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新高瀬川発電所 高瀬ダムの堆砂対策 見学レポート
発電用高瀬ダムを土砂流入から守れ! その苦闘の現場を見る

昔から頻発した水害に見舞われ、河川の水を有効活用してきた信濃川水系高瀬川流域。現在は、大規模な水力発電用ダムの調整池に流入し続ける土砂との闘いを日々強いられています。2018年9月6日、神津カンナ氏(ETT代表)は現場に赴き、自然の恩恵を受け、自然と共存するが故に起こる厳しい現状と、それと闘う現場の力を目の当たりにしました。

 

大正時代から始まった高瀬川の水力発電は、国内屈指の規模

日本アルプスの槍ケ岳を水源とする高瀬川は、信濃川を経由して日本海に注ぎます。高瀬川流域は降水量が多く、川の勾配が急であることから水力発電に着目され、大正時代に次々と発電所を造成。1970年代にはさらに河川の有効活用を図り、電力需要増大のピークに備えるため、高瀬川再開発が進められました。現在では高瀬ダムと七倉ダムの間で揚水式発電を行う新高瀬川発電所(東京電力HD)や、大町ダム(国土交通省)から放流する水を使う大町発電所(東京電力HD)など、6発電所で合計134万5,900kWの発電を行っています。

バスで田園風景を抜け、最初に到着した大町ダムは、「昭和44年8月洪水」を機に建設された多目的ダムです。洪水の調節、農業用水や生活用水、発電に使用するため、さまざまな装置や機器が備えられています。国土交通省の職員の方に案内され、高さ107mの天端(てんば)を、山々とエメラルドグリーンの水を眺めながら歩いた後、ダム内部のエレベーターと階段を約70m降り、外のゲート監視所へ。そこでは「ジェットフロー放流管」から轟音とともに勢い良く、利水のための大量の水が放流されていました。毎日放流する量は決められ、数日前の大きな台風の襲来前は放流を調節したそうです。その台風時の緊急対応を伺うと、「上流の2つのダム(高瀬ダムと七倉ダム)と情報を共有し、放流量を調節しました」との答え。管轄は違えども、高瀬川流域で連係し合い地域を守っている様子がうかがえました。

*ダムや堤防の一番高い部分。


 周辺地図

“想定を大幅に上回り、流入し続ける土砂の搬出に日々奮闘

大町ダムからバスで約40分、高瀬ダムの堆砂(たいしゃ)対策の見学に向かいました。最初に東京電力HD高瀬川事業所で、所長から歴史や概略を伺いました。高瀬ダムは、揚水式発電所である新高瀬川発電所の上部調整池のダムとして1978年に完成。揚水式水力発電は、発電所の上部と下部に調整池をつくり、電力需要の多い昼は上の池から下の池に水を落として発電し、電力需要の少ない夜間に下の池に貯まった水を上の池に汲み上げます。東京電力HDの高瀬ダムは、湖水に埋没した部分の岩石盤などを積み上げたロックフィルダムの中では日本一の高さ:176mの巨大なダムで、毎秒644m3(25mプール2.5杯分)の水を落とし、発電に利用できます。ロックフィルダムの構造は、粘土質材料を盛り立て、その外側を現在は調整池の底である河床の砂礫・岩石盤を積み上げつくられています。ちなみに下部の七倉ダムは高さ125mとなります。

*調整池へ流入した土砂が調整池内に堆積すること。

再びバスに乗り、槍ケ岳までの登山ルートにもなっている道路を走っていると、土砂を積載した何台ものダンプトラックとすれ違います。ダンプトラックは全部で36台稼働していますが、近隣の別荘地などに配慮し、ゴールデンウイークや夏休み、紅葉期などには休工しているそうです。途中から東電管理用道路のトンネルに入りました。七倉ダムの建設時に使用したトンネル内を地元酒造会社に清酒の貯蔵庫として貸し出し、地元名産の貯蔵酒づくりに貢献する取り組みも広げ始めたとか。高瀬ダムの前でバスを一旦降りました。下からダムを見上げると、大きなもので15トンあるという約8万個もの花崗岩が城の石垣のように積み上げられた様子は壮観の一言! 一つずつ形が違うため、組み合わせを考えながら一人の技術者が7年かけて崩れないよう積み上げたそうです。その間を縫うようにジグザグに通された細い道路から、次から次へと土砂を積載したダンプトラックが降りて来ます。1車線の片側通行のため、ちょうどその時は18台のダンプトラックが降りて来ないと私たちのバスが上れないとのこと。ダンプトラックが全て通り終わると、天端(てんば)まで上り、バスを降りました。

高瀬ダムにはエメラルドグリーンの水がたくわえられていました。台風の後で水位が上がり、目では確認できませんでしたが、「総貯水容量の約30%は土砂で埋まってしまっている」と聞いて驚きました。そのため発電に利用する有効貯水容量も約17%減少し、本来は最大出力にて7時間の発電能力があるのに6時間弱しか発電できません。当初の想定量を大幅に上回る堆砂が進行中で、現在実施している堆砂対策を行わないと、発電への影響により社会インフラとしての存在意義を失う恐れがあるというお話でした。そこには私たちが普段イメージするダムからは想像もできない現実がありました。

再びバスに乗り、ダムに直接土砂が流入する濁沢と不動沢へ行くと、その恐れが現実味を帯びてきました。辺り一面は見渡す限り土砂で覆われ、何台ものショベルカーが搬出作業をしています。水面には数多くの流木も漂着しています。周りの山々の上部は「昭和44年8月洪水」などの被害により植生が取れ、無残にも山肌が見えています。想像をはるかに上回る土砂流入の規模に言葉を失いました。

堆砂対策①として、10トンダンプトラックによる土砂搬出が2002年度より実施されています。搬出した土砂はここから20kmの所につくったストックヤードに運び、砂利採取跡地の埋戻土に活用していますが、観光シーズンや冬期などは休工するため、年間実働日数は130〜140日。しかもダンプトラックによる土砂搬出量は約17万m3/年(延べ台数:28,300台/年)が限界で、粒の粗い崩れやすい材質のため活用範囲も限定的だそうです。濁沢と不動沢だけでも約35万m3/年の土砂が流入し続けており、総堆砂量は増える一方となっています。堆砂対策②は、取水口側への土砂流入を防止するため上流側に開水路を設置し、台風襲来前の取水時にダム水位を下げ、河川の掃流力を利用して土砂の一部を死水域に引き込むという、自然の力を借りた方法です。1990〜2017年に12回実施し、一定の効果を上げたものの、限定的と言わざるをえません。

“国との新たな共同事業により、画期的な対策も検討中

新たな堆砂対策として現在検討中なのが、国との共同事業化を予定している「大町ダム等再編事業」です。2006年の豪雨時、国からの依頼により、特例的に発電専用の高瀬・七倉ダムに水を貯めて下流河川の水位上昇を抑えました。これを機に、高瀬・七倉ダムに治水機能確保と土砂流入対策を施す実施計画調査が進行中です。事業案では、高瀬ダムから大町ダム下流まで土砂搬出施設を設置し、土砂を搬出します。実現すると、天候などに左右されず土砂の搬出が可能となります。

この新たな展望を胸に、最後に新高瀬川発電所を訪れました。付近一帯が中部山岳国立公園に位置しているため、発電所・変電所は全て地下にあります。所内に入ると、高さ55m×幅27m×奥行165mの大きな空洞に、4台の発電機の上部だけが見えていました。午後4時前、ちょうど2号機の発電機が回り始めた時で、ガシャッと機械が動き水車発電機が起動する音を聞くチャンスに恵まれました。さらに下に降り、水車の直径約1mの軸が214回転/分で勢い良く回る様子も特別に見せていただきました。また、ガラス越しに見た監視制御室は無人で、遠方監視制御箇所が今年2018年7月より長野県内から埼玉県へ移り、最適な運転管理が24時間体制で行われるようになったそうです。今回は、大自然相手の水力発電が直面する厳しい現状に驚かされるとともに、現場で苦闘しながらも新発想・新技術で挑む人々の姿に明るい展望も見えた一日となりました。

視察を終えて

今から5年ほど前に、上高地・大正池での冬期の浚渫を見学したことがある。
大正池は、焼岳の噴火により流出した火山泥流が梓川をせき止めてできた自然の湖だが、水の総容量は、流入する土砂により、運開当時の10分の1ほどまでに減少してしまい、発電に必要な水量を確保するために東京電力による浚渫工事が行われていた。観光客が訪れない極寒の冬場だけの作業。春が訪れ、車が開通する頃には、まるで何事もなかったかのように、大正池は趣深い表情に戻るのだ。
そして、今回の高瀬川である。曽野綾子さんの小説「湖水誕生」にも描かれた、ロックフィルダムとしては一番高い高瀬ダム。そのダムを囲むいくつかの沢から、崩れ落ちた大量の土砂がダム湖に押し寄せていて、そこに堆積した砂を10トントラックで運び出す作業が15年以上も続いている。いやはや、ロックフィルの堤体に造られたつづら折りの道を砂を積んだ10トントラックが走るさまは凄まじかった。いつ終わるとも知れない気の遠くなるような延々と続く作業。「水力は自然との闘い」と言われるが、私はスケールの大きな「自然との闘い」を目の当たりにした。
闘いはどこにも存在する。そのことを悟り、そこに立ち向かう人の存在を思い知った視察だった。

神津 カンナ

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