特集

エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

中西 友子氏インタビュー
放射線は生化学の発展に欠かせない重要なツール 

中西友子氏は放射線やアイソトープをツールに使って生育中の植物の状態を研究する“放射線植物生理学”の第一人者であり、現在は星薬科大学の学長としても活躍されています。日本における薬学の歴史が息づく大学構内を案内していただいた後、学長室にて神津カンナ氏(ETT代表)がお話を伺いました。

薬学研究・教育に100年超の伝統を受け継ぐ星薬科大学

星薬科大学(東京都品川区)は1911年(明治44年)、実業家、政治家、篤志家の顔を持つ創立者星一(ほし・はじめ)氏によりその前身が設立されました。「本館」は世界的建築家アントニン・レイモンド氏に星氏が設計を依頼し、1924年(大正13年)に完成した大学のシンボルで、今では“近代日本の名建築”と評価されています。
メインホール(大講堂)に足を踏み入れると、そのモダンな美しさに圧倒されました。星をモチーフとするドーム型の天井には薬草が描かれたステンドグラスが7枚飾られ、随所に見られる幾何学的な装飾や照明器具なども大正時代の面影を残しています。舞台下にはオーケストラピットが設置され、「NHKのど自慢」に使われた歴史もあるそうです。
廊下に出ると階段が無く、小石を敷き詰めたスロープで3階まで上り下りできることにも驚きました。壁には古事記にも記される推古天皇の薬狩り(薬草採取)をはじめ、薬の歴史を紐解く巨大な壁画が計4枚設置され、思わず見入ってしまいます。
元は室内プールだったという地下の図書館保存庫には、星製薬(株)を日本初のチェーンストア方式で展開し、国会議員も務めた星氏の著書など、貴重な資料が展示されていました。 本館を出て次に見学した「歴史資料館」には、星製薬(株)に関するポスターや薬のパッケージなど約100点の資料や星氏の遺品が展示され、星氏が支援していたという野口英世氏の世界に2台しか無い顕微鏡なども見ることができました。
最後に構内に設けられた、都内では数少ない「薬用植物園」を職員の方に案内していただきました。約3,000m2の敷地に約800種類の有用植物が栽培されており、それぞれに植物名や薬効・成分などを記したラベルが付いています。温室にはバニラ、バナナ、香料になるイランイランなど数多くの植物が育てられていました。屋外ではステビアの葉の甘さを味わったり、レモングラスの葉を揉んで爽やかな香りを嗅いだりと、さまざまな体験もさせていただきました。 

放射化学の知識と経験を生化学分野に生かして

神津 中西さんは子どもの頃から理系の素地があったのですか。

中西 私の両親は戦後、中国から引き揚げてきました。世の中、いつどうなるかわからないといった体験もあったせいか、母から「女性も手に職を付けないとだめだから理系にいきなさい」と言われたのです。理系は嫌いではなく、母は女性が大学に行くことも推してくれました。

神津 お母さまは先を読む目をお持ちだったのですね。

中西 東大の大学院では、当時、放射化学で彼以上の人はいないと外国でも一目置かれていた本田雅健先生の研究室で、朝10時から夜10時まで実験の日々を送っていました。放射性物質やエネルギー全般について頭に入っていないと本田先生の話に付いていけず、いつも緊張していました。本田先生はご自分のフィールド以外のことでも何でも本質を知っておられ、人格も素晴らしい方でした。

神津 東大大学院を卒業後は就職されたのでしょうか。

中西 (財)実験動物中央研究所を経て、化学メーカーの日本ゼオン(株)に転職しました。植物バイオの研究をする際、放射線管理の資格を持つ人材が求められたのです。この頃は「放射線が無いと研究が進まない」と、よくわかっていた時代でした。まだ男女雇用機会均等法が無く大変なこともありましたが、皆が決めたゴールに向かって一斉に突き進む、民間企業ならではのすごさも実感しました。私も夜中まで仕事に夢中になっていたので、月曜の朝に子どもを母に預けて金曜の夜に引き取るといった具合でした。

神津 当時はどのような研究を?

中西 免疫をつくる細胞を増やすといった「モノクローナル抗体」の開発をしていたのですが、ここでも独協医大におられた故高岡聡子先生をはじめとする素晴らしい先生方の所に培養について教えを請いに行ったり、細胞株を持っていらっしゃった先生に分けてくださいとお願いしに行ったりして、まず動物細胞培養室を立ち上げました。

神津 第一線の研究者の方々との多くの出会いも大事だったのですね。その後、東大に戻られたのですか。

中西 アメリカに2年間留学させていただき、帰国して社内に植物バイオのグループを立ち上げた頃に、東大農学部から、アイトソープを管理する人が辞めたからと誘いを受けたのです。東大では興味があった“放射線植物生理学”の研究に没頭しました。放射線やアイソトープをツールとして使って生育中の植物の状態を調べる、イメージング解析という研究です。

放射線やアイソトープの厳しい規制が生化学発展の足かせに

神津 今はどのような研究をされているのでしょう?

中西 学長業務が主ですけれども、研究は継続して放射線やアイソトープを使って植物中の水や元素の動きを調べています。中性子線を照射すると、植物中の水だけの美しい像を撮ることができます。また、放射線を放出するアイソトープを含む水を植物に吸わせると、水の動きを外から定量的に調べることができます。その結果、茎の道管で運ばれている水は運ばれている最中、いつも導管から水平に大量に漏れ出て、古い水を押し出して新しい水と入れ替わっていることがわかってきました。導管とは単なるパイプではなかったのです。シミュレーションすると、20分位で茎の中の半分の水が新しい水に入れ替わります。結構早いでしょう?

神津 おもしろいですね!

中西 放射線やアイソトープを使って実験すれば、もっともっといろいろなことがわかると思いますが、研究者は規制が嫌だとあまり使わなくなってきています。現在は蛍光染色という別のツールが発達したものの、蛍光を見る場合は暗くしないといけないのです。放射線は明るくても見ることができるので、光で成長する植物の研究にはとても向いているツールなのですが。

神津 生化学の分野で放射線の規制が厳しくなったのはいつ頃からですか。

中西 20〜30年前からです。私が勉強を始めた1970年代、放射線やアイトソープは大学では比較的自由に使っていました。今は、他の化学物質も同様ですが、扱う規制が厳しくなり、生化学分野の研究の足かせになっています。ただ医学の分野ではPET診断などで活発に使われています。放射線は、半導体の製造、容器の滅菌、厚みの計測など、社会では実は広く使われているのですが、一般の人にはあまり知られていませんね。

神津 一般的に放射線と言うとエネルギーだけに結びつけがちですが、生化学の研究や発展にとって放射線やアイトソープは重要なツールの一つだということがよくわかりました。

中西 星薬科大学ではアイトソープを使える部屋(RIセンター)を整備して、いろいろな分野の研究者がオープンに利用できるようにしています。東大では大手の食品会社が、単に「アイトソープを使いたい」という理由から、共同開発したいと訪ねてきたこともありましたので。

神津 そういえば中西さんは東日本大震災後、福島にも放射線の影響について植物の調査に行かれていましたね。

中西 福島の調査で、発電所から出たセシウムは土壌から動かず、農作物に吸収される割合は非常に低いことがわかりました。さらに研究を進めると、稲は水耕栽培ではセシウムをよく吸収しますが、水田のような土壌栽培ではほとんど吸い上げません。さらに研究を続けて、セシウムが玄米のどの部分に分布するのかなどを細かく見ています。

神津 中西さんはご自分の研究について、とても楽しそうにお話になりますね。この前対談させていただいた中村桂子さん(JT生命誌研究館名誉館長)や養老孟司さん(解剖学者)も皆さん、ご自分が熱中する世界を一つ持っていらっしゃって、その世界が大好きなのだなと感じました。

中西 いわば私にはこれしか無いのです。植物の水の動きは不思議で、まだ解明したいこともたくさんあるので、今でも徹夜することもあるのですよ。

神津 今日はお忙しい中、お時間をとっていただいてありがとうございました。

対談を終えて

原子力委員会にヒアリングで呼び出されたとき、緊張する私の前で中西先生は、ずっと柔らかい表情で拙い私の発言を聞いてくださった。
こんなに放射線に詳しい方が、いわゆる文化系の私の発言に耳を傾けてくれることを、不思議に思ったほどだ。原子力に限らず、様々な分野で専門家の意見はとても重要になってきているが、専門家の意見も得てして二分されるような時代。社会的合意をはかるには専門家も、私たちのような一般人も共に一歩進まなければいけないと思っているので、その努力が必要だと私は原子力委員会で述べた。だからETTでもさまざまな分野の知見を得ようとしているのだが、中西先生が星薬科大学の学長になられたと伺ったとき、薬用植物から発展した薬学と、放射線植物生理学が専門の先生の重要な接点だと感じ、この大学を創設した、星新一氏の父である星一氏にも大きな興味を抱いていたので、どうしても中西先生にお会いしたくて学長室を訪ねた。
アントニン・レイモンド氏によるメインホールの佇まい、創設者星一氏の資料館、壁画や薬草園などをゆっくり味わって見ていると、化学や工学と暮らしの接点が見えてくる。全ては融合の中からしか生まれないのだと悟る。そして中西先生はご専門分野の研究の話を楽しそうにたくさんしてくださった。一つの分野をどこまでも掘り下げることの重要さ、そしてそのようなあらゆる専門家の融合で私たちが成り立っていること。時代を遡り、東京であることも忘れそうな星薬科大学の中で私は、大切なことを学んだような気持ちになった。

神津 カンナ


中西友子氏(なかにしともこ)氏プロフィール

星薬科大学学長/東京大学名誉教授・特任教授
石川県生まれ。1978年、東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。(財)実験動物中央研究所研究員、日本ゼオン(株)技術開発センター研究員、米国カリフォルニア大学博士研究員などを歴任し、現職。内閣府原子力委員会委員(非常勤)、スウェーデンチャルマース工科大学名誉博士。専門分野は放射線植物生理学。その研究は国内外で高く評価を受け、猿橋賞受賞(2000年)、原子力学会貢献賞受賞(2001年)、日本放射化学会賞受賞(2009年)、フランス国家功労勲章(シュヴァリェ章)受章(2013年)、Hevesy Medal Award受賞(2016年)。最近の著書は『土壌汚染』NHKブックス(2013年)など。

ページトップへ