特集

エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

沖縄電力 南大東電業所見学レポート“絶海の孤島”南大東島における電力供給事情を知る

沖縄本島より東に360km、那覇からプロペラ機で約1時間。 “台風の通り道”と称される過酷な自然条件下にある南大東島では、島民の暮らしや産業に必要な電力をどのようにまかなっているのでしょうか? 2017年4月12日〜13日、神津カンナ氏(ETT代表)は沖縄電力南大東電業所を訪問し、離島ならではの電力事情を学び、厳しい自然に対峙しながら電力の安定供給に努める現場の方々の地道な努力を知る機会を得ました。

 

重油が燃料の「内燃力発電」と、強風を避ける「可倒式風力発電」

南大東島は周囲約21km、海岸付近の標高が高く内陸へ進むほど低くなるすり鉢状の形をした円い島です。現在、島民の数は約1,300名で、小・中学校が1校ずつありますが、高校からは沖縄本島など島外へ出るということです。この島の歴史は、今から117年前、八丈島からの入植者が手作業で土地を開拓し、さとうきびを栽培したのが始まりです。現在は広大な畑で機械化農業を行って原料糖を出荷し、さとうきびは島の大きな産業となっています。その他には、上質なじゃがいも、かぼちゃを栽培し首都圏へ出荷していると伺いました。南大東空港から向かった沖縄電力南大東電業所も、さとうきび畑に隣接した、のどかな風景のなかにありました。

南大東島内地図

ここでは、重油を燃料としてディーゼル・エンジンで発電機を回す「内燃力発電」を行っています。この発電のメリットは燃料(A重油)の取り扱いが容易で、また発電機を迅速に始動・停止できること。離島の電力供給に適した発電方式です。デメリットは燃料費の高さです。南大東島の場合、沖縄本島から遠く離れ、また島の周囲は深い海溝であるため、海底ケーブルによる電気の供給を行うことができません。燃料の重油は西日本地域の製油所から沖縄本島油槽所を経由し、貨客船でのドラム缶輸送を余儀なくされています。そのため燃料価格に占める輸送費がなんと40%程度にもなるそうです。

この「内燃力発電」に島内電力のほとんどを頼っており、見学当日もディーゼル・エンジンの大きな音が絶え間なく鳴り響いていました。

そこで、コストの低減や二酸化炭素排出量の削減を目的に風力発電2基(245kW/基)を導入したとのこと。この2基で島内電力を最大で約1割まかなうことができます。また、風況による風力発電の出力変動に備え、屋外に蓄電池設備を設置し、電力供給に影響が出ないような対策も講じられていましたが、あくまで一時的な電力需要の変化にしか対応できません。案内された電業所のコントロール室で、リアルタイムで風力発電量を示すパネルの数値が目まぐるしく変化していくのを目の当たりにして、限られた系統の中での島内の電力需要に合わせて、内燃力発電の出力調整を行うご苦労が容易に想像できました。「出力も多くないですし、油と風でシンプルなんですよ」とにこやかに説明してくださいましたが、さとうきび畑にポンプで水を汲み上げる夏場は島内の電力需要が冬の約2倍まで上がるそうです。これから暑くなるにつれ台風も発生し、7名いる電業所員の方々は安定供給に神経を尖らせる日々が続くことでしょう。

また、構内には港から運ばれてきた重油入りドラム缶が置かれ、近くでは作業員の方が注意深く、運搬車で積み下ろしていました。ドラム缶の重油は、裏手の高台にある2基の重油タンクに入れられます。「天候不良で船が来られない場合に備え、2〜3カ月分を備蓄している」と伺い、本土とは違い、島の中で何とかしなければならない“絶海の孤島”の厳しさを実感させられました。

次に風力発電設備がある海沿いへ向かいましたが、この島では周りに遮るものが無いせいか、風の強さを感じました。台風の多い沖縄では、風力発電設備の被害の復旧に多くの時間と費用が費やされてきました。そのためこの島では2011年から「可倒式」を導入。「強風に耐えるのではなく強風を避ける」発想の転換により、風車タワーを90度近く倒して破損被害を回避します。風速10m以上になると倒せなくなるため、気象状況を逐一確認し、風が強くなりそうな時には前もって倒しているそうです。風車の羽も一般的によく見る3枚ではなく、倒した時に邪魔にならないように工夫され2枚になっているとのことでした。見学当日は傾倒されず、2枚の羽が回りながら風向きによって自動で方向転換をしている様子が見られましたが、54mもの高さの風車を倒す作業の大変さが想像できました。










[左]可倒式風力発電(全景)  [右]可倒式風力発電(風車傾倒時)

“重油のドラム缶は、港からクレーンで荷揚げ

南大東島はサンゴが隆起してできた島のため砂浜は無く、海沿いは切り立った岩壁に囲まれています。周りの海の水深は1,500mにも達するため常にうねりが高く、船が大きく揺れるため港に直接接岸できず、物資はもちろん乗客も港からクレーンで荷揚げしています。島には一般港が3カ所、陸の岩盤を掘り込んで造った避難用漁港が1カ所あります。主要港である西港には、那覇との間を約13時間で結ぶ貨客船が、ドラム缶の重油などの物資の輸送も含め月に4〜5回運航しています。ちょうど作業のタイミングとのことで、港からクレーンで荷揚げする様子を見に行きました。

港に停泊している貨客船は上下に大きく揺れている状態で、物資の荷揚げはもちろん、乗客も檻のようなカゴに入れ、桟橋のクレーンで船上へ運んでいました。重油のドラム缶はカゴではなく、1缶ずつ鎖を付けて運んでいました。海は大きくうねっていましたが、「今日はまだ良いほう」だそうで、西港のうねりが強いと船を北の補完港に着け、そこも波が荒くなると南の補完港に移動して荷物や乗客を乗せ出港することもざらにあると伺いました。南大東島と言えば、台風の時期にその名前をよく耳にしますが、日本の本土へ上陸する台風はこの海域で台風として発達していくことが多く、発達時には速度が遅く通過に時間がかかるそうで、その場合は船も入港できません。日常の生活物資も同様ですが、ライフラインを途絶えさせないためドラム缶重油を常に備蓄していくという、地道な作業が島民の暮らしを守るためにいかに大事であるかということを実感しました。

“1日2回の高層気象観測で、天候の変化をキャッチ

電力を安定供給するためには、気象状況の確認が欠かせません。そこで翌日は、立派な建物を擁する南大東島地方気象台を訪問しました。ここでは、「ラジオゾンデ」というGPSを付けた高層気象観測装置を気球に吊るして1日2回定刻に打ち上げ、地上から高度約30km付近までの気圧・気温・温度・風向・風速を観測し、データを気象庁に送っているとのこと。このラジオゾンデを用いた観測は、全国で16カ所、全世界約800カ所で毎日実施され、天気予報や気候変動の監視などに役立てられているそうです。定刻の午前8時半。気象台の敷地に設置された自動放球装置の屋根がスライドして開き、風除けが出て、白い気球が顔を出したと思ったら、どんどん空へ舞い上がり、瞬く間に見えなくなりました。

敷地内には雨量計や風速計が設置され、これらの観測が天気予報に活かされています。また屋内ではパネルや写真などの展示があり、8年前の大型台風では最大瞬間風速が65mになり、風速計が壊れ、40トンの岩が港から坂道を上って来るほどで、2年がかりで港を修復したそうです。自然の猛威を改めて知りました。

「島民は皆、顔なじみ。よその子どもも皆、島の子ども。かわいいですよ」と島の方が明るく話されましたが、その人々の暮らしの背景には、過酷な自然条件に対峙し、いついかなる時も電力の安定供給を図ろうと奮闘する電業所員の方々や、気象をはじめライフラインを守っている現場の方々の日々の努力がありました。今回、実際に島を訪れ、発電所の現場、港、気象台などに足を運び、普段私たちが伺い知る機会のない離島ならではの現状を肌で実感できた、貴重な2日間となりました。


視察を終えて

東京から沖縄まで約1,600km。飛行機ならば約2時間半ほどだが、やはり遠い南国である。その沖縄からさらに360kmほど離れた洋上に「はるか東の彼方にある島」という意味の大東諸島が点在する。 その一つ南大東島は、機上から見ると、山がなく、お盆を海に浮かべたような平坦な形をした孤島。1900年(明治33年)に初めて開墾されてから100年余という歴史の浅い島であるが、現地に降り立つと、断崖続きで島には船を接岸することさえままならず、台風や季節風の厳しい自然環境のなかで、人が定住できるまでいかほどの苦労を積み重ねてきたのか想像を絶する思いだ。 しかしながら、内燃力発電、可倒式風力発電施設はじめ、海水を淡水化して全島に給水する水道施設、地上デジタル放送受信のために沖縄本島からの長距離海底ケーブルなど、人の営みに欠かせないインフラが整っている姿には驚嘆する。 けれども同時に、電気も水も通信も「当たり前」ではないことを改めて痛感し、この南大東島のありようは、快適に生きる基盤はこうして人が地道に造り上げていくものなのだということを教えてくれた。

神津 カンナ

ページトップへ