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エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

福島第一原子力発電所見学レポート
震災から5年、福島第一原子力発電所と町の復興の現状

ETTメンバーが福島第一原子力発電所構内を視察した1年半前の2014年10月当時は、まだ放射線量が高いなか、汚染水対策が急ピッチで進められていました(Vol.20参照)。現状はどうなっているのでしょうか。福島第一の事故から5年の節目を控えた16年3月8日、神津カンナ代表は再び発電所を訪れ、周辺の町が復興へ向かう様子も併せて視察しました。

 

汚染水問題に一区切り、周辺の放射線量も低下傾向へ

まず神津代表は、福島第一原子力発電所から20km離れたJヴィレッジに到着。東京電力(株)福島第一廃炉推進カンパニー・視察センターの方から「発電所の現状と今後の対応」について、ビデオと資料を見ながらレクチャーを受けました。1年半前の視察当時同様、1~4号機とも「冷温停止状態」を継続し、24時間常に監視されていますが、当時と比べると大きく変わった点が2点ありました。1つは「汚染水対策がようやく一段落し、デブリ(融け落ちた核燃料)の取り出しに注力できるようになった」こと。もう1つは、「放射線量が下がった所が増えて構内で作業しやすくなり、さらにさまざまな観点から『労働環境の改善』が図られるようになってきた」ことです。

汚染水対策の詳細は、前回レポート(Vol.20)と重複するので省きますが、高濃度汚染水の除去をはじめとする「緊急対策」と、遮水壁など新たな地下水の流入を阻止する「抜本対策」の2本柱で対応を継続しています。結果、1年半前に1日当たり約400トンだった発電所建屋内への地下水流入が今では約150トンに減り、さらに今後、約50トンにまで減るめどが立ちました。また、タンクにためていた高濃度汚染水はさまざまな浄化装置に通した後、多核種除去設備(ALPS)で処理し、トリチウム(化学的に水素と同じ性質を持ち、放射能レベルが低い。処分方法は近々決まる見込み)を除く62核種を除去。その結果、15年5月には高濃度汚染水の浄化が全て終了しました。事故後、次から次へと起きる問題に対処を迫られてきた汚染水対策。まだまだ気は抜けないものの、ようやく廃炉に向けた次のステップに注力できる安堵感が、お話を聞きながら伝わってきました。

前回視察以降、14年12月に、4号機の使用済燃料プールにあった燃料の移送作業が完了しました。デブリ燃料の取り出しは1~3号機で行われることになりますが、今はその準備に取りかかっているところです。当面の問題は、デブリ燃料が炉内のどこにあり、どのような形状になっているかを調査で知ることですが、放射線量が高く人は近づけないので、宇宙から降り注ぐミュー粒子(この粒子の高い透過力を利用して原子炉内部の状況を把握することが期待されている)や、遠隔操作ロボットのカメラに頼るしかありません。また、デブリ燃料の取り出し方法~例えば水を張るのか、どこから取り出すのか~も検討中で、18年に方向性を決めるそうです。

周辺の放射線量が下がってきた理由は2つあるといいます。1つは、がれきの撤去や除染が進んだこと。もう1つは、放射能が時間とともに減っていく性質によるものです。このため、構内ではほとんどのエリアで全面マスクが不要となりました。今では1日当たり平均6,600人前後の作業員が働いており、長期にわたる雇用を確保するためにも、あらゆる面で労働環境の整備が着々と進められています。

労働環境の改善に向け、さまざまな取り組みがスタート

神津代表はJヴィレッジから約40分視察バスに乗り、福島第一原子力発電所構内の正門近くにできた「大型休憩所」に到着。ここは15年5月から運用が開始され、約1,200名が利用できる施設です。9階建てビルには1階に内部被ばくを検査する場所、2階に食堂、3階に事務作業スペース、4〜7階には協力会社ごとに作業員の休憩スペースが設けられ、作業の申し送りもスムーズにできるようになったとか。空調も完備され、カプセルホテルのような宿泊スペースも一部設置されていました。また、2階のコンビニエンスストアは、今年3月1日にオープンしたばかり。それまでは買い物ができる一番近いお店でも10km離れていたため、格段に便利になったそうです。

昼食時、神津代表は食堂で定食(全品380円)を作業員の方たちと一緒においしく味わいました。これらの温かい食事は、作業員の方々の食生活の改善・充実を目的として15年3月から運用が開始された「福島復興給食センター(略称:給食センター)」から、毎日届けられています。福島第一原子力発電所の小野所長によると、夏に向けてシャワールーム設置の準備もしているとのこと。「少しずつ労働環境を改善しています」とおっしゃっていました。

大型休憩所の近くには「新事務棟」が建設され、14年10月から東電社員約1,200名が執務を開始。これまでやむを得ず福島第二原子力発電所構内で勤務していた「福島第一廃炉推進カンパニー」の職員も、現場の近くで執務できるようになりました。

次に「入退域管理施設」へ。1年半前の視察で身につけたマスクは不要になり、今回は手袋と靴カバーのみで構内専用バスに乗り込みました。車窓から1,000基を超えるタンクが見える景色は大きく変わらないものの、漏洩しにくい溶接型タンクが増えていました。タンクの周りの地表は雨水の浸透防止のため、完璧に舗装されていました。以前は散乱していたホースや配管が撤去され、海側のがれきが山積していたところまで、構内全体がきれいになっています。これも放射線量の低減と、労働環境の改善につながっているのでしょう。作業員の方々が普通の作業着で歩いているのも、以前とは違っていました。「普通の現場に戻す」を合言葉にしているのだそうです。ちなみに構内を約90分視察後、各自付けていた個人被ばく線量計の表示は0.01マイクロシーベルト。歯医者のレントゲンと変わりない数値でした。


1〜4号機の状況

その後、各号機の作業状態を見て回りました。1号機は使用済燃料プールからの燃料取り出しの準備として、水素爆発後に放射性物質の飛散抑制のために設置された建屋カバーを撤去中。すでに屋根カバーは取り外され、クレーンが側面カバーの撤去に取り掛かっていました。2号機は建屋内の放射線量が非常に高く、建屋上部を解体予定で、今はその準備工事中。3号機は使用済燃料プールのがれきを撤去中。4号機は作業が完了していました。

次にいったんバスを降り、構内中ほどにある「免震重要棟」の集中監視室に入り、汚染水処理設備の監視・制御の様子を視察。小野所長と意見交換も行いました。「デブリの取り出しにはいろいろな方策が考えられると思うが、検討はどの程度進んでいるのか」との神津代表の質問に、小野所長は「まずはデブリ自体の写真を撮りたい。1号機と3号機は調査で炉内の状態がだいぶわかってきた。水位が低い2号機が最初に取り出し作業にとりかかれるかもしれない。3号機は水中カメラ、水中ロボットが必要になるでしょう」と答えました。「いずれも難しい作業には変わりないが、ここで開発されたロボットは将来、災害時に役立つはず」との説明に一同納得しました。

発電所に温かい食事を届ける給食センターが、町の再開発の中心に

窓から見えた常磐自動車道は15年3月に全線開通。混雑する区間は2車線化を目指しています。JR常磐線については安倍首相が「東京五輪前の19年度中に全線開通を」と表明し、交通インフラも整いつつあります。楢葉町の木戸川では伝統のサケ漁が再開されたという明るい話題も。楢葉町でも富岡町でも、田んぼで実証栽培された稲からは基準値以上の放射性物質は検出されず、皆でおいしくいただいたそうです。なお、町を視察中、ホットスポット(放射線量が高い場所)でのバス車中での放射線量は、事故直後に50マイクロシーベルトを計測しましたが、今回は7マイクロシーベルト。5年間でかなり下がったことを実感しました。


位置関係


居住制限区域の大熊町に入ると、福島第一原子力発電所で働く職員の社宅を造っている様子が見えました(750戸)。大熊町では給食センターを中心に、今後は復興公営住宅、野菜工場、協力会社の事務所ビルなども建設し、コンパクトタウンをつくる再開発計画があるそうです。

次に、福島第一原子力発電所で働く人々に食事を届けている「福島復興給食センター」を視察しました。ここは一度に3,000食を提供できる日本一の規模です。作業員は作業時間も休憩時間もバラバラなので、一日何回にも分けて食事を届けています。保温・保冷容器を使用し、断熱構造に改良した車両で運搬し、洗い物や残り物も給食センターが全て引き取るなど、考え抜かれたオペレーションシステムに驚きました。従業員は約100名で、福島県民の雇用を創出し、福島県産の食材を使用することで風評被害払拭の期待も担っています。今後は、給食センター内の従業員食堂に大型ディスプレーを置いて廃炉作業の最新状況を紹介したり、地域の小中学生を給食センターの見学に招いたりなど、多様な活用も考えているとのことでした。

廃炉を着実に進めるとともに、復興の加速化を図る

再びバスに乗り、福島第一原子力発電所の廃止措置に向けたロボットの開発・実証試験や、操作の研修を行う施設として、15年9月から一部運用が開始された「JAEA楢葉遠隔技術開発センター」を車中見学し、Jヴィレッジに戻りました。「事故後の3年間は、まさに野戦病院で目の前の火の粉を振り払いながら仕事をしているような状況でしたが、14年4月に『福島第一原子力廃炉推進カンパニー』を設立した頃からようやく、今後30年から40年続く廃炉作業のために何が必要かを考えられるようになりました」という東京電力(株)福島復興本部の石崎代表のコメントが、今回の視察内容を象徴しているかのように思えました。この日視察した施設のほかにも、燃料デブリを分析研究する「大熊分析・研究センター」が大熊町に、廃炉国際共同センター「国際共同研究棟」が富岡町に建設され、それぞれ事業化が進められています。また、楢葉町では来年4月から小中学校が再開されます。これから1、2年の間に、廃炉作業や町の復興の様子は、また大きく様変わりすることでしょう。その変化を国民の一人として見届け、現場のありのままの姿を多くの人に情報発信していきたい。そんな思いにかられながら、福島を後にしました。

視察を終えて

1年半ぶりに福島第一原子力発電所を訪れた。正門に据えられた入退域管理施設をくぐり抜けた途端、1号機が運転開始をして以来40年間、重要電源としての役割を担ってきたこの発電所は今、「放射線との闘い」「水との闘い」「廃炉との闘い」の現場であることが肌に伝わってくる。構内の至るところに豊かに繁っていた樹木は刈り取られて、地面はことごとくコンクリートで覆われ、広い敷地内には無数のタンクが林立している。その姿は、当初とはいささか形は異なるが、未だに臨戦態勢におかれた軍事基地のようだ。ここで働く全ての人たちは、まさにその最前線の部隊である。汚染水の減少と漏えい防止のためのさまざまな施設構築、そして、果てしない廃炉への長い道のり。原子力や電力事業者への尽きることのない批判やバッシングのなかで、ここには、未来に向けて、これまで経験したことのない新しい技術と設備の開発にひたむきに挑戦している多くの人々がいる。大型の管理棟や作業員の休憩施設も整備された。普通の職場に戻るまで、時間はかかるだろうが心からのエールを送られずにはいられない。

神津 カンナ

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