特集

エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

青森県メンバー懇談会
青森県に暮らすメンバーたちと考えるエネルギー

ETTでは2020年に迎えた設立30年を機に、神津カンナ代表が各地域を訪問し、メンバーの皆さまとともに地域のエネルギーの歴史や課題などを議論・意見交換する懇談会を企画しました。第2回目となる青森県メンバー懇談会は2020年12月の予定でしたが、コロナ禍のため延期して2021年4月6日に開催しました。




芦野英子氏(弘前市在住)    エッセイスト
久田伸一氏(上北郡六戸町在住) 六戸町議会議員/無の会会長/青森県農業経営士
築舘 忍氏(弘前市在住)    オーナー整体師
日景弥生氏(弘前市在住)    弘前大学名誉教授/学校法人柴田学園常任理事
向井麗子氏(東津軽郡平内町在住)青森県地域婦人団体連合会顧問


原子力船入港の反対運動を経て、原子力施設の受け入れへ

神津 コロナ禍のため、皆で一同に会して活動することが難しくなっています。こちらから地域に押しかけて少人数ならお話ができるのではないかと考え、このような機会を設けさせていただきました。まずは自己紹介からお願いできますでしょうか。

向井 生まれも育ちも青森県です。原子力船「むつ」(以下、「むつ」)を大湊港から出港させないと大騒動になった1970年代から原子力に関心を持ち、教職に就きながら原子力についての新聞モニターに応募しました。その後、「青森県地域婦人団体連合会」(以下、婦人会)の会長に就任し、もっと勉強したほうが良いと勧められて2007年にETTに入会しました。青森県は原子力やエネルギー問題を抱えていますので、情報をもらうだけでなく自分で考えられる人を育てる婦人会にしたいと活動をしてきました。「今日のおかずは何?」というぐらい、エネルギーの話が普通にできるようになるために少しでも役に立てればと、婦人会会長は18年間務めた後に退任しましたが、エネルギーの勉強はまだ続けています。

日景 2005年、芦野さんのご推薦でETTに入会し、15年ほどになります。学生時代、合成洗剤が社会問題となり、通産省(当時)委託事業のお手伝いをしました。当時、問題とされたことは学問的には解決済みですが、未だに合成洗剤反対の人を見かけます。おそらく、以前得た情報の入れ替えができていない、正しい情報が伝わっていないのではと推察されます。私自身はエネルギーを研究してきたわけではありませんが、エネルギーにも同様の側面があるのではとないかと思い、学ぶ機会を提供くださるETTに可能な限り参加しています。2019年に弘前大学名誉教授が授与され、現在は柴田学園常任理事を務めています。

築舘 私は一般人代表のようなメンバーです。2003年、大山のぶ代さんのご推薦で正直、訳もわからずETTに入会しました。以前は(株)中村醸造元の常務取締役として全国を回りながら、エネルギーのことはわからないながらも少しでも皆さんに付いていこうと勉強を続けてきました。今は自宅でオーナー整体師をしておりますが、今回、懇談会のお話をいただいた時に、私ができることは地域の声を伝えることではないかと考え、エネルギーについて感じている率直な思いを地域の方々に書いていただきましたので、後で少しご紹介できたらと思います。

久田 上北郡六戸町(ろくのへまち)で農業をやりながら町議会議員を務めています。ETTに入会したのは1991年、41歳の時で、上北郡六ケ所村が受け入れた日本原燃株式会社(以下、原燃)への反対運動の真っ只中でした。当時は私も原子力についてよくわからないまま反対をしていたのですが、その後、ETTの中でいろいろな方々とエネルギーについて学び、知識や理解を深めていきました。これからも地域の方々や仲間と一緒に勉強をしていくことが一番重要だと思っているところです。

芦野 1978年に第4次中東戦争が勃発し、「石油が無くなる、これからは原子力の時代だ」という話が出ました。父が被爆者手帳を持っていたので原子力には負のイメージしか無く、これは勉強しなくてはと思い、「弘前エネルギー問題懇談会」を立ち上げました。その後、「コスモスクラブ」をつくってご婦人たちとエネルギー問題を話し合っていた矢先の1993年、ETTへの入会を請われました。発電所や事業所見学から勉強を始め、先生方の講義を受け、30年の間に全国を回りました。覚えたことをしまっておくのはもったいないと思い、折に触れ、地域の皆さんにお伝えしています。発電所が無い弘前の人たちはエネルギーに疎かったのですが、原燃の受け入れ後は意識が変わりました。日本中の原子力発電所を廃炉にしても、処理に必要な施設が青森県にあるのですから、これからも皆さんと一緒に考えながら勉強し、発言していきたいと思っています。


■青森県市町村地図■東北電力 供給設備の概要


神津 青森県は太平洋側から日本海側まで広く、住む地域によってエネルギーに対する考え方も違うと思いますが、温度差をお感じになることはありますか?

久田 青森県の中でも六ヶ所村に近い地域と遠い地域、また、農業と漁業などの職種によってもエネルギーに対する感じ方に違いはあります。

芦野 漁業をやっている方は「むつ」が放射線漏れ(1974年)を起こしてから、原子力にアレルギーがあるのです。当時、猛烈な反対運動をしていた方と後にシンポジウムでお話しした時には「もう反対していないんだよ」とおっしゃっていましたが。

日景 青森県民のエネルギーの意識、関心は「東高西低」です。東には原燃、東通原子力発電所などがあり、そこで働く住民が多いことが背景にあると思います。言い換えるならば、エネルギー問題が生活に直結していると言えます。

神津 婦人会では原子力に反対の人が多いのではないですか?

向井 昔、陸奥湾の地域は貧しく、ホタテの養殖がようやく軌道に乗った頃に「むつ」が大湊港に入港したので(1972年7月19日)、原子力=原爆、危険という意識で「陸奥湾を汚したら暮らしていけなくなる」と、漁民の反対がとても強かったのです。私は小学校教員をしていて「むつ」の出港日が参観日だったのですが、陸奥湾に土のうを積むために全漁民が漁船を出し、お母さん方は炊き出しの準備があるとのことで参観日は中止になり、「むつ」は原子力でないエネルギーを使って外洋に出ました。私も原子力のことを知らなかったので「むつ」に反対していたのですが、その後も国の政策で進められていったので、「国は原子力が必要だから始めたのではないか? 反対ばかりしていてもダメだ、勉強しなくては」と思ったのです。

芦野 あの頃は「陸奥(むつ)」というりんごも不買運動に遭ったのですよ。生産地の弘前は関係無いのに、県外の人に「陸奥? イヤだ!」と言われた風評被害が10年以上続きました。

久田 ですから、津軽で農業をやっている人たちも原子力に反対でした。私も30〜40代で、ただ反対していた時代でした。

向井 反対活動が徐々に緩和された理由に、当時は貧しかったからという時代背景もありますね。六ヶ所村も貧しい地域でした。1960年代から大規模臨海工業地帯の開発が始まり、コンビナートをつくろうとして雇用が少しずつでき始めた頃にオイルショックで頓挫し、1980年代から原子力関連施設を受け入れました。経済的応援がかなりありましたので、反対意見もあったものの知事が諒承したものと思います。

ETTには、より地域に密着した活動を

築舘 私は仙台で育ち、皆さんのような歴史も無いので、弘前の人に原子力について思っていることを書いてもらったものを少しご紹介させていただきます。 「正直、放射性廃棄物が発生することを考えると恐ろしいところもあるが、原子力発電が無ければ今の暮らしは成り立たないと思う」「東日本大震災の前は安全なものという認識があったが、震災後は怖いというイメージ。原子力発電は一長一短あるが、今は必要だ」「地震大国の日本で、今後はいかに安全で安心な管理を構築できるかを検討し、良いものをつくり上げていってほしい」「原子力は必要だと思うが、まず安全性を重要視するべき」「国民一人ひとりが少しだけ不便な生活をしたらエネルギーの消費を抑えることができるのではないか」 それぞれ率直な感想ですが、原子力を全く必要無いとおっしゃっている方は一人もいませんでした。

日景 やはり個人差が大きいですね。教育現場にいた者として思うのは、エネルギーに対する教育の機会が少ないことです。小さい頃も大人になっても学ぶチャンスがありませんし、シンポジウムなどにも関心のある人しか参加しません。青森県や原燃が作成した冊子が道の駅やお店に置かれていますが、BGM効果のように、いつも目に触れることによる教育効果は大きいと思います。つまり、何かのきっかけで冊子を見て、知識を取り込んだり判断力を付けたりできるからです。

神津 ETTはこれから先、どんな活動に軸足を置けば良いと思いますか?

芦野 ここ3年位でいろいろな発電所を周り、どこも巨費を投じて津波対策をしているのを見たので、「休ませたらもったいない、今使える発電所を安全安心に再稼働すべき」と考えています。六ケ所村でMOX燃料工場の建設が2022年度竣工に向けて進められていますが、プルサーマルの燃料となるMOX燃料を製造できるようになると一気に原子燃料サイクルが回っていくでしょうから、ETTはこれからも「勉強すること」が一つのテーマだと思います。

久田 電力会社は地域との共生によって信頼関係を築くことが大事です。行政とのつながりばかり強くするのではなく、地域と多く話し合いをしないと、安心安全への気持ちが離れていき、本当に信頼されないのではないでしょうか。ETTも地域と寄り添って、地域がどのような活動をしているのかを知った上で、これから地域とどのようにつながって活動をしていけるのかを考えていただきたいと思います。

築舘 以前、子どもでも読めるように字が大きく簡単にエネルギーのことを勉強できる冊子を、皆で回し読みしたことがありました。関心のある人はセミナーなどに行かれますが、そこまで関心は無いが何とかしたいと思っている人の方が多いので、例えば回覧板のように見やすく、子どもにもご近所の人にも伝えやすいツールがあればと思います。簡単なものほど頭に入りやすく、自分の言葉で伝えられますから。

芦野 新潟は漫画で、小学校からエネルギー教育をしていますよ。

日景 ETTは神津代表になってから良い意味で変わってきました。地域のメンバーの考えやニーズを吸い上げる企画会議も実施され、かなり進化したと感じます。また、見学や講義の後に感想を書きますが、書くことで記憶に残りやすく、知識として定着しやすいので続けたほうが良いと思います。また、地域の方々に「エネルギーはいろいろな所と関わっている」ということを広く伝えるなら、シンポジウムの開催などがたまにはあっても良いように思います。

仲間や地域の男性にもエネルギーの知識を伝えていきたい

日景 ETTの学びを自分自身の学びで留めるのではなく、地域や仲間に還元することが必要です。これは私たちメンバー、一人ひとりの大切な役割と思います。

向井 婦人会だけでなく、世の男性にも何らかの方法でエネルギーの知識や情報を伝えなくてはと感じています。女性はお誘いすると50人、100人と集まりますが、例えば地元の消防団の方はエネルギーのことをどれだけわかって、関心を持っているか? エネルギーの勉強会はほとんど無いのではないでしょうか。今度は男性社会にも声をかけようと思っています。それが社会全体の知識の底上げになるからです。神津代表に講演をしていただいた時、「にんじんを出荷する箱にも車のガソリンにもエネルギーが関わっている」という細やかなご説明を伺い、婦人会の会員は皆、「そうやってエネルギーを使っているのね」と納得されていました。そういう機会をいっぱいつくっていきたいです。

神津 コロナ禍では当初、マスクが店頭から消えました。ほとんど自給していなかったことにあらためて気づかされました。農業でもエネルギーでも、自国でつくれることが国の強さになると痛感しました。オイルショックの時に足元をすくわれたように、自給力の土壌を高めていかないと今後日本は難しくなるのではないでしょうか。

芦野 エネルギーといえば電気や車だけと思われがちですが、マスクだって何だって全部、エネルギーを使ってつくっているわけです。何をやるにもエネルギーという元が無ければできないから、エネルギーを考えようというのがETTの趣旨です。

久田 今、農業をしている若い人たちは、六ヶ所村に再処理施設などがあるのを当たり前のように思っていますから、かえってエネルギーには関心が薄いのです。そういう人たちと何か交流ができたらと考えています。

築舘 今の日本のエネルギー事情について、ほとんどの人はわかっていません。そのような皆さんにどうすればうまく説明できるのか、ETTの会議に参加した帰り道でいつも考えてしまいます。先程申し上げた簡単な冊子などがあれば、私でも伝えられると思ったのです。

向井 ETTでは、高度な知識と豊かな経験に支えられた実践活動の発表が多く、参考になりました。このETTの指標を支えに、誰もがエネルギーに関心を持ち、深く正しく理解できる場を提供し、活動の輪が広がるよう期待します。

日景 英会話でも入門編、初級編といったレベル分けがありますが、そういったイメージでしょうか。

向井 そうですね。知識や経験、考え方の差があることを踏まえて、いろいろな人に納得してもらう活動を企画していかなければなりませんね。

神津 今日は皆さんのお話を伺ってヒントをたくさんいただいたので、今後のETTの活動の種にできればと思います。ありがとうございました。


懇談会を終えて

ETTが発足して30年。全国にいるメンバーの方々にはできるだけ、少なくとも1年に一度は東京で集いたいと思っていたのだけれど、さまざまな事情で東京に集まれない方がいらっしゃることもあり、これはこちらから現地を訪れてお話を伺おうと、30年記念として、各地での押しかけ座談会を企画しようではないかと決めた。2019年のことだ。しかし、ETT発足30年である2020年からは新型コロナの流行と重なり、東京から押しかけることさえも難しくなり、だいぶ予定を変更せざるを得なかったが、今回ようやく、北陸に続き、青森県弘前市でも開催することができた。ここでもたくさんのことを感じた。特に青森という地域性の中で痛感したのは、学び続けることの大切さである。たとえエネルギーへの興味が原子力反対の立場であっても、サイクル反対の立場であっても、学ぶうちに、さまざまな実態を知ることになる。青森県在住のメンバーの方々のお話を聞きながらしみじみ感じた。だから地域の懇談会、そしてそれを機に勉強会を催すことは重要なのだ。日本は小さな国だが、どこに生まれ育ったかによっても、背負ったものによっても、価値観によっても、考え方は大きく違う。ネットのおかげでグローバルにはなっただろうが、決して均一にはなれないものも多々存在する。グローバルの負の部分、地域が抱えた事情などをきちんと見極めるのが大切だと思い知った。頭でっかちになってはいけない。足元をきちんと見ることこそ重要だ。そのことを青森のメンバーに教えられたような気がする。そしてそれこそが地域の力なのだと確信した。

神津 カンナ

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