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養老孟司氏インタビュー
今の時代を生き抜くための、ものの見方、考え方

今回のゲストはベストセラー『バカの壁』の著者として知られる、解剖学者の養老孟司氏。脳科学や解剖学などの知識を交えながら、社会現象や心の問題を軽妙な語り口で説く養老さんの目に、今の世の中はどう映っているのでしょうか。鎌倉のご自宅にて愛猫「まる」が見守る中、神津カンナETT代表がお話を伺いました。

自分の体を使って学んでこそ「身につく」

神津 以前、養老さんのご本『まともな人』に、「まともな人」の男の代表は橋本治氏で、女の代表は神津カンナと書いてくださっていましたが、なぜ私だったのでしょう?

養老 「まともな人」、常識のある人だからです。橋本治さんも非常に常識のある人でした。最後に書かれた『そして、みんなバカになった』は傑作でしたね。

神津 あのご著書以来、私は「まともな人」でいよう!と自分に言い聞かせています。 さて、本題です。解剖学の話からお伺いしたいのですが、前に「生きた情報」という言葉が出てきたとき、一緒にいた養老さんは、「僕がもらっている情報は死んだものだけだ」とおっしゃった。その言葉がとても印象に残っているんです。

養老 解剖学では相手は死んでいるわけですから、受け取るのは全部過去の「死んだ情報」です。その場で止まっているから緻密に見ることができるのです。

神津 情報も、情報になったとたんに過去のものであり、止まっているからこそ、私たちは活用できるのですね。解剖学を学んでいる学生さんはそこから何を学び取るのでしょうか。

養老 私はよく「体を使って物を見ろ」と言います。五感を含め、自分の体を使って学ぶのが解剖学です。最近では教えるほうも「CTの画像で説明すればいい。コンピュータに入れたデータを見ればいい」という風潮もありますが。

神津 近頃の私たちは体を使わなくなってきていますよね。
CTの画像や、WEB上で学んだほうが得られる情報量は多いように思いますが、そうやって得た情報と、自分の体を使って学んだり得た情報とは、どんな何か違いがあるのでしょうか。

養老 自分の体を使って学んだほうがよく覚えませんか? 「身につく」って昔から言うでしょう。体を使うと体になじむから知識が身につきやすい、記憶しやすいのです。

神津 なるほど! どんなに脳に入っても身につかなければ無いのと同じで、身についてこそ初めて自分のものになるのですね。頭だけ使った日は目が冴えて眠れないことがあるように、頭と体は同等に動かさないと人間はバランスがとれない。今は頭だけを使う場合が多いので、バランスが悪くなっているなと感じます。

養老 今やその傾向が進み、AI(人工知能)の時代になっています。

神津 そうすると今後人間はAIとどう折り合いをつけていけば良いのでしょうか。

養老 そもそも折り合いがつくかどうか、非常に難しいですね。アメリカではAIに適合しない人を排除する動きもありますが、極端に言うとAIに合うよう人間を作り替えればいいという話になってしまいます。AIに自動運転させたら人間は要りません。人間は遊んでいればいい、働くのはコンピュータにやらせればいい。

神津 それで人間は生きていけますかね。

養老 わかりません。今どのくらい本気でAIの社会をつくりたいと思っているのかも疑問です。経済ではAIの研究開発に予算が付きますが。

神津 アメリカで、生産的な経済活動をさせずにいわば“飼っているだけ”の人間と、そうではない人間の比較実験をしたら、何もさせず“飼っているだけ”の人間のほうが早く死んだそうです。

養老 比較的「まともな人」は体を使っていますよね。例えば俳優は体を使わないとできない仕事ですが、政治家は生活の中に体を動かすことが必然に入っていない。ですから私は、政治家が参加する専門家会議というものを信用していません。

神津 体を動かさない人ばかりが物事を決めているわけですね。

何でも同じにする、人間特有の「意識」を疑ってみる

神津 新型コロナウイルスについてはどう見ていらっしゃいますか。

養老 免疫や治療薬ができればそのうち収まるでしょう。年寄りがかかると重症になるのはどんな病気でも一緒です。巷には不老不死や健康指向を謳うCMばかりで、みんな今の自分のまま長続きすると思っていますが、ひたすら変わっていきます。私もこのまま長生きしたら、猫に変わっちゃうかもしれませんよ(笑)。

神津 痩せたら着ようと昔の服を取ってあるのも、いつまでも自分は変わらない意識があるからでしょうね。

養老 一昨年『遺言』という本に書きましたが、「人は絶えず変化しているのに意識だけは同じ」。人間特有の意識の特長として、頭の中の電気信号で何でも同じに「=(イコール)」にしたがるからです。

神津 それでは、人間が「=」を獲得したメリットは何でしょうか。

養老 非常に便利になるということです。「=」が無いと相手と情報や言葉が共有できないので、お金も言葉も作れません。ヒトがヒトになったのは「=」を発明したからです。人間社会はその上に成り立っています。

神津 動物の意識には「=」の概念が無いので、等価交換がわからないのですね。

養老 しかし害もあって、同じものを見つけてどんどん「=」にすることで、多様性が一つに集約されていきます。リンゴも梨もすべて違うのに「果物」という一つの言葉にくくられてしまう。私が研究しているゾウムシは日本だけでも1,600種類いますが、「ゾウムシ」という言葉一つに置き換えられてしまいます。

神津 簡単になってしまうのですね。昔、祖父に「砂糖は甘い」「岩みたいに固い」というありきたりな形容はするなと怒られました。私たちは共通の集約した言葉を持つことで、それ以上深く考えなくなりますね。

「対物」に対し、「対人」にウエイトを置き過ぎないこと

神津 若い人に、これだけは言っておきたいと思うことはありますか。

養老 人のことばかり気にするな、ということです。今は何か発言するとすぐ「炎上」しますが、何を言ってもいいのですよ。人の言うことをいちいち気にしていたらキリがありませんし、自分が好きなように生きる意味がなくなってしまいます。私は何を言われても気にしません。猫を見てご覧なさい。何かを考えているようにも見えますが、私の言うことなんて聞きません。好き勝手をやるから私は猫が好きなのです。

神津 「炎上」で感じるのは、養老さんが言うところの「乱暴な物言い」がだんだんと増えてきたということです。「バカヤロウ」「死ね」など短いフレーズのほうが伝わりやすくなり、長く書くとわかりにくいと言われるようになってしまいましたから、ある意味で「炎上」は起こりやすくなっているのかもしれません。

養老 ネットで人の発言に反応して炎上する。刺激に反応するのは生物の一番原始的な行動です。世界は見方によって「対人の世界」と、自然や物を相手にする「対物の世界」に大きく分かれますが、今は「対人」にウエイトを置き過ぎています。「対物」では、虫を相手に褒めようが、けなそうが虫は気にしません。私は休みの日はたいてい箱根に行って、趣味の昆虫採集をして虫の標本を作っています。母に、「虫取りをしている時は子どもの時と同じ顔をしている」と言われたこともありました。

神津 先生みたいなものの考え方をしていると、自分の中にゆとりが出てくるのでしょうね。

養老 今は少し意見をすると、右か左かどちらか有利なほうに分類されてしまいます。米中関係などでもそうですが、中立があり得ないのは危険な状態です。一番避けなければならないのですが、右か左か、わかりやすいのが皆さん好きなのですよ。

神津 大体が右か左かうまく分けられないもので、それこそエネルギー、原子力の問題もそうですね。

養老 ごみが出るのは原子力もどれも同じですから、そういう意味では賛成も反対も無い。本来はそういうところから話ができるはずなのですが。

神津 どちら側に付くか、という踏み絵のようになってしまいます。

養老 ほかにも若い人に言いたいことは、きっちりし過ぎ。みんな真面目過ぎます。コンピュータは手順を間違うと動かなくなるので、間違えを許さない暮らしにくい世の中になっていると感じます。

神津 この生真面目さが変わる瞬間はあるのでしょうか。

養老 しばらく生きていれば馬鹿馬鹿しいと気がつきます。私も若い時は脇目も振らず真面目にやっていました。

神津 最後に、これからしたいことを教えてください。

養老 虫の分布を調べて日本列島の成り立ちと関連付ける研究を去年から始めています。コロナで一旦中断していますが、来年から再開したい。あと、日本では学会や学部も無いのですが、「意識」について研究してみたいと思っています。現代社会で非常に重要な問題だと思いますから。

神津 今日は養老さんならではの視点から、さまざまなご提言をいただきました。ありがとうございました。

対談を終えて

養老先生に最初にお目にかかったのはいつだったろう。だいぶ昔のことだと思うが、それ以来、養老先生にお目にかかると帰り道にいつも、何か宝物を拾ったような気がするのだから不思議である。
新幹線で喫煙ブースに行こうかどうか迷っている養老先生と目が合ったとき、先生はこうおっしゃった。「たばこは意味なく、何気なく吸うものだから、たばこを吸うぞ!という気持ちでブースに行くのはなんか違うと思う」
生物学の池田清彦さんが、環境が自分と合わないといくらでも(何十年も)眠ってしまって、環境が合うようになるとなぜか突然覚醒する「クマムシ」の話をしたとき、養老先生はおっしゃった。「長老と言われる人が寝てるのは、それだね」
今回のコロナ禍の中、私は両親たちと変わらない世代の大先輩たちに、叶えばお会いしたいと思った。やれやれとため息が出てしまうこんな時代に、IT化もなく、戦争や貧困も見たその世代の方たちから、何かヒントを掴みたいと思ったからである。長いことお会いしていなかったのに養老先生は、昨日お目にかかったかのような様子で、小さな笑みを浮かべて迎えてくださった。虫や猫のほうがずっと真摯でお好きなんだろうなと考えながら、でも、こうして年下の者とも話し、何か宝物を落としてくださる姿は、もしかしたら人間もそう満更、捨てたもんじゃないと思っていらっしゃるからなのかもしれないと、自分勝手な誤解をしながら鎌倉のご自宅を後にした。

神津 カンナ


養老孟司氏(ようろうたけし)氏プロフィール

解剖学者/東京大学名誉教授
1937(昭和12)年、鎌倉生まれ。東京大学医学部卒。心の問題や社会現象を、脳科学や解剖学などの知識を交えながら解説し、多くの読者を得た。1989(平成元)年『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。新潮新書『バカの壁』は大ヒットし2003年のベストセラー第1位、また新語・流行語大賞、毎日出版文化賞特別賞を受賞した。大の虫好きとして知られ、昆虫採集・標本作成を続けている。
『唯脳論』『身体の文学史』『手入れという思想』『遺言。』『半分生きて、半分死んでいる』など著書多数。

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