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280年の重みと灯り

石原 孝子氏 takako ishihara
松江エネルギー研究会代表

今春は人生初の忙しさだった。ギャラリーとして使用していた築280年の母屋の解体。国宝松江城の真下で、周りは家老や上級屋敷の中、江戸時代から戦後まで料亭だった。

解体にあたり、まずは最後の展示会として独身時代から収集していた「庶民の浮世絵展」の開催。次週は長年御世話になった方々への宴会が連日続き、解体準備となった。大量の荷物の片づけは業者見積で百万円、江戸時代からの物を丸ごと廃棄する訳にもいかず、結局早朝から夜まで片づける羽目になった。

二階は長年物置と化し、出てくる、出てくるお宝?の数々。平成を皮切りに、昭和があり、初期のTVや戦時中の竹槍と銃剣に出世幟、紋幕におびただしい着物の数々、長持や、箪笥は正に大正、明治、江戸のパンドラの箱のようだった。ちなみにテレ東のなんでも鑑定団から電話はあったのだが、ひょっとして今後に期待かもしれない。

武家屋敷の解体補修をしている宮大工御一行は、建物見学に何度も来た。江戸時代の建築物として生きた資料と言っていたのは、山から切り出してきた木材を運びやすいように、端にロープの通し穴がある木材が、そのまま梁になっていた。手カンナの天井板に、二階の掘り炬燵も一階の天井に露出状態。箱階段の二階からの下り口には引き戸があり密談が出来るようになっていたし、二階の窓高は武士を見下ろせないよう階高規制だ。

灯りといえば行燈で、現存する行燈の灯りで実際に宴会を再現してみたが、闇鍋状態で宴会どころではない。複数の行燈でやっと一息。櫨(はぜ;実から木蝋が採れる樹木)ロウソクは貴重品、一般庶民は鰯油や鯨油で、灯りに対して憧れ以外にはないはずだ。たくさんの行燈に明かりが灯っていただろう往時の料亭に、髷姿の上級武士が毎夜宴会をしていた姿が偲ばれた。

明治になってやっと電気が入り、今では考えられない裸電球一個の灯りでも感動だっただろう。280年の重みを感じながら、ご先祖様に感謝と、文化の変遷、エネルギー問題を思った日々だった。

(2017年6月末)

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