特集

エネルギー関連施設の見学レポートや各分野でご活躍の方へのインタビューなど、多彩な活動を紹介します

第4回 インタビュー 「現場」に行かなければ、本当のことは何もわからない

各界でご活躍の方をお招きし、神津カンナ氏(ETT代表)がお話を伺うインタビューの第4 回ゲストは、野口 健氏です。登山家としてスタートした野口氏が、どのようにしてエベレストや富士山の清掃活動、環境教育など、幅広い活動を精力的に展開されるようになったのか、お話いただきました。

自然の中で追いつめられて目覚める人間の力

神津 野口さんは少年時代を世界各国で過ごされ、英国の学校で問題を起こしてやむなく帰国されたと伺っていますが、登山家になられたきっかけはどのようなことですか?

野口 停学になった時に、父親にこれはチャンスと一人旅を勧められて京都や奈良などを回り、その旅で偶然、植村直己さんの本に出会ったんです。しかも登山家だとはあまり知らずに。

神津 人生ってわからないですね。お父様に言われて旅に出なければその本に巡りあわなかったし、登山家にもならなかった。

野口 とことん追いつめられて初めて本気になった時でなかったら、この本と出会ってもぴんとこなかったでしょうね。

神津 今、教育現場や家庭などで荒れている子どもたちを、どのように思われますか?

野口 先生や親に対するメッセージや自分に対する憤りとか、自分の中のエネルギーを表に出しているから荒れるわけでわかりやすいですが、反面いじめなどはエネルギーの発散の仕方がどこか陰湿な感じがしますね。また、僕らの時代と違って、今の子どもたちは感覚的な実体験が少ないです。主催している環境学校に参加してくる子どもたちの中には、たとえばシーカヤックがひっくり返った場合脱出しなければ水中で死んでしまうのに、パドルを持ったまま動けなくなってしまう子がいます。死に対して少しでも恐怖を持った経験があれば、とっさの場合に体が反応するのに、小さい時から自然体験がまったくなかった子どもたちを見て、環境問題より先に生命力をつける必要性を感じました。頭で考えるより自然とのかかわりの中で生きていくことを体験させるために、環境を学習しに来たつもりの子どもたちに思いもよらない登山をさせてみる。だんだん自分の体が苦しくなってくると子どもたちはどうするかというと弱っている子に声をかけてやるようになり、子どもたちは自然とチームワークができてきます。

神津 実体験を通して目覚めるということですね。でもそれができない境遇にいる子どもたちもいるのではないでしょうか。

野口 環境学校を通して実感したのは、親の収入格差が子どもに体験格差を生むことです。比較的裕福な親なら、子どもにいろいろな体験をさせられるので、子どもはさまざまな活動を通じて物事に関心を持ち、さらに好奇心を持って自分で調べたり勉強する、その結果、高学歴にもなります。そして活動を通じて、社会において何ができるか、自分の役割は何かを考えられるようになるのです。しかし、義務教育の場でできる方法もあると思います。たとえば長野県小諸市から環境大使を依頼された時のことですが、市の小学校で年に1回、授業の一環としての森林教室を提案し実施したのがきっかけとなり、今も活動は続いています。忙しい学校の先生自らでなくとも、近隣の人を現場に招いて子どもに直接自然を感じてもらう活動なら可能といえます。

理想論では解決できない、自然と人との共存

神津 野口さんがひとつひとつの活動を実現させるまでのプロセスを伺うと、意見が噛み合わない役所とのコミュニケーションをうまくはかり、行政を巻き込んだ形での仕組みづくりを実現されていますね。

野口 アクションを起こすのは簡単ですが、活動を継続していくためには行政への働きかけが必要です。夏場はおよそ300万人が入山、そのうち30数万人が登頂している富士山については、入山規制策を考えなければ環境にダメージが出るのは当然で、もし世界遺産になったらこれまで以上に世界中から人が押し寄せるようになるので、事前に国が受け入れ体制を整備すべきだと提案しているのです。

神津 私たちはとかく物事や人間を簡単に白か黒かに分類しがちですが、野口さんはどちら側に立つにしても、型にあてはめず、それぞれの実情を丁寧にフォローされていますね。

野口 これは反省になりますが、小笠原の世界遺産立候補時に、飛行場建設が問題になり、建設は中止になり環境破壊が起こらずにすみました。しかし現地で話を伺うと、着水できる自衛隊の飛行艇はあるけれど、莫大なコストがかかるのを知っている島民は、妊婦の人は安定期に入ったら内地に行って出産するそうですし、緊急の要請以外はしないという意識が高く、そんな島の人たちにとって、民間飛行場の必要性は大きいのです。一緒に行った子どもたちも、行きは飛行場建設に全員反対でしたが、帰りには反対意見が半分になって、「海に浮かぶ飛行場を作ったらどうか」「それではサンゴが死んでしまう」「定期的に動かせるモーター付きの海上飛行場はどうか」など、ここは環境を守ってここは開発するというように、絶対的な正解がないところでもがきながら、いろいろな案を出していたんですね。だから賛成派反対派というように安易にレッテルを貼って色分けするのは、自分たちが作ってきた社会の弱点を見ているような気もします。

神津 野口さんは『それでも僕は「現場」に行く』をお書きになっています。私も現場大好き人間のひとりですが、現場に行って目で見て耳で聞いて、はじめてわかることは多いですよね。

野口 エベレストにはじめて行った時に、テレビでは決して映されなかったゴミの山に驚いて、自然を守りたいと思う気持ちがわき、清掃登山を始めようと思ったわけです。環境問題は、どうすれば自然と人間生活が共存できる社会を作れるのかという問題だと思います。自分の正義=社会の正義と信じ込んでいても、実はいろいろな立場の意見があるわけで、現場に行って起きていることを目にすれば、理想との乖離(かいり)を感じるでしょうし、いろいろな案を出し合いながらその中でどう選択していくか、どう人に伝えていくのかが難しく、だから一概に白黒と言い切れないのです。

神津 絶対的な環境というのはありえないですし、絶対的な平等を望んでもそれもありえないわけですね。世界中の多くの国を体験された目からご覧になって、日本の特色はどんな点だと感じられますか?

野口 子どものころは、日本に帰ってくるたびに、清潔な国だな、食べ物もおいしいし、日本人でよかったなと思いましたし、電気のありがたさも実感しています。ネパールのカトマンズでは発電不足で1日17時間も停電する時もありますから、誰もがヘッドランプやコンロを常備しているくらいです。エネルギーについて考えるようになったのは、温暖化問題がきっかけです。氷河融解が深刻なヒマラヤでは、近年雪崩が増加し登山仲間も10人近く亡くなっています。現地の人びとにとっては、氷河が融けてできた湖(氷河湖)がやがて拡大して決壊、そのために起こる洪水が問題でした。ところが昨年の春、ヒマラヤの麓の村で恐れていた大洪水が起こり、村が丸ごとなくなってしまいました。僕は福田首相時代にヒマラヤの氷河湖決壊対策について首相に問題提起をし現地調査にも行かせてもらいましたし、アジア太平洋地域の特にバングラデシュ、インドなどではヒマラヤから融け出した水がガンジス川に流れ、水害によって毎年、多くの人が亡くなっています。しかし日本で政権が変わり、さらに原発事故以後は、温暖化対策そのものがトーンダウンしてしまいました。最後まで伝え切る、訴え続ける大切さを感じましたが、とにかく時間がかかります。

多くの活動を同時に継続させるためのバランス感覚

神津 活動が行き詰まったときなどはどのように対処されるのですか?活動を息の長い形で継続していくには大変なご苦労もおありではないかと思いますが。

野口 一つの活動に行き詰まったときは、他の活動に目を移して切り替えないと精神的にもちません。富士山清掃活動、温暖化抑制活動、また旧日本兵の遺骨収集活動といくつもの活動は大変ではと言われますが、逆にそのおかげで助かってもいます。また、行き詰まったらもう一度現場に行くことで、原点に戻るんですね。富士山清掃活動も地元のNPOがかなり育ってきたので、活動を担ってくれるスターを作って彼らにバトンタッチし、これまでの活動を完成させていきたいです。エベレストでは、当初、地元のシェルパを使って清掃活動をしましたが、彼らはカースト制度の中で生きているので自分たちはゴミを拾うほど階級が低くないと抵抗されました。続けているうちに活動を理解し、彼ら自身が自分たちの村でも清掃活動をするようになりました。そして4年後、シェルパの代表があとは自分たちに任せてほしいと言うので、2003 年以降はシェルパが活動の中心となっています。そのうちの一人が自分の村のゴミを片付けたことでネパールでスターになりました。僕がネパール社会で発言するよりも、地元のスターがエベレストについて訴える方がより効果があるというわけです。

神津 活動の仕組みまで作り上げたら、それを次世代に託して継続してもらうという発想は、実に潔いですよね。野口さんご自身はやはり登山の世界に戻りたいというお気持ちでしょうか?

野口 子どものころはカメラマンになりたいと思っていたことを思い出し、数年前からまた写真が撮りたくなりました。ヒマラヤにはすでに50数回も行っているせいか感動が薄れていたのですが、エベレストが見える5,500mの山頂で、テントに2週間居続け、山が最も美しく見える午後4~6時を待って、これまでと違ったヒマラヤを撮影することができ、山がまた楽しくなったのです。近々、出版する写真集には、ヒマラヤの他にも、アフリカ・ウガンダなどさまざまな写真も掲載予定です。日本では信じられないようなシビアな現実が世界にはまだたくさんあります。世の中の表裏どちらも見ていきたいですね。

神津 野口さんのエネルギッシュな活動歴の背景にある、ものの考え方がとてもバランスが取れていますね。私たちはつい理想を描くあまり、現場で生活している人が見えなくなってしまうことがあります。しかし、いろいろな事情を抱えたり、さまざまな環境に置かれている人たちを簡単に色分けせず、それぞれの実情を丁寧に観察したり、別の違った観点から見直すという視野の広さを大切にしたいと、私も改めて強く感じました。

野口健(のぐちけん)氏プロフィール

アルピニスト
1973年、アメリカ生まれ。父親が外交官だったため諸外国で幼少時代を過ごす。高校時代に手にした植村直己氏の著書『青春を山に賭けて』に感銘を受けて登山を始め、モンブラン、キリマンジャロの登頂を果たす。大学時代に自ら登山に必要な資金集めをし続け、99年3度目の挑戦でエベレスト登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25才で樹立。その後は、エベレストおよび富士山のゴミ清掃活動を精力的に行うとともに、エベレスト登山日本隊に参加し遭難したシェルパの遺族を補償するための「シェルパ基金」や、ネパール・サマ村の子どもたちのために学校を作る「マナスル基金」を立ち上げる。また子どもたちの環境教育のための「野口健・環境学校」を開設。フィリピン・沖縄における旧日本兵遺骨収集活動も行っている。

ページトップへ