特集

エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

柏崎刈羽地域②地元の方々との座談会
柏崎刈羽原子力発電所と生きる地元住民の思い 

柏崎刈羽原子力発電所の安全対策を見学した翌日の2019年10月18日、神津カンナ氏(ETT代表)は刈羽村生涯学習センター「ラピカ」会議室にて、柏崎市と刈羽村に住む地元住民の方々と膝を交え、原子力発電に対する考えや思いなどを約1時間半、話し合いました。




歌代 勝子氏(柏崎市在住) 元ETTメンバー、元「くらしをみつめる…柏桃の輪」代表
星野 美鈴氏(刈羽村在住) 元「くらしをみつめる…柏桃の輪」メンバー 、
              環境ボランティアかりわエコサークルメンバー、
              新潟県農村地域生活アドバイザー
横田 信子氏(刈羽村在住) 刈羽村議会議員(5期)、
              4期目の4年間は刈羽村初の女性議長として歴任

神津カンナ氏(東京都在住) ETT代表、作家・エッセイスト

砂丘地だった荒浜に、50年前誘致した頃の活気

神津 私がETTの代表を引き受けたのは、3.11(東日本大震災)の年の4月でした。その頃に比べたら原子力に対して世論が少し落ち着いてきた感じはしますが、今はどうしても自然エネルギーばかりが注目され、日本のエネルギー問題はターニングポイントに差しかかっているのではないかと考えています。

横田 現在、刈羽村議員5期目で、12人中唯一の女性議員として頑張らせていただいています。刈羽村には柏崎刈羽原子力発電所5,6,7号機があり、3.11以降止まっています。今日はエネルギーについて、皆さま方といろいろなお話をして勉強になればと思って来ました。

歌代 柏崎市・刈羽村でエネルギーの勉強会などを15年間やってきましたが、 2019年3月31日で店じまいし、半年経ちました。活動から離れて気付くこともあり、今日は一市民としてお話させていただければと思います。

星野 私は「くらしをみつめる…柏桃の輪」で、エネルギーについて勉強させていただきました。それからは新聞に目がいくようになり、考える機会を与えていただいて良かったと思っています。今は刈羽村で2000年に発足した環境ボランティアで横田さんとともに、さまざまなことを勉強しています。


柏崎刈羽原子力発電所(イメージ図)


神津 柏崎刈羽は誘致からちょうど50年。誘致が決まったその50年前の感覚を覚えていらっしゃいますか? 地元の雰囲気はどうでしたか?

歌代 勤務先(実家)が発電所建設の下請け関係だったので、用地買収で有刺鉄線を張る工事、築港のケーソン据付やテトラポットの据付工事に関わっていました。反対する人も一部いましたが、建設当時は今ほど市民活動が盛んではなく、私たち一般市民は「原子力発電所が来るんだって」と、当たり前に受け止めていました。仕事をするにあたり専門家による安全教育や健康診断が義務付けられたことは、その後の社員の意識改革として根付き助かりました。

横田 40年前、結婚してから刈羽村に来ました。「刈羽村は誘致の時から、このお宅は賛成、隣は反対で口もきかないといった戸別の闘いがあった」と、先輩方から聞きました。プルサーマルの是非についても、一時期そのような状態になりました。選挙も、賛成派と反対派で色分けされている状態です。

星野 当時、柏崎刈羽ができることで、荒浜へバスで行く道が迂回するようになってしまったことを覚えています。

横田 海水浴場として、また地引き網でイワシやサンマなどが獲れて、子どもの社会見学などで行くような所でしたね。当時、刈羽村では雇用が生まれて活気がありました。第一次産業である農業が主だった村が、6軒に1軒位は家族のどなたかが東京電力や協力企業の社員として入って行きましたから。

歌代 荒浜は元々、砂丘地だったのですよ。当初は自衛隊誘致の話も出ていましたが、その後、発電所の誘致が決まり、当時、地元は潤いました。50年も経つとその功罪が表れてきているように思います。

星野 刈羽村の2018年度の決算報告では、約18%が原子力発電の交付金からの収入でした。以前は箱物にと指定がありましたが、今は人件費にも使えるようになり、村民としてありがたいと思っています。

横田 学校の指導員なども独自に雇えますし、雇用が生まれて良いと思います。

発電所の地元の住民と、消費地の人々との思いの乖離

神津 今まで建設、プルサーマル、そして3.11後と、いくつか山があったと思いますが、地元の方の賛成反対に変化はあったのでしょうか?

横田 3.11後は、賛成反対の中間層の方たちが、再エネ、省エネに傾きつつあることが多いかなと気になっています。

歌代 3.11後は原子力発電の話は大っぴらにできず、この人に話していいかな?と様子を窺うようになりました。誘致の時も再稼働の時も、賛成か反対かで住民がくくられてしまう生きづらさを感じます。

神津 その不幸は、いろいろな発電所で近隣住民の皆さんが抱えていらっしゃいますね。

歌代 私たちだけが常に賛成か反対かの枷を背負わされるのはどうなの?と思ってしまいます。東京の消費地の皆さんは実際どう思っているのでしょうか?再稼働も地元住民が決めることみたいな、消費地の人にとっては他人事なのでしょうね。

横田 自分たちだって電気を使っているじゃないかと言われるかもしれませんが、私たちは東北電力のエリアなので、東京電力の電気は使っていません。

星野 地元の理解が無ければダメと言われているからじゃないですか?

歌代 建設当時も今も地元の理解は必要です。でも今、再稼働に当たっては、消費地の一般の方々にも見てもらい安全性について理解していただきたい。そして地元住民と対話して、考えや暮らしぶりがどうなのかを知って、初めて「柏崎刈羽原子力発電所を見て理解できた」と言えるのではないでしょうか。

神津 なるほど。やはり、発電所の地元の住民と、消費地の人々との思いが乖離していますよね。

歌代 長年活動をしてきた経験から言うと、地元と消費地は何度話し合っても合い交わらないと思います。消費地の方たちは私たちに「交付金のおかげでいい目をしているでしょう」と思っているように感じます。そこにリスクを背負うことへの思いを感じないからです。地元の現場感は、そこで暮らす人にしかわからないと思います。

再稼働もエネルギー政策も、国の強いリードが必要不可欠

神津 日本のエネルギー政策の現状に関してはどう思っていらっしゃいますか?

星野 「原子力を語る人は悪い人」、「自然エネルギーを語る人はいい人」、世間の風潮がそうなっているのでは? それでいいのか皆で考えていかないといけないのかなと思います。

歌代 神津代表がおっしゃっている「○か×かではなく、妥当なところを皆で考えていこう」ということですね。現状、原子力政策はすべて先送り。柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に必要な工事に2年かかるという中で、私たちに何ができるのか、市民活動の限界を感じました。やはり政府が前面に出て引っ張ってもらわないと、同じことの繰り返しです。ETTさんも含めいろいろな団体がありますが、理解活動を一生懸命にやっている人は同じ人たちで高齢化してきていて広がりを感じません。これは「柏桃の輪」の反省も含めてですが・・・。

横田 団体の名前は変わっても同じ顔ぶれですよね。

歌代 3.11以降「柏桃の輪」の地元での活動に、新しい顔ぶれの参加者が多く来てくれるようになりました。ある講師さんから「反対派の人も参加して、意見や質問を聞いて勉強する、そのバランス感覚は長年かけて培われてものですね」と言われた時はうれしかったです。

横田 賛否の真ん中の人にどれだけ理解していただけるか、ということですね。

神津 最近、「勇気をもらう」という言い方が引っかかります。勇気は自らの中から「湧く」ものであって、いつから「もらう」あるいは「あげる」ものになったのか。電気も誰かから「もらう」ものだという感覚になってしまったのかもしれません。資源の無い日本で、エネルギーをどう構築すれば良いと思いますか?

横田 この辺でも新しいお宅はほとんどオール電化です。水と電気が無かったら、ましてや都市では生きてはいけないと思います。「誰かが何とかしてくれる」という他力本願でいいのですか?と、一般の人にどうわかっていただくか。

歌代 やはり国が強く引っ張って流れをつくらないと! 再稼働や原子力政策は国が前面に出てほしい。原子力政策が選挙の道具に使われているのが一番残念です。

横田 役所仕事は3,4年で回転して担当者も変わりますが、私たちは死ぬまでここにいなくちゃいけない、そこの違いですよね。柏崎刈羽に10年、20年、腰を据えて親身になってがんばろうという人がいれば、皆さん推すと思いますけど。

歌代 ところで、「原子力規制庁の審査が厳しいから再稼働が進まない」という声をよく聞きますが、実際どうなのでしょう?

神津 原子力規制庁が出す新規制基準がある程度高くなければ、人はもう納得しませんよね。基準に合致すればいいわけで、現に再稼働している所もあるわけです。ですから「基準が高過ぎるから動かない」というわけでは恐らくないのだろうと、私は感じます。

横田 キリが無いというか、もっともっと、という段階が上がって来ているではないですか。どこまでやれば、安心安全を考えて住民が納得してくださるのでしょうか。

神津 川の堤防と同じで、青天井にすれば安全かもしれないけれども、景観や暮らしの問題、予算の問題もありますから、オールorナッシングではなく、落としどころを探る考え方をしなければならない。これは実は難しいですね。

電気やエネルギーの現実を自ら勉強して知ってほしい

星野 環境ボランティアで事例発表をしたのですが、2010年に自宅を建て替えた時の電気使用量と電気代を100とすると、それからがんばって省エネをして昨年は電気使用量は11%も下がったのに、電気代は50%も上がっているのです。それはなぜなのかを皆さんに知っていただければと思い、省エネに興味を持っている方に資料として配って理由を説明しています。

神津 一般家庭で50%も上がっているなら、企業ではたいへんな額になりますね。世の中「見える化」と言っている割には、 現実は見えないですねぇ。

横田 北海道に行った時、太陽光パネルがずらーっと並んでいましたが、20年位経ったら廃棄するのを一般の方はわかって省エネ、再エネと言っているのか。日本はCO2排出を50年後にゼロにすると言っているけれども本当にできるのか。再エネで全エネルギーがまかなえればいいですが、今はできませんから、バランスよく組み合わせるのが今の時点では一番良いのかなと私は思います。

歌代 勉強するほど、原子力が必要なことはわかります。ここ柏崎刈羽にこれだけの設備がある。でも福島第一原子力発電所の事故も知っている。この揺れ動く気持ちを、どう収めたらいいのか教えてほしいです。

横田 結論が出れば前へ進めますが、議論をすればするほど結論が出ません。原子力発電所があるということは、動かさなくてもリスクは同じだと私は思いますが。

神津 日本に住んでいる皆が高みの見物のようで、現実は見ない。ソケットの裏側への意識が無いのですねえ。まずは自分から日本の現実を知りたいと思わないと無理ですね。

横田 「この電気はどこから来てどうなっているのか」とか、自分で勉強する人を多くつくらないと。かしこまって勉強会をすると言っても、興味のある方は来ますが、主婦の方などからは敬遠されます。

歌代 意識のきっかけづくり、しかけ方をどうするか、ですよね。

星野 主婦の方には、電気代からがわかりやすく入っていけるのかなと思います。

神津 さて、最後に一言ずつお話しいただけますでしょうか。

星野 2018年度に東京電力が柏崎市・刈羽村へ全戸訪問した結果の資料を見ると、柏崎刈羽に対し不安がある45%、不安はない34%、どちらともいえないが21%だったので、不安を感じている住民の方が多い結果に驚きました。


地域の皆さまの発電所に対する気持ち


横田 柏崎刈羽を動かすかどうかは、科学的判断や事業者と私たちの信頼関係によるのではないかと思います。人と人との心のつながりというか、最後はこの人にまかせれば大丈夫、ということに尽きるのではないでしょうか。

歌代 活動から離れて半年経って、一般の人たちはこういう気持ちなのだなとわかってきました。関心はあるけれど情報も入ってこない、熱く語る場もない。自ずと無関心へと向かうのではないかと。今では疎遠になりがちな東京電力、そして柏崎刈羽原子力発電所とどう向き合うか、一市民として考え続けたいと思います。

神津 日本のように資源の無い国は、ある意味では今まで安定的な原子力がベースにあるから好きなことができていた、というところがありますよね。太陽光や風力は今のままではベースになれないので、火力や原子力と組み合わせてこそ好きなようにできるということが、ここ何年か勉強していて一番感じることです。今日はどうもありがとうございました。


対談を終えて

誘致から40年の節目に、今回の座談会にも登場していただいた歌代勝子さんのグループ、「くらしをみつめる…柏桃の輪」は、積み重ねた勉強会の成果を「なぜ柏崎刈羽に原子力発電所が?」という冊子にまとめた。(2008年ETT刊行)ここには、原子力発電所の立地調査、誘致決議から今日に至るまでの歴史や背景のみならず、地域に暮らす人々の思いが、慎重派を含め、当時、さまざまな立場にいた人々の生の言葉で語られていて、大変貴重な資料である。
今回私は柏崎刈羽原子力発電所から帰京し、あらためてその冊子を読み直した。再読すると、荒浜の砂丘地に原子力施設が造られてから、地域に暮らす人たちは賛成・反対の枠を超えて時代の波にずっと翻弄され続けてきたことがよく分かる。
「3.11後は原子力発電の話は大っぴらにできず、この人に話していいかな?と様子を窺うようになった」「誘致の時も再稼働の時も、賛成か反対かで住民がくくられてしまう生きづらさ」「原子力が必要なことはわかる、柏崎にこれだけの設備がある、でも福島第一原子力発電所の事故も知っている。どうしたらいいでしょう?この気持ちの持ちようを、こうしたらいいよと誰かが収めてくれないか」対談のなかで語られたいくつかの言葉は、翻弄され続てきた人々の心情としてずしりと響く。エネルギーの問題は電気の恩恵にあずかっている消費地の人間こそ考えるべきなのだと痛切に思う。廃炉や再稼働など原子力施設のありようを地元地域の人たちに丸投げしてはいけないのだ。

神津 カンナ

ページトップへ