地域の皆さんに話せばいいのか迷うことがありますし、「ああ、そうだったのか」と納得できるような研究会も必要だと思います。

神津 最近、少し昔の書物を読んでいて感じるのは、昔の政治家は物理や宇宙、植物など、いろいろな科学者の意見を聞いていたことです。そしてまた学者たちも文学的に伝える能力がありました。寺田寅彦や柳田国男などが良い例です。科学者も自分のフィールドだけに閉じこもらず、伝えることで世の中に還元できることをよくわかっていたのだと思います。そう考えると今の政治家と学者は分断しているし少し偏っているのかもしれません。そこに日本が伸び悩んでいる理由が何かあるのではないかという気がします。ETTは30年の歴史がある会です。確かに若い人は忙しくてなかなか入会できない現状もあるとは思いますが、その反面、世の中が変わってもまだここに関わろうと意志を持った、昔のこともよく知っている方たちが大勢いらっしゃいます。いろいろなフィールドのメンバーが皆で知恵を出し合い、話し合える場をつくっていくことが私の代表としての努めではないかと、今日ここに来て感じた次第です。ありがとうございました。


懇談を終えて

ETTの目指すものは「より広く・より深く・より密に」である。今の時代「密」という言い方は少し誤解されるかもしれないが、全国各地に散らばり、さまざまなバックグラウンドを背負っているメンバーの方々、一人一人ときちんとつながっていよう……という思いからでた「より密に」である。
より広く、より深く、という二点はそれなりにやってきたと思う。今年だけでも、天文や植物、化石や嗅覚、そして解剖学や生命誌の先生方からお話を伺って、さまざな切り口から本質を見ようとしたし、水素や石油、洋上風力の現状や勉強を通して、難しかったがエネルギーの深掘りもしてきた。しかし「より密に」に関しては、なかなか進まないのが本音だった。
けれどもこの各地へ赴いてゆっくり少人数でお話を伺う試みは、その「より密に」をきちんと進めてくれる一歩になったと思っている。
今回は仙台を訪れたが、普段はなかなかお目にかかれない方、福島の原子力発電所の立地地域に住んでいた方などのお話を聞き、あらためてその思いを深くした。その地域の歴史、風土。そこに身を置かなければ理解できないものもある。
懇談の最後に、きれいな夕焼けが広がる窓を前にし、あの山は?と伺うと、太白山とお一人が答え、なぜ太白山と名付けられたか説明してくださり、そして別の方が、蔵王も見えますよ……と蔵王の山々も指し示してくださった。私は、美しい夕焼けを愛でながら山の稜線を見つめ、「より密に」という意味が恥ずかしながらようやく分かったような気がした。
見つめ合うことでも、手を握る、肩を抱くことではなく、ただ同じ空気の中に共にいて、ちゃんと同じ方向を見ること。それがETTの目指す「より密に」なのだと……。

神津 カンナ

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