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辻田真佐憲氏インタビュー
中間に立ち、専門家と協調した「総合知」を社会に提供

今回のゲストは、作家・近現代史研究者として著述や評論などメディアでも幅広くご活躍中の辻田真佐憲氏。ETTの活動にも通じる、今の社会が抱える問題点や解決策などについて、神津カンナ氏(ETT代表)がお話を伺いました。



自らの偏りを自覚しながら、中間の思想に持っていく努力を

神津 辻田さんは「中間が存在し得なくなってきている」とおっしゃっていますが、これはどこに原因があると思われますか?

辻田 今は分断の時代と言われますが、「反○○」という記号に反応するだけで○○の中身は考えない。0か1か、絶対反対か絶対賛成かという議論になりがちです。そうすると物事が単純になってしまいますし、力を握っている方の意見が通ってしまいます。本当の政治や社会は議論をするなかで、うまく良い所取りを模索することが大切なはずです。そういう意味で今は「中間の思想」というものを大切にするべきだと思っています。日和見主義とも言われかねないのですが、自分が偏っていることを自覚しながらいかに中立的な思考にもっていけるか努力する試みを「中間」と呼んでいるのですね。この「中間の思想」を今後つくっていかないと、ますます社会は右と左の対立に飲み込まれていくと思います。

神津 山本七平(評論家)が「『空気』の研究」の中で、凝り固まりそうな空気に水を差す人がいる。「水を差す」という言葉は悪い意味合いだけに取られているが、ちょうどいい温度にするという意味があるというようなことを書いていたのが印象に残っています。今は凝り固まった空気にきちっと水を差すということもできなくなってきているのでしょうか? 熱いまま冷たいまま分かれていたほうがラクだからでしょうか?

辻田 山本は空気に歯向かうと「全体空気拘束主義」「抗空気罪」で罰せられると書いていますが、SNS社会の今の方が空気の力が強くなっていると思っています。SNSで水を差す意見を言うと、例えそれが議論を喚起させようとしたことでも炎上してしまう。また山本は本の中で、絶対神がいる一神教と違って日本は多神教なので空気の力が強くなると言っています。戦中なら「忠君愛国」といった特定の価値観が神の代わりをしてしまうからです。宗教学ではなく、あくまでも比喩の話ですが。

神津 新しい空気をつくったSNS。このSNSの力がこれほど強くなるとは思っていませんでしたが、この状況は今後変わりますか?

辻田 SNS自体は無くすことはできないので、我々の生き方をどうするかですよね。SNSとうまく距離を置き、現実の人間関係を大切にしてSNSは情報の参考源として利用することが大事です。

「専門知」だけでは足りない、今必要なのは「総合知」「評論知」

辻田 あと私は「総合知」が大切だと思っています。今は専門家の意見が重要視される傾向にありますが、例えばロックダウンを判断する時には感染症だけでなく、政治・経済・社会などいろいろな専門家の意見を聞いて総合する能力が無いといけません。専門家ではないので多少あいまいなことはあっても、総合的、評論家的な知の復活が必要になってくると思います。

神津 企業でも一時期、総合職を廃止して専門職をつくろうという動きがありましたね。目医者さんに行ったら「僕は網膜の専門ではないから」と言われ、ここまで細分化されているのかと驚いたことがあります。この流れの修正はできるのでしょうか?

辻田 我々人間はせいぜい100年位で死んでしまうので能力に限界があり、全てに専門的な知識を持って取り組むことはできません。とはいえ選挙の時などには社会全体を考えないといけないので「専門知」だけでは足りず、「総合知」を参照せざるを得ない。問題はそのクオリティーで、いかに評論家が専門家と協力してバージョンアップさせていくかという試みをやっていくしかないと思います。なぜなら我々は「総合知」と無縁ではいられないからです。「総合知」をないがしろにしてきた悪弊が出ている現状を見て、もう一度「総合知」って大切だよねと我々が思う余地はあると思っているのですが。

神津 「総合知」、総合力を持っている人が本当に少なくなってきていますよね。私はいつも「極論の中に答えは無い」と言っています。極論はイデオロギーになってしまうので、現実的にものを動かす力は真ん中しかあり得ないと思っているのですが、皆、ものを動かしたくないので黒か白かの極論になってしまうのでしょうか?

辻田 皆、灰色に耐えられなくなってきています。「専門知」は確実なので、この人に聞けば大丈夫と安心できるわけです。しかし、その知と社会全体がどうつながっているのかを考えるのは大変なので、「専門知」だけ取り込もうとしているのではと思います。

神津 以前順天堂大学の先生から「腸内の2割が善玉菌、1割が悪玉菌、残りの7割がいわゆる日和見菌だから、人間そのものもそうなのではないか」と伺いました。7割の日和見菌はいわば灰色ですよね。

辻田 全くその通りだと思います。我々はその真ん中の人を変な方向に持っていかないために、より良い「全体知」を提供していく仕事をしていかなければいけないわけですね。私は比較的歴史を専門にしていますが、歴史も専門分野が細分化され、日本史全体としてはなかなかものが言えなくなっています。でも多くの人は専門書や論文を何百も読むのは無理ですから、1冊でわかる本を欲しがります。それが専門家から見てどうかと思うような人の本を読んで影響されてしまうと、社会全体が悪くなるわけです。専門家の人たちはあまりしたくないかもしれませんが、これ1冊で日本史がわかるという仕事、つまり善玉菌を社会に提供するという仕事に協力していかないと悪玉菌に乗っ取られることになるなと思います。歴史に関してはかなりそのような状況になっているのではないでしょうか。

神津 歴史に学ぶ、温故知新という言葉が日本にはあるのに案外学んでいない気がしますね。今回のコロナ禍でも、オイルショックの時にトイレットペーパーが無くなったようにマスクが無くなりました。

辻田 歴史の教訓に学ぼうということ自体、もう古くなってしまっています。例えば戦争の話などもパターンができてしまうと、「またあの話か、聞きたくない」ということもあると思うのです。語る側の人間も手を替え品を替え、いろいろな語り口で興味を持ってもらえるような物語やフックを開発していかないといけないと思います。

神津 ある仕事でお会いした南極で調理人をしていた方に「南極といえばタロとジロですね」と話したら、「それは古いですよ。今や南極には一切動物を連れて行ってはいけないんです」と言われました。

辻田 歴史の評論家にも有名な方はいらっしゃいましたが、その精神を受け継いで若い人に通じるように全体の見取り図を更新する、物語を上書きする作業をしていかないといけない。そうしないと変わった味が欲しくなって極端な意見を求めてしまう面があるかと思います。

神津 ETTでエネルギーについて勉強していると、専門家の意見は正しいかもしれないけれど一般の人には通じない、腑に落ちないことが時々あります。私はその間のグレーゾーンを埋める仕事を長年しているのですが、専門家と生活者とのかい離が激しいと感じています。どうやったら埋められるのか、埋められる人を探さないといけないのでしょうか?

辻田 おそらく永遠に埋めていく作業をするしかない。それが評論家の仕事だと思いますが、専門家と社会をつなぐ人、全体図を語れる人を媒介にするしかないですね。専門家ではないので間違うこともあるかもしれませんが、専門家が潰すのではなく協力してレベルを上げていってもらう、それが社会にも還元されるといった回路をつくっていくことをやり続けるしかないと思うのです。

神津 なるほど。辻田さんもいわば面倒くさい仕事をしていらっしゃるわけですね。

辻田 面倒ですが「専門知」やファクトだけが重要という時代はもう終わっていて、「評論家の知」、「全体知」や「総合知」を練り上げていくことが今の人間の使命だと思っています。昔の雑誌の座談会のような、専門家や評論家などいろいろな人が意見を交わし議論する場をいかにつくっていくか。そうした相互信頼が文化を下支えしていたのです。最近は会員制のオンラインサロンを開いて「総合知」を復活させていくという試みも起きてはいますが。 

神津 ところでコロナについてはどう位置付けたら良いとお思いですか?

辻田 ウイルスは科学の分野なので、右か左かの人間社会の議論に合わない部分があります。Go Toトラベルにしてもこの地域だけは制限しようという細やかな議論ができるので、希望としては「中間」「総合知」の考えを投げかけられる一つの契機になるかもしれません。

生きること=社会を良くすることを前提に論理を組み立てる

神津 辻田さんの考えの元をつくったのは何でしょうか?

辻田 元々、評論家の本を読むのが好きでした。私の大学時代は専門家が偉いという時代で、自分のなかでも「評論知」と「専門知」のどちらが正しいのか悩む時期があったのですが、今の時代は「専門知」だけでは対処できていないと思い、むしろ社会に昔からあった「評論知」の無いことがいろいろな問題をつくっているのではないか、「評論知」を見直そうと考えるようになってきました。

神津 昔は評論家や科学者にも言語能力に長けた人がいました。寺田寅彦の書物が読まれたのは特に科学や物理が知りたいわけではなく、言葉にストンと腑に落ちるものが感じられたからではないでしょうか。

辻田 寺田寅彦の師匠は夏目漱石ですからね。「人文知」というか、理系文系を超えたものが今はなかなか難しくて、専門外のことを言って素人語りをしていると批判されます。否定ではなく、レベルアップする方へ思考を変えないといけないのですが。

神津 ご趣味は何ですか?

辻田 本を読んだり、旅行に行って史跡や地元の状況を見るのも好きです。昔ながらの港町などに独自の文化が根付いているなど、東京にいるだけではわからない歴史や地域の見え方がありますから、できるだけ取材しに出かけたいと思っています。

神津 コロナ禍ではバーチャルで見て旅行に行った気分になろうなど、最近の日本の文化はバーチャルの世界を称賛するところがありますが、現実とはギャップがありますね。

辻田 行って見ないとわかりません。現地に行くと例えば隣の史跡やバスの中の広告など、本来の目的ではない新しい発見があって知識を得られますが、ネットだとそれだけを見て終了ですから遊びの余地が無い。

神津 紙の辞書を引くと目当ての字の隣にも目が行って他の知識も入ってきますが、電子辞書だとピンポイントで深く探れるのかもしれませんが周りのものが一切入ってきませんね。ところで、辻田さんが社会を良くしようと活動されているモチベーションの原点は何ですか?

辻田 生き続ける=社会を良くすることだと思っています。なぜなら、社会が良くなってほしいという前提から始めないと、生きる気力も湧かないですし、複雑な論理を組み立てられないからです。社会なんてどうでもいいと思ったら何も言う必要が無くなってしまう。これは善悪というより、論理的な必然です。

神津 反○○の人も「自分が正しい。社会を良くしよう」と思って言っているはずですから、その間をうまく取っていける社会になればいいですね。

辻田 社会を良くしようという前提を共有している以上どこかで妥協できるはずで、そこに持っていくためのロジックやプラットフォームが今後必要になっていくだろうと思います。

神津 今一番興味を持っていることや、これからやりたいことはなんですか?

辻田 先程申し上げた「評論知」の再考はやりたいので、評論集を考えています。今、歴史の本は多いのですが、具体的に目の前のできごとを考える思考のヒント、「評論知」を提供できるようなものを考えています。

神津 これからもご活躍を期待しています。本日はありがとうございました。


対談を終えて

あるところで辻田さんの発言を読み、そのときから私は、辻田さんにはどうしても会ってみたいと思いはじめた。36歳といえば、私の子どもであってもおかしくない。しかし親子ほど年の離れた近代史研究家の意見を、こんな時代だからこそ、どうしても聞きたかったのである。断られるかな……と思った。何しろ私からのアプローチだけでどこにもツテはないのだ。けれども辻田さんは快く引き受けてくれた。感謝している。良い時間だった。全ての分野で何かが一色になってしまうような時代の中、そこからはなかなか回答が得られないという、ある種当たり前であることを明確に論評してくれることが快かった。そして、そういうことに気づいてくれる人が今は世の中にたくさん出てきていることを実感し、励まされたような気分である。
中道というのが敬遠されるようになってしまったが、その難しさは、右から見たら左に見え、左から見たら右に見え、誰からも理解できないからだと思う。けれどもそこを埋めてくれた人がいるからこそ、天秤がどちらかに大きく振れても、真ん中に戻る力が働いたのだろう。今は分断の時代だと言う。しかし勝ち負けではないと私は思っている。スポーツではないから、勝ち負けは恨みを買う。62歳になり悟ったことの一つである。
もう少し頑張ろうかと思わせてくれるような、辻田さんとの対談だった。まだまだ日本は捨てたものではないと、子どもの世代にこういう人がいることを知り、なんだかちょっと嬉しくなった私である。辻田さんの奮闘を祈っている。

神津 カンナ

辻田真佐憲氏(つじたまさのり)氏プロフィール

作家/近現代史研究者
1984年、大阪府生まれ。慶應義塾大学文学部卒業、同大学院文学研究科中退。政治と文化芸術の関係を主なテーマに、著述、調査、評論、レビュー、インタビューなどを幅広く手がける。単著に『古関裕而の昭和史』『文部省の研究』(文春新書)、『天皇のお言葉』『大本営発表』『ふしぎな君が代』『日本の軍歌』(幻冬舎新書)、『空気の検閲』(光文社新書)、『たのしいプロパガンダ』(イースト新書Q)、共著に『教養としての歴史問題』(東洋経済新報社)など。監修に『満洲帝国ビジュアル大全』(洋泉社)など多数。軍事史学会正会員、日本文藝家協会会員。

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