私はこう思う!

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廃炉処置の技術開発に期待する

高木 美千子氏 michiko takagi
エッセイスト/旅行作家

あの日から3年8ヶ月の時が流れた。忘れてはならない2011年3月11日。被災に苦しむ東北各地へはなんども足を運んでいる私だが、2014年10月29日、ようやく福島第1原子力発電所を訪れる機会を得た。

9月15日にようやく通行制限が解かれた国道6号をバスは進む。町の中心である富岡町、帰宅困難区域に人影はない。誰もいない畑にすすきが揺れている。バスはやがて富岡川を渡る。1.4マイクロシーベルト。大熊町に近づくにつれ2.3マイクロシーベルト、3.0マイクロシーベルト~。6~7マイクロシーベルトの場所もあった。森がセシウムを吸収して、そんな地域の周辺の線量が上がるのだ。さらには土壌汚染への取り組みが課題である。

構内の桜並木も伐採されてコンクリートで固められていた。長袖にズボン、長めの靴下、皮膚を出さない服装で靴にはビニールをかぶせての視察。途中、防護服にマスクをかぶった作業員に出会った。気の遠くなるような時間をかけての廃炉作業に取り組む東電社員、下請けの人々の姿に頭が下がる思いだ。

廃炉・汚染水対策の最高責任者は、電力の恩恵に浴する大手メーカーで働くわが息子と同年代だ。事故直後、多くの社員が退職したなか、窓のない建物の中で先の長い廃炉に向けて全力で奮闘中だ。

視察直後に1号機の原子炉建屋カバー解体に向け、屋根部分のパネルが取り外された。水素爆発により、がれきが散乱する建屋上部が飛散防止剤により約3年ぶりに姿をのぞかせたわけだが、プールからの燃料取り出しにはまた膨大な時間がかかるのだろう。

除染のおかげで無事視察を終えたものの、除染で取り除いた土壌や放射性濃度の高い焼却灰のことが気にかかる。環境省は2,800万立方メートルの搬入を想定しているという。中間貯蔵施設、最終処分場の問題は深刻だ。

川内原発の再稼働、高浜原発の安全審査など今後さまざまな情報から目が離せない。政府の対応がなによりも気にかかる。

(2014年10月末)

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