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特集

エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

日本原燃株式会社 原子燃料サイクル施設見学レポート【東北メンバー視察編】
「原子燃料サイクル」の確立を目指す

ロシアによるウクライナ侵攻を発端とする電力の安定供給や、脱炭素を進める上で、2022年12月23日、政府はGX実行会議を開催し、原子力活用などの基本方針をまとめました。原子力発電をこれからも活用していくためには、ウラン資源を有効利用する「原子燃料サイクル」の確立が欠かせません。2022年12月15日、ETT東北メンバーは、日本原燃株式会社の原子燃料サイクル施設(青森県六ヶ所村)を訪れ、その要となる再処理工場のしゅん工を控えた現状を見学しました。

30年前から六ヶ所村の活性化と地場産業の振興に貢献

JR七戸十和田駅からバスで約1時間、雪が降り積もる中、広大な敷地に広がる日本原燃株式会社(以下、日本原燃)の原子燃料サイクル施設に到着しました。メンバーは「六ヶ所原燃PRセンター」の応接室にて「再処理工場の安全性向上に向けた取り組みについて」のビデオを見た後、担当者の方から施設について概要説明を受けました。青森県下北半島の付け根に位置する六ヶ所村は、太平洋に面して南北33km×東西14kmに広がっています。夏はやませ(北東風)が吹くため、昔は根菜栽培と畜産(馬)しか主な産業がなく、厳しい冬になると村民の多くは出稼ぎに行かざるを得ず、新たな産業が求められていたそうです。1960年代、国の工業地帯開発計画の1つに選ばれ、土地が買い揃えられましたが、1970年代の石油ショックにより計画は頓挫し、1983年に日本で第1号となる国家石油備蓄基地ができた以外は進出企業もなく、広大な土地が余ってしまいました。1984年に電気事業連合会が青森県および六ヶ所村に原子燃料サイクル3施設(濃縮、埋設、再処理)の立地を申し入れ、1985年に協定書が締結されました。

日本原燃は、日本原燃サービス(1980年設立)と日本原燃産業(1985年設立)が1992年に合併し、六ヶ所村を拠点とする唯一の大規模企業として地元に期待され、発足しました。以来30年間にわたり、地域活性化と地場産業の振興に貢献しています。従業員数3,142名のうち約64%が青森県出身者で、2022年度は新入社員80名のうち64名の青森県出身者を採用し、「青森県の方が中心になっている会社」とのことです。さらに東日本大震災以降は施設の安全対策工事を進めるため協力企業は約1,200社にのぼり、ピーク時は平均約8,000名/日の方々が従事され、そのうち約6割は青森県出身者の方が占めています。「安全対策工事が完了したしゅん工後も、保守や調達などほとんどの仕事は一般の工場と変わらないので、地元企業と一体となり、地域の方々に参入していただきたいと思っています」とのお話でした。また、地域産業の活性化にも取り組み、村と一緒に開発した六ヶ所産の長芋焼酎は見学当日も売り切れていたほど人気の名産品となっています。

現在の六ヶ所村には旧集落に加え、丘の上に「尾駮(おぶち)レイクタウン」という新しい街がつくられています。ショッピングセンター、医療センター、学校なども整備され、村の人口約1万人のうち、日本原燃の社員約1,000名が住む寮や関連企業の社宅もあり、職住近接の生活環境が整っています。世界最高水準の遠心分離機を使う「ウラン濃縮工場」のほか、(公財)環境科学技術研究所など研究関連施設の誘致により、最先端工業地域として学術関係者も多く住んでいるそうです。原子燃料サイクル施設のほかにも広大な土地があるため、メガソーラー(大規模太陽光発電所)や大規模な風力発電(108基)、日本の石油消費量の約2週間分を備蓄するむつ小川原国家石油備蓄基地(51基)も設置され、今や六ヶ所村周辺地域は日本のエネルギー事業の中心地として知られています。


■施設配置図 

(図)


原子力発電を支える環(サイクル)の重要施設を次々と操業

原子力発電所で使用されたウラン燃料(使用済燃料)の中には、まだ使えるウランや新たに生成されるプルトニウムがあり、これらは再処理することにより再び使うことができます。「原子燃料サイクル」とは、使用済燃料を再処理し、ウラン資源を再び燃料として再利用する一連の流れを言います。担当者の方によると、「原子燃料サイクル」を支えるさまざまな工程がある中で、重要な施設が1カ所に集まる六ヶ所村のような所は世界に類を見ないとのことです。「“準国産エネルギー”として原子力を活用していくため、再処理工場を早くしゅん工させて原子燃料サイクルを確立することが私たちの使命。しゅん工目標に向け、社員一丸となって取り組んでいきたい」と力強く話されていました。

再処理工場(しゅん工時期検討中*︎)
「原子燃料サイクル」のメインとなる工場で、最大処理能力は800トン・ウラン/年、100万kW級原子力発電所約40基分の使用済燃料を再処理できます。2006年〜2008年に実際の使用済燃料を用いたアクティブ試験を実施しましたが、しゅん工目前に東日本大震災が起きたため、新規制基準の適合に向け準備を進めるとともに、追加の安全対策工事を行ってきました。工事は96%完了し、しゅん工時期は2022年内に改めて提示*される予定です。また、15年前にアクティブ試験を実施した際の運転員以外の若手の運転員をフランスの再処理工場へ派遣し、経験値を上げているのだそうです。
「2024年度上期のできるだけ早期」として2022年12月26日に公表

<再処理の工程>
①受け入れ・貯蔵 全国の原子力発電所で使い終わった燃料を受け入れ、「使用済燃料貯蔵プール」で冷却貯蔵。
②せん断・溶解 使用済燃料を約3〜4cmにカットして硝酸で溶かす。被覆管などの金属片は容器に入れて保管。
③分離 溶解液を核分裂生成物(高レベル放射性廃棄物)、ウラン溶液、プルトニウム溶液に分離。高レベル放射性廃棄物はガラス固化体にして「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」で中間貯蔵。
④精製 微量の核分裂生成物を除去。
⑤脱硝 硝酸を除去。
⑥製品貯蔵 ウラン酸化物製品と、ウラン・プルトニウム混合酸化物製品(MOX粉末)を建物内の専用貯蔵庫に貯蔵。
※工程ごとに建屋が分かれてトンネルでつながっており、溶液はトンネルの中を通る配管で次工程へ移送されます。


■再処理の工程 

(図)


使用済燃料受け入れ・貯蔵施設(再処理工場内:1999年操業)
全国の原子力発電所で4年以上貯蔵され、キャスク(輸送容器)に入れて運ばれた使用済燃料を受け入れ、放射能を弱めるため「使用済燃料貯蔵プール」に合計15年以上冷却貯蔵します。1999年から受け入れを開始し、アクティブ試験で425トン・ウランを再処理した分を差し引くと在庫量は約2,968トン(2022年11月末現在)で、すでに受入容量(3,000トン・ウラン)の約99%が冷却貯蔵されています。「再処理工場」が稼働すると年間800トン・ウランの再処理ができ、その分の貯蔵スペースが空くため、「再処理工場」を継続使用することで原子力発電所も動き続ける環(サイクル)ができます。

ウラン濃縮工場(1992年操業)
1992年、日本初の商業用「ウラン濃縮工場」として操業を開始しました。天然ウランを原子力発電所で使用するためには、燃えやすいウランに濃縮する必要があります。ウランを円筒状の遠心分離機に入れ、遠心力によって濃縮していきます。遠心分離機を旧型から新型に入れ替えた直後に東日本大震災が起きたため、運転を停止して安全対策工事を行ってきましたが、2023年2月に再開予定です。

低レベル放射性廃棄物埋設センター(1992年操業)
全国の原子力発電所で発生する低レベル放射性廃棄物が収容されたドラム缶を毎年約1万本受け入れ、コンクリートの箱に入れて地下に埋設します(最終処分地)。1992年の操業以来、1号と2号の廃棄物埋設地(合計収容能力約40万本)に約34万本を埋設し、現在は3号を建設しています。

高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター(1995年操業)
日本ではまだ「再処理工場」が稼働していないので、フランスとイギリスに再処理を委託して返還されたガラス固化体1,830本分をキャニスター(ステンレス容器)に入れて中間貯蔵しています(貯蔵容量:2,880本分)。30年〜50年かけて冷却した後に最終処分場へ移送する予定ですが、現在、最終処分場は文献調査中です。

MOX(モックス)燃料工場(建設中)
「再処理工場」から受け入れたウラン・プルトニウム混合酸化物製品(MOX粉末)を、もう一度原子力発電所で燃やせるMOX燃料に加工します。2024年度のしゅん工を目指しています。


■原子燃料サイクル図〜原子力発電を支えます〜 

(図)


<再処理の意義>
原子力発電所の使用済燃料(燃料集合体:高さ約4m)×6体(約3トン)を再処理すると、MOX燃料1体+ウラン燃料1体+ガラス固化体(高さ約1.3m×直径約40cm)×3本(約500kg/本)になります。使用済燃料をガラス固化体にすると約1/4の体積になるため、国土の狭い日本で最終処分場を建設するには有利です。また、再処理しない場合、放射能が天然ウラン並に半減するまで約10万年を要しますが、ガラス固化体にすると、放射能は約8千年で天然ウラン並に低減します。

次に「六ヶ所原燃PRセンター」の館内を見学しました。ここは日本原燃が事業を行う原子燃料サイクル施設を中心に、大型模型やパネル、映像を使用してわかりやすく案内するPR館で、事前予約すると案内スタッフの方が解説してくださいます。3階の展望ホールで、地上20mの高さから360度、六ヶ所村を一望しました。来る時にバスの車窓から見えた数多くの風力発電の風車が回って、国の石油備蓄基地のタンクも並んでいます。案内スタッフに促されて「原子燃料サイクル」のパネルを覗くと、ウラン鉱石が設置されていました。 1階〜地下は、「再処理工場」「ウラン濃縮工場」「低レベル放射性廃棄物埋設センター」「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」のコーナーに分かれています。燃料集合体の実物大模型や、低レベル放射性廃棄物を収容する黄色いドラム缶が展示されていたり、再処理の工程が装置を使ってわかりやすく紹介されていたりと、さまざまな趣向を凝らして子どもから大人まで楽しく学べるようになっていることにメンバー一同、感心していました。

新規制基準に基づき安全対策を強化・追加して安全性を向上

バスに乗り込み、車窓から各施設の様子を見学しました。ここからは撮影禁止です。

「低レベル放射性廃棄物埋設センター」では、全国の原子力発電所からドラム缶を受け入れ検査を行う建屋が見えました。検査が終わると埋設地へ運ばれます。建設中の3号埋設地では、21mもの深い穴が掘られていて驚きました。1号と2号にはドラム缶を入れる大きな箱状のコンクリートピットが並び、クレーンで定置している様子も遠目に見えました。3号埋設地の側面を見ると、茶色い地面の下は灰色で、鷹架(たかほこ)層という水を通しにくく地震に強い岩盤になっていることからも、この地が埋設事業に適していると言えます。

埋設事業所と再処理事業所の間には、二又川が流れています。東日本大震災の経験を踏まえ、「再処理工場」の重大事故対策として冷却水を確保するため、貯水槽(2万トン)を新たに2つ設置したそうです。さらに二又川や尾駮沼からホース(直径約30cm×約2km)とポンプ車で水を汲み上げるため、施設のある標高55mまで道路も新たに3本つくり、がれきが落ちて来ないよう、斜面にコンクリートを吹き付ける工事も行われました。また、東北電力から受電する鉄塔が見えましたが、1ルートから2ルートに増やされていました。

高さ150mの「主排気筒」には、新規制基準を踏まえた竜巻対策として鋼鉄製の防護板が設置されており、最大風速100m/秒に耐えられる設計になっているそうです。「使用済燃料受け入れ・貯蔵施設」の「冷却塔」も同様の設計で、飛来物防護ネットの設置工事が行われていました。

「高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センター」では、ギャラリーから下の貯蔵ピットを覗くと、キャニスター(ステンレス容器)が収められる収納管の黄色い蓋が整然と並んでいます。蓋の下にガラス固化体が9本入っているのを想像しながら見学しました。また、作業員の方が普通の作業着を着て働いていらっしゃる様子も見受けられました。

今回の見学では「原子燃料サイクル」の流れを知るとともに、「再処理工場」のしゅん工に向け、さまざまな安全対策工事が粛々と進められている様子を見て、わが国の「原子燃料サイクル」が始まりつつあることを実感しつつ帰途に着きました。

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