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エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

九州大学 水素エネルギー国際研究センター見学レポート
〜大学は社会を変えられるか〜九大水素プロジェクト

九州大学では「水素社会」の実現に向け、2010年度から産学官と地域が連携した実証研究が本格的に進められています。2021年10月14日、神津カンナ氏(ETT代表)は、水素エネルギーの世界的な研究教育拠点として注目を集め、「九大水素プロジェクト」に取り組む九州大学伊都キャンパス(福岡市)の水素エネルギー国際研究センターと水素ステーションを見学しました。


電力+燃料+原料を脱炭素化できるのは水素だけ

九州帝国大学(現九州大学)は、八幡製鉄所が操業開始(1901年)した石炭・製鉄の地に1911年に創立され、110年間にわたりエネルギーを研究・教育し続けてきました。伊都キャンパスは2005年の移転を機に水素エネルギー教育研究拠点の形成を目指し、国公私立大のなかで最大規模の敷地(東京ドーム57個分)に世界レベルの研究・教育ができる施設を整備しています。その中心となる水素エネルギー国際研究センター(以下、センター)では「九大水素プロジェクト」の下で、脱炭素社会実現に向けた水素や燃料電池の研究を推進しています。副学長/センター長を務める佐々木一成氏にプロジェクトの概要をスライドで説明していただきました。京都生まれ横浜育ちの佐々木氏は、東京工業大学で学んだ材料工学や原子核工学の知識を生かし、スイスとドイツで燃料電池研究に携わった後に九州大学に着任し、産学官地域連携を進めながらプロジェクトを先導されています。佐々木氏によると「大学の強みは失敗を恐れず、自由な発想ができること」で、エネルギー問題はいろいろな人とフェアな議論をする必要があるため、脱炭素・水素社会実現へ世界と戦う「チーム福岡」としての取り組みを大切にしているとのことです。

【なぜ水素?】脱石炭→脱石油→脱炭素が世界的な潮流となっています。ガソリンエンジンや蒸気タービンのような従来の「熱エネルギー変換」と異なり、水素を介し、燃やさずに発電できる燃料電池を用いた「電気化学エネルギー変換」(エネファーム、FCV(燃料電池自動車)など)は、CO2の排出ゼロ化や高効率発電が可能です。政府の革新的環境イノベーション戦略(2020年1月策定)では、①再エネの利用拡大、②海外からの再エネ大量輸入、③カーボンリサイクルで回収したCO2の燃料化(水素と反応させて炭化水素にする)に水素が不可欠で、水素は「脱炭素社会の電力+燃料+原料をまかなう化学的なエネルギー媒体」と位置付けられています。また水素は、電気と並ぶ二次エネルギー(使いやすい形に変えたエネルギー)としても政策のなかに位置付けられています。今後は再生可能エネルギー(以下、再エネ)の余剰電力の調整を電気と分担できるよう、電気と水素をスイッチで切り替えられる「エネルギー変換技術」がつくられようとしています。もう一つ大事な「エネルギー貯蔵技術」は、電気を蓄電池にためるように水素をためる水素ステーションがすでに形になり、「水素社会」の姿が見えてきました。伊都キャンパスでは水素をつくってためて使う、「水素社会」が体感できる施設を揃えています。


■電気、熱と並ぶ二次エネルギー「水素」@脱炭素社会

(図)


 

【水素はどうやってつくる?】水を電気分解すると水素と酸素に分かれます。今や水素をつくるためのCO2排出さえ許されなくなってきたので、水の電気分解には再エネの電気を使って水素をつくるのが理想的です。デモ実験を模型で見せていただきました。①太陽光を模擬したハロゲンランプを太陽光パネルに当てて電気をつくります。②電気分解装置に水を入れ、つくった電気を通すと、片方の容器には酸素の気泡がゆっくり出て、もう片方の容器には水素の気泡が酸素の倍の量、ブクブク出てきました。③つくった水素を燃料電池に吹き付けるとモータープロペラが回り、発電できることがわかりました。④ハロゲンランプ(太陽光)を消すとすぐ気泡(水素)は出なくなるので、すべて再エネで水素をつくるのは難しいと感じました。驚いたのが燃料電池の薄さで、手に持つとペラペラです。乾電池と違って、発電する物質が入っていないからだそうです。また、前もってつくっておいたという、水素を入れたプラスチック容器も見せていただきました。たまった水素は酸素と反応すると爆発の恐れがありますが、プラスチック製でも金属製でも容器に漏れないように入れておけば安全です。また、水素は拡散しやすいので屋外などでも爆発の心配はないそうです。

【水素社会はいつ来る?】エネルギー転換には非常に時間がかかります。海外の安い再エネで水素を大量につくり、例えばアンモニアを媒体として大きな船で水素を輸入し、港に受け入れ基地を整備し、消費者に供給できるサプライチェーン(供給網)の構築が今後10年で必要になります。石炭からスムーズに移行した天然ガスも、1969年のLNG輸入開始から各家庭に届くまで、東京ガスですら20年近くかかりました。2050年の「水素社会」に向けて着実に進んでいくしかない、というのが今の状況だそうです。

【なぜ九州?】約100年前に日本の製鉄を担っていた九州は、今では再エネを日本一多く導入している地域で、玄界原子力発電所3,4号機、川内原子力発電所1,2号機の再稼働もすでに行われています。2019年度には九州電力の電源構成のうち、CO2フリー電源比率は「再エネ23%+原子力35%=58%」(関東は12%)と、政府の2030年目標を達成していました。今後は再エネの余剰電力を非電力の分野(運輸、産業など)に使い、火力にも水素を使って脱炭素化を進めていけば、九州が日本最速で「脱炭素化」を実現でき、国内外企業の誘致の追い風になります。九州経済連合会も九州大学と産学連携し、「脱炭素が九州の成長戦略」と提言しています。

都会とは違う、地域に見合う水素ステーションのあり方

屋外に出て、センターに隣接する水素ステーションを見学しました。大学の公用車として使われているトヨタ自動車のFCV「MIRAI」が2台、2015年製造の初代と、2021年製造の新型(2代目)が停まっています。「乗り比べてみてください」と誘われ、研究員の方の運転で構内を走ってもらいました。初代はプリウス、新型はレクサスをベースにつくられたそうですが、どちらも乗り心地よく、走りも安定していました。POWERボタンを押してアクセルを踏むと、エンジン音も臭いもなくすっと動き出し、走行中も非常に静かです。「ギアチェンジがないのでなめらかに走行できる」と伺いました。初代(2015年)の頃には数が限られていた水素ステーションも福岡県内11カ所に設置され、大型トレーラーの移動式水素ステーションもあるそうです。

車から降りて新旧の差を伺うと、一番大きな違いはエンジンに相当するFCスタック(燃料電池)の位置でした。初代は前席の下でしたが新型はボンネットに格納されたので、乗車人数も4名から5名に増え、水素タンクも2本から3本に増えました。また、初代は停車時に水を排出しますが、新型は走行しながら排出できるようになりました。走行距離も初代が約650km、新型は約850kmに延び、3分程度の満タン充填(約5kg)で約6,000円、政府の助成もあるためガソリン代とほぼ同価格になっています。燃料電池の体積あたりの出力も初代の3.5kW/Lから新型の5.4kW/Lに向上するなど、FCVが多くの点で改善されたことがわかりました。

次に水素ステーション内を見学しました。日本で一番古い水素ステーションの一つで、2005年から整備・運用され、電線から引いた九州電力の電気と、キャンパスの太陽光と風力からつくった再エネの両方から水素をつくることができます。再エネのみだとCO2を排出せず水素をつくれるので「グリーン水素」、電線から引いた電気で水素をつくる場合は、九州では発電量の約40%がCO2を排出する火力発電によるため「グレー水素」と呼ばれます。2005年当時は原子力発電所からの夜間電力を利用して水素をつくるコンセプトでしたが、現在では再エネの余剰電力を利用するコンセプトに変わっています。

こちらの実証用水素ステーションは2005年当時の規格35MPa(メガパスカル)で運用されていますが、現在の商用水素ステーションは70MPaに統一され、全国に約160カ所整備済みです。佐々木氏によると「70MPaは10分に1台充填できる、いわば東京のルール。FCVが少ない地方なら35MPaの設備で十分で、安くつくれる」とのことです。ちなみに35MPaの水素ステーションでも70MPa車に水素を充填できますが(ただし許可が必要)、圧力が違うため半量しか入らず走行距離も半分になります。

さらに奥に進むと、大きな箱形の水電解装置が3台設置され、ブーンと作動音が聞こえました。3台分で11 N㎥(ノルマルリューベ)/時の水素をつくることができます。商用水素ステーションでは300 N㎥/時の水素供給能力がないと公的な補助が受けられませんが、佐々木氏によると「地方では水素を300 N㎥/時つくっても、その供給量に見合う数の車が充填しに来ない。地方では必要な時に必要な分をつくったほうがよいという考えも普及させていきたい」とのことです。ちなみに水は水道水からミネラルなどを除去して使っているそうです。

次は、つくった水素をためておくスペースを見学しました。水の電気分解で水素をつくると始めは圧力が高くないため、10気圧未満のバッファータンクに水素を一旦ためてから、圧力を上げる装置で400気圧まで上げます。さらに奥に進むと、38MPa(約380気圧)で約10kgの水素ガスを入れた金属製タンクが18本寝かせてありました。この水素はFCVのほか、地域の電気に使うこともできるため、水素ステーション=地域のエネルギーステーションにもなります。また、「水素の安全対策は換気」とのことで、見上げると屋根で覆われていないため、水素がもれてたまって爆発する危険もないと伺いました。法定点検のほか、自主点検も1日3回行っているそうです。一方の商用水素ステーションでは、10気圧未満から700気圧に上げるため段階が複雑になり、700気圧に上げた水素は炭素繊維を巻いた強固で高価なタンクに入れる必要があります。センター内の「水素社会ショールーム」で、大学でつくったタンクの原型を見ることができました。また、700気圧だと水素ガスを一旦冷やしてからFCVに充填する必要もあるため、水素ステーション1基につき4〜5億円の設備費用がかかってしまいます。「地方ではシンプルな廉価版の水素ステーションができればと思っています」と伺い、地域でエネルギーを考えると水素ステーションの規格にも課題があることを実感しました。


「技術で勝って、ビジネスでも勝つ」、日本主導で脱炭素化へ

最後に、質疑応答の時間を設けていただきました。日本が「水素社会」を実現するための一番のネックを伺うと、「水素を安く大量に供給できないこと」と答えられました。2050年カーボンニュートラル実現のためには、水素・アンモニアで日本全体の電気の10%程度をまかなうシナリオですが、水素を安く大量に供給・流通できないままだとエネルギーコストは今よりかなり高くなります。海外から水素を安く大量に持ってくる方法は①産業ガス会社が推す液化水素②電力会社が推すアンモニア媒体③石油会社が推すトルエン媒体④都市ガス会社が推す合成メタン媒体の4通りありますが、各業界が得意な分野で切磋琢磨し、最終的に一番安い水素がマーケットを取る競争原理が働くよう、国も技術を統一せず見守っているとのことです。

「かつて日本は水素研究でトップランナーだったのでは?」と伺うと、日本は国の予算も使いながら産学官で技術開発をしていますが、ヨーロッパではさらに金融まで味方に付け、投資をして資金を投入しているほか、優秀な人材も多く入れ、規格も多くつくっているそうです。日本はこれまでもエネルギー技術の研究開発では世界をリードしてきたものの、太陽光発電は中国に、風力発電はヨーロッパに、蓄電池は韓国などに、半導体は台湾などにマーケットを奪われました。また、若手研究者へのポストが少なく、人材が育ちにくい課題もあります。「脱炭素化は国家間の大競争。我々の「チーム福岡」では『技術で勝って、ビジネスでも勝つ』を合言葉にしていますが、水素産業も日本主導で進められるよう、政府による資金の投入と、大学による優秀な人材の育成が最重要課題です。現在が『電気社会』だと気づかないように、誰もが普通に水素を使えて『水素社会』と気づかなくなるのがゴールだと思います」と語る佐々木氏の言葉に熱い思いを感じながら〝水素キャンパス〟を後にしました。


懇談を終えて

九州大学の伊都キャンパスは、とにかく広い。270ヘクタールを越える広さなのだから、単一キャンパスとしては日本一。ディズニーランドが5個以上入るというのだから驚きだ。その中に、「水素エネルギー国際研究センター」がある。こういう自然に囲まれた良い環境の中で、「水素社会」を構築するための研究をするのは、正直に言って気持ちが良い。難しい水素のことを学ぶのだが、お天気にも恵まれた中、水素自動車に乗ったり、水素社会のショールームを見たり、伊都キャンパスの風を感じながらの取材は楽しかった。
センター長の佐々木先生は、京都生まれだが九州の面白さをこんなふうにおっしゃる。
「九州は色々な面で日本の10分の1の規模です。九州電力が2019年度の実績として発表している電源構成を見ても、CO2フリー電源は、再エネ23%と、原子力35%と合わせて58%です。東京電力管内は12%ぐらいですから、約5倍ですよ。カーボンニュートラルを引っ張っているのです」
なるほど、日本の中の九州を拠点として「水素社会」を何とか具現させようと牽引している意味が、よくわかったような気がする。もちろん「水素社会」への道のりは、研究もインフラ整備も競争も含め、まだまだ遠い。けれどもいま私たちが直面しているエネルギー転換は、本来は長い年月を要するものだ。佐々木先生は「マラソン」とおっしゃった。すぐにゴールが見えるわけではない。とするとやはり「人材育成」こそが重要になる。すべての分野の人、一人一人が数珠の玉になった気分で、きちんと基礎研究を積み重ねていかねばならない。それがある日、実を結ぶのだろうと思った。夢を追い求めながら、しかし人材育成のためには、折々に実績もきちんと現して行く。これは大変な仕事だ。私たちは出来上がった完成品ばかりを見ているが、その水面下では長い時間をかけ、奮闘している人たちがいることをよく知らなければいけない。
乗せていただいた静かな水素自動車、青色のMIRAIの窓を開け、キャンパスの空気を吸い込みながら、いつか九州大学伊都キャンパスが水素社会の発祥の地になることを願わずにはいられなかった。

神津 カンナ

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