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東京電力 安全啓発施設「3.11事実と教訓」 見学レポート
福島原子力事故の事実と教訓を社員の胸に刻み、意識・風土改革に取り組む

東京電力ホールディングス(株)(以下東京電力)では福島第一原子力発電所の事故以来、事実と教訓を語り継ぎ、社員一人ひとりに正しい理解と主体的な行動を促すため、アーカイブの構築や全社員研修に取り組んできましたが、展示内容やプログラムをさらに磨き上げ、2020年10月、安全啓発施設「3.11事実と教訓」を開設しました。2021年2月12日、神津カンナ氏(ETT代表)は、普段は社員の方しか入れない新施設を見学し、事故の当事者である東京電力が何をどう伝えようとしているのか、研修の様子まで目の当たりにする機会を得ました。



資料収集からパネル原稿、プログラムまで、社員がゼロから準備

安全啓発施設「3.11事実と教訓」は、東京電力経営技術戦略研究所(横浜市)の一角に開設されています。入口近くの視聴コーナーにて、施設の構想から立ち上げに尽力された小池明男所長より、概要を説明いただきました。全社員研修の目的は、「事故の事実と教訓を学び、福島への責任完遂と安全文化確立への意識を高め、行動を促す」ことです。築くべき安全文化を「安全を最優先する一人ひとりの意識と行動の総体」と定義し、この研修を通して常に安全最優先になっているかを考え、100点を維持するのではなく200点、300点と安全を高め続けていかなければならないという努力を誓い合います。さらに、「安全最優先をビジョンとして掲げた組織が、なぜ今回の福島原子力事故を防げなかったのか」ということが問題の本質と考え、あらゆる職場の安全意識・風土が劣化していないか、向上させるにはいかにあるべきかを自分の胸に問いかけ、対話し続けてほしいことも伝えます。


■築くべき安全文化


次に、施設ができた経緯を伺いました。東京電力では2011年の福島第一原子力発電所の事故以来、原子力安全改革プラン(2013年)の報告書に基づき原子力部門などには再教育を行ってきましたが、ほかの部門の社員には膨大な資料や報道をわかりやすく伝えきれていなかったことから、全社員研修を企画したとのことです。さらに2014年頃から事故経験者が退職し始める一方で新入社員が入り始め、「風化」への懸念と、新入社員の知識・経験の底上げも課題になりました。そこで2015年から社内外の資料を収集・整理、データベース化し、社内で共有できる「震災アーカイブ」の運用を開始するとともに記録継承についての社内検討も始め、2016年・2017年には震災体験や教訓などの社員の声を収集・分析しました。2018年、それらを社内でまとめた試作パネル約50枚を簡易展示し、社内内覧で1,500人の意見を集めて改良し、「福島原子力事故の事実と教訓を伝える全社員研修」(説明120分、車座対話・行動宣言60分)をスタートさせました。目指したゴールは、「自分の言葉」で事実・教訓を語れることと、福島への責任を果たし抜くことを約束し合うことですが、「理解して噛み砕いて自分の言葉で語るのが一番難しい」と伺いました。

全社員研修が2020年9月に一巡するまでの間も、安全推進室のメンバーとともに連日の実績や社内の反響などを分析し、議論を重ね、展示内容やプログラムの見直しを進めたそうです。「復興と廃炉をなぜ成し遂げなければならないか。震災当時、小・中学生だった新入社員にも東京電力が起こした事故を“自分ごと”として理解してもらわなければならない難しい問題に直面している」との理由から、映像なども活用して情報量を3倍以上増やし、将来に残す事実と教訓をわかりやすく展示した施設に再整備したのがこの新施設です。聞いて驚いたのが、資料収集からパネル原稿、講師役の社員の台本、音声ガイドのナレーション、車座対話のプログラムや運営方法など、あらゆる準備を外部委託でなく社員直営でゼロから実施したものであることです。「何が起きて何が足りなかったのかを一番わかっているのは社員ですし、福島の皆さまへの思いもあり、手づくりにこだわりました。車座対話で本音を引き出し、議論を通じて安全意識が自らの胸に湧くように導くプログラムも、先例の無いなか『まずはやってみる』と、この2年間で2,400回蓄積したノウハウを反映し、苦労してまとめたものです」と伺い、「自前の新たな試み」ならではの大変さが偲ばれました。

視聴コーナーのスクリーンで、柏崎刈羽原子力発電所に配属予定の、入社1カ月後の新入社員が研修を受けた映像(2019年)を見せていただくと、「福島の皆さまが納得いくような復興を」「ボランティアをしたい」「二度と事故を起こさないために研鑽を積みたい」など、口々に意欲を語っていました。また、福島第一原子力発電所1号機が1971年3月に営業運転開始するまでの記録映像も残されており、台地の掘削工事、防波堤の実験、大熊町にできた社宅など、50年程前の当時の様子が鮮やかに目の前に広がりました。

社員一人ひとりが事故を“自分ごと”として考え、責任を果たすために

視聴コーナーを出て、説明を受けながら施設内の展示物を見て回りました。①「東日本大震災と東京電力」②「事故の総括」③「過酷事故への事象の連鎖」④「社会に与えた影響」⑤「福島の現状」 ⑥「放射線とその影響 」⑦「東京電力の責任」 ⑧「廃炉」⑨「応援・感謝」⑩「安全文化」の10項目に分けて展示されています。各項目のパネルの最初に総論が記され、さらに各論に分かれて写真、グラフ、年表、映像などで詳しく知ることができるよう系統立てられています。なかでも目を引いたのは「復興年表」と「廃炉のあゆみ」の2つの巨大な年表で、関わった社員の写真や言葉、データや図などもからめながら、事故後10年間の出来事が時系列にわかりやすく表されています。4人がかりで丸々2カ月を費やしてつくり上げた力作で、2021年以降の内容も今後追加していくとのことでした。

③「過酷事故への事象の連鎖」では、安全文化の劣化によって、事態の段階に応じてそれぞれ対策を用意する「深層防護」の各層のほころびがもたらした「組織事故」として、津波の襲来→全電源喪失→冷却機能の喪失→放射性物質の放出→社会への影響の事象ごとにパネルを設けて丁寧に説明されています。世界の観測史上4番目の規模であるマグニチュード9.0の巨大地震により、福島第一原子力発電所は想定していた高さ6.1mを超える約13mの津波に襲われ、地下のバッテリー、非常用ディーゼル発電機、電源盤が水没して使えなくなり、原子炉を冷やすことができなくなりました。消防車などによる原子炉への注水も行いましたが思うような効果が無く、注水、除熱ができませんでした。これにより圧力容器の水位が下がり炉心損傷に至り、発生した水素によって、水素爆発を引き起こしました。「まさか、巨大な津波が明日にも来ることはないと楽観していたので、海抜10mの敷地を超えて浸水するとは誰も考えていなかったのです。安全最優先を掲げている会社がなぜ気がつかなかったのか、私たち社員が真剣に反省しないといけない」と、小池所長が原因と教訓を示唆します。例えば大規模な防潮堤がすぐにつくれなくても、消防車の配備や、水密扉の設置などの対策を慎重に積み上げていれば、少しでも事態は違っていたかもしれませんが、「安全意識」「技術力」「対話力」が不十分だったのです。このように事故の根本原因(津波・過酷事故対策の不備、事故対応の準備不足)と背後にある安全文化の問題を指摘した上で、安全に対する「おごりと過信に陥らないため、組織や一人ひとりがいかにあるべきか」を問題提起します。

さらに、放射性物質への不安や計画停電など社会に与えた影響、避難の実態や帰還、風評被害など福島の現状なども学び、賠償・除染・復興推進といった東京電力として果たすべき課題を考えます。「物を覚えて帰るのではなく、被害に遭われた皆さまがどんな境遇でどういう思いでいらっしゃるのか、思いを巡らせてほしい」とのことです。展示物最後の⑩「安全文化」では、「終わりなき安全の追求」(図参照)として、安全を追求していくとリスクは下がるがゼロはあり得ないと認識し、規則を守る(A)だけでなく、それを超えて絶え間なく安全向上の努力(B)を続け、可能な限りリスクを小さく(C)し続ける姿勢が必要だという考えを共有します。


■終わりなき安全の追求


「車座対話」で気づきを得て、自らの行動意欲を高める

施設内には「車座対話」のコーナーが2カ所設けられ、椅子が丸く並んでいます。講師(ファシリテーター)が世代も部門も異なる最大16名の受講者と約60分間、本音でディスカッションを重ねて議論を深め、二度とこうした事故を起こさないよう、一人ひとりがどう行動するかという「行動宣言」へと導いていきます。現在、ファシリテーターは小池所長をはじめ8名の社員の方が担当され、対話を活性化させて本音を引き出すファシリテーションの工夫に日々研鑽を積まれているそうです。この日もコロナ禍のためリモートで実施されている最中で、ちょうど自己紹介が終わったところでした。普段はどんな様子で行われているか、録画を見せていただきました。始めは皆一様に緊張した面持ちでいるところ、ファシリテーターが「自分たちの声で会社がどう変わるか、絶好のチャンスですよ!」と口火を切り、「安全とコスト、どちらが大事だと思いますか?○○さんは?」とランダムに名指しして自由に意見を求め、「なぜ?」と何度も繰り返して深く考えさせます。実施後のアンケートを検証した結果、自分の言葉にした本音の議論で得られた「ハッとした気づき」が「自分がやってやろう!」という行動意欲を高めることにつながると確認されたとのことで、そうした生の声も聞かせていただきました。

「車座対話」は小池所長がほかの施設で行われているのを見て「わが社でもやらなければ」と、東京電力ならではのプログラムを苦労を重ねて作成し、磨き上げてきました。安全文化には【人のふるまいなど目に見える層】、【安全第一など価値観の層】、【目に見えにくい無意識のうちに行動に影響をおよぼす層】の3つの層があります(資料)。社内に蔓延する思考パターン、無意識の姿勢が事故原因の根本にあり、「私たちは、無意識のうちにいつの間にか、起こるはずがない、大丈夫という共同幻想である安全神話に陥っていた」とのことです。安全第一や顧客本位など「当たり前のこと」が当たり前の行動として徹底される意識と風土に改革されるには、「一人ひとりが声を上げ、正しいと思ったら行動する」ことが必要です。そのため「車座対話」では「会社で本音を言っていいんですよ。違うことは違うと言っていい」と、上司も部下も自由闊達に話せる雰囲気づくりが重要になるのだそうです。


■安全文化の3層モデル


「震災から10年が経ち、今頃になって研修とは遅過ぎるかもしれません。しかしまだ復興も廃炉も道半ばで、これから先、事故を知らない世代の社員とともに福島への責任を果たし抜くことを条件に、東京電力は企業として存続が許されています。正しい認識を持ち、一人でも意欲を持って会社を良くしようとする力になってくれればと思い、アーカイブも教育も何とかしなくてはとここまでやってきました。一隅を照らすという言葉がありますが、会社が方向性を見失っていた時、真っ暗ならば自分が灯火にならなくてはと思ったのです。力を貸してくれて一緒にやろうと言ってくれた仲間にも助けられました」と、最後に小池所長が東京電力の未来にかける熱い思いを語られました。新施設での全社員研修はまだ始まったばかりです。今後の展開としては、管理職が研修成果を日常の職場活動でも連動できるよう、一般職とは別の研修内容も考えているそうです。東京電力が一人ひとりの社員の意欲や行動によりどう変わっていくのか、これからもしっかりと見届けていきたいと思います。


対談を終えて

ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と言った。彼はドイツ統一の中心人物と言われているが、あらゆるものを統合させて「ドイツ」という国をまとめ上げた人である。そんな彼の言葉だから重いのだが、未来を予測するのは歴史に学んでこそ、とビスマルクは言いたかったのだろう。そういう意味では今回見学させていただいた、東電の安全啓発施設は「歴史」を学ぶことによって、新しい東電、エネルギーのあり方を考えようという試みだと思う。東日本大震災に伴う原子力災害で、エネルギーに対する考え方や価値観は大きく変化した。そしてこの新型コロナの蔓延で、またまた価値観は変化した。今を生きる私たちは、さまざまなことを学ばなければいけない局面に立たされているのである。ビスマルクの言葉と同時に、ふと誰かの、新しいものが正しいとは限らない……という言葉も思い出した。こういうときこそ、拙速な判断、短兵急な舵取りではなく、丁寧な吟味が求められているのだろう。
この施設は、東日本大震災で福島の原子力発電所に起こった事象を丁寧に辿っている。そして詳細を知らずに東京電力に入社した新入社員も、まったく異なる仕事をしていた東京電力の社員も、等しく「歴史」を学び、対話をする「場」である。それぞれが同じ土壌に立ち、考えることは大切なことだと思う。さまざまな部署にいる社員が、ファシリテイターの進行のもと多くの意見を述べ合う。他の企業ではなかなかそういう形を作ることはできないだろう。この施設を経験した者が、どんなふうに変わっていくのか、私はとても興味を抱いているし、展示の公平さ、ファシリテイターの公平さなど、課題は多々あるが、意味ある施設であり続けることを祈ってやまない。手作りの展示物をコツコツと集め、一つの形を作り上げた施設が、ひっそりとたたずむ姿は、東京電力の未来をそっと下支えしている。

神津 カンナ

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