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東北電力・女川原子力発電所見学レポート 東日本大震災による原子力発電所の影響と今後の安全対策

2011年3月の東日本大震災による東京電力・福島第一原子力発電所の事故を受け、日本では、安全性再確認のために国内17カ所で稼働していた原子力発電所を、2012年5月5日までにすべて停止しました。その後、ストレステストを経て政府が再稼働を福井県に要請し、承認された関西電力・大飯発電所3、4号機のみが、夏の電力不足に備えるため、7月に再稼働し現在に至っています。
エネルギー政策の方向性が模索段階にある今、ETTでは、これまで日本の発電電力の30%近くを占めてきた原子力発電所の現状を知るため、2012年8月29日、神津カンナ氏(ETT代表)が震災の影響を受けた東北電力・女川原子力発電所を訪れました。

3.11に女川原子力発電所で起ったこと

東北電力は東北地方6県と新潟県に電気を供給しています。発電量の30%近くをまかなっていた原子力発電がゼロになったため、火力発電の占める割合が震災前は約60%でしたが、現在は約90%まで達しています。太平洋側の火力発電所は津波に襲われ、現在もまだ復旧作業中のところもあり、緊急設置電源の活用や他電力会社からの融通によって供給が成り立っています。

女川原子力発電所は、太平洋側、三陸海岸沿いの女川町、石巻市にまたがり立地しています。地震と津波によって、女川町では住民約1万人のうち1割弱の方が亡くなられました。発電所に行くまでの車窓からは、津波被害を受けた建物やがれきの山がそのまま残されている所も多く見られ、あらためて津波の猛威を感じました。

地震の震源から最も近い原子力発電所である、女川原子力発電所の被害状況はどうだったのでしょうか?

2011年3月11日14時46分に地震が発生し、震度6弱の激しい揺れから43分後、発電所に高さ約13mの津波が到達しました。

発電所では3基ある原子炉のうち、2号機は定期点検の最終段階として、地震発生直前の14時に原子炉の起動開始をしたところでした。そのため即座に自動停止・冷温停止ができました。また1号機、3号機も地震発生後約10時間後には自動停止・冷温停止状態に至り、放射性物質が放出されることはなく安全が保たれました。つまり異常や事故発生時の「止める・冷やす・閉じ込める」が健全に機能した結果だといえます。

なぜ安全停止できたのか?

敷地内の各号機は、1号機が海側から向かって左手奥、その手前に2号機、右手に3号機という配置になっています。

1968年に社内委員会で建設のための検討が始まったとき、明治、昭和時代に三陸海岸で起こった津波の記録を検証した結果、想定値は3mでした。それにもかかわらず専門的意見にも耳を傾け、余裕をもって14.8mの敷地の高さで設計がされました。2号機の建設申請時には、さらに時代をさかのぼり検証を重ね、津波の想定数値算定の精度を高めた結果、高さを9.1mに想定し、またその後、土木学会手法による津波評価13.6mを取り入れても敷地の安全性は確保できることを確認しています。津波の高さを9.1mに想定した際には敷地法面の下部の土が津波の引き波でえぐられてしまわないよう、約10mの高さまでコンクリートで補強する法面防護工事が行われました。

これらの「もしも」を想定した備えにより、今回、実際に届いた津波の高さは約13m だったことから、発電施設のある敷地の高さ(地震後、約13.8m)まで津波がかぶることはありませんでした。地震発生の1年前には津波の測定計を強化してあったおかげで、今回の津波データが残り、今後の対策にも役立てられるという説明もありました。

また、海沿いには安全対策に必要な機器は一切置いておらず、冷却用の海水ポンプ類については敷地の上にピットと呼ばれる凹形のコンクリート壁を埋め込みその中に設置し、津波の直撃を受けないようになっています。

実際に海側から建屋のある敷地を見上げてみるとかなりの高さでしたが、これほどまで高くしておかないと防げなかった津波の威力も実感しました。

今回のような大地震でも、女川原子力発電所では送電線から受電している外部電源も5回線のうち1回線が確保され、非常用ディ-ゼル発電機も使用可能な状態でした。

原子炉冷却や原子力発電の安全性に関わる設備は大きな被害を受けませんでしたが、海岸沿いに置いてあった、暖房や水濃縮のボイラーのための重油貯蔵タンクは津波により浮力で倒壊したり、2号機では海水取水路から急激な水圧を受け下から浸水し、原子炉冷却水系の設備の一部は浸水しました。(原子炉冷却水系の設備は複数系統あったため、実際の冷却には支障なし)

とはいえ最小限の被害であったため、津波で壊滅状態になった集落からは、当日の夕方には避難してくる人たちが大勢集まってきたそうです。原子炉が無事だったために、本店の判断を待たず一般の人を受け入れるという英断の結果、最大時は364名に敷地内の体育館を避難所として提供し、最長で約3カ月の間、過ごした方もいらっしゃったそうです。当日は雪が降るほどの寒さで、全地域が停電になっている中、住民の皆さんのために、発電所内にストックされていた水や食料を分け、また道路が寸断され物資が届かない状況下において、ヘリコプターで輸送されてきた補給食料も所員より優先的に配られたそうです。

福島の状況はどの程度、伝わっていたのか?という神津代表の質問には、避難所となった体育館にはテレビを設置したので、住民の皆さんはニュースを見ていたかもしれないが、隣接している発電所が安全な状態だったため心配なく過ごされていたとのことでした。

安全性向上に向けたさらなる取り組みとは

女川原子力発電所は2012年7月30日~ 8月9日にかけて、国際原子力機関(IAEA)の派遣団の調査を受け、「あれだけの地震動にも関わらず構造物・機器については驚くほど影響を受けていない」との評価を受けています。

敷地の高さ、安全性保持のための機器の高所設置、電源の確保、という3つの要因などが奏功し、福島と同じ高さの津波が届いても安全性が保持されたわけです。

女川原子力発電所では今も安全性向上に向けた取り組みがなされています。その一つが、想定を超えた地震の揺れを解析しながら並行して耐震力を増強する耐震工事です。また今回の震災によって東日本の多くの地域で地盤沈下が起こりましたが、女川原子力発電所でも約1m弱の地盤沈下があり、そのために防潮堤の高さは海面より14.8mだったのが約13.8mに下がってしまったため、約3mをかさ上げする工事を2012年4月までに完成させています。また3号機のあるタービン建屋に入りお話をうかがいましたが、建物のすべてのドアは震災後にかんぬきのかかる防水扉に補強されていました。

さらに今回は電源が確保されましたが、「もし万が一」ということを想定し、約52m上の高台に大容量電源装置を設置し建屋へケーブルでつないでいます。また、その他にも電源車4台を配備しています。

東北電力では、これら安全対策を進めたことで、「福島第一原子力発電所と同様な事故を起こさない安全レベル」を確保できたとしています。

また原子力発電所からの放射性物質の漏れが私たちにとっていちばん身近な問題であるため、その防御システムについて詳しく説明していただきました。

もし原子炉が他から遮断されて熱の行き場がなくなると、圧力が上がり、最悪の場合は水素爆発を起こすため、原子炉内部の放射性物質を含む蒸気を外部に逃すよう排気するベントという措置をしなくてはなりません。しかし電源を失ってしまうと、ベントのバルブも開けられなくなってしまうので、現在では女川原子力発電所を含め全国の原子力発電所において、電源がなくてもバルブが開けられる対応を進めているということでした。さらに従来のベント方法に加えて、格納容器の蒸気を大気に放出して圧力を低減させる際に、フィルターを通過させて放射性物質の放出量を1/1000以下にするフィルター付格納容器ベント設備の設置を検討するなど、さらなる安全性の向上を目指し、取り組みを継続しています。

今後も日常的な訓練の実施や、これまでに携わった先人たちの安全に対する真摯な取り組みなど、良き伝統を継続していきたいとの意気込みを伺うことができ、有意義な視察となりました。

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