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塚谷裕一氏インタビュー植物の進化に学ぶ「多様性」の表と裏

植物学者の塚谷裕一氏は葉の発生を司る遺伝子経路の解明などを研究する「葉っぱの専門家」でありながら、熱帯雨林のフィールド調査、「スキマの植物」の探索、植物にまつわるエッセイ執筆など幅広く活動されています。大学院教授を務められている東京大学にて神津カンナ氏(ETT代表)がお話を伺った後、本郷構内の研究施設の温室に案内され、研究中の珍しい植物などを見せていただきました。



わからないものに対しては「経験値」を積むことが必要

神津 塚谷さんは元々〝昆虫少年〟だったそうですが、植物に興味を持たれたきっかけは何だったのでしょうか?

塚谷 昆虫は種類が多過ぎて、名前がまだ付いていないものも多いのです。子ども用の図鑑をひと通りマスターすると次はもう専門家の論文の世界で、間のステップがなく、つまらなくなりました。虫が好きだと植物のこともわかるようになります。日本国内の植物にはほぼすべての種類に名前が付いていて、知識のレベルが上がるにつれてそれに応じた図鑑もあり、興味を持つようになりました。

神津 なるほど。本格的に植物を研究しようと決めたのは大学に入ってからですか?

塚谷 東京大学で専門を選択する3年生の時に生物学の植物コースを選択しました。

神津 2000年にアマゾンに行って熱帯雨林の中を歩いたのですが、案内していただいた研究者の方に、「アマゾンの植生にはわからないものが多く、ずっと探っていく楽しさがある」と伺いました。塚谷さんも未知の植物を研究するおもしろさを感じていらっしゃるのでしょうか。

塚谷 サイエンス(科学)では一般的に、五里霧中でわずかにわかったことを知識で埋め、実験で展開して先を見つけます。普通の研究だと実験して明日にも結果が出て次のステップに進めますが、東南アジアの熱帯雨林に行くと何もわからない植物があります。日本の植物がわかると、北半球の植物は似たものがあるので大体わかるのですが、熱帯雨林には通用しません。わからないものがわかるようになるには「経験値」が必要になります。2、3回目の調査では見るものすべてが珍しく何もわかりませんが、4、5回目には「見たことがない=記録がない(名前がない)=新種」だと、ふるい分けできるようになります。

神津 へえー。塚谷さんが見つけられた新種はどんな植物なのですか?

塚谷 2005年にボルネオで、日本にいるタヌキノショクダイの仲間を発見しました。助手の時代から熱帯雨林へ調査に連れて行ってもらい、熱帯雨林の「経験値」が身に付いていたので、「見たことがない=新種」だと見つけることができました。その後さらに気をつけて見ていると「違和感」が目に入って来るのがわかるようになり、いくつか新種を発見して名前を付けました。

神津 「違和感」が新種を見つける一つのファクターなんですね!

塚谷 「経験値」を積んでグレードアップしていくと、「違和感」が目に入って来るようになります。

神津 塚谷さんは、都会のアスファルトの割れ目などに生えている「スキマの植物」の探索もされているんですよね。

塚谷 植物が野原や山道に普通に生えていても興味がある人しか目に入りませんが、スキマにいるから「違和感」で目立つのです。タンポポやイネ科のオオバコなどはどこにでも生えていますが、地域によっては生えていないものもありますし、よくこんな所までたどり着いたなと驚くこともあります。

結果だけでなく、変化する瞬間を見ないと本質はわからない

神津 今取り組まれている課題、お仕事はどういうものですか?

塚谷 僕らは葉っぱをメインに研究調査しています。植物に関しては何でもおもしろいと思ってしまうのですが、基本的には「形」をキーワードにしています。最近のテーマの一つは、水陸両用植物(水草)が水中と陸上で葉の形を変えるしくみです。水中に沈めると細長くて薄い葉っぱ、陸に上げて鉢植えすると広くて厚い葉っぱに形を切り替えることができるのです。

神津 環境によって、いろいろな生き方ができるわけですね。

塚谷 空気中だと風の流れで葉っぱは光合成に必要なCO2を吸収しますが、水中ではCO2は炭酸イオンとして溶け、その分子の動きは空中より圧倒的に遅いので、普通の葉っぱだとCO2をあっという間に使い切っちゃうわけです。補給がなかなか来ない。ですから水中では、葉っぱの中にCO2が入り込むのに時間がかからないようにガラッと形を変えます。また、陸上では葉っぱの裏に空いた孔からCO2を取り込みますが、水中では気体ではないので孔が必要ない代わり、葉っぱ全体からCO2を取り込んでいます。

神津 水中でつくった葉っぱを陸に上げると、形はどのように変わるのでしょう?

塚谷 葉っぱは先端部分からつくられるので、水中用の葉っぱの途中から陸用の葉っぱを継ぎ足す感じになります。別のチームが別の植物を調べた論文と見比べると、葉っぱの形を変えていく方法は何通りもあるようです。

神津 なるほどねえ。塚谷さんは「正常な状態ではわからないが、変化があった時に何かがわかる」と言及されていますが、葉っぱの形が変わる瞬間を見ないと本質はわからないということですね?

塚谷 でき上がった形を見れば「すごく違うな」とはわかりますが、何がどうして変化したかはわからないので、植物を水中に沈めたり陸に上げたりしてつぶさに観察しています。ヒマワリなどと違って、どうして形を切り替えられる植物がいるのか? なぜそのような特殊な能力を身に付けたのか?ということを調べています。

外圧の危機によって「多様性」は増減する

神津 「根をはやす」という言い回しもありますが、植物には根がありますね。動けない利点は何なのでしょうか? 

塚谷 植物が光合成をするためには水が必要で、CO2と結合させて糖分をつくっています。水が潤沢な時でないと光合成ができないので、土から水を吸い上げやすいように根っこを進化させてしまいました。動けない利点というよりも、結果的に動けないつくりになったわけです。

神津 そうか。植物は生きるために動けなくなったのですね。そういえば、木は動けないけれども鎮静剤のような成分を出していて、人間がそのおこぼれにあずかっているのが森林浴だと聞いたことがあるのですが…。

塚谷 葉っぱの出す香り成分が我々をリラックスさせると、調べている人がいます。初夏がすがすがしいのは、その成分が揮発しているせいかもしれません。また、植物同士が「虫が来ているから気をつけろ」など、香り成分でコミュニケーションしていると主張する人もいます。

神津 植物にとって香りは重要なのですね。

塚谷 宮城県沖の金華山という島に、香りが強烈で、葉が小さく、トゲが多く、食用に適さないサンショウが生えています。500年位前に神社にシカを奉納した後、シカが増えていろいろな植物を食べ尽くすうちに食べにくいものだけが残り、さらに食べづらくなるように約500年の間に形を変えて生き残ったと考えられています。金華山にはブナの巨木があるのですが、木の実が生ってもシカが食べてしまうので、一番若い木でも樹齢500年です。

神津 カメの研究をされている平山廉さん(早稲田大学教授)によると、カメの首は5,000万年位かけて甲羅に引っ込むように進化したそうです。それに比べるとサンショウが約500年かけて形を変えたというのはそれほど長い時間ではないですね?

塚谷 約500年で植物が環境に適応できるというのは、私も早いなと思いました。

神津 植物が変化していくのは食べられないためですか?

塚谷 たまたまそういう種類が集団の中で生き残れたという消極的な理由でしょう。島に多種多様なサンショウがいた中で、香りが強烈で、葉が小さく、トゲが多いため食べ残されたものが生き残り、さらに香りが強く、葉が小さく、長いトゲが多くなったと考えられます。もし元々、葉が大きくて食べやすいサンショウだけしか島になかったら絶滅しています。「多様性」のない社会が生き残りにくいのはそういう理由ですね。

神津 今、私たちが求めている「多様性」のある社会はやはり必要だというサジェスチョンになるのでしょうか?

塚谷 元々「多様性」があったおかげでサンショウという植物は生き残れてめでたしめでたし、という話の裏を返すと、小さい葉のサンショウしか生き残れず「多様性」がなくなってしまった…ということにもなります。

神津 なるほど! もしシカがいなくなったら、大きい葉の食べやすいサンショウもまた出て来るのでしょうか?

塚谷 外圧によって何らかの危機にさらされた場合、生き残れるよう調節しながらしのいでいる間に「多様性」が減ってしまいます。「多様性」が減った状態は不健全だという見方の裏で、「何かの理由で多様性が減ったのではないか」「多様性があると困るのではないか」という理由を考えないといけません。金華山の場合はシカのせいで「多様性」が実現しなくなったので、その外圧を取り除けば大きい葉のサンショウも出て来るでしょうし、そもそもシカに食べられないためにつくるトゲは〝コスト〟もかかります。光合成ができないトゲに栄養を回してつくることは植物にとって負担が多く、いわば防衛費がかさんでいることになるからです。

神津 「多様性」を持っていても外圧で損なわれてしまう。外圧がなくなったら「多様性」がまた増えるというわけですね。

塚谷 「ボトルネック効果」と言うのですが、噴火など大きな環境変化によって生物の個体数が減ってほんの少しだけ生き残り、そこからまた子孫を増やすと、噴火前に比べて「多様性」の低い集団ができます。植物を調べた時に、個体数の割に似たり寄ったりで「多様性」が低いと見られることがありますが、「ボトルネック効果」によるものです。

神津 単に個体数が多い=「多様性」がある、ということではないのですね。

塚谷 先程、日本の植物がわかると北半球の植物は大体わかると言いましたが、日本は南北に島がつながっているので、氷河期でも植物が絶滅せずにすみました。逆にイギリスは個々の島が独立しているので逃げ道がなかったのです。日本は植物の「多様性」が温存できる場所なのですよ。

神津 最後になりますが、私たちが植物から学べるとしたらどんなことでしょうか?

塚谷 植物は行き当たりばったりですが、一つのやり方に固執せず、いろいろなことにたくさんトライしている中で、結果オーライでここまでうまく来たと考えられます。タンポポも毎年一年中、莫大な種を蒔き散らす中でおびただしく失敗しているでしょうが花を咲かせています。

神津 植物はさまざまな適応力を身に付けて、したたかに生き延びているのですね。今日は興味深いお話をたくさんありがとうございました。


対談を終えて

アマゾンの熱帯雨林に赴き、密林という言葉が実感できるような、空も見えない暗い静かなジャングルを歩いていた時、たくさんのことを感じた。ぽっかりと頭上に空が見えてスポットライトのように陽の光が射す光景は美しかったが、その穴は立ち枯れた樹木ゆえにできた空間であり、よく見ると四方八方から植物が陽の光が得られるその場所を求め、壮絶な戦いをしていることが分かった。そこでは音のない戦争が繰り広げられていたのだ。その日から私は植物に興味を抱くようになった。今回、塚谷先生にお目にかかり、私たちが最近よく使う「多様性」という言葉の裏にある複雑さを知った。多様性があるがゆえに生き残ったが、生き残ったがゆえに多様性が奪われるという事実。帰路、私はそのことばかりを考えてしまった。人間はまだまだ植物に学ぶことがたくさんあると痛感した。そして見せていただいた塚谷先生の研究施設である温室は、普通の(?)温室ではなかった。雑然としているが、よく見ると不思議な植物に溢れ、それに蚊も飛び交い、美しい温室とは言いがたいが、それだけに植物のあるがままを垣間見たような気がしてなんだか嬉しくなった。そしてそこにある石のように見える「リトープス」、水筒みたいな「ウツボカズラ」などなど、不思議な変わった植物を見ていると、そのさまざまな生き方に示唆があることを感じる。

塚谷先生は、新種を見つける極意を「違和感」だとおっしゃった。違和感を感じるために、勉強も蓄積もあるのだという。ある種の「感覚」というのは、夥しい勉学の上に生まれるのだろう。穏やかな塚谷先生の、決して大柄ではないその体の中には、地層のように知識が堆積しているのである。

神津 カンナ



塚谷裕一氏(つかや ひろかず)氏プロフィール

植物学者/東京大学大学院教授
1964年、神奈川県生まれ。東京大学大学院理学系研究科 植物学専攻博士課程修了。2005年〜現在 東京大学大学院理学系研究科 教授。2017年〜2021年 小石川植物園園長(兼務)。専門は発生生物学、系統分類学。受賞歴:2019年 日本植物形態学会 学会賞ほか。著書:『森を食べる植物:腐生植物の知られざる世界』(岩波書店)、『カラー版 スキマの植物の世界』(中公新書)、『植物のこころ』(岩波新書)、『漱石の白くない白百合』(文芸春秋)ほか。

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