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エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

仙台市ガス局港工場見学レポート
震災からの復興、そして未来へ 〜構築される暮らしの基盤〜

2011年に起きた東日本大震災は、東北地方最大の都市である宮城県仙台市にも、大きな被害をもたらしました。社会の基盤を支えるインフラの一つである都市ガスの被害は、どのように復旧し、震災後の災害に対する取り組みはどのように進められているのでしょうか。2014年9月2日、ETTメンバーは、仙台市宮城野区を訪れ、都市ガスの製造を行う港工場を中心に見学しました。

 

災害時のバックアップエネルギーを備えた田子西エコモデルタウン

東日本大震災による市内の建物被害は全・半壊を合わせて14万戸にも上りました。仙台市は、復興のための街づくりを進めており、その一例が、仙台市中心部から北東へ約7kmに位置する田子西エコモデルタウンです。もともと水田だった地域に、震災以前の2009年から面積約16.32haの土地区画整理事業を開始していたものを、震災後に土地利用計画が見直されて、地区北側に復興公営住宅街区、中央部に戸建住宅街区、幹線道路沿道に商業街区が形成され、今後人口約1,000人の街になる予定です。田子西が注目されている点は、特定エネルギーへの過度の依存リスクを震災の教訓として認識し、非常時においても安定かつ持続性に優れたエネルギーを供給できる分散型エネルギーシステムの構築による、エネルギーセキュリティの向上です。

メンバーは初めに、スマートビレッジと呼ばれる戸建住宅街区の一部をバスの中から見学しました。約20棟は、系統電源(東北電力)の電気の他に、家庭用燃料電池エネファームによってガスで電気をつくり、同時に発生する熱を有効利用しています。また太陽光でも電気をつくり、蓄電池で電気をためることができる住戸のほか、蓄電池の働きをする電気自動車が設置されている住戸もあり、エネルギー独立型になっています。こうした分散型エネルギーと、IT技術を活用して消費電力を住宅内で管理できるHEMS(ホーム・エネルギー・マネジメント・システム)を導入した住宅であるため、一般住宅よりコストは高く設定されていますが、災害時にも安心して住めるので人気があるそうです。

一方、住宅を失ったまま、自力では住宅の確保が困難な方たちは、2014年8月現在で7,700人も仮設住宅で暮らしています。そのため仙台市では、2016年3月末までに約3,200戸の復興公営住宅を市内に整備する予定にしており、その中の一つが田子西地区の復興公営住宅です。緑豊かな広々とした敷地内に、4〜5階建ての住宅が4棟あり、合計176戸が用意されています。全戸にガス、電気、水道のスマートメーターを配置することで、各家庭におけるエネルギーの「見える化」を目指し、省エネを促進しています。また敷地内にあるエネルギーセンターでは、ガスコージェネレーションシステム(都市ガスから発電する装置)や、電力会社から割安に一括受電できる装置、大型の蓄電池を導入し、集合住宅間で電力を融通するなど、電気を効率よく供給するとともに、外部電力供給が途絶えても、集会所などに一定電力を供給し、避難拠点として利用することができます。

震災を教訓に都市ガス製造と供給体制の強化に取り組む仙台ガス局

今回の視察に同行していただいたのは、仙台市ガス局の職員の方です。仙台市ガス局は、仙台市が経営する公営ガス事業で、約34万戸に都市ガスを供給する東北最大手の事業者であり、公営ガス事業としても国内最大の規模です。今回、見学した港工場は、仙台市東北部にある仙台港区の一角に位置し、敷地面積は約98,000㎡あります。見学に際し、東日本大震災時のガス供給全面停止から復旧に至るまでの概略を説明していただきました。

2011年3月11日14時46分、地震後、被害が大きい地域では都市ガスの供給が緊急停止され、1時間後には7mを超える高さの津波が押し寄せ港工場は冠水し、ガス製造設備、電気設備などが使用不可になり、全面供給停止になりました。被災後には、各戸を巡回しガス漏れの点検をしたり、また導管の点検、修繕作業を行いながら、23日には災害拠点病院などに供給を開始し、その翌日には一部の一般家庭への供給が開始されています。そして震災から37日後の4月16日には、避難勧告区域等を除いた約31万戸の復旧が完了しました。

ガスを製造し送出する港工場には、震災前から原料調達のための陸上パイプラインと海上輸送という二つのルートがありました。パイプラインは、新潟で陸揚げしたガスを火力発電所用に運ぶための東北電力のパイプラインを共同で使用していましたが、幸いにもこちらの被害が少なかったので、ガス供給の早期再開ができました。海上輸送については、仙台市ガス局がマレーシアのLNG会社と単独で契約し、液化天然ガスをタンカー「アマン センダイ」で輸送する方法を1997年からスタートさせており、パイプラインによる輸送の倍近くの量が運ばれていました。2011年11月の港工場仮復旧に伴い、月末には「アマン センダイ」が震災後に初めて入港し、翌12年3月にはすべての機能が復旧しています。

ガス供給にかかわる設備の地震による被害が比較的小さかったのは、1978年の宮城県沖地震の経験を踏まえた安全対策が取られていたからだそうです。仙台市ガス局では、今回の震災をさらなる教訓として、4つの大きな安全対策を進めています。一つ目は、ガスの原料調達ラインの二元化により早期復旧ができたものの、今後は、万が一に備えて、パイプライン受け入れ地点を津波の影響を受けない内陸に増設し、今年度中に仙台市ガス局の導管との接続を完成させる予定です。二つ目は、供給区域を分割しブロックごとに供給停止することで、被害が比較的少ない地域へのガス供給の継続、また迅速な供給再開にも備えます。三つ目は、耐震性や耐腐食性に優れたポリエチレン管の低圧導管に被害がなかったという検証結果から、今後はポリエチレン管の導入をより促進することです。四つ目は、緊急時の動員体制の確立です。今回の震災では、あらかじめ締結してあった応援協定により、全国から都市ガス事業者延べ72,000人が応援に駆けつけてくれたそうですが、もしこうした応援体制がなければ、震災後の復旧にさらに時間がかかっただろうというお話でした。また、津波対策の強化としては、設備の高所移設や、かさ上げ工事、重要設備のある建屋が津波の圧力にも耐えられるような密閉度の向上、配管の基礎の強化や、建物の壁の補強などが行われています。

津波被害を乗り越えた臨海の工場

構内を実際に歩いてみると、街なかでもよく目にする球形のガスホルダーが見えてきます。ガスホルダーは、需要の多いときに送出し、少ないときにためておくことで、供給安定化を図り、また設備の効率的な稼働にも役立ちます。仙台市ガス局の供給区域内には合計8基のガスホルダーがあります。そして、天然ガスをマイナス162℃に冷却し1/600の体積に圧縮した液化ガスがマレーシアから運ばれると、直径60m、地下28mのLNG地下式貯槽に入れますが、この地上部分も見えます。さらにその先には海が見え、タンカーの着岸する埠頭の左手対岸には、JX日鉱日石エネルギー仙台製油所があります。

液化された天然ガスはパイプに通され、パイプの外側に海水を掛けると、液体が常温になるとともに気体になります。気化させる装置はオープンラック式ペーパーライザー(ORV)と呼ばれ、パイプに掛け流す海水は、摂取した時よりは少し温度が低くなるものの、そのまま海へ戻すことができるそうです。ほかにも、気化したガスにガス特有の匂いを付臭する装置なども見学しました。

最後にメンバーが訪れたのは、港工場からほど近い臨海部にある、キリンビール仙台工場です。東北で最も長い歴史のあるビール工場は、工場内の廃棄物ゼロを目指し、麦の仕込みかすを牛のエサにしたり、栄養分が豊富なビール酵母は食品として使用するといったように、エコ活動が盛んに行われています。しかしこの工場も、東日本大震災時には、地震によりビール貯蔵タンクが4基倒壊し、津波の影響で製品が大量に流出し電気設備も浸水するなど大きな被害を受け、半年後にようやく製造が再開されています。メンバーは、ビールの原料を実際に手に取り、仕込みの過程や、屋外の発酵タンク、屋内で一カ月熟成させる貯蔵タンク、瓶や缶に詰めるコースなど、説明を受けながらビールの製造過程を一つずつ見ていきました。 また、この工場で特徴的な、バイオガスエンジン式コージェネレーションシステムも見学することができました。これは、製造工程で発生する排水を処理する際にできるメタンを主成分とするバイオガスを電気・蒸気・温水にエネルギー変換し、工場で再利用することでCO2排出を抑制している、高効率で環境に優しいシステムだというお話を伺いました。

震災から3年半が経過し、少しずつ復興が進んでいる仙台市にて、大切なエネルギーの一つである都市ガスの安定供給のために、さまざまな工夫が施されることを実感するとともに、復興は元に戻すだけではない、未来の暮らしの基礎づくりにもなっていると感じた視察になりました。

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