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常磐共同火力勿来発電所見学レポート
世界を牽引する、福島発の次世代型火力発電

原子力発電所がすべて停止している現在、日本全国の火力発電所は発電量を補うべく、フル稼働をしています。石油、天然ガスと並び重要な燃料のひとつである石炭による火力発電所は、どのような技術の進歩を遂げながら運転しているのでしょうか? 2015年2月2日、神津カンナ氏(ETT代表)は、福島県いわき市にある、石炭を主力燃料とする火力発電所を視察しました。

 

炭田とともに歩み、地域と共生して発展した歴史

18世紀後半にイギリスから世界へ広まった産業革命を支えた石炭は、第二次世界大戦以前には、世界のエネルギー燃料の約80%を占めていました。日本でも明治以前から炭鉱の開発が始まり、石炭は近代化を支え続け、また戦後の復興とともに電気の需要の高まりから増産され、石油に代わるまではエネルギーの主役でした。福島県には首都圏に最も近いといわれる常磐炭田がありますが、未利用の低品位炭を活用し、石炭鉱業の合理化と電力供給の安定を図ることを目的に、1955年、東北電力と東京電力および炭鉱会社の出資により、常磐共同火力株式会社が設立されました。そして常磐地区にある、勿来(なこそ)市(現いわき市)の積極的な誘致により、無償で提供された15万5千㎡の用地に石炭火力発電所建設が計画され、57年に勿来発電所1・2号機(各3万5千kW)が運転開始しています。

見学に先立ち、日本の戦後史とともに歩んだ勿来発電所の概略をDVDで見て、所員の方からお話を伺いました。60年代に入り高度経済成長により電力需要がさらに高まると、3・4・5号機(各7万5千kW)を建設し、60年代後半から70年にかけては、石炭業界の斜陽化や地域の振興政策に合わせて、常磐炭田の主力炭である精炭を使用する6号機(17万5千kW)と7号機(25万kW)を建設しました。しかし炭鉱の相次ぐ縮小・閉山に伴い、常磐炭の供給量が不足することになり、71〜72年には1〜5・7号機が石炭と重油の混焼、また73年には6号機が重油専焼になっています。

勿来発電所が面している海岸は、浅瀬のため専用の港を設けることができないので、重油は、10km北上したところにある小名浜港に陸揚げ後、小名浜ステーションにためてからパイプラインで発電所内へ送ることになりました。また73年には北海道炭を導入することになり、石炭も小名浜港で陸揚げしてからトラックで発電所へ運ばれるようになったため、港付近の設備が拡充されました。一方、このころ起きた石油ショックにより、石炭火力は再び石油代替エネルギーとして注目されるようになります。

当時の日本では公害が社会的な問題になっていましたが、83年に営業運転を開始した8・9号機(各60万kW)は、石炭と重油の混焼としながら、環境対策のための最新鋭の技術を駆使した発電設備になっています。また国内炭の減少に伴い、82年には、コストメリットの高い海外炭を導入するようになり、84年にはついに常磐炭の使用が終了しています。また、老朽化した1~5号機は、87年までに順次廃止されました。

高効率な石炭火力によるエネルギーセキュリティと地球温暖化対策の両立

1~5号機の跡地に現在ある10号機は、もともとIGCC実証試験のために使われていたものです。IGCC(Integrated coal Gasification Combined Cycle)とは、石炭ガス化複合発電のことで、既存の石炭火力発電に比べて石炭使用量が少なく、発電効率が高い次世代の発電システムです。石炭は石油、天然ガスと比較すると、採掘可能な埋蔵量が最も多く、しかも安価であり、世界中に数多くある生産国は政情などが比較的安定しています。そのため、資源を輸入に依存する日本では、エネルギーの安定供給のためにも、他のエネルギー資源とともに石炭を重要視しています。しかし石炭はCO2排出量が多く、硫黄など環境に与える影響が大きい物質を多く含んでいるという欠点もあります。

IGCCの技術開発について、DVDと所員の方からの詳しい説明により概要を把握することができました。1983年に(財)電力中央研究所(横須賀研究所)で行った2t/日の基礎実験装置から始まったIGCCは、89年からは勿来発電所の構内に建設された200t/日のパイロットプラントで研究を本格化させ、91年には運転研究を開始。96年にプロジェクトとしての成功を納めたあとは、2001年に9電力会社と電源開発株式会社の出資のもとで設立されたクリーンコールパワー研究所の主導で、07年から13年3月まで、25万kW実証機による運転試験を行いました。同年4月からは設備をそのまま常磐共同火力株式会社が引き継いで、商用設備(10号機)として運転を行っています。そして同年12月には、3,917時間の世界最長連続運転を達成しました。

IGCCは、大きく分けて三つの主要設備で構成されています。一番目は、石炭をガス化するための「ガス化炉」、2番目は、ガス化炉で発生させた石炭ガスから硫黄酸化物などを除去するための「ガス精製プロセス」、3番目が、きれいになった石炭ガスと蒸気を使って発電する「複合発電設備」です。

石炭を燃焼した熱を利用してボイラーで蒸気を発生させ、その蒸気を使って蒸気タービンを回して発電するという従来の石炭火力発電と異なり、IGCCは最初に石炭をガス化し、そのガスを利用しガスタービンを動かして発電、次に、ガスタービンの排熱を利用して蒸気を作り、蒸気タービンを回して発電という、2段階の発電プロセスとなります。


IGCCは、発電効率48~50%という高効率なシステムである以外にも、従来の石炭火力では利用が困難だった灰融点の低い石炭も適合するため、利用できる炭種の拡大が可能になりました。また大気汚染物質排出量と温排水量の低減にも効果的です。従来の石炭火力と異なり、大量の石炭灰が発生することもなく、ガラス状のスラグとして排出されるので、容積はほぼ半減。黒く光るスラグは、セメントの原材料や道路の舗装材として使用され、全量をリサイクルしているそうです。

熱効率をさらに上昇させたIGCC商用機の国内普及が課題

勿来発電所を訪れて意外に感じたのは、住宅地に隣接してある火力発電所ということでした。所員の方の説明によると、常磐炭坑とともに歩んできた歴史があるため、石炭に対する地元の理解が深かったおかげで建設できたということですが、発電所としては、安全と環境対策を万全にして、信頼に応えたいとおっしゃっていました。

敷地内で最初に見学したのは貯炭場です。ここにいったん運び込まれた石炭は、屋外の密閉されたコンベヤーで各ボイラーやガス化炉施設に運ばれます。12トントラックは待機場所から途切れることなく貯炭場に入って、石炭を降ろしていました。発電所全体で一日に1,200台ものトラックが石炭を運び込むと伺い、その莫大な量に驚かされましたが、炭種ごとに巨大な山に分けて、燃焼効率が良くなるようにブレンドしながら使用しているとのことで、さらに感嘆しました。

現在、稼働している7・8号機は石炭・木質ペレットが燃料、9号機は石炭・重油・木質ペレットが燃料、そして10号機は石炭専焼になっています。木質ペレットは木材伐採後に出る未利用の材木などを加工したもので、また現在は受け入れが中断していますが、下水浄化センターの汚泥から作られた炭化燃料も、石炭と混焼することにより、CO2削減に貢献しています。8・9号のタービンが置かれたフロアは面積が広く、巨大な機材の点検・交換をするために、広大なスペースが必要だという説明を受けました。

建屋の外壁には、1m以上の高さに津波到達点と印がつけられていました。2011年の東日本大震災時、この発電所も大きな揺れと津波で被災しましたが、所員と各協力企業の方々が一丸となって作業を行い、わずか3カ月半で8・9号機を復旧させたと伺いました。また、勿来発電所が、東北電力と東京電力それぞれの供給地域の末端に位置しているため、両電力会社の系統に電気を供給することができる重要な発電所だということも、あらためて認識しました。

10号のタービンフロアは、意外なことに屋根がありませんでした。雨がほとんど降らない土地では青天井のプラントもよくあるそうですが、こちらは、コストをなるべく下げる実証施設だったために屋根を持たず、現在もそのままになっています。また、8・9号機の煙突に比べて、IGCCの煙突の高さは半分の100mほどです。IGCCの方が排気の勢いが良いため、通常の石炭火力の煙突よりも低くて済むそうです。室内の中央操作室では、ガス化炉内の様子がモニターに映し出され、オペレーターがモニター画面ですべての制御操作をしていました。

IGCCは、1990年代にアメリカ、オランダなどでも実証試験が始まりましたが、設備が複雑なため、日本における試験においても数多くのトラブルを経験しています。その後、改良を重ねて、世界最長連続運転を達成させ、30数年をかけて実用化に至りました。そのため、近年では海外からの視察も多いそうです。課題としては、燃料費が2割コストダウンできる反面、プラント建築費が割高になることです。商用機の普及が進めば、採算面も改善され、海外セールスにも結びつきます。こうした最先端の技術を福島から世界に発信していくためにも、福島復興電源として、10号機の2倍の出力になるIGCC大型プラントの建設計画が勿来発電所の隣接地と県下広野火力発電所構内において現在、進められており、2020年の運転開始を目指しています。お話を伺いながら、IGCCの技術で、福島から世界をリードしていきたいという所員の方の熱い思いが感じられる視察になりました。


視察を終えて

地球温暖化防止対策の議論が盛んになり始めた頃から、石炭火力はガスや石油に比べて多くのCO2を排出するという理由でずっと悪者扱いされてきた。「石炭火力を温存してきたのは日本のエネルギー政策の失敗」と断言する政治家もいたという。しかし、エネルギー資源として貴重な石炭をいかに効率的に、環境性にも遅れをとらない形で維持継承していくかという取り組みは脈々と受け継がれてきた。オイルショックに見舞われた1970年代にすでに石炭ガス化の研究がスタート。1982年にはIGCC開発に向けた米国のクールウォータープロジェクトにも参画するなど、先人たちの並々ならぬ努力が重ねられてきたのだ。その成果の集大成ともいうべき、日本初の石炭ガス化炉が一昨年に商用運転を開始し、今やIGCCが今後の石炭火力の主流と期待されるまでに成長した。太平洋の外海に面した勿来の浜に、「石炭とともに生きる発電所」の雄姿がひときわ目に焼きついた視察だった。

神津 カンナ

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