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北海道電力 ブラックアウトに関する見学レポート北海道全域停電「ブラックアウト」の検証と再発防止対策 

2018年9月6日未明に発生した北海道胆振(いぶり)東部地震に伴い、道内全域におよぶ大規模停電「ブラックアウト」が起きました。2019年8月20日〜21日、神津カンナ氏(ETT代表)は、被災した北海道電力の苫東厚真(とまとうあつま)発電所と送電設備、電力供給の中枢を担う中央給電指令所を見学し、当時の状況などを教えていただきました。

苫東厚真発電所はなぜ停止したのか

1日目は苫東厚真発電所を訪れ、最初に事務所にて所長をはじめ所員の方々から「北海道胆振東部地震に伴う苫東厚真発電所の被災・復旧状況などについて」の説明を受けました。苫東厚真発電所は安価な海外炭を使用する石炭専焼火力発電所で、1号機(1980年〜)出力35万kW、2号機(1985年〜)出力60万kW、4号機(2002年〜)出力70万kWの3基で構成されています。総出力は165万kWで、泊発電所(定期検査のため停止中)とともに、北海道電力の基幹電源としての役割を担っています。

*3号機(8.5万kW)は2005年10月に廃止。

2018年9月6日午前3時7分、北海道胆振地方中東部を震源とするマグニチュード6.7の地震が発生し、厚真町では最大震度7を観測しました。地震直後、震源地に近い苫東厚真発電所では2・4号機がタービン振動を検知して自動停止しましたが、1号機は運転員の判断で停止するしくみのため運転が継続できていました。この時、①2・4号機の停止②北本連系設備(本州と北海道を結ぶ送電設備)が周波数低下を検知し、本州から緊急融通③変電所が周波数低下を検知し、1回目の負荷遮断(送電停止)④送電線事故により、道東エリアの水力発電所が停止するという①〜④がほぼ同時に発生したと見られています。その後、⑥1号機も停止し、⑩稼働していた火力・水力発電所も次々に停止したため、3時25分、道内全域がブラックアウトになりました。

ブラックアウトに至った原因は、「①⑥苫東厚真発電所1・2・4号機の停止」と、「④主要な送電線事故による水力発電所の停止」が同時に起こった複合要因によるものと最終報告されています。


グラフ


「所内には約20名(中央操作室・現場に当社運転員11名、その他、集中管理室・警備所に9名)がいましたが、中央操作室では立っていられないほどの大きな揺れで、2・4号機の方から『バーン!バーン!』という音が聞こえ、すぐにトリップ(自動停止)したことがわかりました。1号機はなんとか動いていましたが出力表示に不具合があり、34万kW出力のはずが10万kW超としか表示されておらず、出力に対して燃料の投入量が多すぎると思い、燃料・給水の量、出力を調整し、運転を継続するのに必死でした。蒸気が噴き出しているような『ゴーッ』という音が中央操作室の中にいても聞こえ、ボイラ管が損傷しているかもしれないと思いました。中央給電指令所とやり取りもしていましたが、3時25分には1号機も停止してしまいました」

発電所から約18km離れた社宅と独身寮には、所員の方々の約6割が住まわれていますが、より震源に近かったため、地震発生時は揺れで身体の自由が利かず、命の危険を感じるほどであったとのことで、家具が倒れたり物が散乱したりした部屋の様子や社宅周りの亀裂が入った道路の写真を見せていただきました。津波が来ないことを確認後、亀裂が入り段差ができた真っ暗な道路を車で走り、4時頃には皆さんが集まったそうです。「信号が消えて事務所も非常灯だけで暗かったので、エリアが停電したとは思ったものの、最初はブラックアウトとは思わなかった」そうですが、中央操作室に行った時に運転員からブラックアウトしているという報告を受けたとのことです。すぐに安否確認をしたところ、奇跡的に家族を含め所員全員がけがもなく無事だったとわかり、一安心するとともに、これで復旧に専念できると思ったそうです。

夜が明けてからパトロールをすると、1・2号機はボイラー管が損傷していることを確認したそうです。4号機は大きな損傷が確認されなかったため、再起動に向けた準備を進めていたところ、タービンの端の部分からの出火を確認したため速やかに消火したそうです。朝には自衛隊の輸送機でメーカーの技術員が来られたほか、東日本大震災の知見を持つ東京電力F&P(現JERA)など約600名の方々が応援に駆けつけ昼夜の作業で復旧が早められました。機器の目視点検、損傷箇所の補修、試運転・復旧の順に進め、1号機は9月19日、4号機は9月25日、2号機は10月10日に復旧できました。

一連の話を伺った後に作業服に着替え、模型で見学内容を説明いただいた後、所員の方と現場を回りました。全長340mの巨大な建屋に、手前の1号機から奥の4号機までが収まっています。運転中の1号機のバーナーの前では、のぞき窓から炎が見えました。3階に設けられた中央操作室に入ると、1・2・4号機、それぞれの制御盤が設置されています。震災当時に鳴ったという「ジリリリ!」「プー!」という警報音もテストで聞かせていただきました。当時は地震の揺れで天井の蛍光灯のほこりが舞ったせいか、部屋の中が煙った感じになったそうです。 中央操作室を出ると、点検中の4号機のタービン設備を見ることができました。タービンフロア全体を見渡すため4階に上ると、地震の際にグニャリとひずんだ金網の床材が展示してあり、これほどの揺れだったのか!と驚きました。次に梯を上り、定期点検中の4号機ボイラーの中へ入るという貴重な機会を得ました。ボイラーは四方が細い管でできており、今は部分的に新しい管と入れ替える作業中です。ボイラーの外へ出て側面から見ると、地震で曲がった管もありましたが、少し曲がったくらいでは運転に影響無いそうです。建屋の屋上に出ると目の前に太平洋が広がり、石炭を運ぶ船も見え、雄大な北海道の景色の中に発電所全体が眼下に広がりました。「地震が起きたのはちょうど1年程前で、今日のように暑くもなく寒くもない時期だったのが唯一の救いでした」との言葉を私たちも噛みしめました。

地滑りで倒壊した、山中の送電設備の過酷な復旧作業

午後はマイクロバスに乗り、地震で被害を受けた送電設備(岩知志線)の現場を見に行きました。車窓からは倒れたままの電柱、おびただしい数の倒木やがれきが見られ、土が流れて来た辺り一面も以前は田んぼだったと伺い、自然の脅威を感じずにはいられませんでした。道路の奥は土砂が溜まりダムのような状態になっているそうで、大雨による崩壊を防ぐためにテトラポットや土のうが積まれ、水路をつくる工事のトラックが行き交っています。1年が経とうとしている今でも地震によるたいへんな復旧作業が続いているとは、実際に見るまでわかりませんでした。

送電線保守責任者の方の話では、「地震の後にヘリコプターで上空から現場を確認後、車で被害状況を確認しに行ったものの、震源地の近くでは地滑りで林道も流されてしまったので、倒木の中を歩き、場所によってはハンターと一緒に道無き道を進み、全体の被害を把握するまで1カ月半かかった」とのことです。

山の麓で外に出ると、そのご苦労の意味がわかりました。4WDに乗り換えて途中まで上る予定でしたが、前日に倒木が発生して車が通れないということで、長靴に履き替え、傘をスティック代わりにして、復旧工事用に新たにつくった険しい林道を一歩ずつ足下に注意しながら上って行きました。その間、むき出しになった山肌に、無数の倒木が折り重なって無残に横たわる光景を見て、自然の力のすさまじさに言葉を失いました。20分程上ると辺り一面が開け、地崩れによって草木が流された、まさに地獄のような荒涼とした風景が広がっていました。ここが、一番震源に近かった岩知志線No.107鉄塔が流失し、すでに撤去された現場です。目の前には、復旧作業で新たに建てたNo.108鉄塔がそびえ立っています。このほかの送電設備にも鉄塔の倒壊や、敷地の崩落などの被害があったそうですが、地震発生から約3カ月後の12月2日にはすべて復旧完了しました。本格的な冬が来るまでに何とかしなければと、この険しい山の中で多くの関係者の方々が一丸となり、懸命に復旧作業を進めたのだろうと想像しながら、雨が降ってきた山を下りました。

「中央給電指令所」は手順書や訓練通りに復旧操作

2日目は、電力供給の中枢を司る中央給電指令所を訪問しました。まず資料を見ながら、所員の方から概要説明を受けました。北海道電力の発電所設備は、水力56カ所・火力12カ所・原子力1カ所・地熱/太陽光2カ所の計71カ所、約838万kW(2019年3月31日現在)。中央給電指令所の主な業務は、①周波数を50ヘルツに維持するためリアルタイムの需給調整②北海道エリアの翌日の発受電計画作成③東北など他のエリアと電力融通を行う広域運用業務の3つです。北海道における「1日の電気の使われ方」は、夏期は朝から需要が上がって夜になると下がりますが、寒さが厳しい冬期は24時間おしなべて需要が高く、雪が降るとさらに高くなるという特徴があります。また「供給力の内訳」の特徴としては、安価な海外炭火力が一定して一番多く用いられ、次に国内炭やLNG火力、気象条件で出力が増減する太陽光と風力は予測と実績に差が出るので、その場合は石油火力を増減あるいは起動・停止するなどして調整しています。さらにピーク時間帯には貯水池式水力(ダム式)も活用しています。所内を見せていただくと、全面に大きな横長のパネルが広がり、27万5,000Vの送電線が白、18万7,000Vの送電線が青で色分けされ、北海道全域の現在の電気の流れが矢印で表示されています。モニターには、本日の太陽光の発電量の推移が、赤い線が実績、青い線が予測で示されていました。


1日の電気の使われ方


地震発生当時の状況を伺うと、所内も大きな揺れに見舞われ、苫東厚真発電所2・4号機などの異常を知らせる警報音が「プーッ」と鳴り、パネル上のほとんどのランプが赤くなりました。「どこで事故が?」と見ると、苫東厚真発電所2・4号機の表示が0になっていたので停止したことがわかり、周波数が低下している状況でした。苫東厚真発電所にすぐ電話で状況確認するとともに、停止中の火力発電機に起動指令を連絡しましたが、周波数の低下は止まりません。この時にはまだ、送電設備が事故で停止したという認識は無かったそうです。その後、幾度か周波数が回復方向に切り替わったものの、苫東厚真発電所1号機の停止により再び周波数が低下し、水力・火力なども設備保護のため自動停止。すべての供給力が喪失し、すべての数値が0になったためブラックアウトを確認したとのことです。3時27分、手順に従ってブラックアウトの発生と緊急操作を開始する旨を関係箇所に連絡しました。この間、夜中だったため当直の4名だけで一次対応を行い、ブラックアウト発生から20分後にはかなりの人数の所員の方々が自宅から駆けつけ、復旧操作に当たったそうです。4時00分に高見発電所1号機から次々とブラックスタートを開始させ、9月8日0時13分に一定の供給力(約350万KW)を確保し、被災地を除く北海道全域への送電を完了(停電解消)するまで、復旧操作は昼夜にわたって続きました。

地震発生からブラックアウトまでの時間は、わずか18分間。その後、パニックになりそうな状況だったかと思いきや、所内では緊迫感はあったものの、ふだんからブラックアウトに備えた復旧訓練を重ねており、火種となるブラックスタートも、どの発電所から起動させるか優先順位を7パターンつくって訓練していたため、操作カードを見ながら手順通りに冷静に対応できていたと伺いました。「手順書をつくっていたおかげです。今回、想定外だった事象や対応に関しても検証し、新たなルールを確立して手順書に蓄積しています」との言葉に、電気という大切なライフラインを預かる所員の方々の責任感と頼もしさを見た思いがしました。

2日目の最後に北海道博物館を訪れ、常設展と特別展「アイヌ語地名と北海道」を見た後、野外博物館「北海道開拓の村」へ足を運び、明治〜昭和初期の開拓当時の人々の暮らしぶりを見学しました。北海道ならではの自然・歴史・文化というバックグラウンドを学んだことで、道民にとっての電気の大切さが重層的に理解でき、2日間の見学を締めくくる意義深い時間を過ごすことができました。

視察を終えて

北海道地図に描かれた電力設備の分布図を見ていると、改めて色々なことに気づく。
北海道の地形はそのほぼ中央を北見、石狩、日高などの山脈が貫き、道内を大きく東西に分けているのだが、電力設備の地理的分布を見ると、苫東厚真をはじめ、伊達、知内など主要な火力発電所は道内の西南エリアに多く立地し、一方、水力発電所はそのほとんどが石狩川、十勝川、静内川などの水系を活かして道央から道東に点々と設置されているのがよくわかる。そして、いくつもの発電所の「点」が送電線や開閉所の「線」で東西南北・縦横に繋がれ、広大な北海道全体の「面」に広がってはじめて電力系統という「形」が作り上げられているのだ。
送電線の倒壊現場を目の当たりにすると、点がどれだけ動いても、線が健在でなければどうにもならず、電気は止まってしまうという当たり前のこと、そして「線」は、広大な北海道の自然環境の真っただ中に置かれ、地震、強風、豪雪などの脅威に常に晒されていることを肌身で実感させられた。
昨今の日本の台風被害を併せて考えるにつけ、「線」のありようをどうすべきかは重要な問題だと感じる。そして自然との闘いに黙々と向き合い、被災した設備の復旧に全力で取り組む現場の力にはただ感謝するばかりだった。

神津 カンナ

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