特集

エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

開沼博氏インタビュー
事実に基づいた情報をわかりやすく確実に伝えるために

社会学者の開沼博氏(立命館大学衣笠総合研究機構准教授)は、福島県いわき市出身。福島原子力発電所をテーマにした修士論文を書き上げた直後に東日本大震災が起こり、引き続き福島についての調査、考察、発信をしています。日本のエネルギー政策はどうあるべきか、国民の一人としてどう考えどう選択するべきか。その難しさを痛感しながらの活動という点で、ETTの活動と共通していると言えそうです。そんな開沼氏の活動に共鳴した神津代表が、今後の活動のヒントになる話を伺いました。

福島を支えるために私たちができる行動とは

神津 開沼さんは『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』の中で、科学者や技術者の視点とは異なる、原発立地に至る地元の経緯や、中央の論理と地域の現実の違いについて、私たちが知っておくべき福島の原点を丁寧に書かれていて、これはとても勉強になりました。

開沼 福島の外から物事を見る論理と、中にいるからこそ見える論理、「外在的論理」と「内在的論理」とも言い換えられますが、この溝を埋めていく作業を3.11前も後も、あるいは福島や原発以外の問題を扱う時も、続けているつもりです。例えばかつて、福島第一原発がある双葉町には原発反対運動にかかわっていたのに、途中から容認派に回った首長がいました。それは外在的論理で見れば不可解な転向です。「何があったんだ。裏でとんでもない陰謀がうごめいているに違いない」と見る人もいるかもしれない。ただ、内在的論理を丁寧に見ていくと、全く不可解ではない。実は、そこには終始一貫している思想がある。元々、貧しくて一年の半分以上を東京で地下鉄を掘ったり黒部でダムを作ったりと出稼ぎで生活がやっと成り立つような地域だった。そこにある「家族一緒の暮らしを作りたい」という願いは、外からは見えづらいものです。そういう地域の歴史を見ないと、ただ「そんなの愚かな選択だ」と断罪することはできるでしょうが、ことの根本にある問題に向き合うことはできない。3.11前はそういう研究をしていました。

神津 なるほど。外部の者には見えにくい内在的論理を関知せずに発言するのは、時として乱暴なもの言いになってしまうかもしれませんね。ところで、3.11以降、福島の人たちが今も現実に苦しんでいる問題も当然、山積していますが、一方でその福島だからこそできるというものもあるはずだと思います。地域に内在している力、何かお感じになりますか?

開沼 大きな問題が3つあります。一つ目は、買い物や通院など、震災前から都会に比べて日常生活に不便があった地域で、高齢者などが一層の孤立化や健康悪化のリスクを持つようになっていることです。福島に限らず日本全体が抱える「少子高齢化」が根本にある原因であり、福島は「課題先進地域」とも言えます。課題先進地域だからこそ先進的な解決策が試みられようともしています。例えば、避難指示解除がなされた南相馬市小高区において、まずは通学用ではじまる流れになっていますが、自動運転バスの運用などです。そういう取り組みを通して課題を解決し、福島発の実利的価値を全国に広める。そういう課題先進国日本のスタート地点になるのが課題先進地域・福島の役割になりえると思います。二つ目は、農林水産物、観光における経済的な損失や、住民・地域への偏見、差別といった、いわゆる「風評被害」と呼ばれる問題です。例えば、震災前に比べて観光客は7、8割近く戻ってきているものの、修学旅行客と外国人観光客はまだ半分ほどしか戻っていません。震災と原発事故を体験した科学技術の場として、また地域のコミュニティーづくりを学ぶ場としても、京都や広島とは意義の異なる、修学旅行やインバウンド観光の適地になり得る可能性が福島にはあります。三つ目は廃炉の問題で、これは解決に長い時間を要します。技術的にも住民の心の重荷になっているという意味でも、これから本気で向き合う必要があると思います。

神津 福島の外にいる人が福島のためにできることは何だとお考えですか?

開沼 福島のものを「買う」、観光でも修学旅行でも「行く」、そして「働く」、これはボランティアでもいい。一過性の復興事業のみならず定着できる仕事ならベスト、という3つの行動だと思います。日常の中で誰もがしている行動だと言ってもいいでしょう。その向かう先を福島にズラすということです。

神津 なるほど。しかし一方、世論的には、自分の主義主張や感覚の正当性を主張する議論ばかりで、本当に必要な解決策を見出すことができない状態が続いているように思うのですが。

開沼 その通りですね。ただ、現地では、課題解決志向のない政治に期待する労力を、経済的なものに向けようとしている例も生まれはじめている状況があります。立入可でも居住不可だった南相馬市小高地区で、除染作業や一時帰宅者が温かいご飯を食べられる食堂の運営をはじめるなど、行政の手が行き届かないことをビジネスとして成立させている社会起業家がいて、雇用創出により利益を社会に還元する試みが行われています。小さな成功事例を外から支える方法は色々あるんです。こういう情報の拡散をしていきたいです。

“情報をわかりやすく伝える「通訳」の不在は世界的現象

神津 私はエネルギーについて語る機会が多いのですが、色々な場面で原発に賛成か反対かの二者択一を問われることに遭遇します。それに加えて多くの複雑な問題を抱える問題についても、○☓式の世論調査の結果で全てを判断しようとする傾向もあり、現実に根ざさない論議の不毛さに頭を抱えることもあります。

開沼 二項対立型の問いを投げかける世論調査を元にした議論には、出てきた結果を都合よくピックアップして結論づけてしまう危うさがあります。ピエール・ブルデューというフランスの社会学者がいて、社会学の教科書があれば必ずその名が出てくる重要な理論家ですが、彼は世論調査について、「その根本にある効果は全員一致の世論があるという理念を作り出すことで、政策を正当化し、社会に基礎づけることにある」という旨の指摘をしています。二項対立の間にはグレーな部分があり、ここにこそ議論すべきリアリティがある。無関心層なのか、それともバッシングを恐れて沈黙している層なのか。当然、個人のバラバラな意見を全ては収拾できないから、政治のような場においては、物事を進めるために二項対立の賛成反対という皮相的な結論に集約してしまう傾向があるわけですが、その限界は常に意識されるべきでしょう。

神津 どうでしょうか、福島の状況については、もちろん重要とはいえ、いまだに原発や放射線に関する報道ばかりが流されているような気がするのですが。

開沼 当初よりは良くなってきましたが、マスメディアが扱いやすいのは「悪い敵」であり、頑張っている人たちの建設的な話はニュースにはなりづらいです。「風評被害が大変だ」と言いながら、一方で風評被害を固定・増長させてきた側面がマスメディアや学者にあることは目を背けてはいけない事実です。

神津 情報を流す側と同じように、情報を受け取る側、特に福島の外にいる私たちも慎重になるべきですね。

開沼 課題解決の方向性を示していない膨大な量の生データが公開されても、受け手側には、情報隠蔽や開示不足の問題と同等の「情報過剰」という問題が起きます。情報は公開しないのが問題であることは確かですが、それ以上に、何の配慮もなく膨大な生データを公開しただけで「公開したことにしてしまう」というのもこの情報社会においては大きな問題です。そのため、情報に対してある程度の知識を持ち、専門家ではないけれど情報をわかりやすく解説してくれる「通訳」を見つけることが有効です。私自身はそういう橋渡しの役目をしていきたいと考えてもいます。

神津 理解するのが難しい話を通訳してくれる適格な人材が少ないのは、日本だけでしょうか?

開沼 昨年、イギリスのEU離脱やアメリカのトランプ政権誕生を伝えた海外のメディアでは、「ポスト・トゥルース(脱真実)の政治」という表現が多用されました。通訳して橋渡しできる人材がいないために、感情や個人的信念に訴える方が客観的事実より影響力を持つ状況に陥っているのは、世界的現象といえます。

“二項対立を回避して問題解決を促進する方策はあるのか

神津 開沼さんは『漂白される社会』という著作の中で、昔から社会にあった、猥雑なもの、汚らわしいものがどんどん漂白され、一見してクリーンな社会になっても、また新たな矛盾が起きる現代への危惧を書かれていました。今の社会では、まるで自分たちは一点の曇りもなくクリーンで正当化されている人間だと思い込み、その視点でしか物事を見ず、その立場でしか発言しない人が増えていると感じていますが、どう対処したらいいのでしょうか?

開沼 学問やジャーナリズムにおいて、本来はFact(事実)やFairness(公平なものの見方)を重視して議論を相対化すべきところを、3.11以降は特に、Factより先立つOpinion(意見)があり、Opinionに見合うFactを収集し、またFairnessを確認するよりも先に自分がJustice(正義)の側だと主張するようになっています。こういう流れでは冷静な議論はできません。解決策としては、先ほど言及したように、学問や報道による偏った情報を解説する「通訳」の存在や、政治と個人の間のつなぎ役を果たすような、町内会なり組合組織で、様々な議論を重ねてコミュニケーションを図った上で、最善と思われる方向性を見極めることだと思います。適切に使うならばSNSも有効かもしれません。

神津 『福島第一原発廃炉図鑑』は、福島というテーマに対して色々な角度からアプローチされ、数値など事実の積み上げによって、福島の現状がよく見える一冊になっていますね。

開沼 『はじめての福島学』もそうですが、まずは誰もが異論を唱えようのない事実を共有して、その上で議論を建設的なものにしていくことを目指して書きました。特に廃炉の話は福島の知識を誰でも共有できるように、知識を体系的に整理した百科全書のようなものが必要だと考えています。知識を拡大再生産する活動は、同じ対象を論じるにしても、違う立場や経験を持った人から異なる角度で話してもらうなど、地道に続けるしかありませんし、そのためには様々な思想や立場の人ともコラボレーションする必要があります。ともすると社会は二項対立で進みがちですが、かみ合わない対立も少しずらした視点に置いてみると新たなコミュニケーションが生まれる可能性があると思います。

神津 開沼さんは、日本全体のエネルギー政策についてはどのようにお考えですか?実際にたとえば、原発立地地域を目にすれば、その地域の経済的、社会的に置かれた環境を目の当たりにし、考え、都会人の飽くなき欲望のさまも骨身に染み、でも日本の国力のことも考えれば……と、頭の中が混乱します。解はどこにあるのかと思い悩むことも多いのですが。

開沼 ご指摘の通り、原発立地地域の状況を踏まえて、そこから国のエネルギー政策を考えることは重要だと思います。よく言われる3E+Sに、Local=地方のLを加えるべきだと思います。原発はこれまで電力消費地に貢献してきたとともに地域の雇用確保の手段になってきましたし、廃炉にするならば代替の産業を起こさないと経済的・社会的に再び孤立していきます。電気の生産地と消費地が共にこの問題に向き合うことで、将来的には高レベル放射性廃棄物の問題など解が見えない問題の解決のヒントも見えてくると思います。

神津 高度経済成長期には、オリンピックや万博といった国家的プロジェクトが社会を牽引しましたが、今の日本は経済が伸び悩み、さまざまな形で国が笛を吹いても、私たちは明るい未来が想像しにくく簡単には踊れない時代になっています。

開沼 おっしゃる通り、過去において国を一体化したのは、明日には状況が良くなっているはずだという明るい希望だったでしょう。一方、3.11の時に国が一体化したのは、不安や恐怖によるものだったのではないでしょうか。でも放射能を巡る根拠のないデマや偽科学を元に不安感を煽る脅迫的な話ばかりを聞き続けていると、本当に闇の世界に飲み込まれてしまいます。3.11から6年経って、関心が薄れがちな福島を正しく理解してもらうためにも、事実をわかりやすく伝え続ける必要性があると私は考えています。

神津 エネルギーの話は、たとえ事実を伝えたつもりでも、インターネット上で一瞬の間に伝えたい意図とは全く違う方向に向かってしまうこともあり、虚しさや徒労感を覚えることがよくありますが、それでも私たちは、現場を見て話を聞いて考えて、それを伝え続ける通訳活動をこつこつと積み上げ、それを引き継いでくれる若い世代を応援していくしかありませんね。   

対談を終えて

開沼さんから、「専門家ではないけれど情報をわかりやすく解説してくれる「通訳」を見つけることが有効。そういう橋渡しの役目をしていきたい」という言葉を聞いたとき、開沼さんには苦笑されそうだが、同じような想いを抱いている同志に巡り会ったような気がして胸が熱くなった。木訥で少し取っつきにくい感じもするが、内奥に流れる実直で冷静な言動は、私にとっては子どもぐらいの年齢なのに、やけに頼もしく思えた。
福島に対して私たちはどのように向き合うべきか、日本のエネルギー政策をどのように考えていくべきか、時としてその二つの命題はアンチノミー(二律背反)のように心を揺さぶる。けれども開沼さんが言うように、国のエネルギー政策である3E+Sに、Local=地方のLを加えて、ゆっくり解を求めていく姿勢が大切なのだと思い知った。そう簡単に、みんながもろ手を挙げて賛同するような解は見つけられないかもしれない。でも、だからといってあきらめてしまったら、元も子もないのだ。
開沼さんの佇まいを見ていると、気負わず、焦らず、激高せず、丁寧に考え進んでいくことの重要性を感じた。山頭火ではないが「このみちをたどるほかない 草のふかくも」である。

神津 カンナ



開沼 博(かいぬま ひろし)氏 プロフィール

立命館大学衣笠総合研究機構准教授
1984年福島県いわき市生まれ。東京大学文学部卒。同大学院学際情報学府修士課程修了。現在、同博士課程在籍。専攻は社会学。東日本国際大学客員教授、福島大学客員研究員、楢葉町放射線健康管理委員会副委員長、経済産業省資源エネルギー庁総合資源エネルギー調査会原子力小委員会委員を務める。著書に『福島第一原発廃炉図鑑』(太田出版、編著)、『はじめての福島学』(イースト・プレス)、『漂白される社会』(ダイヤモンド社)、『「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか』(青土社)など。学術誌の他、「文藝春秋」「AERA」などの媒体にルポ・評論・書評などを執筆。第65回毎日出版文化賞人文・社会部門、第32回エネルギーフォーラム賞特別賞、第6回地域社会学会賞選考委員会特別賞、第36回エネルギーフォーラム賞優秀賞を受賞。

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