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谷川浩司氏インタビュー
“AI時代にベテランが勝ち残るための最善手とは

AI(人工知能)の登場、進化により、歴史的な変革期をいち早く迎えた将棋界において、60歳の今も現役棋士として活躍されている谷川浩司(たにがわ こうじ)十七世名人。ベテランとしての新しい時流への向き合い方など、神津カンナ氏(ETT代表)が関西将棋会館に出向いてお話を伺いました。

基本は守りつつ打ち破って自分だけの境地へ

神津 このたびは十七世名人の襲位、おめでとうございます。将棋を始められたのは5歳の時で、兄弟げんかを鎮めるためにお父さまが将棋盤を買ってくださったのがきっかけだったそうですね?

谷川 勝ち負けがはっきりしていて魅力的だったのでしょうね。小学生が大人と勝負して勝つこともあるわけですから、それがうれしかったのでしょう。父が将棋大会や将棋教室にも付いて来てくれ、環境を整えてくれました。

神津 子どもの時から将棋の才能がおありになったのですね?

谷川 才能というものをどう捉えるか難しいのですが、〝同じことを毎日積み重ねていくことが苦にならず自然にできること〟が才能かなと思います。

神津 頭角を現したのはいつくらいでしょうか?

谷川 小学3年生の時、アマチュア初段くらいだったのですが、夏休みに東京へ行って小学生大会で優勝できたことが大きかったですね。プロになりたい気持ちが強くなっていきました。

神津 14歳、中学生でプロ棋士になられた時はどんな感じでしたか?

谷川 実感はなかったですね。プロになってから1年後くらいの対局で、持ち時間(1人が考えられる時間)が6時間あったのに序盤で大悪手を指し、2時間くらいしか使わずひどい負け方をしてしまいました。〝勝ち負けは仕方がないが、対局でお金をいただくプロである以上は与えられた条件の中で全力を尽くさなければ〟と、プロ意識が芽生えた1局でした。

神津 14歳でプロになられたのは谷川さん、藤井聡太竜王、加藤一二三九段、15歳でプロになられたのは羽生善治九段、渡辺明名人と、そうそうたる方々ですよね。

谷川 5人全員タイトルを取っています。プロ棋士になる平均年齢は18歳〜20歳で、棋士になれるか昇段できるか運不運もあるのですが、若いうちは自分の実力より上のレベルで戦う中で吸収して強くなっていくので、私の場合は早い段階からより吸収できたという利点はあったと思います。

神津 私は将棋がわからずお恥ずかしいのですが、谷川将棋のキャッチフレーズである「光速流」、「光速の寄せ」とはどういうことかご説明いただけますか?

谷川 将棋には序盤・中盤・終盤がありますが、終盤の最後は相手の玉(王将)が詰む* 局面になります。私はその勉強法として、小学生から詰将棋を解いたり創ったりしていたおかげで、ほかの人より少し早く詰みの形がひらめくことが「光速流」、「光速の寄せ」と言われたゆえんかと思います。
*何を指しても次に玉(王将)を取られる状態。「詰み」になった時点で将棋は終わる。

神津 なるほど!谷川さんが今まで対戦相手から何かを教えられたことはありますか?

谷川 私の10代は〝中原時代〟でしたが、中原誠十六世名人は常に悠然たる対局態度が印象的でした。将棋は勝負ですが伝統文化の部分もあるので、対局態度の美しさ、優雅さも必要なのかなと、中原先生から影響を受けたところもあります。

神津 将棋や囲碁の中には美しさといった要素も大切なのでしょうね。日本文化の中には、必ず「美しさ」というキーワードがありますものねえ。

谷川 対局の最初に「お願いします」、最後は「ありがとうございました」と頭を下げ、「負けました」と潔く負けを認めることで、対局をリセットして次の成長につなげていくという教育的な面もあるかと思います。

神津 谷川さんによると、将棋は本筋をわかったうえで本筋を外すことも必要だということですが?

谷川 色紙に「守破離(しゅはり)」という言葉をよく書きますが、基本はしっかり守りつつ、超一流のトップに立つためにはそれを打ち破って自分だけの境地を築き上げていかなければいけないと強く感じます。棋士が残すものは対局の棋譜だけですので、その棋譜にどれだけ自分の考え方、個性を表現できるかが重要です。

最先端の戦い方に挑みながら経験による大局観で勝負

神津 谷川さんは電気新聞でエッセイを執筆されていますが、「50代の戦い方」と題した中に、「ベテランが勝ち残るためには、最新形の、最先端から少しだけ外れた分野で序盤を互角で進め、中終盤は経験で培われた大局感で勝負する、というのが最善のような気がしている」とお書きになっています。AIが全盛となり、今までなかったものとどう向き合っていったらいいか悩んでいた時にこの文章を読み、私は非常に胸に刺さって切り抜いたんです。

谷川 〝40代を過ぎてどういう戦い方をするか〟プロ棋士は皆課題として持っていたと思うのですが、AIの登場によってさらに難しくなりました。近年はAIがプロ棋士より力が上回ってしまい、棋士がAIの知恵を借りながら研究することが当たり前になってきたわけです。私を含め30代くらいまでの棋士は修行時代、先輩の棋譜を調べて研究してきました。しかし、序盤に良いと思われていた戦い方が実はあまり良くなかったなど、AIによって常識が覆され、極端に言えば一から勉強し直さないといけない時代になってきています。

神津 それは大変ですね!

谷川 ベテランの中には自分だけの得意戦法に引っ張り込んで戦う棋士もいますが、今の将棋界の最先端の流行からすると、対戦相手があまり指したことがない戦法だから五分に戦えるという〝すき間産業〟的な戦い方は個人的には少しつまらなく感じます。将棋界の流行や、若い棋士の考え方をどのくらい理解できるかは別にして、やはりその中で戦っていきたい。そうは言っても、トップ棋士同士の渡辺対藤井戦のタイトル戦などはあまりにも高度で理解しにくいところもありますし、若手棋士は最先端の戦い方をよく研究しているのでその差だけで負ける可能性もあります。ですから何とか最先端の戦い方をしながらも少しこちらの土俵に持ち込めないかな、と思って書いたものなのですが…。

神津 おっしゃる意味はよくわかりますが、AI時代のベテランの戦い方は、言うは易し行うは難しで、非常に難しそうですね。

谷川 若い頃の方が先を読むスピードも速かったのですが、年代が上がっていくと〝大局観〟と言いますか、全体を見渡して結論を出すといったように経験でカバーできるようにもなりますが、将棋の世界で起きている戦術の変革は他の分野でも起きていて、皆それぞれの専門分野で試行錯誤している段階なのかなという気がします。例えば、野球でも昔の2番打者は送りバントが得意な人でしたが、今はノーアウト一塁では普通に打ったほうが点を取る確率が高いとデータに出ているそうで、メジャーリーグの大谷選手が2番に入ることも多いですし、戦術が変わってきていると思います。

神津 そうか。私たちは戦術が変わったことにきちんと気づかなければいけませんね。そして谷川さんは、年上の人と年下の人の狭間に立ち〝100年をつなぐ〟という考え方を紹介されていますが、これは囲碁の橋本宇太郎九段の言葉だそうですね?

谷川  将棋や囲碁、芸事は長く続けられますので、若い時に50歳上の人と、年長になった時に50歳下の人と対局をすれば〝100年をつなぐ〟ことができるという考え方ですが、私は39歳上の大山康晴十五世名人、40歳下の藤井さんと対局しましたので、今のところ80年くらいはつなぐことができます。一応、大山将棋も藤井将棋も語ることができるということですね。

神津 100年をつなぐトップ棋士の方々と盤を挟むのは非常に希有なことですよね。

谷川 タイミングもあります。大山先生は69歳まで活躍されましたし、藤井さんもこのタイミングで出て来られたので公式戦で2局対局しましたが、やはり盤を挟まないとわからないところがあります。イチロー選手は大谷選手が出てきた時にすれ違いで対決できませんでしたが、大谷選手が投げる球を打ちたかったのではないでしょうか。

神津 藤井さんについて本* もお書きになっていますが、一言で言うとどういう将棋なのですか? 次世代の将棋界を背負っていくことになるのでしょうか?
*谷川浩司著『藤井聡太論 将棋の未来』(講談社)

谷川 彼はAIで強くなった部分もありますが、強さの一番の理由は考えることが好きだからです。日付が変わるまで対局を続けても、彼の場合は気持ちが緩むことがほとんどありません。相手の手番でも考えていますし、将棋が好きという根っこがあるので集中力が続き、それほど疲れません。〝強くなりたい、将棋の真理を追究していきたい〟という姿勢を貫いているので、対局を重ねるごとに強くなっています。

神津 藤井さんをご覧になっていて、AI世代と感じますか?

谷川 そこまで感じません。トップ棋士はAIを使ってシミュレーションをして、最新流行形の中で相手の研究が薄いところを狙って、序盤で考えさせて残り時間でリードするという戦い方も多いのですが、藤井さんは常に正攻法で真正面からぶつかります。そのため序盤から時間を使って相手より早く秒読みに入ることも多いのですが、詰将棋で鍛えた終盤の精度は高いですから、終盤のミスも少ないですね。

人間の長所とAIの長所のバランスをとって可能性を広げる

神津  AIによって将棋の裾野は広がるものなのでしょうか?

谷川 間違いなく言えるのは、AIが生まれたことで初心者が強くなる環境は整ってきていますし、女流棋士のレベルが上がってきているのもAIのお陰が大きいと思いますね。プロ棋士の身近にコーチがいるのと同じことですから。

神津  AIの長所と短所をどのように見ていらっしゃいますか?

谷川 いくら記憶力がいい人でもAIの指し手を全て覚えることはできませんし、AIが示す指し手の意味は自分で考えなければいけません。ですからAIに特化した研究だけ進めていくと、それが外れた初見の局面になった時に自分の力で指し手を導き出していく〝たくましさ〟が弱くなってしまうこともあると思うので、そのあたりのバランスは大事だと思います。

神津 なるほど。谷川さんはAIと人間の感覚差を、〝近くても崖路〟と〝遠くても安全な道〟に例えられていますね。AIは人間と違って恐怖心というものがないと…。

谷川 最近の対局中継では対局中に「評価値」と言って、形勢判断と、AIが考える次の一手が中継で出ます。形勢が「90%対10%」と出た時、人間が見ても大差が付いていて逆転しないこともあれば、とても大差とは思えず一手間違えたら逆転することもあります。将棋の終盤戦は選択肢が100くらいあって、1つは勝てるがそれ以外は全部負けという場合もあります。人間はその1つを発見するために数百手読むこともありますが、AIは何億手、何十億手と読んで、それが「評価値」に表れます。

神津 それ、嫌ですねえ。何億手、何十億手と読めるAIと比べると、やる気を失ってしまいませんか?

谷川 最初見た時はがく然としたのですが、よく考えてみるとありえるなと。かけ算で考えるとわかりやすいのですが、将棋は1つの局面での選択肢が平均80くらいあると言われます。こちらが指し、相手が指し、2手進んだ局面は80×80=6,400通りあるわけです。3手進めると50万、4手進めると4,000万、5手6手と先を進めると意外と簡単に何億通りもの選択肢が広がります。一方で人間の長所は当たりを付ける、数を絞れることです。百貨店に洋服を買いに行く際、100くらいお店があったとしても今日はこことここに行ってみようと当たりを付けますよね。極端な例えですが、そこでAIは食料品売場に行くことも選択肢に入れているわけです。

神津 そうか、当たりを付けるのは人間ならではか…。〝人間対AI〟と言うと、全てAIに乗っ取られてしまうと思いがちですが、人間の良さというものも私たちはもう少し自覚してもいいですね!

谷川 そうですねえ。あと、パソコンはお金をかける程、精度が高くなるようですが、同じ局面でも使うソフトなどによってベストな指し手が微妙に違います。自分も対戦相手もAIが示すベストな手で戦っていくか、それともAI的には少し損な指し方でも相手が研究していない戦い方をするか、パソコンと向かい合っている今の人は大変だと思います。

神津 昔よりもAIを取り込んだ今の方が大変になりましたか?

谷川 昔のほうが自由でした。そこまで綿密に準備していなかったので、対戦相手の雰囲気を見て臨機応変に作戦を変えることも多かったのですが、特に今の若手棋士はAIで事前研究をやっているので気分で作戦を変えることはほとんどないと思います。

神津 それでは将棋を指す時、〝人間として〟大切なことは何だと思われますか?

谷川 気持ちの揺れを抑えることですね。将棋は1局だいたい120手の中で、形勢が良くなったり苦しくなったりを何回か繰り返しますが、喜んだりガッカリしたりという感情の揺れは指し手を正確に読む時に邪魔になるのでコントロールしないといけません。

神津 人間だからミスをしたり、逆に自分でも驚く好手を思いついたりもするわけですね?

谷川 頭の中の将棋盤で10手20手先を進めるわけですが、いくつもの選択肢を考えていく中でやはり勘違いもあって、1時間考えてその手を指した瞬間に気がつくことがあります。駒を戻したら負けなので平静を装いますけどね(笑)。

神津 表情を読み取られないようにするわけですね。ところで私は相撲協会の仕事をしているのですが、IT化されたことで、大相撲の決まり手は押し出しと寄り切りだけで50%以上、そのほかは1ケタ台だということがわかりました。そうすると「ほかの決まり手はどういうものだろう」と興味を持ったり、「違う決まり手をやってみよう」という人が出てきたりすることはIT化の恩恵の一つだと思うのです。

谷川 データを駆使したほうが勝ちやすいこともあるでしょうし、決まり手もバラエティに富んだ方が相撲界も盛り上がるでしょうからね。

神津 将棋界はいち早くAIを取り入れてきたので、私たちがAIやIT化を悪者に捉えないためにはどうしたらいいかという解やヒントをお伺いしたいと思っていました。

谷川 もはやAIやITの時代であることは避けられないですよね。私自身この時代にまだ現役でいることを幸せだと思いたいです。

神津 こういう変化の時代、新しい価値観が出てきている時に現役でいられるという喜びですよね。

谷川 私より1世代上の先輩方はAIが出てくる前に現役を終えているので。私の妄想かもしれませんが、AIで研究していけばひょっとすると60代でもこれから強くなれるかもしれません。もちろん若い人の方が強くなる可能性が高いですし、伸びも大きいと思いますが、〝AIがある〟条件は同じですから。

神津 先日、永世名人推戴状の授与式で「清流に間断無し」という言葉を揮毫(きごう)されましたね。ベテランでも一つの位置にとどまったり満足したりせず、常に新しいことにチャレンジしていきたいという谷川さんの決意を感じました。本日はありがとうございました。


対談を終えて

谷川さんの文章に電気新聞で出会い、そして代表対談を申し込み、それが実現の運びとなったとき、私が食わず嫌いで将棋に手を染めなかったことを、こんなに後悔したことはない。で、今、60の手習いで勉強を始めた。(谷川さん、ほんとです!)せめてもう少し分かりたいと思ったのだ。谷川さんは、この世界では本当に偉い雲上人なのに、やさしく、そして思った通り言葉に説得力があった。
「棋士が唯一残す棋譜の中に、どれだけ自分の考え方や個性を表現できるか」
「強さとは、考えることが好きかどうか。いくら考えていても厭きない、気持ちが緩まない、集中力が続く、疲れないこと」
「美しさが重要」
どれもこれも、ああ、本当にそうだと思った。 物書きの書いたもの。それは確かに一つの作品だが、行間を読むと書き手の個性や思いを読み取ることができる。
作曲家の父は「一番の才能は、苦じゃなく、それをやり続けられること」と言った。
そして乱調でも階調でも、美しくなくてはいけないと、そう、有名な画家が言った。
そうだ。確かに得心がゆく。将棋が、ある意味で身近に感じられた瞬間だ。
そしてこれだけきちんとした佇まいで丁寧な方が、AIをきちんと理解し、排除せず、研究し、そして時代や戦略が変わったことを素直に認めながら、人間しかできないことを追求する姿は、あっぱれだと思った。時代は絶えず変わっていく。郷愁をいだくのも、改革を目指すのも当たり前だ。しかし変化を認識しながら足元をきちんと見据える姿勢は、分かっているけれど、難しいことだ。谷川さんに学ぶことはその「心棒」の揺るぎなさだと感じた。さあ、詰将棋の勉強の時間だ!

神津 カンナ


谷川浩司氏(たにがわ こうじ)氏プロフィール

将棋棋士/十七世名人
1962年生まれ、神戸市出身。5歳で将棋を覚え、14歳でプロ棋士に。21歳で加藤一二三名人を制し、史上最年少の名人となる。タイトル通算獲得数は歴代5位。日本将棋連盟棋士会会長、日本将棋連盟専務理事、日本将棋連盟会長を務めた。2014年、紫綬褒章受章。2022年5月23日付で現役棋士として十七世名人(永世名人)に襲位。著書:『谷川浩司 精選詰将棋「光速流」からの挑戦状』(文芸春秋)、『藤井聡太論 将棋の未来』(講談社)他多数。

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