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エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

中村桂子氏インタビュー
人間らしく生きるために、何がこれから必要なのか  

DNA研究をベースに、生きものとしての人間が暮らしやすい社会の実現に向けて、科学による知識を生かしつつ生きものすべての関係と歴史を読み取る生命誌を研究していらっしゃる中村桂子氏(JT生命誌研究館名誉館長)。これからの科学技術やエネルギー、そして私たちの暮らし方について、神津カンナETT代表がお話を伺いました。  

コロナ禍をきっかけに再考したい私たちの暮らしとエネルギー

神津 中村さんは4月から東京にいらっしゃる時間が増えたので今日はご自宅に伺ってお話を伺うことにいたしました。

中村 私はETTが発足した1990年からメンバーになっていたのですが、ちょうど同じ頃にJT生命誌研究館の仕事が始まり、高槻との往復もあって両方の活動はできないため幽霊会員でした。ただこれまでもETTや神津さんの活動をずっと目にしていましたので、今回お話しできるのはいい機会だとありがたく思っています。

神津 エネルギーについて全く知らなかった私が、ETT初代代表の高原須美子さんに誘われてメンバーになり、2010年には茅陽一さんの代表退任に伴い気軽に引き継ぐ予定だったところ、3.11の福島第一原子力発電所事故が起きて、学者ではない私はどうしたものかと思いながら、ETTの活動を以前とは違った形で模索し続けて9年になりました。

中村 3.11 は日本にとって一つの区切りでしたね。とはいえ全国では温度差があり、少しずつ切迫感が薄れています。ところが今回のコロナ感染は世界中の誰もが関わりのあるパンデミックであり、三密と言われるように人間関係が問われています。

神津 そして「新しい生活様式」が提唱されていますね。

中村 これを機会に私たちの暮らしを支えているエネルギーのことも基本から考えたいと思い、今日は専門外のエネルギーについてもお話しします。ここで、私たちはどのように生きたいかが先で、そのためにエネルギーをどうすればいいのか考えるという順番を確認したいのです。自然エネルギーを使うのは当然ですけれど、太陽光は遍在が特徴であり、発電はメガソーラー利用ではありません。遠隔地のメガソーラーで作った電気を東京へ送るのではなく、小規模発電で地産地消が当然です。原子力発電も、大型のプラントではなく小型の高温ガス炉という取り組みがあるのはご存知ですよね。日本原子力研究開発機構が研究開発に着手して半世紀近く経ち使えるのですが、実用化されていません。例えば製鉄のように大量のエネルギーを使う作業工程では自然エネルギーでは難しい。だから石炭や石油を使ったり、CO2排出が問題だから原子力を選んできました。しかしこれまで原子力は大規模プラントしか使用されておらず、冷却水不要で内陸に建設できて制御しやすく安全性が高い高温ガス炉の利用が進まなかったのは、小型のものを現場に置くという発想がなかったからです。

神津 研究を実用化するためにこそ科学が存在するはずなのに。

中村 今までの科学は世界中どこでも同じように使える規格で大型化して来ました。これからは地産地消を原則に科学技術のありようを変えていかなければなりません。

神津 科学者の人たちにその意識はありますか。

中村 生物系の仲間は同じような考え方なのですが、政治の世界や大きなお金が動く世界ではこれまで無理でした。1970年代の石油危機には、当時の通産省が日本の新エネルギー技術研究開発についての長期計画「サンシャイン計画」を企画し、私も参加していました。その後、環境庁と共同して徹底的な省エネルギー技術の開発を目的とした「ムーンライト計画」を提案。公害など環境問題が大きくなりつつあり、ゴミは捨てるのではなく有効活用するためエネルギーに変換しようと考えていました。でも、考え方の基本を変えられないので具体は進みませんでした。もし当時本格的に進めていたら今頃日本は世界のリーダーになっていたでしょうね。 

科学者や専門家は普通の暮らしから発想して欲しい

神津 そうですね。残念なことです。ところでコロナ禍の中、休業要請で1ヶ月働けないともう食べていけなくなるなんて、昔は考えられませんでしたねえ。

中村 脆弱な社会になっていますね。食べ物は海外からの輸入品が多く自分で作らないから地に足が着いていません。

神津 スーパーでは日本産の乾麺蕎麦はたくさん残っていても、小麦粉やスパゲティが全くなくなっている時期がありました。私たちの暮らしのありようがどこか変化したことを象徴的に感じました。

中村 この辛いコロナ禍をきっかけに暮らしを見直し、自分の責任で考えるようにしないともったいないと思います。

神津 中村さんはよく、「楽譜から音が出てくるわけではない。奏でないと音が出てこないように、科学も論文から何かが出てくるのではなく、暮らしの中から出てくるべき」とおっしゃっています。

中村 科学者にしろ専門家は自分が普通の人であると忘れがちで、暮らしからの発想ができない人が多いと感じます。

神津 ビル・ゲイツは「今本当に必要なのはスペシャリストでなく幅広い分野でたくさんの才能を養うエキスパート・ゼネラリストだ」と言っていますね。

中村 専門家は専門家のフィールドでのみ活動し、橋渡しするのはインタープリターやコミュニケーターというのを私は好まないんです。例えば、河川流域の暮らしについて考えるとしましょう。エネルギーとしての水源を活用し田んぼに水を引いて、氾濫の危険が少ない場所にどのように住むのか、地域によって違いますし、今日と明日の川の様相も異なるから、机上の計算では答えは出ません。これまではどこでも通用するモデルの科学研究で済みましたが、これからは地域に合わせた暮らしとエネルギーをどうやって作るのか考えて、良い暮らしをつくりたいです。

神津 寺田寅彦は科学について普通の暮らしに通じる言葉で上手に伝えていました。科学者も自ら表現能力を持たなければいけないのですね。

中村 日常とか普通をもっと大事に考えるように変わってほしいものです。

神津 そういえば中村さんは出産後しばらくの間、専業主婦の時期がおありでしたが、復帰はどのようにされたのですか。

中村 生まれたばかりの赤ん坊をおいて仕事に行くのは、当時の環境では難しかったのです。決して威張れた選択ではありませんが。下の子供が3才になって恩師から誘っていただき、お手伝いさんを頼んで復帰できました。研究をすっかりやめるのは残念ですから、ありがたいことでした。一本の線だけを進むと、効率的かもしれないけれど画一化した考え方になり発想が膠着しますよね。ですから途中での子育て専念は、今の仕事に生かされています。学問の世界でいうと、学問と学問の融合というよりは、コアを持つ人が、大事だと思う場があればそこで自分にできることをするのが重要です。例えば明治から昭和にかけて活躍した後藤新平は、北里柴三郎に学んだ医師であり、当時の内務省衛生局長になり、台湾の民政長官になり、関東大震災後は壊滅した東京を立て直した都市計画家でもありました。ところが近年の日本では一つの専門に特化し過ぎているから行動範囲が限定されており、コアを持つ人たちの様々な局面における出会いが生む相乗効果がなくなっているのではないかと思います。 

これからの社会を動かすのは、その場所に見合ったサイズの科学や経済

神津 女性が多いETTメンバーに向けて、何か中村さんからメッセージのようなものをいただきたいのですが。

中村 『「ふつうのおんなの子」のちから』という本を書きましたが、今、普通というのが難しいですね。自動車だと規格があるから規格外は出荷されません。でも生き物は全部普通なんですよ。ヒトゲノム解析をする時、誰のゲノムを選んで解析するの?という問いが出されましたが、地球上の77億人の誰のを取り上げてもかまわないんです。人類の起源はアフリカ単一で世界中共通であり、誰もが普通なんです。

神津 普通ってなんだかつまらなくて特別の方がえらいような気がしますが、普通という言葉の使い方がおかしいわけですね。

中村 自然体で生き物として生きていくことを、私は普通と言っています。そして普通に生きている女性はすごい力を持っていると思います。いろいろなことを同時にこなす力は家事一つ見ても女性の方が断然上でしょ。料理しながら電話に出たりお風呂を沸かしたりさりげなくこなしているのですから。決まった場所で決まったように動く時代は終わり、日常性を大事にする社会を作るためには、もちろん専門を持つのは大事ですが、あれもこれもその場に見合ったことができる女の人の力は重要です。また、人間は命を持ったヒト、そして自然の一部であるということを忘れて、一つの価値観だけで進みすぎるとどうなるか ―― これまでの社会では金融資本主義や科学技術を推進しすぎた結果、自然破壊が起こり、自然破壊を起こすような行為はつまり自然の一部である人間の体と心をむしばんでしまいます。経済が何より大事だ、技術をもっと開発すべきだという、権力を持った人間が社会を作っていくよりも、生きる力によってその場所に必要なだけの、身の丈にあった科学などの学問を進め、それが経済や社会を動かしていくことが大事だと思います。

神津 中村さんがこれからも続けたいことはなんですか。

中村 戦後の貧しさから抜け出したいというのが、私たちの世代共通の最初のモチベーションで、新しいものをどんどん作って日本を豊かにする命題がありました。しかしその過程で公害問題が起こり人間が苦しむようになってしまい、だからそういうものに抵抗できるよう生命誌の研究を始めたんです。ですから今のような格差が広がる社会のまま次の世代にバトンを渡したくないと思っています。

神津 進歩すればするだけ、その限界による歪みが起きてしまうということですね。

中村 また、人間は生き物としての感覚を失っていると思います。赤ちゃんの時から外の風を感じない高層マンション暮らしだと、閉じられた空間や社会の中だけでしか安心・安全でいられません。それから小さい時から既存の知識だけが入っているスマホばかりでは、脳の働きが進まないことが脳科学者の研究でわかって来ました。

神津 かつて人間は弱い存在で寿命が短かった。でもそれを知恵で乗り越えてきたのでしょうが、行き過ぎてしまったのかもしれませんね。

中村 便利というのは、早くできて手が抜けて思い通りになるけれど、一方で自然は思い通りにいかないものです。便利さという膜で保護され過ぎず、いかに人間らしく生きられるか想像すると楽しいです。これまでは安直に考えられる得意なことだけ考えて、わからないことだらけの自然を置き去りにして来ましたが、もともと人間は好奇心が旺盛なのですから、関心の対象をぐっと広げていけばまだまだやることがたくさんあり面白い社会になるし、新しい生き方もできると思います。若い方に期待しています。 

対談を終えて

中村桂子先生のご自宅は、一度はお訪ねしたいと思っていたので念願が叶い嬉しかった。高台にあるお住まいの庭は、私が散歩をしている川のそばまで抜けられるような、いわゆる段丘になっていて、東京にいることを忘れてしまうほどだ。このあたりは国分寺崖線と呼ばれ多くの緑が保護されている。中村先生がここに住まう意味が、庭のたたずまいを見ただけで分かるような気がした。生き物の中に人間もいるのだと実感できるのである。
養老孟司先生の鎌倉のお住まいもだが、威風堂々たるタワーマンションではなく、大げさかもしれないが、地球を感じられるような、生き物の気配を感じられるようなお宅だ。ご自分を誇示するのではなく、ちょっと住まわせてもらいますよ……というような雰囲気が漂っていて、そこにいるだけで謙虚な、優しい気持ちになれる。
中村先生がETTの「幽霊会員(ご本人談)」であっても、ETTをおやめにならなかったこと、そして活動を見守り続けていてくださったことを、あれから折に触れて考えている。もちろん長い間には、ETTの活動がご自分のお考えと異なることもあったことと思うが、「やめず」に「見守る」姿こそが、中村先生のスタンスだったのだろう。お話を伺いながら、中村先生の姿勢が分かったような気がする。メンバーとして存在し続けて下さる、そのお名前を見る度に、はたして今、中村先生はどのように考えているだろうかと私は何度、思ったかしれない。30年の節目で、念願のご自宅を訪れ、そしてたっぷりとお話を伺えたこと。そして何よりもお目にかかれたことで、私の肩の荷が下りた。
中村先生、感謝しています。

神津 カンナ


中村桂子氏(なかむらけいこ)氏プロフィール

JT生命誌研究館名誉館長
1936年、東京都生まれ。理学博士。59年、東京大学理学部化学科卒。同大学院生物化学修了。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、大阪大学連携大学院教授などを歴任し、93年、大阪府高槻市にJT生命誌研究館を設立し2002年3月まで副館長。同年4月から20年3月まで館長。主な著書に『生命誌とは何か』(講談社学術文庫)、『自己創出する生命』(ちくま学芸文庫/毎日出版文化賞受賞)、『「ふつうのおんなの子」のちから』(集英社クリエイティブ)他、多数。

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