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エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

福島第一原子力発電所視察レポート
事故から3年半が経過した福島第一原子力発電所の現状

新聞やテレビなど、メディアが伝える断片的な情報でしか知り得ない、福島第一原子力発電所。今、実際に現場はどのような状態になっているのでしょうか。そして、廃炉作業はどのように進められているのでしょうか。一般の人が入れる機会が少ない構内視察の許可をいただき、ETTメンバーは、2014年10月28日、29日と2班に分かれて、福島第一原子力発電所を視察し、貴重な体験をしました。

 

多様な手法を用いて、急ピッチで進む汚染水対策

JR常磐線いわき駅に集合したメンバーは、バスで約1時間かけて福島県楢葉町と広野町にまたがるJヴィレッジに向かいました。Jヴィレッジは、1997年に東京電力が建設し、福島県に寄付して以来、サッカーナショナルトレーニングセンターとして活用されてきましたが、3.11後、福島第一原子力発電所から20kmのところにあり、避難対象地域との境目に位置することから、(株)日本フットボールヴィレッジが事故収束のために使用を許諾し、発電所の前線基地として使われたところです。また2013年1月からは東京電力の福島復興本社が置かれ、作業員の現地へのバス乗り換え地として利用されています。

Jヴィレッジ到着後、福島復興本社の石崎代表から、福島第一原子力発電所の概略と被害状況の説明があり、現況を映したビデオを見せていただきました。現在は、6,000人が構内で作業をしているそうです。燃料デブリ(燃料と被覆管などが溶融し再び固まったもの)を冷却し続けるために循環注水していますが、敷地内の地下水が1日あたり約400トンも建屋内に流入し、建屋内で発生する汚染水は増加し続けているため、貯蔵タンクにためています。水を汚染源に近づけない対策の一つである地下水バイパス揚水井は、建屋の山側から流れて来る地下水を、建屋に入る前にくみ上げて、水質検査を行った上で海に放出するという仕組みで、2014年5月から開始されています。また以前から建屋近くに設置されていたものの、地震や津波で壊れた井戸(サブドレン)を復旧させて、建屋に入る前にくみ上げ、地下水流入を抑制する方法もあります。さらには、1〜4号機の建屋の周囲約1.5kmの地下30mに1m間隔でパイプを建て込み、パイプの中に冷却剤を入れ外側の土を凍らせる凍土壁という方法もあります。2013年8月から実証試験を行い、14年6月に本格的な工事に着手し、来年3月には凍結を始める予定だとおっしゃっていました。


一方で、これまでタンクにたまった汚染水を浄化し汚染水のリスクを減らすためには、汚染物質を除去する設備も必要です。最初に既設の水処理設備でセシウムを取り除き、その後残った63種の放射性物質のうち62種を除去することができる(残る核種はトリチウム)多核種除去設備(ALPS Advanced Liquid Processing System)を設置、実際に汚染水を使用して浄化性能の確認試験を行っているそうです。また、同レベルの処理能力を持つ設備の増設や、国からの 援助を受けて2倍の処理能力を持つ高性能の多核種除去設備を導入、これら3つの設備ですでに20万トン以上の汚染水を浄化しています。さらに、汚染水の中で濃度が突出しているストロンチウムを除去するための4つの設備も加え、これら7つの設備で今年度中にタンク内の汚染水を全て浄化することを目指しているそうです。

※トリチウムはベータ線を放出する放射性物質で、主に水の形態で存在することから、ろ過などでは除去できない。

目に見えない放射能と闘いながら続く作業

バスに再び乗ったメンバーは国道6号線を北上し、福島第一原子力発電所までの約40分間の行程中、東京電力の広報部の方から通過地点の説明を伺い、各所での線量計の数値読み上げに耳を傾けました。福島第二原子力発電所のある楢葉町では、日中の立ち入りが可能になったため開業している店舗もありましたが、除染作業で出た樹木を詰めた大量の黒ビニールが積み上げられた仮置き場もところどころに見えました。富岡町から大熊町にかけて、現在、車で国道を走ることは許可されていますが、帰還困難区域は立ち入り禁止のため3年半前から手つかずになっており、中には崩れ落ちている建物も見られました。

福島第一原子力発電所の進入路に入ると、撤去されていないがれきや樹木などから残留放射線が出ているせいか、線量計の値が急に上昇したホットスポットもありました。メンバーは入退域管理施設に入り、マスク、手袋、ビニール製の靴カバーといった見学のための装備を身につけます。一方、作業員の方たちが身につける放射線防護服や全面マスクは気密性が高く暑さを倍増させたり、現場では特に視野が狭くなったり相手の声が聞き取りづらくなるため、事故を未然に防ぐよう朝の作業確認は欠かせないとのことでした。構内用バスに乗り換えたメンバーは、汚染水に関するエリア、1〜4号機の外観、海側の遮水壁など、説明を伺いながら約1時間かけて車窓から見学しました。

構内の最初の印象は、敷地内に1,000基近く林立する巨大なタンクです。増え続ける汚染水で1,000トンのタンク1基が2日半で一杯になるというお話を伺うと、汚染水を減らすことが最優先課題であると納得できました。貯蔵タンクには小型の角形や横置き、大型の円筒形(溶接型・フランジ型)があります。フランジ型はパーツを組み合わせて作れるので早く完成させられるものの、昨年夏には汚染水漏れが発覚。溶接型へのリプレースを進めているとのことです。また汚染水が流出しないように、タンクの周囲には、より高い堰を設け、堰の二重化対策も進められています。

かつては桜が美しかったという構内は、事故当時に降った汚染物質が樹木に残っていたり、それを雨が流して土壌に染み込み地下水になると、汚染水の増加原因にもなるということで、ほとんどの樹木は伐採され地面は舗装し、クレーンをはじめとする工事用の大型機材が所狭しと置かれています。1〜4号機の建屋が見える場所にバスが近づき、現状の説明を伺ったところ、水素爆発により建屋上部が吹き飛んだ1号機では、2011年10月に設置が完了した建屋カバーがかかっていますが、今後、放射性物質が飛散しないように飛散防止剤を注入してから中の様子を確認し、来年3月からは建屋カバーを解体してがれきを取り除く計画だそうです。2号機は、外観は破損していませんが、燃料が冷却できなかったため内部の線量が高いという問題があります。3号機は、水素爆発で吹き飛んだ建屋上部のがれき撤去が2013年10月に完了し、最上階にある使用済燃料プールのがれきを取り除いてから、燃料取り出し用の建屋カバーと燃料を取り扱うための設備を設置する予定です。4号機は、事故当時は定期検査中で運転を停止していたため、2013年11月には使用済燃料プールからの燃料取り出し作業が開始されています。使用済燃料プール内に保管されている燃料を、水中で一体ずつ輸送容器(キャスク)へ移動させてからクレーンで吊り上げて地上に降ろし、トレーラーで共用プール等へ運ぶ作業で、1,533体あるうち1,300体以上をすでに取り出し、2014年末には取り出し完了予定だと説明を受けました。

陸側の凍土壁のほかにも、汚染された地下水の海洋流出を防ぐために、1〜4号機の護岸800mにわたり鋼管矢板を打ち込んで遮へいする遮水壁も完成が近づいています。港湾内では、作業船が海底土に残った放射性物質の拡散を防止するためセメントで被覆を行っているとお聞きしました。3.11に定期検査中だった5、6号機は、他の4基が海抜10mであったのに対し海抜13mにあり、非常用ディーゼル電源を一つだけ確保できたため、原子炉は現在も安定した冷却を続けています。そのほか構内には、汚染されて構外に出せない車を整備するための整備工場もあり、防護服や手袋を焼却し容量を圧縮する焼却場も建設中だそうです。

前を向いて歩みを進めるための廃炉作業

見学の最後に免震重要棟に入り、福島第一原子力発電所の小野所長から構内作業の進捗状況についてさらに詳しい説明を受けました。ここには、平日200人ほどの所員の方が詰めているそうで、事故後のテレビ会議の映像でよく知られている緊急時対策室も見せていただいたところ、外の風景は監視カメラでチェックするのみの窓のない密閉空間の壁には、全国から送られてきた所員への励ましの手紙や寄せ書きなどが貼られ、所員の方を力づけているとともに、福島復興への祈りがこめられていると感じました。

再びJヴィレッジに戻り、復興本社の石崎代表からお話を伺いました。現場を統括する「廃炉推進カンパニー」は、廃炉・汚染水対策を推進するために東京電力の社内組織として2014年4月に設立され、海外からも専門家によるアドバイスや技術協力を得て事業を進めています。一方、「福島復興本社」は、復興関連業務を統括し、賠償、除染、復興推進などを速やかに進め、福島の方たちの要望に細かく対応できるようにと、2013年1月に設置されています。避難された方が一時帰宅される際の家の片づけ、お墓の清掃、地域の草刈りなどは、東京の本社や各地の事業所等からも社員を動員しながら継続して行われている活動です。そして、避難しなければならない原因を作った当事者として、社員一人ひとりが誠意を尽くして対応しながら、すべてを元の状態に戻せないとしても、今後はより良い環境を作り、少しでも早く故郷に戻っていただけるように努力したいとおっしゃっていました。

福島第一原子力発電所では、廃炉作業の第一歩が着実に進んでいることを実感できた視察になりました。メンバーの関心も高く、多くの質問が出ました。そして最後に、40年超と予測されているこの事業にかかわる人たちがモチベーションを維持するためには、会社側が労働環境を改善していくとともに、将来、世界中で必ず必要とされる、前例のない技術に取り組んでいるという誇りを社員一人ひとり自らが持ち続けてほしいとおっしゃった石崎代表の言葉が印象に残りました。

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