私はこう思う!

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エネルギー基地、六ヶ所村の今と原子力

吉富 崇子氏 takako yoshitomi
山口県地域消費者団体連絡協議会会長

節電の夏である。日本では無駄な物は極力省くという文化が、「もったいない」という言葉で、長い間根付いてきた。日本人は元来慎ましく、分相応に生きてきたし、さまざまな生活の知恵が暮らしの中で活かされてきた。こんなDNAを持った私たちであるから、「もったいない。節電しよう」という呼びかけは、素直に受け入れられたと思う。

しかし一方で、少々行き過ぎではないかと思われるケースもある。

昼時に公共施設を訪れた。廊下は節電され薄暗いというか暗かった。そして訪ねた部屋も消灯。人がどこにいるのかがわからないし、書類を広げても読むことが難しかった。“昼時は来庁しないでください。今時はそれが常識ですよ”と言われたような気がした。どこもかしこも同様にという意識はどうなのであろうか。

昨年の夏、届け物があって一人暮らしの人を訪ねた。西陽の当る部屋の住人であるが、うちわ1本で暑さを凌いでいた。扇風機も冷房も無く、冷蔵庫も使ってないという。「うちわを使うと手の運動になるし、エコでしょ」と明るく言われた。熱中症や食中毒などが気になった。

節電、切電することが美徳のように語られ、使う事が罪悪であるという風潮はないだろうか。必要な物には使うという接電の選択があってもよいと思う。

電気は原子力発電が稼働しなくても十分に足りますと報道されている。しかし産業の現状や暮らしのレベルを落としての、我慢の上に成り立っている節電や切電による結果であるならば、それはいかがなものなのであろうか。

無駄はよくない。しかし必要なものには使うという前提の上での、電力の過不足の話でなければ、前向きな暮らしはあり得ない。

行き過ぎはよくない。ほどほどに、そしてバランスよくと願う。

(2013 年7 月末)

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