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エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

福島第一原子力発電&町の復興見学レポート【メンバー視察編】
震災から7年7カ月、福島第一原子力発電所と町の復興の変化

ETTは〝福島第一原子力発電所ならびに周辺の町を定期的に訪問してその変化を見続け、正確な情報を発信することが必要〟と考えています。2014年(vol.20)、2016年(vol.27)に引き続き、東日本大震災から7年7カ月経った2018年10月29日〜31日の3日間にわたり、ETT メンバーは2班に分かれて発電所と周辺施設を訪れ、廃炉作業の現状と、町の復興の様子を見学しました。

*1班:10月29日〜30日、2班:10月30日〜31日

 

1〜3号機は、使用済燃料プールからの燃料取り出し準備が進行中

JR常磐線富岡駅に集合した1班のメンバーは、旧福島第二原子力発電所エネルギー館の会議室で「廃炉に向けて歩みを進める福島第一原子力発電所」(以下、福島第一)のビデオを見て東京電力の社員の方から現状説明を受けた後、見学用バスの中で車窓から見える町の様子を紹介していただきました。バスが走る国道6号線は脇道には入れないものの以前に比べて自由に走行でき、除染廃棄物を載せたトラックが多く行き交い、交通量が増えています。福島第一を中心として半円を描く形で、大熊町・双葉町の約1,600haの広大な用地に中間貯蔵施設をつくり、県内の除染作業で削り取った土や草木などを最終処分するまでの間、そこで管理・保管することが決定しました。現在は環境省が地権者の承諾を得ている段階のため(約7割)、各町の仮置き場からトラックで運び込んでいるとのことで、除染廃棄物が入っているという黒い袋が積み上げられている場所もありました。

事故から7年7カ月経ち、労働環境は驚くほどに改善しています。2年前の見学時(vol.27)には平均6,600人/日の方々(協力企業作業員および東京電力社員)が、主に日々の汚染水対策に奮闘していました。現在は、凍土遮水壁とサブドレン(井戸)などの汚染水対策により汚染水発生量が低減したため、使用済燃料プールからの燃料取り出しや、原子炉格納容器からの燃料デブリ(溶融した燃料などが冷えて固まったもの)取り出しに向けての準備などを計画的に進められるようになり、約4,200人/日(2018年9月時点)まで減っています。装備については、がれきの撤去や、地表面をモルタルで覆うフェーシング(舗装化)により構内の空間放射線量が低減したため、一般作業服で作業できるエリアが96%にまで拡大。全面マスク着用は主に1〜4号機周辺に限定されています。また、事故当時は福島第一から約20km離れた「Jヴィレッジ」を政府と東京電力の対応拠点に使用していましたが、現在は福島第一から約9km離れた大熊町で空間線量の低い大川原地区に単身寮を建て、約750人が生活しているそうです。道路周辺にはその新しい建物がたくさん建っていました。

福島第一に到着後、作業員の方々のため正門近くに設けられた「大型休憩所」を見学。2階の食堂で温かくてボリュームいっぱいの定食(380円)をいただいた後、バスに乗り、車窓から構内を約60分見学しました。高台まで上ると、構内移動の効率化・利便性向上のため2018年4月から試験導入された、可愛らしい自動運転EV(電気自動車)バスが停まっています。千本以上あったという桜並木は少し残っていたものの、線量を下げるために伐採され、構内専用の駐車場がつくられていました。

北側には廃棄物の仮置き場があり、大きなクレーンの下に、ALPS(多核種除去設備)で使い終わったフィルタなど廃炉作業に伴う廃棄物を保管したコンクリートボックスが置かれていました。敷地内にしっかりした建物(固体廃棄物貯蔵庫)をつくり、保管する計画です。ほかの場所には、使い終わった作業服などを保管した箱が積み上げられていました。焼却して容量を減らし、保管する計画です。また、鉄条網の防護柵で囲まれたエリア(乾式キャスク仮保管設備)も見えましたが、使用済燃料を保管しているコンクリートボックスが30基あると伺いました。

タンクエリアでは新旧のタンクの比較ができました。事故当時に汚染水を貯めていた、継ぎ目がはっきり見えるフランジ型タンクを解体し、漏えいリスクの低い溶接型タンクに8〜9割換えたとのこと。今も残るフランジ型タンクは雨水を貯める用途に使用されているそうです。

各号機の作業状況を見るため建屋に近づくと、事故の初期の頃に使っていたタンク(現在は空)が積み上げられていました。この辺りは40〜50マイクロシーベルト/時、さらに建屋の周囲の遮へい壁を越えると100マイクロシーベルト/時になるそうです。1号機は、使用済燃料プールの中にある燃料取り出しに向け、原子炉建屋上部のオペレーションフロア(略称:オペフロ)のがれき撤去を2018年1月から開始。並行して耐震のため、高さ120mの排気筒を半分に解体する工事も2019年3月から遠隔作業で行う予定です。2号機は壁面に作業スペース(前室)を設置し、そこから四角い穴を開け、オペフロ内部の調査を2018年7月から開始しました。1,2号機ともに2023年度からの燃料取り出しを目指しています。3号機は、2018年2月にドーム型の屋根の燃料取り出し装置の設置を終え試験を始めたところ、電気系統の不具合が見つかったため、11月頃を予定していた燃料取り出し開始時期を調整中。4号機はすでに燃料取り出しが終わり、建屋に白いカバーがかけられていました。


■1〜4号機の状況 各号機ともに「冷温停止状態」を継続


温かい食事からロボット遠隔技術まで、廃炉作業を多角的に支援

構内を出たメンバーは、福島第一の廃炉作業に従事する作業員の方々へ温かい食事を提供する、約9km離れた「福島復興給食センター株式会社」(2014 年設立)へ移動しました。近くでは、まさに復興を感じる大規模な大工事の真っ最中でした。大熊町の中でも放射線量の低いこの辺りは大川原地区復興拠点として役場の新庁舎を建設中で、2019年春オープンとともに避難指示解除も予定されており、「来年にはガラッと変わるでしょう」との説明でした。施設の概要は2年前のレポート(vol.27)と重複するので省きますが、現在は約100名の従業員の方々が、福島県産食材(約4割)などを使用してつくった約1,600人分の食事を福島第一へ日に数回届け、食器を回収しています。施設内には「100万食達成!」と書かれたポスターが貼られ、中ではオートマティックで野菜を切っている様子が見えました。2年前と変わらず施設全体がキレイな様子に驚きましたが、IHで火を使わずススが出ないため汚れないのだそうです。


位置関係


次は、楢葉町にできた「楢葉遠隔技術開発センター」へと向かいます。道中の富岡町では、太陽光発電パネルがズラリと並んだ景色に圧倒されました。富岡町民でつくる富岡復興ソーラーが約11万枚ものパネルを配備し、大規模太陽光発電(最大出力3.2万kW)を2018年3月から稼働。運用期間は20年間と聞き、膨大な数のパネルの行く末を心配するメンバーもいました。

福島第一の廃炉作業では放射線量率が高い所で行う作業が多く、ロボットなどの遠隔技術が欠かせません。「日本原子力研究開発機構 楢葉遠隔技術開発センター」は、福島第一の廃炉作業に貢献するため、ロボットなどの遠隔操作機器の開発・実証試験を行う施設として、2016年4月から本格運用が始まりました。浜通りに新たな産業・雇用の創出を目指し国が定めた「福島イノベーション・コースト構想」の取り組みの一つでもあります。大きな試験棟に入ると、原子炉格納容器とほぼ同形の水槽が設置。格納容器に溜まった燃料デブリを、放射線が散らばらないよう水中で、遠隔操作で取り出す試験を2017年に実施したたそうです。ほかにも、福島第一の施設内を模擬できる階段を用いてロボットの性能評価なども行っています。
*2017年の福島復興再生特別措置法改正により法的に位置付け。廃炉研究・ロボット開発・実証、エネルギー、農林水産などを重点分野とする。主な取り組みは、廃炉国際共同研究センター・国際共同研究棟(富岡町)、福島ロボットテストフィールド(南相馬市・浪江町)、大熊分析・研究センター(大熊町)、情報発信拠点(双葉町)など。

研究管理棟にあるバーチャルリアリティ(VR)システムでは、福島第一事故後、実際にロボットを活用した際のデータに加え、設計段階のデータを組み合わせて、原子炉建屋内にいる感覚で作業計画や訓練を行うことができます。メンバーもメガネをかけて4面スクリーンの前に立ち、体験させていただきました。2012年当時の2号機(模擬空間)に入って行きます。職員の方の「照明を点けます」の声で視界が明るくなり、足下には配管、目の前には格納容器が迫り、あまりのリアルさに「ワァすごい!」「落ちそうで怖い」「酔いそう」などと声が上がりました。目の前の上部に3つの数字(入っている時間/その場の空間線量/入ってからの空間線量の合計)がカウント表示されます。刻一刻と、線量の合計数字が上がるので焦りました。体験終了後、職員の方から「4ミリシーベルトまで到達しましたが、これは4年間の放射線量を10分で浴びたのと同じ。被ばく低減のためには、作業の効率化が必要なのです」との説明に、廃炉作業の厳しさと、このような技術開発施設がいかに重要であるかを感じずにはいられませんでした。

復興への熱い思いから、さまざまな取り組みが広がる

ホテル棟などを新設し、2018年7月末に一部営業を再開した「Jヴィレッジ」に宿泊したメンバーは、2日目の朝、4階の展望室に集合。美しく整えられた天然芝ピッチ8面、陸上競技用トラックを併設したフィールド、全天候型練習場、スタジアムなどが眼下に広がる49haの広大な敷地を一望しました。Jヴィレッジ事業推進部長から「今年8月、久しぶりにたくさんの子どもたちが訪れ、声を聞いた時には涙の出る思いでした」と聞き、その様子が目に浮かびました。残念なことに現在の利用率は10%にも満たないそうですが、2019年4月に全面再開するとともに常磐線「Jヴィレッジ駅」も開業され、ラグビーW杯のキャンプ地としても利用される予定だそうです。「研修室などもあるので、サッカーだけでなく多目的に使っていただければ」との言葉を受け、メンバーからさまざまなアイデアも飛び出しました。

その後、会議室にて、東京電力の福島復興本社青柳副代表より、福島復興への責任を果たすための取り組みについてお話を伺いました。「Jヴィレッジ」内に2013年設立された福島復興本社は、2016年に富岡町の浜通り電力所に移転しましたが、2020年度をめどに、福島第一のある双葉町の復興拠点の一つ、中野地区に移転予定です。現在は合計4,000人のうち、約2,500人/日が復興の仕事に携わっています。そのほか、東京電力全社員による復興推進活動として200〜300人/日が1泊ないし2泊で、草刈りなどの手伝いをしに福島入りしているとのこと。大熊町復興拠点周辺では給食センターや単身寮建設など「まちづくりへの貢献」や、川内村におけるワイン醸造プロジェクトの手伝いなど「営農再開などへの貢献」といった、地域の特性・状況に応じた取り組みも行っています。また、帰還される住民の方々の安心材料になるよう、廃炉事業の現状などを確認できる場として「東京電力廃炉資料館」を2018年11月末に富岡町内の旧エネルギー館に設置予定です。

次に、復興庁福島復興局の田中次長より、福島復興加速への国の取り組みについて説明を受けました。復興を加速させるため福島復興再生特別措置法の改正に伴い、市長村が帰宅困難区域に「特定復興再生拠点」の設定および、除染やインフラなどの環境整備の計画を作成。内閣総理大臣により計画が認定されると国が整備を進め、5年をめどに避難指示解除を目指します。すでに2017年秋から2018年春にかけて双葉町・大熊町・富岡町など6町村で拠点が認定され、整備が進行中のため、5年後には帰還者も増え、町の様子も大きく変わることでしょう。福島県の人口は約190万人(2015年10月1日時点)で、県全体の避難者約4.5万人のうち、避難指示区域からの避難者は約2.4万人(2018年4月時点)。避難指示区域の解除も4年前から各市町村で進みました。帰還に関する住民意向調査では、3年前に解除された楢葉町では震災前の過半数の住民が「戻っている/戻りたい」と回答する一方で、2018年4月に一部地域で準備宿泊を実施したばかりの大熊町では過半数の住民が「戻らない」と回答。帰還できない期間が長引くほど、特に若い人は移転先で家を建てたり子どもを学校へ通わせたりと、帰還しづらくなる傾向もあるようだとのお話でした。また、当日はこれから農産業の現場を見学するにあたり、「県産農作物の価格は福島の事故以降、全国平均価格との格差が回復していない」との調査報告も気になりました。

いわき市四倉町へバスで約30分、〝体験型〟トマト農場「ワンダーファーム」に向かいました。数多くあるトマト栽培ハウスの一つに入り、見上げるほど高く伸び、実をたくさん付けた苗の前で元木社長から話を伺いました。福島に生まれ、埼玉で電気設備の設計・現場監督をしていた元木社長は、農業を営む実家の後継者として故郷に戻り、大規模温室によるトマト栽培経営に乗り出したところで被災。安全性を訴え、震災の2年後には以前と変わらず約3割のトマトを東京に出荷できるようになりましたが、周りの農家の窮状や、後継者不足の農業の未来を打開したいと、多くの人に福島に足を運んでいただいて農村地域の活性化につなげる、体験型の「ワンダーファーム」を開設。広い敷地には年中トマト狩りが楽しめるトマト栽培ハウスに隣接し、レストラン、直売所、自社加工工場も備え、食・収穫・買い物のほか、イベントや、農業体験など地域の教育支援も行っています。

ヤシガラを敷いて栽培した12種のトマトを年に1,500トン出荷。地元の主婦を中心に約50名のスタッフが働いています。メンバーが「一番の苦労は?」と問うと、「若い人をいかに育て、この地に定着してもらうか、人材育成です」と答えが返ってきました。「農業を志す若い人に技術とノウハウを伝えるので、ここで勉強してもらって、いずれはこの地で独立して農業経営をしてほしい。それが福島の復興、成長につながっていくと思います」。東京にも定期的に販売に来ていると言う元木社長。「皆さんもぜひまた来てください。交流を続けていきましょう!」との言葉に大きな拍手が送られました。昼食にはレストランで、新鮮で甘いトマトをふんだんに使ったブッフェランチをいただき、大好評でした。

最後の見学はバスで90分、双葉郡川内村でワインづくりに取り組む「高田島ヴィンヤード」へ。バスの中で発起人である、ふくしまワイン広域連携協議会 事務局長の北村氏(東京電力福島復興本社勤務)に話を伺いました。2014年、東京から福島に異動した北村氏はフランス赴任中にワインに魅せられ、ワイナリーを見て歩いた経験から「ブルゴーニュの風景が福島の浜通りに似ている」と感じ、自分も福島復興の役に立ちたいと、福島でのワインづくりを決意。知人や有識者に協力を依頼し、復興庁先導モデル事業を活用して、川内村を筆頭株主とする官設民営会社「かわうちワイン株式会社」を設立し、高田島地区に約3haのぶどう園「高田島ヴィンヤード」を設営しました。3年前に苗木を購入して約500人のボランティアとともに植え、現在は約11,000本の苗木を地元の農家の方々に手伝ってもらいながら育てています。品種は白がシャルドネ、赤がカベルネ・ソーヴィニヨンとメルロー。丘の上にワイナリー(醸造所)の建設を始めたところで、試験醸造は2019年からとのこと。どんな味のワインに仕上がるのか楽しみです。

土壌のセシウムが、根を深く張るぶどうの実にほとんど移行しないことはチェルノブイリの事故後に報告されていますが、下準備の段階で実際に安全性を確認してから始めたとのこと。震災以降、福島県内では各地でワインづくりへのチャレンジが増えており、今後は広域連携を図って福島ワインベルトを形成し、「ふくしまワイン」のブランド化を目指したいと、夢も広がります。「『ワンダーファーム』の元木社長もおっしゃっていましたが、地元の農家さんは高齢の方が多いので、外からワインづくりに関心のある若い人材に来てもらって人材育成のしくみを構築することが課題です」。

急勾配を上って行くと、川内村を取り囲む阿武隈の紅葉した山々を背景に、ぶどう畑が一面に広がります。折しも夕暮れ時、さまざまな色彩に彩られた眺望の美しいこと! まさにフランスを思わせる景色の中、川内村の遠藤村長がメンバーを出迎えてくれました。「ワインづくりは川内村にとって、新たなチャレンジです。これからワイナリーや、レストランなども開いて、多くの人にこの素晴らしいロケーションを楽しんでいただきたい。ぜひ川内村を応援してください!」

今回は2日間におよぶ見学を通して、福島の今の姿をさまざな角度から知る機会を得ました。最新の技術を駆使して未知の廃炉作業に取り組む福島第一、復興加速を目指す福島の町、それぞれの現場で知恵を絞り、汗を流す人々の姿を、今後もしっかり見届けていきたいと思います。

東京電力ホールディングス http://www.tepco.co.jp/index-j.html
JAEA(日本原子力研究開発機構)https://www.jaea.go.jp/
ワンダーファーム http://www.wonder-farm.co.jp/
Jヴィレッジ https://www.j-village.jp/
かわうちワイン株式会社 http://kawauchi-wine.com/index.html
復興庁 福島復興局 http://www.reconstruction.go.jp/portal/chiiki/hukkoukyoku/fukusima/fukushima-hukkokyoku.html

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